第四十六揺 戦友の約束



「よーしっ、今日はここまでぇ!」

「「あ、ありがとうございました……っ!」」


 快活なシュティーネの声に反して、くたびれ切った男の声が二つ重なる。一人は第二部隊副分隊長の任を務める男、アンドレだ。自慢のドレッドヘアーも汗でしっとりとしてしまっているが、そのことを気に掛ける気力すら彼には残っていない。そしてもう一人は、同じく第二部隊に所属するレイモンド。片目に大きな傷跡を残した偉丈夫だが、彼もアンドレと同じく地に臥せっていた。

 分隊長であるシュティーネからの地獄のしごきがようやく終わり、それに付き合わされていた二人は疲労困憊だったのだ。シュティーネの身体能力や武の才能には目を見張る部分があるが、指導能力は未熟であると言わざるを得ない。感覚の言語化が難しいのか、二言目には「よし! 実践!」と組手され、二秒後には宙を舞っているのが彼女の指導だ。


「た、為にはなってるんだけどな……」

「それにしても……スパルタ、過ぎる……誰がお嬢をあんな脳筋に仕立てあげ……あぁ、隊長か……」

「お、おう……自己解決したな……」


 たっぷりと部下に指導できたのが嬉しいのか、ふんふふーん、と鼻歌を歌いながらスキップで訓練場を後にするシュティーネを眺めながら、アンドレは強張っていた筋肉を一気に緩めた。

 しごきはキツいが、かつてのように心を閉ざしたまま部屋に引き籠られるより、こうして楽しそうにしてくれる方が彼女にとっても最適だろう。しごきは本当にキツいが。


「お嬢、変わったな」

「……あぁ。本当に良かった。見るに堪えなかった救出直後の状態から、よくここまで立ち直ってくれたもんだよ」

「……アンドレ、お前おっさんくせぇぞ」

「なっ?!」

「そういえば臭うな……まさか加齢臭か?」

「いや汗の臭いだろうが!? ……え、汗、だよな……?」


 クンクン、と自分の体と服の臭いを交互に嗅ぎ始めたアンドレを後目に、レイモンドは上体を起こして立ち上がる。服に付いた埃を軽く払うと、体を伸ばしながらアンドレに声をかけた。


「やっぱドレッドヘアーが原因か……? でも気軽に洗えないん───」

「なぁアンドレ。この後暇だろ? ちょっと付き合え」

「?」




「らっしゃい」

「タイショー、いつもの」

「あいよ」


 汗臭い服を脱ぎ捨てて新しい服に着替えた二人は、叛乱軍のアジト内にある居住スペースの一角、その隙間の暗がりにひっそりと存在していた屋台の暖簾をくぐり、仮設された椅子に座った。あれから体をずっとクンクンしていたアンドレも、今は物珍しそうに屋台を見回している。


「こんなのあったのか……知らなかったな」

「あぁ、蕪木分隊長が定期的にやらせてんだ」

「蕪木のじーさんが?」


 なるほど、叛乱軍でも奇人として知られる蕪木憲嗣が首謀者とあれば、この奇天烈な存在も頷ける。居住スペースに屋台を出店するとか思考回路が意味不明すぎて正気を疑うが、彼ならば納得だ。


「出現場所も時間もランダム、加えて月一だからな。知る人ぞ知る名店ってやつだ」

「はー……あれ、じゃあなんで今日ここにいるって分かったんだ?」


 アンドレが不思議そうに尋ねると、レイモンドはチッチと舌を鳴らして人差し指を横に振った。微妙に気取ってるのが何とも腹立たしい。この手元のからしを鼻にぶち込んでやろうか。


「なめんな。俺は常連だぞ? タイショーのことなら何でも分かんのさ。……あれタイショー、シャンプー変えた?」

「最近風呂入ってねぇが」

「不衛生だし外してんじゃねぇか!?」


 こんな屋台をやっているとだけあって、タイショーとやらも随分と変人だ。せっせと品を用意する手捌きは熟達しているので、味は確かかもしれないが。


「ヘイお待ち」

「おっ、来た来た。やっぱこれだよな」

「なんだこれ? エール……じゃ、ないよな」

「アツカンとオデンだ。ま、騙されたと思って食ってみな……トぶぞ」

「飛……え、麻薬なのか……?」


 不穏な単語を囁くレイモンドを訝しみながら、お猪口に注がれた透明な液体を一気に呷るアンドレ。温められた液体が確かな熱を以て喉を焼き、鼻に突き抜ける爽やかな香りが脳を酔わせる。伝った液体は存在感を放ちながら喉、食道、胃と歩みを進め、充足感と共に腹に沁み渡っていった。


