第3話
■1月29日 夜 香坂家 麻琴の部屋
「それじゃあ最後だ。例のお宝をだしな。手元にあるんだろ?」
「ああ」
麻琴は懐から取り出した【蒼のメリクリウス】を机の上に置いた。
「王笏の方は……。いやそっちはいいかね。今は使うこともないだろうから大事に仕舞っておきな」
そう言ってパリュは【蒼のメリクリウス】の上に肉球を乗せ目を閉じた。
「にぃぃ」
とたんにパリュの顔が険しくなる
「ぬし、これに適当に力を込めただろう」
「……あ、ああ。だけど結構慎重に力を込めたぞ。いつもの水晶以上には気を使ってた」
慌てた麻琴の弁解に、パリュはため息をつく。
「ふに。ま、ぬしが病院に行くと言った時からこんなことになるだろうとは思ってたから、気にはしないけどね。これはあちの求めるものとは少し違うからねぇ。となると困るのは使う本人のぬしだ。ま、失敗も経験ってやつさね」
「失敗? 何かまずったのか?」
「ああ、そうさねぇ」
パリュは【蒼のメリクリウス】をてしてしとたたく。
「こいつはね、ぬしのいつも使ってる石と違って二つの石が混ざり合ったものなのさ。おっと、混ざり合った石なんて他にもあるって顔をしてるね」
「……まあな」
いまいち納得のいっていない顔の麻琴にパリュは続ける。
「まあ、こいつは有象無象の石と違ってきれいに混ざり合ってる。加えて【蒼のメリクリウス】なんて名前で王笏にされてたおかげで伝承に基づいた要素まで持ってるときたもんだ。……ここまでは理解したかい?」
「ああ……。要は色々出来る要素があるって事だろ」
「まあ確かにそうではあるんだけどねぇ」
パリュは前足で【蒼のメリクリウス】をつっついた
「こいつはそれらのエレメントが絶妙に混じり合ってる石だからねぇ。うまく扱えば石そのものの力以上のものを発揮できるのさ。でも……」
「でも?」
「下手をうつとそれぞれの要素が相克して、触媒としては屑石以下に成り下がる。要は今のこいつだよ。これじゃ枕にもならん」
パリュは【蒼のメリクリウス】の上に顎を乗せてゴロゴロと喉を鳴らせた。
「なんだよ……。それならそうと言ってくれればよかったじゃんか。わかってたんなら病院に行く前に止めてくれても……」
麻琴のぼやきにパリュはしっぽを揺らめかせる。
「にしし。何せあちは“昼間は完全にただの猫”、らしいからねぇ。気づかなかったよ」
パリュはくくと喉を鳴らせた。
「それに、今のこの石から使える要素を取り出すこと。それが今のぬしへの課題になるのさ」
「こいつから……」
麻琴はパリュの顎の下から【蒼のメリクリウス】をつまみ出す。
「にっ。まったく……。乱暴にするんじゃあないよ」
パリュはぶると体を震わせた。
「そいつから、一つでいい、何か自分に合った使えるエレメントを見つけ出すまでが第一段階。それが出来たら後は取り出せるエレメントを二つ三つと増やしていく。それが第二段階だ。その頃には複数の触媒を同時に使うことも出来るようになるだろうよ」
「それがこれからやる新しい魔法の練習って訳か」
パリュは鷹揚に頷く。
「そうさ。そうして最終的にはその【蒼のメリクリウス】の力を十全に引き出してもらうつもりだ」
パリュはにしと笑う。
「期せずしてちょうどいい教材が手には入って、しかもいい案配に中身もかき乱れてる。まったく……、ぬしは運がいいねぇ」
「何言ってやがる。どうせパリュが狙ってたんだろうが」
「さあてねぇ」
パリュはとぼけるようにあくびをした。
「まあいいさ。代わりに一気にこいつを扱えるようになってパリュをびっくりさせてやるよ」
「にし。威勢がいいことだね。あちは次の仕事までにいけて第一段階だと思っているけどね」
「言ってろよ」
麻琴は鼻を鳴らして【蒼のメリクリウス】を掲げた。それは吸い込まれるような紫紺の中にいくつもの小さな光を宿していた。
◆
「よし、それじゃあお勉強の時間だ」
パリュはしたんとしっぽで机をうつ。
「まずは復習だね。ぬし、ひとまずそれを使っていつも通りに魔法を使って見せな」
パリュが差したのは煙水晶の小さなかけら。麻琴はそれを手に取り目を閉じた。
「まず、石に自分の魔力を通して石そのものが持つ力を励起させる。後は石の力に言の葉を乗せて、その方向を決めてあげればいい。だったな……。こいつなら《狭霧よ――」
