第6話

  ■2月27日 23:45 ミード・ブライダル会館 八階 新郎新婦控え室


「皆さん、入られましたか? あ、カメラの方は前へどうぞ」


 控え室で三浦は声を上げていた

 傍らには部下だろう従業員が、布のかけられた台を手に持っている。


「さて、今回このミード・ブライダル会館に快盗キャスパリーグの予告状が届けられたのは皆さん承知のことかと思います。そう、当会館にある【夜の女王の涙】を狙って、です」

 三浦は横行に皆を見回す。

「さて、ではこの【夜の女王の涙】がいったいどのような物なのか……。まあこれも様々な雑誌やテレビでご紹介されましたので、皆さんご存じかもしれませんね」

 三浦は肩をすくめて笑った。

「とは言え、実際に自分の目で見たという方は少ないんじゃないでしょうか。あれはねぇ、実際に見るとまるで吸い込まれるかのような光がムーンストーンの奥に揺らめいていて…………。と、こう聞くと実際に見たくなりませんか?」


 小さくウィンクをして語りかける三浦に、食いつくようにして若い女性のリポーターが反応する。


「はい、ぜひ見てみたいです」


 その目は傍らの従業員の持つ台に釘付けされている。


「ははは。待ちきれない方がいるようですね。こりゃ長口上をしてると嫌われかねない」

 三浦はぴしりと額をうつ。

「それでは早速ご覧に入れましょう。こちらです」


 三浦がさっと台にかけられた布をはぎ取る。そこにあったのはトップに行くにつれて大粒になる真珠のネックレス。そしてその先端にゆらめく、ティアドロップのムーンストーンだった。

 先端のその石は、冷たくも優しい青をゆらめかせ、ああ確かにこれは実際に見ないと本当の価値はわからないなと一同に思わせた。

 加えて、【夜の女王の涙】、その名前にこれほどふさわしいものはないと、皆に思わせるだけの質感を持っていた。


「これが……」


 リポーターが思わず息をのむ。


「はい。これが、今ではとても貴重な本物のブルームーンストーン。その中でも最上の品をあしらった【夜の女王の涙】になります」


 三浦は台を手に取りカメラの前へと近づける。


「いったいおいくらぐらいの品なんでしょう」


 リポーターの問いに三浦はにこやかに微笑む。


「内緒です。それに【夜の女王の涙】に金銭的価値なんて余計。ただ見たままの神秘的な雰囲気、それがすべてだと思いませんか?」

「それは……、確かに……」


 リポーターもそしてまわりの皆も、言葉少なに【夜の女王の涙】を見つめている。見るものをやわらかな静寂が包む、そんな情緒がそれにはあった。


「もし、もしよろしければ手に取ってみても?」


 最前列のリポーターが三浦に問いかける。

 その言葉に三浦は戸惑いを示し、視線を井草警部に向ける。

 井草警部は三浦の視線に首を横に振って答えた。

 それを受けて三浦はキャスターに答える。


「あ~、防犯上無理みたいです。申し訳ありません。ですが……」

 三浦はリポーター、そしてカメラに笑みを向ける。

「ですが、将来の皆様の記念日をこの【夜の女王の涙】で彩ることはできます。いえ、ぜひ彩らせてください。【夜の女王の涙】は皆様を、凜と立つ青白き月の女神にも、たおやかな夜の女王にも変えるのです。どうぞ自らの胸元にある夜の涙を思い浮かべください……」


