私のおうち時間《アイドル鑑賞》を邪魔しないでっ!

奏 舞音

私のおうち時間《アイドル鑑賞》を邪魔しないでっ!

 待ちに待った週末。華金。

 私は仕事を定時で上がると、まっすぐ家に帰る。

 そして、風呂に入り、化粧を落とし、スキンケアをちゃちゃっと終わらせ、冷蔵庫からキンキンに冷えたビールを取り出す。

 キッチンの棚から、枝豆とするめいか、スナック菓子を一袋。

 忘れてはいけない、光る棒を用意すれば、準備は完了だ。

 深呼吸をして、テレビの前に座る。

 ネット回線につないだチャンネルで、目的のものを選ぶ。


「……っはああっ尊いっ! しんどい、尊すぎてしんどいっ」


 ぶんぶんとサイリウムを振り回し、一人で叫ぶ。

 テレビ画面に映っているのは、世界で活躍するアイドル『MILK♡KISS』。通称MK、ミルキス。個性豊かなイケメン五人グループで、歌もダンスも世界で高く評価されている。新曲を出す度に売上ランキング1位を総なめにするほどの人気なのに、デビュー当時からの謙虚な姿勢やファンサービスの丁寧さは変わらない。そこがますますMKの人気に拍車をかけていて……語り出したら止まらないMKの魅力に全身ずぶずぶに浸かっているのが私――日暮ひぐれ茉莉香まりか、二十五歳。二十代半ばにして最高に可愛くて愛せる推しを見つけてしまい、これからの人生と金をライに捧げる所存。


「待って、無理無理っ今の何っ、ちょ、腹筋んん!?」


 待って、無理、と言いつつ、ちゃっかり腹チラをしたライの映像を巻き戻し、一時停止。

 すぅはぁと危ない息づかいになりつつ、ビールをあおる。

 再生ボタンに指をかけ、ライブ映像の続きを見て悶える。


「はああぁっ幸せっ!!!!!」


 とうとう我慢しきれなくなり、ソファに置いていたクッションを抱きしめて床に転がった時だった。


「……いつもこんな感じなの?」


 急に聞こえたその声に、私は驚いて飛び上がる。


「え!? なんでハルが私の家にいるの!?」


 ここ数年会っていなかった四つ年上の幼馴染――悠斗はるとが目の前にいた。

 いや、あり得ないだろう。

 だって、私は一人暮らしで、この家のスペアキーは両親にしか渡していない。

 これは悪い夢だろうか。

 夢にしては枝豆もビールの味もリアルだし、画面に映るライは美しい。尊い。あぁ、このパートの横顔たまらん。

 突然現れた幼馴染の存在よりも、画面のライに意識が向いてしまう。

 そんな私に呆れたようなため息を吐いて、悠斗が口を開く。


「誠子さんから聞いてないのか? 俺が来ること」


 母の名が出てきて、私は反射的に耳をふさいでいた。

 ここ最近、母の小言はヒートアップしている。

 アイドルに貢いでも見返りなどない。いい年なんだから現実を見なさい。

 母の小言を無視し続けていた私にしびれを切らして、悠斗を寄越したのだろう。

 幼い頃、悠斗だけが私をなだめることができたから。

 しかし、今は昔とは違う。悠斗に負けてなるものか。

 耳をふさいで「あーあー」と喚く姿は、幼い頃と変わっていなかったけれど。


「ちゃんと聞け」


 がしっと両手をつかまれ、耳に当てていた手がはがされる。

 それだけでなく、悠斗の顔が至近距離に近づく。


 どくり。心臓が大きく跳ねた。

 さらりと流れる前髪からのぞく、形のよい眉と切れ長な目。すっと通った鼻梁。

 淡々と響く声音は、数年前よりも低くなっていて、男の人なのだと嫌でも意識させられる。

 相変わらず、無駄に顔がいい。

 もう諦めたはずなのに、空白の時なんか一瞬で埋めようとするほどに、心臓が忙しなく動く。


 ――現実で恋をしても、見返りなんてない。不毛な恋なんかより、私はライを選ぶ!!


 悠斗を睨みつけて、私は断言する。


「お母さんに何を言われたのか知らないけど、私は私の生き方を変えるつもりなんてないから! 私の人生はライのおかげで幸せなの! 余計なおせっかいはいらないんだから!」


「へぇ。ライって、そいつ?」


 悠斗が視線をテレビ画面に映ったライに向けた。


「そうよ! 見て、この神が与えたもうた造形美! ダンスのキレ! マイナスイオンが出ていると噂される天使の歌声。カメラと客席への愛嬌! 表情管理! それにね、曲によって雰囲気が変わってね、愛くるしい笑顔と色気のある表情のギャップがたまらないのよ~!」

「……昔は俺のことが好きだって追いかけてきてたのにな」

「ほらここ! このパート!! 耳を澄ましてよく聞きなさい!」

「俺さ、お前と結婚しようと思う」

「この世にライより美しくて愛おしいと思える人なんてきっといないわ。はああ、好き。愛してる!! ……ん? 今、なんかおかしな単語が聞こえなかった?」

「あぁ、結婚しよう」

「…………何の冗談?」

「本気だけど?」


 言われたことの意味が分からず、私の頭は真っ白になる。

 つい先程まで推しについて熱く語っていたのに、急速に熱が冷めていく。


「誠子さんにも茉莉香のこと頼まれてるし」

「いやいや、そういうことじゃ」

「茉莉香」


 名を呼ばれるだけで、金縛りにあったかのように動けなくなる。

 いつの間にか、テレビの電源は消されていた。

 沈黙の中で見つめ合う。

 悠斗の色素が薄い茶色の瞳とか、掴まれたままの手の熱さだとか、ライブ鑑賞のために楽すぎる格好をしている自分のこととか。ってかすっぴんだし。

 この急展開に思考がまとまらず、どうすればいいのか分からない。

 そしてこの後、何が起こるのかも。


「枝豆とビール、俺にもくれるか? アイドルに浮気している奥さん」


 柔らかく、熱いものが私の額に軽く触れて離れた。


(え、キスされた!? キスされた!? ってか、奥さんって何!?)