煙水晶のスモークが渦巻く。
「《――魔王の娘となりて、歌と踊りを披露せん》」
言い切った麻琴とそれを見つめるパリュ。二人に影が落ちる。
二人を見下ろす形で立っていたのは白面にコートを着た青年の姿。快盗キャスパリーグだ。
だがその姿はすぐにかき消えた。
「三居土博物館の屋上みたいに動かせたらと思ったけど、さすがに無理だったか」
悔しそうに言う麻琴にパリュが優しく声をかける。
「に。この小さな欠片であれだけの幻影が出せたんだ。十分だよ」
「パ、パリュがデレた」
驚いたように言う麻琴を、パリュがシャっと威嚇する。
「あほうなことを言うでないよ。今の場合の十分は及第点って事だ」
「……だろうと思ったよ」
麻琴は肩をすくめる。
「いいから話を聞きな。前にも言ったとおり今のあんたのやり方はちと乱暴なやり方だ。例えるなら寝ている部屋に押し入って無理に外に引っ張ってきて歌を歌わせているようなもんさ」
パリュは煙水晶の小さなかけらを見やる
「それほど力の無い石ならそれでもいい。いやむしろそちらの方がいいまである。こちらが補助してやることできれいな歌声を響かせることだってあるのさ。だけどね――」
パリュが言葉を切って、今度は【蒼のメリクリウス】を見る。
「だけどこの子みたいに力のある石にそれをやっちゃあだめだ。もし無理に押し入ろうとするものなら、鍵をかけて閉じこもっちまう」
「じゃあどうすればいいのさ」
麻琴の疑問にパリュが答える。
「そりゃぬしよ、お伺いを立てるのさ。いきなり扉を開けるんじゃなく、まずは丁寧にノックをする。そうしてお願いをするんだ。あなたの歌声を聞かせてくださいってね。この子には力がある。その自負が、プライドがある。そいつをくすぐってやって自由に歌ってもらうのさ。そうしてあんたは横で伴奏をして、うまく誘導してあげればいい」
「うぅん」
パリュの話を聞く麻琴の表情は渋い。
「言ってることはわかるんだが、具体的にどうしたらいいのかがわからないな。うかつにつつくとまた何か下手をうちそうだし……」
パリュはやれやれとばかりに体を机に寝そべらした。
「その“何か”を起こさないようにあちが見てるんだよ。いいからもう一回魔力を通してみな。案ずるより産むが易しとも言うだろう? ただし、乱暴にするんじゃあないよ」
「……そうだな。わかった」
麻琴は【蒼のメリクリウス】を手に取り魔力を込めはじめた。
その手をぴしりとパリュのしっぽがはたく。
「まだ強いっ。もっと優しくお伺いを立てろって言ってるだろ。なんなら初心な女の薄衣を一枚一枚ゆっくりまくるようにでもいい。何でもいいから優しく優しく扱うことをイメージしな」
そんなの経験が無いからわかるかよと毒づきながらも麻琴は【蒼のメリクリウス】に意識を向けていく。
思い浮かべるのは麻琴の優しさの原点。
幼子の自分をくるむ産着。
「にっ。予想とは違うけど、でもとてもいいじゃないか。いまのこいつは、無理矢理起こされてへそを曲げてる子供みたいなもんだからね。それくらいがちょうどいい」
……ぽたり。麻琴の額から汗がしたたり落ちた。
「よし、じゃあ次だ。こんどはそいつの、【蒼のメリクリウス】の中をちょっと覗いてごらん。なあに、今なら大丈夫だ。その子はちゃんとこっちを向いている」
麻琴は産着のように【蒼のメリクリウス】にまとわる魔力にほんの、ほんの少しだけ力を加える。子供の頃の小さな、小さかった妹の顔をおそるおそるのぞき込んだ時のように……。
瞬間、麻琴の意識が【蒼のメリクリウス】の中へと入り込んだ。
麻琴の目の前を様々なイメージが通り過ぎる。
太陽からしたたり落ちた滴、夜空の星を映しだし揺れる
「どうやらうまくいったようだね」
まるで遠くから呼びかけるような、そんなパリュの声が麻琴に届く。
「ぬしがどんなイメージで見てるのかはわからない。だけどいろんなエレメントが見て取れるはずだ。今回はその中のどれか一つでいい。力を借りるのさ。好きな奴、相性の良さそうな奴はどいつだい?」
……相性? ぐるりと周りを見回すが、どれがいいかなんてわかりやしない。
ただ……。夜空を映す水面はきれいだった。揺れる水面に安らぎを感じた。だから麻琴はそのイメージを選ぶ。
「にっ。決まったようだね。じゃあ今度は自分の魔力イメージをそれに近づけるんだ」
魔力を……?