 三浦はそう締めくくった。

 それを遠巻きに見ていた井草警部は隣の吉柳に話しかける。


「なかなかにやるもんだね、三浦さんは……。みんなすっかりあの【夜の女王の涙】に魅せられている。こりゃ、この場の女性陣の式場はここで決まりじゃないかね」

「はは、確かに……」

 吉柳は眼前のマスコミを見渡す。

「井草警部の言っていた、快盗騒ぎを宣伝に使うというお話。理解できましたよ」


 そんな風に話していた二人を、三浦が手招きする。


「おや、話題の彼がお呼びのようだ。吉柳君、我々も舞台に上がるとするかね」

「そうですな……。しっかしまるで狂言回しにでもなったようですな」

「まあ、快盗事件を物語にするなら我々の立ち位置はまさしく狂言回しになるだろうからね。特にここの皆にとっては……」


 そんなことを話ながら前へと進み出る井草警部と吉柳。

 二人が前まで来たところで三浦は再度皆に【夜の女王の涙】を見せる。


「それでは今からこの【夜の女王の涙】を宝箱へとしまいたいと思います。ま、この部屋に備え付けの金庫なんですけどね」

 三浦は肩をすくめてそばの金庫を指さした。

「この金庫、いったん閉じますと再度開くには登録した暗証番号――普段でしたら新郎新婦が登録するんですが――と、こちらの鍵の両方が必要になります」


 三浦は隣の従業員から鍵を受け取り、皆に見えるように掲げた。


「では、こちらの鍵を……、井草警部預かってもらえますか?」

「お、おお。私がですかな……」


 井草警部は驚きつつも鍵を受け取る。


「実はスペアキーもありまして……、そちらの方は私立探偵の吉柳さんに」


 猫アレルギーのことを覚えていたのか、スペアキーの方は従業員が直接吉柳に渡す。


「気を使わせてしまい、申し訳ありません」


 吉柳は三浦に小さく頭を下げた。


「いえいえ、吉柳さんには万全の体調で快盗を待ち受けてもらいたいですから……」


 そう小さく答えた後、三浦は二人に背を向け金庫を開ける。そうして中に【夜の女王の涙】をしまい込んだ。

 ――ガチャリ。締まる金庫の音が響く。


「後は暗証番号ですが……」


 三浦は皆に向き直り、ぐるりと見渡す。

 そうして1番年若いリポーターへとターゲットを絞った。

 先ほど【夜の女王の涙】に一番食いついていた女性だ。


「ではそちらのマイクを持った……、えっと」

「あ、矢名瀬やなせです。BS:快盗!ナイトビジョンでリポーターをやっています」

「ああ、そうでした」

 三浦は額に手をやった。

「では矢名瀬さんが番号を設定してください」

「え!? 私が? いいんですか?」


 リポーターの矢名瀬は驚いたように自分を指さす。

 三浦は鷹揚に頷いた。


「ええ、ええ。もちろんですとも。あ、でも一つだけ」

 三浦はぴっと人差し指を立てた。

「番号を設定するところをカメラで撮らないでくださいね。キャスパリーグに見られちゃうかもしれませんから」

「あ、はい。もちろんです」


 固くなりながら答える矢名瀬を三浦は金庫の前へとエスコートをする。


「それでは手元を隠せるように衝立を立てますので、そうしたら4桁の数字を打ち込んで設定ボタンを押してください。それで暗証番号の登録が完了です」

「あ、はい。わかりました。あ、いえ、それでは今から暗証番号を、不肖、このBS:快盗!ナイトビジョンのリポーター、矢名瀬が設定します」


 衝立の向こうに控えるカメラを思い出したかのように、慌てて自分の名前を付け加えた矢名瀬は、上から見えるよう大きく手を振ってアピールしてから暗証番号を設定する。


「設定が完了したら言ってください。衝立をどけますので……」

「あ、はい。大丈夫です。設定完了しました」


 矢名瀬の言葉を待って従業員が衝立を片付けた。


「それじゃあ念のため金庫が開かないか試してください」

「あ、はい」


 矢名瀬が金庫のレバーを引くが金庫は開かない。

 それを確認した三浦はカメラを意識して話し始める。


「さて、皆様もおわかりの通りこの部屋に外につながる窓はありません。そちらの扉だけが通路になっています。そしてこの部屋はこれからキャスパリーグが来るまでの間封鎖させてもらいます」


 リポーターが一人手を上げた。


「どうぞ」

「三来テレビの喜多河きたがわです。それではこの部屋には誰も配置しないという事ですか? それではいささか防犯にならないような気がしますが……」


 三浦はその言葉を否定する。


「あ、いえ。誤解をさせて申し訳ありません。私ともう一人警官の方がこの部屋に残ります。一応私も責任者ですので、ちゃんと見張ってろと上から言われてまして……」

 三浦は苦笑した。

「あ、警官の方と言っても井草警部には外に出てもらいますよ。鍵を持たれてますので。後は犯行時刻が過ぎるまでこの部屋には誰も入らないようにします。……えっと井草警部、確か快盗キャスパリーグは単独犯でしたよね」

「はい、そうですな。少なくとも現場に来るのは一人です」


 井草警部の言葉に三浦は鷹揚に頷く。


「ということですので、鍵、暗証番号、金庫、それぞれが別の場所にある状態では、さすがのキャスパリーグも手出しは出来ないだろうとの考えです。これでよろしいでしょうか」

「わかりました。ありがとうございます」


 言葉とは裏腹に憮然とした表情で喜多河は手を下ろした。


「他に質問はないでしょうか? ……ないようですね。それでは皆さんにはこの部屋から出ていただきます。大ホールに軽食をご用意しましたので。どうかお夜食代わりにそちらを食べて、キャスパリーグをお待ちください」


 その言葉を受けて、マスコミ関係者から続々とホールに向かって部屋を出て行く。


「ああそうだ」

 出て行くマスコミ人の一人を三浦は呼び止めた。

「矢名瀬さん。今回の軽食、うちのシェフが腕によりをかけたんです。いい食レポ、期待してますよ」

「あ……。はいっ、わかりました」


 矢名瀬は元気よく答えた。



 一方もう一人のリポーター、喜多河はというと……。


「すみません、ちょっといいですか?」

 吉柳にマイクを向けていた。

「前回、吉柳探偵は快盗キャスパリーグを目の前にしながらも取り逃がしましたよね。しかもご自分が逃走に利用される始末。今回は大丈夫なんですか?」


 吉柳は喜多河を一瞥し、「……忙しいんで」。言葉少なに通り過ぎようとする。


「待ってください。それなら今回はどこから現れると思いますか? やっぱり原点回帰で空からでしょうか」


 喜多河はマイクを片手に追いすがり、引き留めようとスーツの裾に手をかける。


「触らないでいただきたい」

 吉柳はその手を振り払った。

「今私は金庫の鍵を持ってるんですよ。その私に不用意に触ろうとする。……それなら私はあなたを疑わなければならなくなる」


「う、疑うって何をですか」

「はぁ……。そんなもん、この場では一つしかないでしょうが」


 吉柳の小馬鹿にしたような態度に、喜多河は鼻白む。


「吉柳さん、あなたねぇ……」


 思わずくってかかろうとした喜多河を、井草警部が遠くからなだめる。


「まあまあ、吉柳君も気が張ってるから。それにキャスパリーグの動向についてはさっきまで吉柳君と話しておったんですよ。よければ私の方からお話ししますよ」

「はぁ、そういうことなら」

「今外は大雨でしょう。ですから空からとは考えにくい。となるともしかしたらもう内部に……」


 井草警部は喜多河に向けて話ながら、後ろ手で吉柳を下がらせる。

 吉柳は小さく頭を下げてホール前へと離れていった。

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