第一章/夜の女王の涙
第1話
1月29日 千戸高校 朝
無理もない。結局怪盗キャスパリーグの仮面を脱ぐことが出来たのは、夜も白んできた時間だったからだ。
あーちっくしょ。もうちょっとで警察も完全に出し抜けたのに、吉柳のおっちゃんがあんなに早く目を覚ましてくるとはなぁ。小一時間は寝たまんまになるんじゃなかったのかよ……。
そんな事を考えながら目を閉じている。
「んなぁ~~」
そんな彼の心のぼやきを笑うかのような猫の鳴き声が聞こえる。
笑うなよ、うっさいなぁ。俺は先生来るまで一休みするんだよ。
心の中でそう宣言し、堅く目を閉じた麻琴の背中が勢いよくたたかれた。
「おっはよー、まこっちゃ~~ん」
「んあ?」
顔を上げた麻琴の目に映ったのは、元気に手を上げる友人の富井の姿だった。
「なになに? どったの? そんな目の下にクマなんかつくっちゃって」
「うっさい。眠いんだよ」
麻琴はしっしと手を払うが、富井はまるでそんなものが見えないかのように話しかけてくる。
「あー、そういや昨日はまこっちゃんのお気に入りの快盗の予告状がでてたもんねー。カスバッカリだっけ?」
「キャスパリーグ、な。全然あってねえよ」
麻琴は一応訂正するものの、その顔には諦めが漂う。それもそのはず、このやりとりは何度となく繰り返されたものだからだ。
「まこっちゃん、なんだか返しが雑じゃないー? もしかして昨日は快盗チャンネル見てて寝てないとか?」
「あーー、まあな。昨日のキャスパリーグのおかげであんま寝れてないんだよ。だから先生来るまで……」
「だめだよー、まこっちゃん。夜はちゃんと寝ないと。学生の本分は勉強なんだぜ」
「だから寝かせろって……。だいたいお前も快盗チャンネル見て夜更かししてた類だろうが」
麻琴の言葉に富井は髪をかき上げて答えた。
「まあね~。でもトミィ君は成績上位キープしてるから、まこっちゃんとは違うのだよー」
麻琴は渋面を作る。麻琴の成績は教科によっては赤点ギリギリの低空飛行だったからだ。
「わかってんだったら先生来るまでもう少し休ませてくれよ……」
「まあまあそう言わないでさー。俺としては、今回のキャスパリーグの動きに対するまこっちゃんなりの見解を聞きたいわけよー。【蒼のメリクリウス】を取ったのは実際いつだったのかとか、本当に吉柳探偵に変装していたのかとかさー」
「んなもん吉柳のおっちゃんが二人いるわきゃないんだから、博物館から出てきたおっちゃんのどっちかは偽物だろうよ。どうせ【蒼のメリクリウス】を盗りに行ったところで鉢合わせでもしたんだろ?」
麻琴の言葉に富井はうんうんと頷く。
「やっぱりそうだよねぇ。でもだとすると、最初に屋上に現れたキャスパリーグは何だったんだろうって話になるんだよー。あの快盗はいつも単独で行動してるでしょ。吉柳探偵が二人同時にいないのと一緒で、キャスパリーグだって同時に二ヶ所には現れられないでしょ?」
「……前にどっかの快盗団が3Dプロジェクションに紛れて逃げたことがあっただろ? あんなのの応用とかかもな」
「うーん。でも後ろには何もなかったはずだよ? ああ言うのって後ろの背景に投影するもんなんでしょー?」
「……夜空に紛れるような黒地の背景があったかもしれないだろ。それに最近は3Dを直接宙に投影する技術もあるらしいし」
「ああ、なるほどねぇ」
富井は一応頷きはしたものの、いまいち納得していない様子だ。
ま、実際は魔法の産物だしな……。麻琴はそう口の中でつぶやいた。
「まああれだ。そこら辺はあいつの方が詳しいだろ」
麻琴が教室の入り口を指さす。そこにはミディアムな髪を後ろでまとめた少女が登校してきていた。