「っ、これは……! 癖はあるけど、美味いな!」

「だろ? その練り物とよく合うんだよ、これが」


 表面を茶色く焦がした白色でチューブ状の練り物をフォークで突き刺し、口に放り込む。沁みていた黄金色の出汁が噛んだ瞬間にじんわりと漏れ出し、魚介の風味と出汁の濃厚な旨味が絡み合うことで軽やかなハーモニーを奏でる。調和のとれた一品、疲れた体に効く極上の品だ。それだけでなく、他にも盛られていた大根や油揚げもまた出汁の香りをこれでもかと纏っており、口の中に小さな楽園を築いていた。


 話すことすらせず夢中で盛られたおでんに喰らいつき、汁まで完飲したところでアンドレは背もたれに寄りかかって一息ついた。


「ふぅ……最高だな」

「あぁ、最高だよ、この屋台は。蕪木分隊長に感謝だな」

「こんなに美味いなら食堂カフェテリアで出店すればよくないか? 人気出るんじゃ……」

「俺も提案したんだがな……蕪木副分隊長曰く、『はー、分かっとらんの。この隠れ家感が最高に乙なんじゃよ。隠し味みたいなもんじゃな』だそうだ」

「へぇ、そういうもんかぁ」


 残っていた熱燗をとっくりに口をつけて飲み干し、恍惚としたままレイモンドの話を聞くアンドレ。乙、というのは分からないが、確かにこの秘密感は男としてそそられる部分がある。ロボットと隠れ家は全世界共通の男のロマンだ。


「さすがタイショーだな。いい仕事してやがる」

「ありがとよ」


 目を伏せたままで短く返答したタイショーなる人物にアンドレは目を向ける。白い貫頭衣とねじり鉢巻きを身につけた壮年の男性だが、計り知れない奇妙さを持ち合わせた不思議なオーラを放っていた。これがタイショーか。


(いやちょっと待てよ……叛乱軍が隊員以外をアジト内に入れることは滅多に無いし……え、じゃあこの人、叛乱軍の隊員なのか?! この風体で?!)


 あまりに堂に入った姿をしているが、間違いなく叛乱軍の隊員だ。こんな人物がいたとは露とも知らなかったが、それだけ叛乱軍の幅は広いということだろう。

 アンドレが感心していると、同じくおでんを完食したレイモンドが真剣な顔をしてアンドレに視線だけ寄越す。


「アンドレ。話がある」

「? どーしたよ、また改まって」


 レイモンドはいつも冷静で皮肉ぶっている印象があるが、その実、結構お茶目だったりする。案外適当な面があるので、いつも話は冗談半分で聞いていた。それだけに、こうして真剣な雰囲気を醸し出すのは久方ぶりな気がして新鮮だったのだ。


「少し話しておきたかった。俺がピンピンしてるうちにな」

「なんだよ、縁起でもない。あと金なら出さないぞ? 自分の分は自分で払えよ?」

「………………真面目な話だ」

「おい随分と間が空いたな」


 ふいっと顔を逸らしたレイモンドをジト目で睨むと、咳ばらいを一つしてレイモンドは話を無理やり戻した。


「お嬢のことだ」

「お嬢? お嬢がどうかしたのか?」

「……お嬢のこと、?」

「――――。どう、ってのは」

「言わせんな」


 またいつもの下らない話か、と笑って切り捨てられれば良かったが、そういう空気ではないのぐらいは理解している。どう、というのは、シュティーネの戦闘能力の評価をしろ、という意味では聞いていないのだろう。文脈を読めば、レイモンドが言わんとしていることぐらい察しが付く。


「それは―――異性として?」

「あぁ」

「……突拍子もないな。冗談……じゃなさそうだ」

「真面目な話だって言ってる」

「だよなぁ……」


 額を人差し指でポリポリ掻きながら、アンドレは居心地が悪そうにみじろぎした。

 シュティーネのことは救出当時から見守ってきた。度重なる実験のせいでかなり疲弊していた彼女が、それでも心を強く持ち、その才を活かして第二部隊の分隊長に抜擢されたのはアンドレとしても飛び上がるほど嬉しかった。

