第二章/挑戦状/夜明けのヘカテ
第1話
■ 3月3日 朝 千戸高校
【夜の女王の涙】をめぐるあれやこれや――特に逃走時の疲れと、風呂での一件――で、風邪を引いてダウンしていた
【夜の女王の涙】事件後、初の登校である。
そんな久々の麻琴の姿を見て、富井が挨拶をしてきた。
「おっはよー、まこっちゃん。どったの? 久々じゃん。風邪でも引いてた?」
富井は麻琴の背中をバシバシとたたく。
「季節の変わり目だし、急に寒くなったりするもんねー。気をつけなきゃダメよ」
「ああ、おはよう。そういうお前はいつも通り元気そうだな」
なおも背中をたたく富井を邪険にはねのけながら麻琴は挨拶を返す。
「まーねー。子供は風の子元気な子ってね。少年の心を忘れないトミィ君は風邪なんか引かないのでした」
自慢げに胸を反らす富井を、呆れた目で麻琴は見つめる。
「それ、なんとかと煙は風邪を引かないって奴だろ……」
「それを言うなら、馬鹿と煙は高いところが好き、でしょ。まあ言いたいことはわかるし、同意もするけどね」
麻琴の発言を訂正したのは隣の席に座る少女。ミディアムの髪を後ろでまとめた
「そりゃないよ、ペン子ちゃん。トミィ君、これでもテスト勉強頑張ってるのよ」
「ペン子ちゃん言うなし」
小筆のつま先が富井の向こうずねに刺さる。
「いたたた。足がはやいよ~」
足をさする富井。そんないつもの日常の中に麻琴は気になる単語を見つけた。
「……テスト?」
「あれ? まこっちゃん忘れてた? 週明けの8日から期末だよ」
「げ……」
富井の言葉で麻琴はテストのことをようやく思い出した。
先月は【夜の女王の涙】、先々月は【蒼のメリクリウス】と、二つの犯行を立て続けにこなしたせいで、忙しさにかまけてすっかり忘れていたのだ。
おまけに【夜の女王の涙】を盗ってからは風邪を引いてダウンしていた。加えて三学期には期末試験しかないのもそれに拍車をかけていた。
「麻琴、あんたもしかして忘れてたの?」
小筆が呆れ声を上げる
「あんた、数学と世界史は得意だったからいいとして……、確か古文と地学、二学期の試験が青点だったでしょ。今回の点数も悪かったらヤバいんじゃない?」
「あちゃーー。確かにそうだったね」
富井が額をぴしり。
「まこっちゃん、今回大丈夫そう?」
麻琴は首を横に振る。
「多分無理」
「はぁぁぁ」
小筆が深くため息をつく
「仕方ない、アタシが勉強見てあげるわよ。今日……、は無理だから明日からになるけど。ここのところ麻琴には世話になってたし」
「あぁ、そういや最近ちょくちょくあった、まこっちゃんお手製の弁当のおかず、お昼休みに横からつついてたもんね。まったく食いしん坊さんだなー」
その言葉に小筆は口をとがらせた。
「うっさい。おいしいから仕方ないの。それよりトミィ」
小筆はビシリと富井を指さす。
「あんたも手伝うのよ。あんた、成績だけはいいんだから」
富井は少し思案するように目を閉じたが、やがて大きく頷いた。
「んーー? おっけ、いいよいいよー。明日からなら色々準備も出来るしねー。協力してあげよう。感謝するのだよ。うんうん」
そうこうしているうちに始まった授業。
期末テストに向けて駆け足で進んでいく授業だったが、当然の如く麻琴の理解が及ぶことはなかった。
■ 3月3日 夜 香坂家 リビング
「さて、ぬしの風邪も治ったことだし、ぬしの次の修行は……」
だらけた姿で丸くなる紫黒の毛並みの猫、パリュ。夜になりしゃべれるようになった彼女はしっぽをゆらと揺らす。
「ああ、次は何をするんだ?」
緊張……、だけども少しの期待に麻琴は前のめりになる。
だけどパリュの口から出たのはにべもない言葉だった。
「いや、一時休みにするよ」
「え!? どういうことだよ」
その言葉に麻琴は戸惑いを隠せない。
「どうしたもこうしたも、休みは休みだ。ぬしはせいぜい出来た時間を使ってテスト勉強でもするんだね。明日から学校の二人が勉強を教えてくれるんだろう?」
「そりゃそうだけど……。でもそれより修行の方が大事だ。何なら断ったっていい」