しかしその少女の目はつり上がり、いかにも不機嫌ですと言った表情を隠してはいない。周囲も気後れて挨拶の声も小さかった。
「おっと確かに。あそこにおわするは我らが吉柳探偵の愛娘、小筆ちゃんもといペン子ちゃんじゃないの。早速聞いてみよーっと」
富井は小筆の“しゃべりかけんなバリア”をものともせず話しかける。
「おっはよー、ペン子ちゃん。今日も縦皺が厳しぃねー。もっとスマイルスマイル」
「うっさいわね、馬鹿トミィ。ペン子ちゃん言うな。蹴るわよ」
「蹴ってから言うなよー。相変わらず手ぇ早すぎじゃね?」
足だけどねーといいながらも、富井は蹴られた足を大げさにさする。
「で、なによ?」
麻琴の隣の席に座った小筆は、不機嫌そうに富井を見上げた。
「なになに? 聞いてくれるの?」
「あんた、納得するまでしつこいからね。無駄を省きたいのよ。……ま、どうせ聞きたい事って昨晩のアレでしょうけど」
小筆はフンと鼻を鳴らす。
「さすがペン子ちゃん、話はっやーい。まこっちゃんはそこら辺わかってなくてさー。何度聞いても適当に答えるんだよねぇ」
富井が麻琴に目を向けるも、麻琴は机に突っ伏したまま我関せずの構えだ。
「だからペン子ちゃん言うなし」
小筆は軽く富井の向こうずねを蹴る。
「それと、私もたいしたことは知んないわよ。お父さんもまだ帰ってきてないし」
小筆の言葉に富井は肩をすくめる。
「そっかー、残念。まこっちゃんの見解では吉柳探偵とキャスパリーグは鉢合わせしてるって話だから、その点聞きたかったんだけどなぁ」
「何? そうなの?」
小筆が麻琴に目を向けると、麻琴はそうだよとばかりにひらひらと手を振った。相変わらず突っ伏したままではあるが……。
代わりに富井がニコニコと答える。
「うんうん、そうなのそうなのー。あとさ、二人の吉柳探偵、そのどっちが偽物だったのかも本人なら絶対にわかると思ってさー」
それを聞いた小筆はまなじりを上げる。
「どっちが偽物って? そんなの車に乗って出てきた方に決まってるじゃない」
あまりの気炎に、さすがの富井も地雷を踏んでしまったかと天を仰ぐ。
「だいたいうちのお父さんがあんな顔してマスコミ対応するわけないでしょ。ましてやあんな失礼な奴、百歩譲って無視よ無視」
「あー、まぁそうだよねー。たまの快盗を捕らえた時の会見でも塩対応だもん。普段は愛想のいい人なのになー」
「昔ね、私がちっさい頃色々あったらしくてね。それ以来マスコミが嫌いなのよ。それに……」
小筆はダンと拳を机に打ち付けた。
まわりの学生が驚いて小筆の方を見るも、みな触らぬ神に祟りなしとばかりに即座に目をそらす。
「それに、何なのよあの事件後の会見。何でもかんでも警察とお父さんの所為ばっかにして! 目の前でキャスパリーグを素通りさせたのはマスコミも同じでしょうが。マスコミの挑発に愛想笑いで対応したんだからその時点で気づけっての。なのにあのリポーターはいつまでもネチネチと……」
「まあまあ落ち着けよー。そんなに怒ってるとおなかすくって」
「わかってるわよ。麻琴、パリュっ」
小筆が麻琴に向けて左手を突き出した。
「あ~~、まこっちゃん。怒れる姫を鎮めるにはお猫様の力が必要なようです」
富井が拝むように両手をこする。
机に突っ伏して我関せずの構えでいた麻琴だが、富井の言葉に観念して顔を上げた。
「はぁぁ。こうなるのわかってただろ? もうちょっと聞き方考えろよ。もしくはもっと遠くでやってくれ」
ため息をつくと窓際の鞄を探る。
「しゃーないじゃん。俺たちの席固まってるんだから。そんなことよりほら早くお猫様を」
「んっ」