 そう考えると彼女のことは間違いなく好いているが、それは親愛に近いのではないだろうか。彼女を一人の女性として見たことは……おそらく、無い気がする。


「なんとも言えないな。歳だって10歳近く離れてるし……ずっと、妹みたいに接してきたんだ。いきなりそんなこと言われても」

「ま、そうだろうな」


 分かりきっていた、と言わんばかりに鼻を鳴らしたレイモンドに、アンドレは些かの不満を覚える。勝手に変な質問をしておいて、その態度はなんだ。言葉の端々に不満感を滲ませて、アンドレはレイモンドの質問の意図を問いただそうとした。


「なんだって、いきなりそんなことを? ピンピンしてるうちに、とか」

「俺は、お嬢のことが好きだ」

「……………………はっ?」


 レイモンドの突然のカミングアウトに目を点にするアンドレ。この話の流れ的に、それは親愛の類ではないだろう。


「一人の女性として、俺はお嬢のことを愛している」

「……マジか」

「誰にも話したことないがな。墓まで持っていくつもりだった。お嬢が選んだ人間がいたら、その恋路を見守ることにしてたからな」


 空になったとっくりの口を摘み、プラプラと揺らすレイモンド。彼の気持ちに全く気づいていなかったアンドレは、その発言に少なからず動揺していた。だが、墓まで持っていくつもりだったという彼の意志は非常に気になる部分だ。よって、アンドレは意を決してレイモンドの心境を聞き出すことにした。


「その……なんで伝えないんだ?」

「俺じゃ相応しくない。それに……選んでほしい」

「選ぶ?」

「……お嬢の世界は狭い。屋敷の一室に閉じ込められ、研究者のケージの中で飼われ、今は叛乱軍のアジトに篭りっきりだ。お嬢は有名だからな……機密性の点で、簡単には外に出せない」

「……」


 確かに、シュティーネの人生は束縛がつきものだった。

 妾の子という本人が与り知らぬところで絡んでしまった因果から始まり、疎まれ、監禁され、売り飛ばされ、弄ばれた。今はオズウェルによる助けを得て、彼女は叛乱軍にいる。しかし、それも自由の身とは言えない。情報漏洩防止のために彼女は容易にアジトから出ることもできず、分隊長としての業務に毎日を費やしている。決して強制しているものではないが、それもある意味での束縛だ。

 故に、彼女の人生は限定されたものになっている。普通の人間の暮らしなど体験したことも無い。街並みを間近で見たこともほとんど無ければ、叛乱軍以外の人間と接触することすら稀だ。


「そんな人生のどこに自由がある」

「レイモンド……」

「世界中の人間を悪夢ナイトメア症候群シンドロームから解放しようって息巻いてる組織の幹部が、世界中の誰より束縛されてんだ。ひでぇ皮肉だよ。こんな人生送ってる人間なんざ、世界中探しても滅多にいねぇ」


 彼女に課せられた不遇の運命。レイモンドはそれを嘆いている。

 勿論、アンドレだって考えたことはある。シュティーネの人生の惨さを思い出し、その運命を呪ったこともしばしばだ。しかし、レイモンドがシュティーネを強く想っているからこそ、それはアンドレにとって重かった。


「だったら、そんな束縛だらけの人生の中で、選べることがあるなら選んで欲しいだろ。誰かに左右されず、自分が感じて、自分が考えて、答えを見つけた上で選んで欲しいだろ」

「―――」

「俺が思いを告げれば、お嬢は頷くかもな。けど、それは流されただけだ。お嬢の意思じゃない」

「いや……それは考えすぎなんじゃないか? 普通、告白されたら自分でちゃんと答えを選ぶだろ」

「普通、な。だが、お嬢はその『普通』を知らないんだ」

「!」


 シュティーネは、いわゆる「普通」からはかけ離れた人生を送ってきた。だとすれば、彼女に「普通」の判断を仰ぐのは酷というものだ。その感性は同年代の女性とは大きく異なるがために、彼女の世界に一般論を持ち込まれた場合、彼女はさぞ困惑するだろう。

 どう考えるのが普通で、どうするのが当たり前なのか。こういう時、どうすべきかも知らない彼女に答えを迫ったところで、それは彼女を苦しめるだけだ。

 周囲の人間に相談しようにも、一般的な感性を持つ女性は周囲に珍しく、それ以上に彼女の環境をふまえて心に寄り添える人間自体が存在しない。

 そもそも、相談というのは、相手とある程度の共通点が無ければ成立しないものだ。古来より、『人間』と『怪物』は決して分かり合えないと相場が決まっている───その孤独感たるや、想像に難くない。


