第2話

  ■3月12日 2限目  千戸高校



「やっと終わった……」


 チャイムと共に集められる解答用紙。それを手渡したのち、麻琴は力尽きて椅子にもたれかかり天井を仰ぐ。


「まこっちゃん、今回は珍しく根詰めて頑張ってたからね~」

「結果が伴わなきゃ意味ないわよ」

「ペン子ちゃんてば、きびしぃ~」

「ペン子言うなし」


 じゃれ合う富井と小筆に、麻琴は先ほどの問題用紙を力なげに渡す。


「ほいほいっと。ちゃあんと答えを書き写す余裕はあったみたいだね~。えらいえらい。トミィ君が褒めてあげよー」

「いらないと思うわよ? そんなの。まあでも……」


 小筆は富井と目を合わせて頷いた。


「うん、結構良い感じだよ~」

「6割って所ね。多分平均点くらいかなぁ。もうちょっといけたと思うんだけど……。こことか凡ミス多いし」


 小筆はいくつかの問題を指さす。


「やっぱりペン子ちゃん厳しいなぁ。一夜漬けみたいなもんだからさ、これくらいのミスはスルーしてあげようよ~」

「ふんっ。一夜漬けで赤点すれすれからここまで点数上げられるんだから、普段からやっておけばいいのよ」

「まあ、その点は確かに同意するけどね~」


 そんな二人の会話に、降参とばかりに麻琴は小さく手を上げる。


「わかった、わかったよ。これからはもう少し普段の勉強を大事にするよ」

「うんうん、大事にしたまえ。あ、ちなみにトミィ君は学校の授業だけでも十分だけどね」

「こらっ、混ぜっ返すな」


 小筆のつま先が、富井のすねに入る。


「そんで、麻琴。あんた今日大丈夫なの? お礼にお昼ご馳走してるって言ってたけど……。目の隈ひどいよ」

「うんうん、こっちは別にいつでもいいんだよー。どうせもうすぐ春休みだし」

「春休みになったらおまえ、実家に帰るだろうに……。いやまあ、ちょっと充電すりゃすぐ復活するよ。それに今日は璃夜りやも来る予定だし」


 小筆が顎に指を当てて考え込む


「璃夜……。妹ちゃんだっけ」

「うんうん、まこっちゃんと似てかわいい子だよ~」

「何であんたが答えんのよ」

 再度のつま先が富井に向かう。

「まあいいわ、そういうことならアタシ達もお邪魔させてもらうわね」


 和やかな雰囲気が三人を包む。

 それをパリュも目を細くしてみていた。



  ■3月12日  昼過ぎ  香坂家 リビング


「ちんちんちん、ま~~だ~~。まことまま~~。トミィ君はお腹がすいたのだよ~」


 テーブルに座って箸を振り回しながら、富井がせかしている。

 それをキッチンで後ろ手に聞いた麻琴は叫んだ。


「うっさいなーー。もうすぐできるって言ってるだろ。じっとしてられないんだったら、皿でも用意してろ」

「そうだぞトミィ。口を動かす前に手を動かせー」


 ソファーから小筆の声。


「そう言うペン子ちゃんは、ソファーでゴロゴロしてるじゃんかー。まぁいいけどさー」


 文句を言いながらも富井は水屋から皿を取り出す。


「がんばれー」


 小筆はソファーで足をぱたぱたさせながら、気のない応援を送っていた。


「そんな足動かしたらパンツ見えるぞー」

「ざんねーん、スパッツはいてますー」

「なっ、ペン子ちゃんめ。男の純情をもてあそびやがってー」


 小筆と富井が軽口をたたき合う。

 そんな中、ガチャリと玄関が開く音がした。次いで「ただいまー」と小さな声が聞こえる。


「……璃夜が帰ってきたみたいだな。小筆、こっちは手を離せないから、ちょっと璃夜の相手をしててくれないか」

「ん? オッケー」


 小筆は勢いをつけてソファーから立ち上がると玄関へと向かっていった。


「えー、俺だけまこっちゃんを手伝って女性陣はだらだらしてるとか、なんか不公平じゃねー」


 小筆と璃夜がいない中、麻琴が小さく不満を漏らす。


「いいんだよ、もうすぐホワイトデーだろ」

「あ、な~る。まこっちゃんてば賢いね~」

「いい男の最低条件は、イベントごとはちゃんと覚えてることだそうだ」