小筆も無言で手を伸ばす。
「はいはいわかったよ。それじゃあこいつを生け贄に出すから、俺には安らかな眠りを与えてくれ」
そうして鞄から出されたのは一匹の猫。紫黒の毛並みの美しいその猫は、鞄の中でのひとときの眠りを邪魔された抗議をしようと麻琴をにらむ。
が、差し出された小筆の手、そしてその顔を見て状況を察したのかおとなしくなった。
「なぁぁ」
麻琴から小筆へと受け渡されたその顔には、諦めを越え哀愁すら漂っている。
「よーしよし。パリュちゃんはこいつらや、あのリポーターと違ってかわいいもんね。ああ、癒やしだわ」
そんな小筆の文字通り猫なで声を聞きながら、麻琴は意識を手放した。
遠くからパリュの抗議が聞こえたような気もするが気にしないことにした。
◆
同日 放課後 千戸病院前
もう日も落ちようとする頃、肩に載せた猫から肉球パンチを受けながら病院に向かって歩く男がいた。香坂麻琴だ。
「悪かったって、パリュ。あの時はああするしか、小筆にパリュを差し出すしかなかったんだって」
「なっなっ」
麻琴の言葉に納得がいかないのか、パリュは再度麻琴の頭をぺしぺしたたく。
「大体パリュは鞄の中で寝られたからいいじゃんか。俺、移動中はもちろん、あの後も予鈴がすぐ鳴って結局寝られてないのよ。パリュはそれからとグースカ寝てたじゃんか」
「んなっ」
そんなこと知るかとばかりに、今度はパリュのしっぽが頬を打つ。
「いてっ。もうわかったよ。ったく、おっちゃんがあんなに早く気づかなきゃ今日はゆっくり寝られたってのに……」
「なっ」
「わかったって、それが自業自得って言うんだろ」
そうしてひとしきり猫とじゃれ合いながら道を歩む麻琴だったが、病院を前にしていったん立ち止まる。
「それじゃぁま、今日は二人に顔を出してくるからさ、パリュはちょっと時間潰しててくれ。今日の夕飯は奮発するからさ、それで勘弁してくれよ」
それを聞いてパリュは麻琴の肩から飛び降りた。そうして、しゃーなしやでとばかりに顎をしゃくると、しっぽをフリフリ植木の中へと消えていった。
◆
いつも通り受付で面会を伝えて通された個室。
「何かありましたら、すぐナースコールでお知らせください」
そう言って看護師は下がっていった。
部屋に入ると応接用の机や椅子がある。少し覗くと小さなキッチンもあって、ちょっとしたシティホテルのユニバーサルルームよりもよっぽど豪華だ。
奥に進むとベッドが二床。これだけは夫婦で入院しているのだからと無理を言って、個室に入院用のベッドを二つ備え付けたので少し窮屈だ。
まあそれでも大部屋よりも余裕はあるのだが……。
ベッドの前に立った麻琴は目を閉じた二人に話しかける。
「父さん、母さん、久しぶり。調子はどう?」
ベッドで眠る二人からの返事はない。ベッドサイドのモニターはピッピと規則的な音を刻んでいる。
両親がこの状態になってからどのくらいがたっただろう。あの忌まわしい事件から、もう二年か、三年か……。
麻琴は当時を思い起こす。
技術の新革命、パラダイムシフト、そんな言葉で脚色されたリエージュコーポレーションの新技術。皆の夢を叶える没入型VR技術、トリアルナ。
当時、皆はこぞってトリアルナのつくる電脳の街へと行きたがり、自宅に居ながらにして世界中への旅を満喫していた。
そしてその旅路は現実の地球だけにはとどまらず、宇宙や空想、おとぎ話の世界へとその足を伸ばしていった。
そんな中、満を持してリエージュコーポレーションから発表されたVRMMO。その中で人は魔法のような技術を使い、あるいは銃弾を避け、あるいは機械と融合した体で暴れ回ることが出来た。そんなゲームに人々は熱狂していた。