 だとすれば、シュティーネに想いを告げることはシュティーネにとって重荷にしかならない。

 彼女を想うがこそ、レイモンドは己が恋情を心の内に秘めようとしていたのだ。


「レイモンド……お前ってやつは……」

「おっと、そこから先は言わなくていい。余計な言葉ってやつだ。俺がクールでナイスガイなのは周知の事実だからな」

「その言葉が余計なんだわ!! なんで最後に付け足したんだよ台無しだよ!!」

「おいおい荒ぶんなよ、嫉妬か?」

「呆れてんだよクソがShitッッッ!!」


 唾を飛ばしながら思いっきりツッコむアンドレ。

 安心してほしい、いつもよりテンションが高くなっているのは自覚している。アルコールって怖い。


 追加で頼んでいたエールがテーブルに2つ置かれ、レイモンドはジョッキの取手に指を通して口に運ぶ。つられてアンドレもエールをぐいっと持ち上げ、小麦色の液体を喉に流し込んだ。炭酸の爽快感に酔いしれていると、再びレイモンドが口を開く。


「まぁともあれだ。俺がアクションを起こしたところで誰も幸せにならねぇ。だったら言う意味もないだろ」

「……でも、お前の気持ちはどうなんだよ。お前はそれで満足なのか?」

「なわけあるか。だがな……相手の幸せな未来が望めないなら、それはもう愛じゃねぇと思う。知ってるか? 一方的な愛は、ただの呪いなんだ」


 寂しげな表情でそう語るレイモンドを、アンドレは安易に慰めることができなかった。その言葉がこの場で思いついたものではないことを察したからだ。

 レイモンドだって悩んで悩んで悩み抜いて、既に答えを出していたのだろう。彼の苦悩が伝わってきたからこそ、アンドレは彼の言葉を深掘りすることはしなかった。今更自分が何を言っても、何も変わりはしないのだから。


「じゃあ……さっき言ってた、俺じゃ相応しくない、ってのは……」

「言葉通りだ。俺じゃお嬢を支えられねぇ。支え続ける力量がねぇ。悔しいが……力不足だ」


 飲み干したエールのジョッキを叩きつけるようにテーブルに置き、レイモンドは先程までとは一変した険しい表情でアンドレを見つめる。


「お前なんだ。俺が信頼できて、お嬢も懐いてて、力もある。お前しかいなかったんだよ───第二部隊『元』分隊長、アンドレ=ギュスターヴ・デュマ」


 かつて第二部隊を率いていた叛乱軍屈指の実力者を前に、レイモンドは力強い口調でそう言い切った。

 アンドレ───いや、アンドレ=ギュスターヴ・デュマ。彼はシュティーネと任を交代するまで第二部隊の隊長を務めていた。レイモンドはアンドレの部下として働いていたが、関係性は上司と部下というより親しい友人という方が近かったりする。

 いつになく畏まったレイモンドに呆気を取られていたアンドレだが、少しすると表情に自虐的な笑みが浮かんだ。


「『元』だろ。俺は大した人間じゃない。他の分隊長達とは比較にもならないぜ」

「銃の扱いなら叛乱軍イチだろ。射撃訓練場の最高記録保持者レコードホルダーの座はまだ明け渡してねぇって聞いてる」

「たまたまだ。銃が俺ぐらい得意なやつなんて、この世にはザラにいる。ここに俺以上の人間が偶然いなかっただけって話なんだよ」


「それに比べて」と空になったジョッキグラスを見つめたまま、アンドレは遠い目で語る。


「他の幹部はどうだ? ロアナのハッキング技術は世界でもトップクラスだし、お嬢の身体能力と武術のセンスは圧倒的だ。蕪木のじーさんみたいな機械技師としての実力もなければ、ルーファスとロドリゴみたいな完璧な連携も正直言って不可能。エロイの医療技術、犀花さんの頭脳は超人の域だ。隊長は……まぁ、言わずもがなだろ」

