第2話

  ■1月29日 夜 香坂家 リビング



「ごちそうさま。あ~、食った食った。やっぱ冬はアツアツの鍋だよな」


 一人用の小鍋いっぱいに盛った海鮮鍋に、加えてシメの卵雑炊まで作って平らげた麻琴は、満足げにおなかをさする。


「あちも、もうちょっと熱々の鍋がよかったんだけどねぇ」


 テーブルの向かいから掛けられた声に、麻琴は不満を漏らす。


「そんなこと言って、この前は熱すぎるって言ってたじゃんか。猫舌なんだから諦めろって」

「そこの細かな温度調節をやるのがぬしの役目だろうに……」

「わかるか、そんなの……。大体そっちの鍋は味付けも変えてるし食材だってこっちより豪勢なんだぞ。文句言うなよ」

「にっ。弟子として師匠に貢ぐのは当たり前だと思うがの」

「はんっ。見た目はただの猫だろうが」


 麻琴が箸でさした先にいるのは紫黒の毛並みの猫、パリュだ。


「箸で人を指すんじゃあないよ、行儀の悪い」

 パリュはいらだたしげにしっぽで机をうつ。

「それに、あちは魔王だと何度も言ってるだろうに……。大体、夜だけとはいえしゃべれる猫なんているわけなかろうが」

「逆に言うと昼間は完全にただの猫だけどな。それに今日日、しゃべるだけなら使い魔の動物でも出来るっての。違いを見せたきゃせめて人型にでもなってくれ」


「ににっ、使い魔と同列扱いする出ないよ。まだ力が戻ってないんだから仕方ないだろ。それに……」

 パリュは前足をペロリとなめる。

「それに力が戻って人型になったあちのないすばでぃを見たら、童貞のお前なんていちころだからねぇ。出し惜しみもするさね」


「――なっ」

 パリュの言葉に顔を赤くする麻琴だったが、しばしパリュを見たのち冷静になったのかぽつりと口を開く。

「…………ちんちくりんの間違いじゃね?」

「――にっ。言うに困ってちんちくりんとは。ぬし、力が戻ったら覚えておれよ」

 そう言ってパリュはひらりと机から飛び降りた。

「あちは先に部屋に行く。ぬしも片付けが終わったら部屋に上がってくるように」

「ふん、わかったよ」


 麻琴も立ち上がり膳をまとめはじめる。

 そんな麻琴の背中に声がかけられた。


「今日の鍋はそれなりにうまかったぞ。夕に奮発すると言ってただけのことはある。これからも精進するように」


 その言葉と共に扉のパタンと閉じる音が響いた。


「はいはい、これからもがんばりますよっと」


 一人、そうつぶやいて膳を流しへと運ぶ麻琴の口は、かすかにほころんでいた。





 洗い物を含め諸々を終えた麻琴は、部屋に戻って座椅子に座っていた。

 目の前の机の上にいるパリュが、したんとしっぽで机をうつ。


「にっ。色々と言いたいこと、やりたいことはあるんだがね。まずは最初に反省会といこうかねぇ。ほら、ぼろになったマントをだしな」

「……わかったよ」


 麻琴が取り出したマントはあちこちがほつれ穴が空いている。パリュはそれに前足で触れた。


「にぃ。こいつはもうダメだねぇ。新しいのを用意しないと……。まったく、たった一回の魔法の行使でダメにするとはね。どんな力の込め方をしたんだい……」

「あーうぅん。魔力の込め方はいつも通りだったかな? まあ鉱石と違って植物系の触媒は苦手ではあるんだけど……」


「ああ、そういやそうだったねぇ」

 パリュのしっぽがゆらゆらと揺れる。

「となるとやっぱり問題は詠唱のほうか……。仮にも魔王の弟子なんだから魔王のファクターがあるフォークロアを元にした方がうまくいくのはわかってるだろうに」

「まあ、あの時はとっさだったから……。状況には即した詠唱だったと思うんだけどなぁ」


「うにぃ……。確か“日と月のターリア”から持ってきたんだったかね。アレに出てきたのは占い師か……」

 パリュは器用にも首をかしげた。

「ぬしは何だってまた“日と月のターリア”をモチーフにしたんだい。どうせなら“眠れる森の美女”でよかったろうに。麻糸の紡ぎがキーになるのも一緒だし、おまけにそっちなら出てくるのは占い師じゃなくて魔女だ。魔女の方があちにより近いだろう?」


「ああ、それか。いや“眠れる森の美女”だと眠るのは糸紡ぎの針のの所為だろ? だけど“日と月のターリア”だと眠りに誘うのは麻糸の災いで、こっちの方が広い意味合いに取れる。特に今回はとっさに発動したこいつをトリガーにしたからね」