麻琴は産着のように【蒼のメリクリウス】を包んでいる魔力を、今度は夜空のイメージへと変えようとする。
「違う、そうじゃない」
パリュの鋭い声が響く。
「最初の優しいイメージを崩すな。優しく包むイメージはそのままに、相手に少しずつ寄り添っていくんだ」
――バチン。
はじかれるように遠ざかるイメージ群を追いかけるように、優しい産着を【蒼のメリクリウス】にまとわせる。
そうしてぐずる妹をあやしていると、【蒼のメリクリウス】が落ち着きを取り戻しはじめた。
「そうだ、もう一度ゆっくりと……」
麻琴はパリュの言葉に従いイメージを整えていく。
今度のイメージはそう、……小さな小さな小舟。妹を乗せた小舟はゆらゆらと水面に揺れ彼女をあやす。
目を見開く妹の前には無数の星が瞬き、妹には笑顔が――。
「――よし、そこまでだ」
麻琴は額に何かを押しつけられたような感触がした。
急速に戻る意識。水面は遠くに、編み込んでいたイメージは端から解けていき、空へと消える。手を伸ばしてももう届かない……。
「あ……」
音にもならないかすかなつぶやきと共に、麻琴は目を開いた。
目の前にはパリュがいて、いつの間にか机に突っ伏した麻琴の額に肉球を当てている。
「にっ。気づいたかい?」
「あ、ああ。パリュ……。どうして止めたんだ? 俺、もう少しで……」
「もう少しで、なんだい?」
麻琴はかぶりを振るう。
「いや、わからない。でももう少しで何かに届きそうな、何かが見えそうな気がしたんだ。」
「……だろうね。だけどそのもう少しを踏み出したら帰ってこれなかったかもしれないんだよ。ぬし、今自分がどんな姿かわかってるのかい?」
「……姿?」
あらためて麻琴が自分の姿を見ると、全身が雨にでもうたれたかのようにぐっしょりとなっていた。
そうして、ただ自身を確認する、それだけのことをひどくおっくうに感じるほどに、体に倦怠感がまとわりついている。
「強い石と同調するのはいい。でも入り込み過ぎちゃあだめだ。ちゃあんと自分をどっかに置いておかないといけないよ。次からは気をつけな」
パリュが穏やかに諭す。
「今日の所はこれで終わりだ。風呂には行って寝て、体をゆっくりと休めるんだね。汗臭い男は嫌われるよ」
「わかったよ……」
麻琴は体を起こし、ゆっくりと扉に向かう。なんとも大儀そうでその足取りもひどく重い。
「風呂で気ぃぬいて溺れるんじゃないよ」
動いているうちに返事をするのもしんどくなったのか、麻琴は軽く手を上げてそれに応え部屋を出て行った。
トントンと階段を下り風呂の扉が開いたのを耳で確認したパリュは、机に置かれた【蒼のメリクリウス】に向き直る。
先ほどまで麻琴が握りしめていたそれは、汗とは違うやわらかな水に覆われていた。
パリュはしっぽを一振りしその水を消し去る。
「固く閉じこもったらあの石から、
パリュは本棚にしつらえられた寝床へとひらりと身を躍らせた。
「あの子が目的が先に達成されたらどうしようかねぇ」
パリュはふぁふとあくびをする。
「まぁそれはそれでいいか。なにせあちは魔王じゃない、“昼間は完全にただの猫”なんだからねぇ」
そんなつぶやきと共にパリュは目を閉じた。
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