 これは絶対に夢だ。悠斗は昔から優しかったが、私を口説くような男ではない。

 私が好きすぎて追っかけていた時もきっちり一定の距離を保っていたし、このイケメンがモテないはずがなかった。彼女が途切れたことはないし、その彼女はみんな大人な美人で、私とはまったく違うタイプだった。

 悠斗に彼女ができて諦めようとしてもできなくて、少し優しくされただけで胸がときめいて。

 そんな日々を繰り返していたある日、私は聞いてしまったのだ。


「茉莉香ちゃんって、可愛いよね。なんで相手にしないの?」

「ただ親同士が仲がいいってだけだ。あいつは箱入りで、世間知らずだ。まともに相手にできる訳ないだろ」

「うわ~、辛辣だな」

「お前も男なら、色気のないガキよりも年上の方がいいだろ?」

「ま。それもそうだな」


 悠斗と友人の会話。

 高校生の悠斗にとって、女子中学生に好きだと追いかけられるのはさぞ恥ずかしかったことだろう。

 世間知らず。色気のないガキ。

 悠斗にそんな風に思われていたことがショックで、永遠にこの気持ちは封印しようと決めたのだ。

 それからは悠斗を追いかけることをやめて、悠斗が進学で遠い大学に行ってしまうと繋がりなんてなくなって。

 見ないようにしていたボロボロの恋心は、悠斗との思い出を見つける度に涙を流して。


(ライの歌声を笑顔に、私は救われた……だから)


 どれだけライが素晴らしいかを、アルコールの勢いもあって、私は悠斗に説き続けた。

 彼の言い分なんて知ったこっちゃない。

 大学生の悠斗、社会人になったばかりの悠斗とは顔を合わせても挨拶程度で、こんな風に一緒にいるなんて考えられなかった。

 だからだろうか。悠斗が一緒にMKのライブを見てくれていることにも、私の話を呆れながらもちゃんと聞いてくれていることにも、涙が出そうになるぐらい嬉しい。

 というか、泣いていた。

 鼻をすすって、私は言い訳をこぼす。


「ライの歌うバラードってね、本当に繊細で……泣けるの」

「もう分かったから。ほら、鼻水かめ」

「んん」

「ったく、本当にまだまだ子どもだな」

「子どもじゃない! ほら、胸だって!」

「ちょ、おいっ!?」


 私は完全に酔っぱらっていた。

 ガキ扱いされた過去と重なって、色気だってあるんだと示したくて、悠斗の手を自分の胸元にあてる。

 今まで散々美女と色恋を経験しているだろうイケメンには何の影響も与えられないだろう。

 そう思っていたのに、悠斗は真っ赤な顔をして勢いよく手を引いた。


「お前、他の男にこんなことしてないだろうな!?」

「私が興味あるのはライだけですぅ」

「俺は? もう飽きたの?」

「……ノーコメント」

「俺はさ、高校の時から茉莉香と結婚するつもりでいたんだけど」

「……嘘!? だって、ガキだから相手にならないって話してるの聞いたよ! それに、彼女いたじゃない!」

「まぁ、そりゃ茉莉香と付き合う時にリードしたかったし、俺以外が茉莉香を見るのが嫌だったからな」

「でも、じゃあどうして私が好きって言っても塩対応だったの?」

「幸次さんに予防線張られてたからな……」


 ため息と共にこぼれる悠斗の言葉に、「あぁ」と私は納得する。

 過保護な父は、私に男友達ができた時でさえかなり目を光らせていた。

 それが身近な幼馴染で、私が好きだと追いかけている悠斗ならばその比ではなかっただろう。


 ――まさか、子どもの言うことを本気にして未成年に手を出したりしないね?


 という父からの脅しもあり、悠斗は私と一定の距離を保っていたのだとか。

 健全な幼馴染という距離を保ったまま、成人して交際を申し込もうと考えていたのに、私が突然悠斗を避けるようになった。

 やはり思春期特有の一時的な感情だったのだと父は喜び、悠斗はそんな軽いものだったのかと落ち込んだ。

 二人の想いはすれ違ったまま時が過ぎていたが、在宅ワークに切り替わった悠斗が実家に帰った時に私の母から話を聞いたらしい。


 ――茉莉香は彼氏もいたことないのにアイドルに夢中で、結婚する気がないの。誰でもいいから、あの馬鹿娘をもらってくれないかしら。


 ――じゃあ、俺でもいいですか?


「……という訳だ。茉莉香、結婚しよう?」

「え、そんな、むり。ライの前で……」

「ライとこんなことできる?」


 ちゅ。頬に落ちたキス。それも、唇に近い位置。

 顔が沸騰しているように熱い。

 かすかに首を横に振ると、悠斗はきれいな顔に笑みを浮かべた。


「愛してるよ」


 画面の向こう側でライも同じ言葉を口にしている。

 それなのに今、私の心臓を痛いくらいに動かしているのは……。

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