「ほへ~、かっこいい~。いいこと教えてもーらった。トミィ君のかしこさが1上がった」


 おどけた調子で言いながらも、動かす手に力を入れる富井。

 どこからか猫の笑い声が聞こえた気がした。





「ごちそうさーん。おいしかった。お腹いっぱいだよ、まこっちゃん」


 バジルの最後のひとかけらまでパスタに絡めて食べた富井の皿は、なんともきれいなものだ。


「うん、麻琴の料理はおいしいわね。ただまあバジルソースはちょっといただけないかな~」

「ん? なにか好みに合わなかったか?」


 何か失敗したのかと心配になって麻琴は聞いた。


「そういうわけじゃないんだけど……」


 小筆の応えはもごもごとなんとも歯切れが悪い。

 だがその答えは富井からもたらされた。


「まこっちゃん、ペン子ちゃんはバジルが歯についてないか気にしてるんだよー。ほら、前歯にバジルがついてたら色々と台無しじゃ~ん」

「うっさいわね、馬鹿トミィ」


 いつもの調子で大口を開けて怒鳴った小筆は、慌てて口を両手で押さえる。


「あ……」


 隣の少女。後ろ髪を一つお団子にまとめたその子も慌てて口を押さえた。


「いいのいいの~。璃夜ちゃんくらいにかわいければ、もしあってもチャームポイントだから」


 富井の言葉に璃夜はふるふると首を横に振って答える。


「そんなに気になるなら洗面台で確認してきたらどうだ? その間に俺、アレを用意しておくから」


 麻琴が親指でさした先にあるのはオーブンだ。

 そこからは、なんとも言えないリンゴの甘い匂いが漂ってきている。

 早速嗅ぎつけたのか、パリュもその前に陣取っていた。


「ホワイトデーがてら、リンゴをたっぷり使ったケーキを焼いていたんだ。一応バレンタインのお返しのつもりだから、気にせず食べて欲しいからさ。行ってきなよ」

「あ、ありがと……、お礼は後であらためて言うから。……でもどうせアタシのよりおいしいんでしょ、なんか悔しいけど……」


 小筆は小さくそう告げて、小走りに洗面台へと向かった。


「まこ兄ぃ、私も行ってくる」


 口を押さえたままに璃夜は小さく告げると、小筆の後を追った。

 それを見て麻琴も立ち上がる。


「まこっちゃん、なんか手伝えることある?」

「いや、皿は流しにつけておくからいいよ。トミィはテレビでも見て時間を潰してたらどうだ?」

「お、まこっちゃん、やっさし~い」

「まあな、今日はおまえへの礼も兼ねてるしな」

「お~。そういやそうだったっけ? それじゃあトミィ君もお言葉に甘えさせてもらおうかな」


 富井はテレビ前のソファへと向かう。そんな富井を苦笑でもって見送り、麻琴はオーブンに向かった。





 オーブンから取り出したアップルケーキ。麻琴はそれを人数分に切り分けていた。

 なお、パリュ用のものはすでに小さく用意され、彼女は無心で頬張っていた。

 そんな麻琴に富井が声をかけた。


「おーい、まこっちゃん。快盗キャスパリーグへの挑戦状だってよー」


 思わず顔を上げる麻琴。視線の先のテレビではMCが今まさにゲストを呼び出そうとしていた。





『はい、それでは今回の快盗への挑戦状。相手は今話題のキャスパリーグのようです。それでは挑戦者に登場していただきましょう』


 MCがひな壇に手を向けると、カーテンが上がりはじめる。見えてきたのは男女一組。夫婦だろうか二人寄り添っている。

 カーテンが上がる中まず顔を見せたのは女性の方。凜と立つ壮年の女性は髪をハーフアップにまとめている。

 男性の方は大柄でなかなかカーテンから顔が見えない。だが、徐々に上がるカーテンから垣間見えるのは、深緑の瞳、彫りの深い精悍な顔つき。


「なっ……」


 麻琴は思わず声を上げる。見知った顔だったからだ。


『テレビに出演されるのは大変に珍しいこのお二人、ですが知ってる方は多いでしょう。時代を何歩も先に行く日本の誇るVR企業リエージュコーポレーション。その若き女社長、【現代の魔女】【電脳の魔女】との呼び声高い、若宮衣わかみや きぬさん、そして夫のモーストさん、お二人そろっての登場です』


