愛は日常に溶けている
藤咲 沙久
愛、日常に溶けて。
「ひとりの時間がほしい!」
少しだけ大きめの声で言った私を、
「平日、仕事から帰ってきたら家に一人では?」
「そういうことじゃない。土日のたびに隆央が来るでしょ、リラックスタイムが足りないの。ギブミー私だけのおうち時間」
休みは朝から晩まで一緒にいて、たまに泊まってもいく。買い物があれば二人で行く。それはいい。ただあまりにも頻度が高いと言っているのだ。
同棲だの結婚だのとなる前に、個人の時間が失われ過ぎてるのはいかがなものか。それにふと気がついたというわけだった。
「せっかく同じマンションに住んでるんだし、お金かからないし、周りを気にせずくっつけるし、デートはお家でしよ? …って。冷めてるのか熱いのかわかんないこと言ったの
「う……っ。い、言ったけどさ」
「ウチは兄貴と二人暮らしだから初花を呼べない。俺はいつだって初花に会いたい。そしたら、こうなる」
こう、と言いながらアイスを持ったまま両手を広げる隆央。猫のキャラクターがたくさんプリントされた部屋着姿で寛いで、いったいここがどっちの家だかわからない。
「だからって入り浸り過ぎ」
「ダメ? 今日の夕飯は肉じゃがにしようと思ったのに」
「わーい隆央が作る肉じゃが大好きー! ……じゃない! あと食材持ち込むついでに冷凍庫をアイスだらけにするのやめてくれる?!」
「初花がチョコミント食べないから入れておくんだよ」
「何それ嫌がらせにしか聞こえないんだけど」
「まさか。愛と信頼」
いったい何で愛を示され、何を信頼されているのか。チョコミントは歯磨き粉の味がする……なんて言って機嫌を損ねたことがあるからこの話題を掘り下げたくはないが、よりによってそればかり買ってこられるのも腹立たしい。
どうせなら私が食べる味も買ってきなさいよ。このチョコミン党。
「とにかく! 次の休みは別々に過ごすからね!」
そんな訳で、私がそう高らかに宣言したのが先週の土曜日だ。ちょうど一週間前になる。訪問者がいないのをいいことに、今朝は10時までたっぷり朝寝坊してみた。
裸足でペタペタ歩き回っても、スリッパ持って追っかけてこられない休日。以前は当たり前だったはずの怠惰な朝。
「寝起きからお菓子食べちゃうもんねぇ、うふふ。パジャマも着替えないし、五本指ソックスも履いちゃうし、瓶底メガネもかけちゃう。あー気が楽ぅ!」
隆央のことは大好きだ。厚ぼったい唇は愛しく感じ、料理の腕にもすっかり胃袋を掴まれている。一緒にだらだらと転がるのも、たまには熱を帯びた肌を寄せ合うのも、これ以上なく幸せに思う。
(でも、それとこれとは別問題なんだから)
元親友といえど、現彼氏。いくら素を知られてる隆央相手であっても一応女として気は遣うってものだ。ここまで突き抜けて気を抜いた姿、見せられるものか。
ぐーっと伸びて、カーペットの上に勢いよく寝転がる。後頭部を、何かまふっとした感触が受け止めたのがわかった。この柔らかさは……ビーズクッション。隆央がウチに持ち込んだ、ゆるだら顔の猫型だ。
「……私、ファンシーグッズ好きじゃないのに」
自由に置かせてるくせして何言ってるんだか。独り言は、なんだか天井で跳ね返って自分の額にコツンと落ちてきたようにも感じた。
視線だけを部屋に巡らせる。クッションだけじゃない。食器棚には尻尾型の取っ手がついたマグカップ。本棚にはやたらとタイトルの長い小説数冊。窓の外、ベランダには防犯用に干しとけば、と渡された男物のシャツ。あの日身に付けていた部屋着はタンスの中だ。
全部、隆央の笑った顔とセットの物ばかり。別売不可。隆央がいなければこの家に無かったんだから。
「……いつの間にこんな侵食されてたのよ。ええい、ご飯だご飯。たしか冷凍パスタがあったはず」
寝たときと同じくらいの勢いで起き上がったら、くらりとした。ボサボサになった髪を軽く手櫛で整えて、ちょっとだけ澄ました表情をしてみせる。誰も見ていないのに。
少し迷ってから、ソファの陰に隠れてたスリッパを引き寄せて履く。いざ進めや台所、目指すはパスタ……なんて古い曲を勝手な歌詞に変えて歌いながら冷凍庫を開けた。けど、中を確認して、閉めた。いざ進めや居間、目指すは携帯。
「もしもし、もしもし隆央クン。聞こえますか初花です。そうよ、珍しいでしょ電話なんて。……あの大量のチョコミントアイスはなんだお前ー!!」
「先週、初花が風呂入ってる間にダッシュで買い占めて詰め込んどいた。思った通り一週間バレなかった、ははは」
電話から聞こえる呑気な笑い声に脱力するしかない。やっと掛けてきた、なんて楽しそうに言うから、悪戯心あってのことだとよくわかる。
「そもそも、なんでいつも私の家に備蓄すんのよ」
「ウチの冷凍庫だと俺が買ってきても兄貴が食うんだ」
このチョコミン党兄弟め。私を巻き込むな。まさか信頼とは、私ならこの味のアイスを食べないはずだという意味か。間違ってはないものの複雑な気持ちになった。
いつかこっそり食べてやろうかしら。いや、やっぱり歯磨き粉味は遠慮したい。
「それに。初花が食べないアイスがあれば、俺が入り浸る理由の足しになる」
「……理由、いるの?」
ちょっとだけ意外だった。もっとよく声を聞きたくて携帯に耳を押し当てる。何も変わらないけど、そうしたくなった。
隆央の声がいつもより、遠い。
「押し掛けてる自覚はあったし。でもさ、もう俺にとって初花の家で過ごすのが、初花の言うところの“おうち時間”ってやつなんだよ。まあ今回のアイスは、来るなって言われたのが寂しかったからだけど」
「根の持ち方が陰湿」
「でも嫌いじゃないだろー」
嫌いじゃないけど、面倒くさい。面倒くさいけど、好き。自分から来ないよう言っておきながら恋しくなるくらいには、隆央が好きだよ。
考えてから少し照れ臭くなって、隆央の猫クッションをばふばふと叩いた。柔らかくて心地よい手触りだった。
「アイスとか言い訳にしなくていいから来てよ。……隆央がいない方が違和感あるように、なっちゃったんだから」
本当は、チョコミントが邪魔だから来てっていうつもりだった。隆央の作り置きご飯で生きてるから補充しに来て、というのもアリだ。でもダメだった。寂しさの方がすっかり勝ってしまって、そんな強がりはもう言えない。
「今から行くよ。行って、初花をぎゅっとしてあげよう」
「何それ愛の言葉にしか聞こえないんだけど」
隆央がもう一度笑ったのが聞こえた。私もつられて、笑った。
散りばめられた可愛い小物。
食べもしない味のアイス。
隆央が部屋にいること。
きっともう、無いと落ち着かなくなるくらい私の生活と溶け合っている。そしてそれは隆央にとってもなんだと思うと、悪くない気がした。
同じマンション、三階から二階まで降りてくるのにそう時間はかからない。まずはこの格好を早急になんとかすることから始めよう。
私たちのおうち時間を過ごすために。
愛は日常に溶けている 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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