「にっ。そんな訳あるかい」
パリュのしっぽがぴしゃりと机をうつ。
驚く麻琴にパリュは続ける。
「ぬし、先日あの探偵に言われたことを、もう忘れたんかね?」
「いや、そりゃ覚えてるけれども……」
「にっ。なら言ってみな」
「確か……『おめえは小手先の技はたいしたもんだが、知識も経験もたんねえ』だったか?」
麻琴は天井を見つめながらなんとか思い出す。
「そうさ。経験だけは一朝一夕には行かない。ただまあ知識の方ならなんとかなるんだよ。そのためにも勉強しな」
「でも吉柳のおっちゃんの言ってる知識って、そういうことじゃないだろ? 学校の勉強なんて快盗の仕事に役に立たない。そんなことより早く魔法の力をつけて――」
「――だまらっしゃい」
言いつのろうとする麻琴を、パリュが一喝した。
「学校の勉強はね。だてに基礎教養って言ってるわけじゃないんだよ。基礎、つまりは土台がしっかりしていてこそ、上に高い櫓を建てることが出来るんだ。おろそかにしていいもんじゃあない」
パリュは顎の下に前足を置き、ゆっくりと麻琴を諭していく。
「他の快盗団と違って快盗キャスパリーグとしてのぬしは、あの探偵も、警察も知らない魔法の力でかろうじて優位に立っている状況だ。でもその優位性もこの間の【夜の女王の涙】のときにはもう揺らぎはじめていた。だからここでしっかりと土台を固めた方がいいと思うのさ」
「……それはわかるさ。でも――」
麻琴は唇をかんだ。
「でも、父さんと母さんを早く元に……」
顔をゆがめる麻琴を、パリュは優しく見つめる。
「にぃ。ぬしの両親に関して焦る気持ちはわかるがね。まぁ今日明日でどうこうというものじゃあない。二人に関してはまだまだ時間がある。魔王のお墨付きだ、安心おし……」
パリュはゆっくりと麻琴の顔をしっぽで差す。
「ぬしの望みは家族四人でもう一度食卓を囲むことだろう? なのに焦って事をし損じて、二人が起きてもぬしは塀の中にいる……。なんてことになったら元も子もないじゃあないか。今は遠回りに見えてもしっかり自力をつけるんだよ。それが近道だ」
「……わかった。今回はパリュの言葉に従う」
麻琴は戸惑いながらもしっかりと頷いた。
「そうかい、よかったよ……」
「でも、パリュはいいのか?」
「なにがだい?」
パリュはしっぽを揺らして言葉を促した。
「いや……、せっかく【夜の女王の涙】が手に入って、パリュの願い――魔王の力を取り戻すって言うのに一歩近づいたのに、今足踏みしてていいのかなって。それに【夜の女王の涙】もまだ完全に力を発揮できないみたいだし」
「なんだい、あちの心配までしてくれるとは嬉しいねぇ。でもまぁ、【夜の女王の涙】に関してはとりあえずぬしに出来ることはないよ。これまで通り月光浴でもさせておくんだね。それともなにかい?」
パリュはにんまりと、チェシャ猫のように笑う。
「ぬし、あちにまた、あの姿になって欲しいのかい? ぬしが卒倒したあのナイスバディに」
「そ、そんな訳あるかよ」
麻琴の頭に浮かび上がるのは、風呂に入ってきた紫黒の髪の美女。やわらかな起伏の中にぴんと立つ胸。淡い腰の陰り。
それをぶんぶんと頭を振って追い出した。
「にぃ。残念だがそいつはもう少しお預けだねぇ」」
「いや、関係ないって」
「いいんだよ、わかってるさ。想像するだけなら自由だから好きにするといいさ」
「だから関係ないって言ってるだろ」
顔をまっ赤にした麻琴は「シャワー浴びてくる」、そう言い残して逃げるように風呂場へと向かった。
その背中をパリュの言葉が追いかける。
「今日は背中を流してやらないからね」
「う、うるさい!」
麻琴は叩きつけるように扉を閉める。
そんな麻琴を見てパリュはくるくると喉を鳴らした。
「なんともかわいいもんだ。そりゃ情もわくさ……。だからねぇ」
麻琴の言った先を見つめる瞳は玄い
「あちには覚悟が足りないよ。どちらの覚悟も……」
振り払うようにしてパリュは階段を上った。
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