そんな中あの事件は起きた。口さがない者がリアルデスゲームなんて揶揄して言うあの事件が……。
VRMMOに閉じ込められて出られなくなる。まるで小説の中の出来事だった。
実際ゲーム内では死を予感させるアナウンスがあったらしい。そこからのリアルデスゲームという呼称だ。
麻琴自身は当時トリアルナに接続していなかったから、あくまで聞いた話ではあるのだが……。
それにゲームをしていた人が死んだという事実もない。ログアウトできない状況もそこまで長時間ではなかった。
いったんは下火になったものの、今もトリアルナが稼働していることからもそれは見て取れる。
だけど例外がある。
確かに死亡者はいないし、ゲームを遊んでいた人が重篤な被害を受けたという事もない。
ただ、たった二人だけだが、それ以外の人に被害が出たのだ。それが麻琴の両親だった。
麻琴の両親は、当時そのゲームの管理者としてトリアルナに接続していたのだ。
意識不明の両親を前に、リエージュの社長夫妻が頭を下げて何やら説明していたのは覚えている。
だが、その内容を麻琴は覚えていない。半ば放心状態だったからだ。
そうしているうちにあれよあれよという間にこの病院が用意され、両親が入院することになったのだ。
弁護士の人が説明してくれたのだが、十分な額のお金が口座にも振り込まれているらしい。
最初はこんな口止め料まがいのもの叩き返そうと思っていたのだが、弁護士に諭され、社長夫妻には再度頭を下げられて思い直した。
まあ今思えば、声高に被害を訴えたところで周囲が騒がしくなるだけ、そしてあったこともない親戚が増えるだけだっただろう。
それに、なにげに社長夫妻は公式に社員――匿名ではあるが――に被害が出たことを発表したしな。
まあ、それもあってのリアルデスゲーム事件という呼称なんだろう。
両親はリエージュ資本の病院で万全の体制で入院し、麻琴そして妹もリエージュ資本の学校に通っている現状に、麻琴は事件のことにまだ折り合いはつけていないものの、ある意味満足していた。
「おかげでパリュと会うことも出来たし、父さんと母さんが治る希望も見えた。ただなぁ……」
麻琴は困ったように頭をかく。
「今のところハズレばっかりなんだよな……」
麻琴が懐から取り出したのは【蒼のメリクリウス】。ただ杖の部分から取り外され、麻琴の手にあるのは紫紺の宝石だけだ。
【蒼のメリクリウス】はライトの光を受け、石の中に夜空の星をきらめかせる。
「ん……」
しばらくの間、何事か力を込めて【蒼のメリクリウス】を手にしていた麻琴だったが、やがてかぶりを振った。
「やっぱり何の反応もなし……。ま、家に帰った時点でパリュも何も言わなかったしね。帰った時点で夜が明けてたから、万が一と思って持ってきたけど案の定って所だな……」
コダマは懐に【蒼のメリクリウス】をしまう。
「父さん、母さん、早く起きてよ。早くしないと俺、高校卒業しちゃうぜ。あいつの高校入学だってもうすぐだ。絶対顔を出すんだったろ?」
二人の返事はない。
「それじゃあまた……。何か進展があったら来るよ」
麻琴はきびすを返す。
人気の消えた病室からは、死んでないことを示すピッピという音だけが響いていた。
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快盗法
怪盗要件を満たす限りにおいて怪盗の逮捕は制限されている。
例えば犯行後24時間以内の現行犯逮捕のみであるといったようにだ。
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