「……」

「あの人達は替えが利かない。世界でも間違いなくオンリーワンの存在だ。そんな人間と肩を比べろって方がよほど残酷だぜ、レイモンド」


 肩をすくめたアンドレに、レイモンドは怪訝そうな顔で訊ねる。


「……なんで一人だけ、さん付けなんだ?」

「……犀花さん、怖いんだよ」

「……わかる」


 ンンっ、と咳払いをして話を本筋に戻すアンドレ。

 シュティーネを女性として好いているかどうかはともかく、副分隊長として彼女を守ることはアンドレの使命だ。レイモンドに頼まれずとも当然のこととして考えていたが、こうも真剣に頼み込まれたのだ。レイモンドの望む形で彼の思いに向き合いたかった。


「まぁ、なんだ。買い被り過ぎではあるけど、期待には応える」

「!」

「約束しよう。形はどうあれ、お嬢は俺が支え続ける。俺の全てに懸けて守り続けると誓う」


 胸に手を当て、レイモンドの目をしっかりと見据えながら、そう堂々と宣言した。その顔に決意の色が見えたことに安心したのか、レイモンドは目を伏せて肩の力を抜く。


「そうか……ならいい。俺から言うことはなんもねぇよ。ありがとな」

「あぁ……でも、なんでまたそんなことを? いつものおちゃらけ、ではなさそうだし」

「色々あったんだ。環境の変化……いや、心境の変化か。ま、気にすんな」

「?」


 席を立ち、レイモンドは「一足先に休ませてもらうわ」と言い残して屋台から出て行った。部分的にふざけていたとはいえ、終始真面目な話をしていたレイモンドにアンドレは疑問を隠せない。

 なぜ、今になってシュティーネへの恋情を打ち明けたのか。

 恋情を秘めようとしていた理由は知った。アンドレに相談した理由は分かった。だが、なぜこのタイミングで話したのかだけが心の隅に引っかかる。


「ほんと、何があったんだ……?」


 しばらく顎に手を当てて思案していたアンドレだが、いくら考えても納得のいく結論には辿り着けず、半ば諦めるようにして屋台の暖簾をくぐった。


「そんじゃ、ごちそーさんでした」

「おい、あんちゃん」

「ん? どした?」

「ほれ」


 アンドレを呼び止めた大将が、手の平をアンドレに向かって突き出している。手で皿を作るようにして。


「お代」

「え?」

「お代、二人分だ。あの兄ちゃん、金払ってないぜ」

「レイモンドおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」


 シリアスな雰囲気に紛れてサラッと会計を押し付けていたレイモンドを恨む男の声が、叛乱軍の居住スペースに響き渡っていた。




 ***




「……ぅ」


 口の端から出た呻き声で、レイモンドは意識を浮上させる。

 耳鳴りが酷い。腹から温かいものが滲んでいるのを感じる。頭も内部で生物が暴れ回っているのかと錯覚するぐらい痛んだ。

 それと、寒い。凍えてしまいそうなぐらいに寒い。


(なんだ、これ)


 何かがおかしい、というのは分かっていた。

 腹は熱いのに、体は寒い。体も上手く動かない。動け動け、と必死に念じているのに、指の一つも動きやしない。初めての経験だったが、それが何を意味しているのかぐらいは理解できた。


 あぁ。俺、死ぬんだな。


 そう気づいた瞬間、どこか諦めがついた気がした。真っ赤に染まっていた視界が明瞭になり、考えもどこかクリアで、痛みも幾分か和らいだ。

 指を曲げる。動いた。なら、いける。


「ぐ……」


 力一杯に地面を拳で押し、伏せっていた体を無理やり起こす。体幹がブレブレで何度もふらつくが、なんとか膝立ちの体勢ぐらいにはなれた。


 足元を見る。先程、ルスタンに撃たれた場所でもなく、そのあと落下した場所でもない。そもそも、足場板の上ではない。このフロアで見慣れた網目構造の金属板ではなく、それより遥かに安定した場所だ。しばらくして、フロアの壁と繋がっていた太い橋の上にいるのだと気づく。


「状況、は……」


 ルスタンに撃たれた後、記憶が飛んでいる。現在の状況が知りたい。レイモンドの居場所が移動しているので、誰かが運んだのだろうと考えられるが。

 そう思って顔を上げた後、レイモンドはそれを後悔した。


 そこには、満身創痍の状態で戦い続けるシュティーネの姿があったのだ。


「お、嬢」

「レイモンド! よかった、起きたんだねぇ!」


 目を見開いたまま硬直するレイモンドを見て、シュティーネは血だらけの顔を破顔させる。

 酷い怪我だった。足も手も血にまみれ、顔にできた生傷からは新しい血が流れている。瞼の上にできた傷のせいで片目は開かず、息も完全に上がっており、タイツ型の強化外骨格もボロボロだ。