 会場から拍手が巻き起こる。衣はそれに対し鷹揚なお辞儀を返す。

 一方モーストは苦笑気味だ。


『なんだか衣と比べて俺の紹介が雑じゃないかい?』


 そう言いつつモーストは鋭く手を振るう。放たれたのは一枚のカード。それは狙い違わずカメラへと向かい、画面に張り付いた。

 全面に映し出されたカードはダイヤのジャック。それには流暢な字でこう書いてある。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   快盗キャスパリーグへの挑戦状



 死の月照らす一日の終わり


 地獄に近いその場所で


 ヌトはカーの消滅を臨む


          現代の魔女:若宮衣

          魔女の守り手:モースト


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 だがそんな映像も麻琴の頭の中を上滑りしていく。


「んなぁあぁぁ」


 警戒するようなパリュの鳴き声が響いた。

 だけど麻琴はそれにも気づけない。




『リドルタイプの挑戦状ですか』


 画面の中のMCが二人に聞いている。


『はい』

 衣は頷いた。

『ですがそれにふさわしい物をご用意しております。それは……』


 衣は傍らのモーストに視線を向ける。

 するとモーストはいつの間にか手にしていた台座の布をはぎ取る。

 そこにあるのはスカラベの形を模した緑の宝石。

 だがそれはお世辞にもきれいとは言えない。


『これ、ですか?』


 戸惑うMCに衣は自信を持って頷く。


『はい。快盗キャスパリーグは宝石そのものの価値よりも、それに込められた想いや伝承を重視しているように思えました。こちらに用意したのはスカラベを模したペリドットです。これは、天から落ちた隕石から加工されたもので、かの太陽王ラムセス二世を飾った、なんて伝承があるんですよ』


『おおう、なるほど……』


 MCはおっかなびっくりにそれを見る。


『【夜明けのケプリ】なんていう名前もついています。真偽は定かではないですが相応に古いものなのは確かですから……』

『それは確かにふさわしい品ですね』


 MCは衣に同調した。


『そうでしょうとも』


 モーストの白い歯が画面に光る。その笑顔に会場から笑いが起きる。




「わらうなぁぁぁ」


 ガシャンという音と共に、大きな叫び声が響き渡った。

 声を上げたのは洗面台から戻ってきた璃夜だった。

 傍らの小筆が、急なことに驚きつつも璃夜の肩をつかんで抑えている。


「おまえ達のせいでお父さんとお母さんがいなくなったんだ。わらうなぁあぁ」


 両の拳を固く握りしめた璃夜は、肩で息をしながらも口を真一文字に結び、必死で涙をこらえていた。





 疲れ、気を失うように眠った璃夜を背負い、麻琴は璃夜の部屋のある学生寮に向かっていた。

 隣には富井。同じく学生寮に住む彼も、麻琴と歩みを共にしていた。

 ここまで来る途中に小筆の家はあったから、彼女はもう家に送り届けてある。


「今日はすまなかったなー。なんか変な番組見せちゃって」

「いや、言ってなかった俺が悪かっただけだから。リエージュの社長夫妻とはちょっと因縁があるんだ……」

「そっか……」


 二人は無言で歩む。


「また今度、時間があるときにおまえと、後小筆には話すよ」

「別に無理しなくてもいいんだぜい」

「ううん、別に隠すようなことでもないし、二人には話しておきたいからな」

「それならまぁ、気が向いたらなー」


 たたんたたん、たたんたたん。

 電車が去って行く。


「璃夜ちゃん、家に泊めてあげた方がよかったんじゃないのー? どうせ終業式終わったら家に帰ってくるんだろ」

「まあ、そうだけどね……。今日の所は寮に泊めてあげたいんだ。……女子寮の寮母さん、カウンセラーの資格持ってるしね」

「そか。ま、色々あるわなー」


 二人にかかる夕日が遮られた。

 寮にたどり着いたのだ。


「んじゃー、俺はここでお別れだ。男子寮は向こうだからな」

「ああ、ここまでありがとな」

「ふぅん」

 富井は影に遮られた二人を見つめる。

「ま、何かあったら連絡ちょうだいな。少しは力になれると思うからさ」


 富井はひらひら手を振りながら夕日に向かって歩いて行った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――

挑戦状


怪盗は格別の事情がない限り、所定の条件を満たした挑戦状を受けなければならない。

挑戦状を無視した場合、怪盗とは見なされなくなる場合もある。

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