 麻琴は漆黒のバングル、鉄電気石ショールで出来たバングルをコツコツと指ではじく。

「ちょっとした電気ショックを与えるだけなら詠唱しなくてもつかえるから、こいつって便利だよね」


「まあ、そいつは石の性質が強いからねえ。その効果ならぬしでも力を込めたらすぐに魔法が発動するさ。しっかしまあそれで原因がわかったよ」

 パリュは穴の空いたマントを突っつく。

「こいつが一回の魔法でこうなったのはそれが理由だね。ぬしは期せずして、単一の触媒じゃなく複数の触媒を組み合わせて魔法を使ったのさ。全く教えてもないのによくやるもんだよ……」

「教えてもないのに……? つまり才能があるって事?」


 喜色を表す麻琴だったが、それに対しパリュは強くしっぽで机をたたくことで答える。


「そんなわけあるかい。本当に才能があるんだったら一回でこんなにボロボロにはしないよ」

「まあそうだよねぇ」


 パリュの答えを予期していたのか、麻琴の言葉にさほどの落胆はない。


「にぃ。だけどまあいい機会だ。今日はそこら辺について教えてやるよ」

「ホントか!?」


「ああ。今までぬしに教えてきたのは石に力――ぬしの言い方なら魔力――を込めて石を触媒にし、それにフォークロアの言の葉を乗せることで思い描く効果を得る魔法だ。だけどこれはねぇ、言い方は悪いが結構乱暴なやり方なのさ。だから今日からはもう少し丁寧なやり方を教えることにする。まあ、そろそろ自分の中の魔力について理解の段階が上がっただろうしね」

「おお、ついに……」


 うれしさからか、麻琴の姿勢が前のめりになる。だがそこにパリュはいったん水をさす。


「だけどその前に、ぬしがキャスパリーグの時に持っていった石やら何やらを全部だしな」

「っとお、ここまで来てお預けかよ」


「さっきも言ったろう? 今のぬしの魔法の使い方は乱暴なんだよ。だからそろそろ触媒にもガタが来てるかもしれない。ちょうどこいつみたいにね」

 パリュのしっぽの先にあるのは穴の空いたマントだ。

「別に教えないと行ってるわけじゃないんだ。ごちゃごちゃ言わずさっさとだしな」


 パリュが机の上から飛び退いて、ベッドの上に丸くなる。

 麻琴は空いた机の上に取り出したジェムストーンを並べていく。

 水晶、翡翠、ショール、ヘマタイト……、色とりどりの石達。加工されている物、原石のままの物、形も様々だ。

 一通りそれらが机に並べられたのを確認し、パリュが机の上柄と舞い戻る。

 そうして一通りそれらを眺めたのち、パリュはいくつかの石をしっぽで指す。


「これとこれ。この二つはもうダメだね。無理をさせ過ぎちまった。少し休ませなきゃならない」

「あ~。煙水晶もダメになってるのか。これでつくった幻影はキャスパリーグの動きの要なんだけどなぁ」


「むべなるかな。要という事は相応に酷使してるって事だからねぇ」

「それじゃあこいつはもう使えないって事? ホント頼りにしてたから困るな……」


 麻琴は煙水晶を手に取り、天井のライトに透かして眺めた。


「さっきも言ったろう? 少し休ませなきゃならないって。ゆっくり休ませたらまた力を発揮してくれるよ」

「そっか、よかった」


 ことり。パリュの言葉にほっとしたのか煙水晶を机の上に戻す麻琴のめは柔らかい。


「まあ次の犯行には間に合わないだろうがね」

「そっかぁ。残念だけど仕方ない。次はまた別の方法を考えることにするよ」


「んな~~」

 パリュが呆れたようにあくびをした。

「まったく……、さっき自分で犯行の要だって言ってただろうに。ぬし、いつの間に要もなしで犯行を成立させれるくらいに偉くなったんだい?」

「そんなこと言ってもない袖は振れないだろ?」


「何を言ってるんだい」

 パリュのしっぽがぴしりと麻琴の手を打つ。

「無けりゃ取って来るんだよ。そもそもその煙水晶もあんたが山で取ってきた物だろう?」


「いや、確かにそうだけどさ。取ってきた晶洞は小さな物だったから他にめぼしいものはないよ」

「そんなことはわかってるよ。別の物を見つけてきなって言ってるのさ。幸いぬしには自分ちの山があるんだ。誰にと許可を取る必要も無い」

「まじか~」


 麻琴は天を仰ぐ。


「まじもまじさね。体力作りにもちょうどいい。明日の土日から、天気がよくて予定のない日はできるだけ山に登りな。どうせ昼は魔法の練習は出来やしないんだ」

「……わかったよ。ちなみにパリュは付いてきたりは?」


 パリュはにべもなく首を横に振る。


「付いていかないよ。あちはあちでやることがある」

「なんか用事でもあるのか?」

「まあね、子守をする暇はないのさ」

「子供じゃねぇよ」


「にっ。いい大人の男なら女をあれこれ詮索しないものさ」

 パリュは話を打ち切るように机をしっぽでうつ。

「さあ次だ次。とりあえずダメになったその三つの石は別にしておいて、大丈夫な奴はもう仕舞っときな」

「……わかったよ」


 麻琴は憮然とした表情で石を片付ける。

 パリュはそれを見ながら、ふんと鼻を鳴らした。

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