 シュティーネをここまで追い詰めるなんて何があったのか、と困惑したレイモンドだったが、その答えにはすぐに辿り着けた。


「ッッッ! 危ない!!」


 そう叫ぶと、シュティーネの姿は目前から掻き消え、レイモンドの左側へと現れた。それと同時、斬り払った刀が一つの火花を散らし、レイモンドを穿つはずだった一発の銃弾を弾き飛ばす。

 そして、飛び込んだ勢いでそのまま地面に転がるシュティーネ。その際に腕を強く打ったのか、小さく呻くが、すぐに立ち上がって刀を構えた。


「ッ……大丈夫だよぉ、レイモンド。隊員は、私が守るからぁ……!」


「……ぁ」


 そうか。なぜシュティーネがボロボロだったのか理解した。

 彼女は、狙われ続けた自分を守っていたのか。


 凶弾に倒れたレイモンドは、ルスタンから集中的に狙われたのだろう。ルスタンはきっと、レイモンド自身のことはどうでもよかったはずだ。しかし分隊長の役目があるシュティーネは、レイモンドを見捨てられない。必ずレイモンドを助けるために力を使い、ルスタンの攻撃を切り捨て続けるだろう。

 なるほど、ルスタンからすれば都合が良かったはずだ。レイモンドに向かって銃を撃つだけでシュティーネの能力値を見ることができ、かつシュティーネはレイモンドを守るためにルスタンへ反撃することができない。自分がレイモンドから離れてしまえば、動けないレイモンドはルスタンに殺されてしまうから。



 なんて皮肉だろう。

 守ると誓った女性に守られ、挙句の果てに傷付けている。



 その事実に気づいた時、レイモンドの中で踏ん切りがつく。



(あぁ……クソshit)


 ───やっぱり、お前みたいにはなれねぇな。アンドレ。



 それは諦念だったのか、それとも。


「……誰がお前になんざ殺されてやるかよ」


 そう小さく毒を吐くと、レイモンドは胸元からを取り出した。




 ***




「畜生……! なにか、何かないのか……!」


 一方的に嬲られるシュティーネを目の端で捉えながら、その顔を苦悶に染めるアンドレ。

 今もシュティーネは手負いのレイモンドを守るため、彼に迫る銃弾を斬り払い続けている。しかし、それも限界が近い。見えない相手から放たれる変幻自在の魔弾に対応できているのも充分な超人っぷりだが、流石にシュティーネといえど無理があった。満身創痍で今にも倒れそうになっている彼女は痛ましく、正視に堪えない。


 幸いにもターゲットから外されているアンドレに出来ることと言えば、光学迷彩で隠れているルスタンを見つけ出すことぐらいだ。しかし、残念なことにルスタン探しは難航を極めている。


(だぁっ、くそ! 全然見えないじゃねーか! これじゃお嬢を助けようにも……!)


 ルスタンの狙撃を掻い潜りながら、何とかフロアの最上階近くまで到達したアンドレは、階下にいるはずのルスタンを探し続けていた。

 見つからないとはいえ、全く手がかりがないというわけではなく、ある程度の見当はついている。


「狙撃銃を使ってるのは分かってる。そんで、狙撃銃は威力が高い分、撃発時の反動があるだろ。だったら不安定な足場じゃ上手く撃てないし、撃てたとしても足場板が揺れるから場所がバレる」


 光学迷彩によるカモフラージュを行なっていようと、足場を揺らしたせいで居場所が特定されては本末転倒だ。銃を撃った反動があるのは確実で、だとしたらルスタンは安定した足場の上にいるのは間違いないのだ。

 つまり、ルスタンは足場板の上にはいない。いるとすれば、安定した足場──その条件が満たされている場所は少ない。


「フロアの中央に架かる大きな橋の上。そのどこかにいるはずだ」


 シュティーネとレイモンドがいるのも中央に架かる橋の上だが、橋自体は一つではない。あくまで合計4本の内の一本であり、上から3本目の橋だった。アンドレの位置からは4本全ての橋が見渡せているのだが、これは橋同士が少しずつ捻れた位置関係にあるからである。故に橋の上にいても、上下の橋の様子も伺える。スナイパーの立ち位置としても充分だ。


「けど……4本の内のどの上にいるのかが分からない……!」


 スナイパーの鉄則として標的より上に陣取るのが普通だが、ルスタンは色々と規格外だ。一番下の橋の上から跳弾で狙撃しているかもしれないし、はたまた順当に上の2本の橋のどれかから撃っているのかもしれない。ルスタンを視認できないことがアンドレを非常に苦しめていた。


「あと一手なんだ! もうそこまで追い詰められているのに、最後の一手が足りない……!」


 アンドレは必死に思考回路を回し、ルスタンを見つけるための手立てを探す。


 片っ端から銃を撃ちまくって虱潰しにルスタンを探す───いやダメだ、銃弾が残ってない。


 一か八かで実際に橋の上に降りてみてルスタンを手探りで探す───アホか。探してる最中に頭撃ち抜かれて終わりだ。


 発砲音の発生源から音響定位エコーロケーションを───無理だ。このフロアじゃ音が反響しすぎるし、これ以上発砲させてはシュティーネが保たない。


(ていうか、なんでガンファイアの一つも見えねーんだよ! 光学迷彩なんだろ!? 服についてる機能なら、銃まで消せるわけが……)


 そこまで考えたアンドレだったが、その疑問に対する答えは自分で見つけ出す。


「……あ、いや、可能なのか」


 橋は足場板と違って、網目構造になっていない。外套マント型の光学迷彩だと真下から丸見えになってしまうが、足場板の上でないなら気にする必要はない。銃ごと外套の中に隠してしまえば、狙撃銃の銃身も発砲時の火花もアンドレから見ることができない。

 なるほど合理的だ。答えを得たことでルスタンが橋の上にいることは更に確実性を増したが、実際には絶望する要素が増えただけ。

 依然として、ルスタンを見つけ出す手立ては見つからない。


「っ、他だ。他には何か……」



「アンドレぇッッッ!!!」



 鼓膜を切り裂くような大声に思わず肩を震わせ、声を出した人物に目を向けるアンドレ。

 発声主は血だらけのレイモンドだ。血を失い過ぎたのか顔面蒼白になっているレイモンドは、膝立ちしながらも姿勢はフラフラしており、全くもって安定していない。左手で抑えた脇腹からは急速に血が滲み出しており、今の大声で傷がより一層開いてしまったのが分かった。


「な……おいバカ、やめろ! んな大声出したら死んじまうぞ!」


 ルスタンに狙われることも忘れ、柵から身を乗り出したアンドレ。レイモンドは共に修羅場をくぐり抜けてきた戦友だ。ここで死なれては困る。

 平静を失ったアンドレを見て、ふ、と笑みを溢したレイモンド。

 死にかけの男には似つかわしくないような朗らかなその笑みが、アンドレにとってはどうしようもなく不吉に見えた。


 ふと、レイモンドの右手に目がいった。

 彼が握っていたのは、護身用の拳銃だ。実戦用とはいえ、その威力はアサルトライフルに大きく劣る。ましてやスナイパーライフルに敵うはずもない。

 そんな小さな銃で何をするつもりなのか。疑問を抱いたアンドレをよそに、レイモンドはおもむろに拳銃を持ち上げる。


「あの日の約束、覚えてるよな」

「……何を」

「違えるんじゃねぇぞ。……悪ぃが、俺はここまでだ」


 そして、





 パンっ。という乾いた音と共に、至近距離で撃ち放たれた弾丸が脳味噌をレイモンドの頭から掻っ攫った。


 ぐらり、とレイモンドの体が崩れ、べしゃりと床に臥せる。

 広がる血溜まり。頭からドクドクと流れる赤い液体が、何が起きたのかを惨憺たる結果として物語っていた。


「な」


 思考が置いてけぼりにされた一瞬の後、アンドレはレイモンドの行いを理解し始める。


 レイモンドが自害した。

 その意味は単純。自分がシュティーネの足枷になっている事実に気づいたからだ。シュティーネが狙われ続けるレイモンドを守るために命を削っている状況を理解してしまったからだ。


「……レイモンド?」


 唐突に事切れたレイモンドに、呆然とするシュティーネ。彼女が万全の状態ならレイモンドの自害も止められたかもしれないが、そうするだけの余力すら残っていなかった。

 守ると意気込んだ相手に自害されたシュティーネの心中は察するに余りある。レイモンドの死体の前に立ち尽くしたシュティーネを見つめながら、アンドレは奥歯を噛み締めた。


 レイモンドには、シュティーネの気持ちを押し退けてまで守りたい信条があったのだとアンドレは分かっていたのだ。


 愛する人に守られ続け、その人を傷つけ続けるぐらいなら、己の命を散らす。

 それ以上、背負わせないように。邪魔にならないように。一方的な想いが、彼女にとっての呪いとならないように。


 シュティーネを束縛から解き放つため、自身の命を代償にしたレイモンド。彼の決意が、アンドレは痛いほどに分かっていた。


「レイモンド……! 本当に、お前って奴は……ッ!」


 目尻が溢れる涙は際限を知らない。口をへの字に曲げたアンドレは、レイモンドの勇壮たる散り様に感涙せざるを得なかった。

 己の情も、命も捨てて。一人の女の為に尽くした彼の生き様を、一体誰が笑える。笑うことができる。

 そんなことができるのは、道理も知らぬ愚か者か、あるいは人の情を捨てた腐れ外道か。


『───チッ。反吐が出る』


 そのどちらかと問われれば、彼は間違いなく後者だ。


『死ぬなら黙って死ねよ。雑魚が、一端の英雄気取って死んでんじゃねぇぞ』


「ッッッ……! お前……!」


『お陰様で計画が狂った。そこのアマを死ぬまで嬲る予定が台無しだ。雑魚は雑魚らしく俺の掌の上で踊ってりゃいいものを』


 どこまでも冷徹。というより下衆。

 性根の腐れ切ったルスタンの台詞は、アンドレの心に火をつけるのに充分過ぎるほどだった。


「その腐り切った口を閉じろ……! 吐き気がする!」


『事実だろうが。俺に偉そうに口聞くんじゃねぇよ、雑魚。未だに俺の位置すら特定できない無能に俺を責め立てる権利なんざあるのか』


「っ、この……!」


 ルスタンの暴言は、レイモンドに親しい者であれば誰であれ耐え難いものであった。彼の言葉で闘争心に火が付いたのはアンドレも勿論だが、もう一人。レイモンドは、そのもう一人にもっと配慮すべきだった。


 その喚きが、獣を呼び起こさないように。




「黙れ」




 ぞっ、と。

 安全地帯にいたはずのルスタンの背筋が凍る。

 どこまでも底冷えした声が耳朶を打つと同時、彼の脳が爆音で警鐘を鳴らしていた。


 あれはマズい。相手にしてはならないものだ、と。


 その声の主が誰かなど、もはや語る必要もあるまい。

 中央管制塔において一度たりとも彼女が見せなかった、『憤怒』という感情。表面化した荒れ狂う激情が形を得て、女の身に破壊神として宿る。


 思い起こせば、確かに道理。

 彼女はあくまで『原石』。

 故に、世界の誰も彼もが彼女の限界を知らない。磨けば磨くだけ輝く、才能の宝玉。

 部下の死により得た怒りが、彼女の才覚を急速に研磨する。更なる高みへ、目指すは青天井の遥か上。

 レイモンドを守るという使命から放たれた獣は、能力の覚醒を以て敵の喉笛を噛み切らんと唸る。




「殺してやる。お前だけは、絶対に殺す」




 戦う意味を得たシュティーネは、もう止まらない。


 ───そして、シュティーネとアンドレの反撃が始まる。





 **********


 夏休み。素晴らしい響きですよね。そう思いませんか、ナナチ。


 休暇に入りましたんで、少しずつペース上げたいなと思った今日この頃(夜11時半)。どうもお久しぶりです、ぽんずです。メイドインアビス始まりましたね、毎週楽しみにしてます。度し難っぷりが今期も限界まで出ていて、現在進行形でアビスにハマってしまっています。執筆もせずにアニメですか、君は可愛いですね、ナナチ。


 さて、もう顔を出させていただいた所もあるのですが、時間に空きができてきたので、少しずつ読んでいなかった作品の方にお邪魔させていただいています! お待たせしました、本当に……。いつも読んでくださっているのに、自分は読まないというゴミっぷり。これには畜生外道ルスタンもニッコリ。

 ちなみに、今はちょっと新作も考えている所です。長期連載、というより、応募用の作品ですね。どっかでお披露目するかもしれませんが、更新が遅れたら、そっちにかかりっきりになっているかもです。すみませんね。

 ということで、次回更新をお待ちくださいませ。

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揺籃の眠り児は宵闇に踊る ぽんず @ponzu2002

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