第四十五揺 動き出す戦場
突如として視界を白く塗りつぶされ、
ロザリオが閃光弾として機能し、五感のうちの二つがカットされるという異常事態。常人ならば混乱して何も対応できないだろうが、彼女らは違った。
(やっぱり……!)
(これは閃光弾か!)
(クソッ、油断した!)
その瞬間に考えることは違えど、結論は同一。
―――回避を!
戦場において足を止めることは死を意味する。動く相手より止まっている相手の方が撃たれやすいのは自明だ。
よって、奇襲を受けた際に取るべき対応は二つ。
一つは、負傷のリスク覚悟で防御姿勢をとるか。
もう一つは、多少周囲の状況が分からずとも回避行動をとるか。
その場にいた三人は迷わず後者を選択。前者は対応が簡単だが、銃器相手には利点が少ない。銃弾は人の体など容易に貫通する。蹲るといった防御姿勢をとろうが、蜂の巣にされてお終いだ。
味方同士での意思疎通は不可能。言葉もジェスチャーも伝わらないのだから、各自がどう動くかを判断するしかない。
自分がいた場所、周囲の構造物についての情報を脳内で再生し、射撃から免れられそうな場所を探す。遮蔽物となるものがなければ、シュティーネ達はいい的だ。
この対応を半ば本能的に、そして瞬間的に結論付けた彼女らは三者三様に回避行動を取る。
程なくして、三人はまだ回復していない耳に破裂音が連続で響いてくるのを感じた。明瞭に聴こえずとも、その正体は戦場で生きる者には当然のように分かる。
間違いなく、それは銃声だった。
(あの野郎、 普通に撃ってきてんじゃねーか! 何が戦う気は無いだよ、殺意満々な癖しやがって!)
飄々と法螺を吹いてみせたルスタンに怒りを覚えながら、必死に回避行動をとるアンドレ。悪態をつきながらも、その思考は極めて冷静だ。
(あいつは目を瞑ってた……つまり、閃光弾は効いてない)
祈りのポーズのおかげで不自然なく目を瞑ることができたルスタンは、閃光弾によって目を潰されていない。また、ロザリオを投げた瞬間に耳を塞いでいるのが見てとれたので、完全では無いにしろ耳への障害もある程度シャットダウンできたはずだ。
それより、アンドレは閃光弾として機能したロザリオの方に意識が引っ張られていた。
(クソ、なんで気づかなかった! アイツ、
ローブでよく見えていなかったが、ルスタンは確か首元からロザリオを取り出していたはずだ。彼はロザリオをネックレスとしてつけていた。
ロザリオはその形状的に首から掛けるものだと認知されがちだが、アンドレはそれが間違いであることを信心深い隊員から聞いたことがあった。
ロザリオは祈祷具であって装飾品ではない。市販されているネックレスに十字架がよく使われているため勘違いされがちだが、ロザリオは首から下げる物ではないのだ。
故に、本物の祈祷者というのはロザリオを首から掛けない。もしルスタンが祈祷によって自身の信条を制限することを是とするような信心深い人間だったのであれば、ロザリオを首から掛けるとは考えづらい。
ましてや、あの滅茶苦茶な神言だ。注意深くなっていれば、彼が嘘吐きなことに気づけただろうに。
聖職者を微塵も再現できていなかったのにアンドレ達が騙されたのは、それはどルスタンの態度が毅然としたものだったからだ。
……図々しいにも程があるだろう、あの大男。
(とにかく、今は回避に徹する!)
アンドレが柵や足場板の凹凸に足をもたらせながらも急ぎ撤退する。それが功を奏したのか、急所を撃たれることなく遮蔽物の陰に入ることに成功した。
しかし、全くの無傷というわけではない。
右脚の側部、左腕の肩近くを銃弾が掠め、強化外骨格ごと体の肉を持っていかれる。肉体を穿たれたことで血が霧状に舞い、アンドレの頬に生温かい飛沫の感触が伝った。
「ぐ……!」
思わず苦悶の声を漏らすが、怯むことはしない。怯めば相手の思う壺、動かねば生きる道はない。
荒くなった息を落ち着けるアンドレ。撃たれた部分は痛みこそあれど、活動に支障はない。心配だったのは銃を撃てるかどうかだが、握り拳を開閉しながら問題なさそうなことを確認する。
「アンドレ!」
「! その声、お嬢か?!」
間近ではないが、横方向から声が聞こえてきた。耳が回復していないので明瞭には聞こえなかったが、女性の声だ、間違いなくシュティーネだろう。彼女が叛乱軍の所属して以来、彼女にずっと連れ添ってきたアンドレが聞き間違うはずもない。
「お嬢、無事か!」
「なんとかぁ!」
「上々だ!」
シュティーネの勘は鋭い。それに、ロザリオが閃光弾になっているのに気づいたのもシュティーネだった。完璧に対応することはかなわずとも、ある程度の防御は出来ていたのだろう。シュティーネはアンドレほど視覚を奪われておらず、比較的安全に回避をすることができた。
流石はシュティーネ、といったところだが、アンドレが心配していたのはもう一人の方。
「レイモンド! 返事をしろ、レイモンド!」
完全な不意打ちを食らってしまったもう一人、レイモンドだ。回避の際に離れ離れになってしまったため、彼がどこにいるのかも、どんな状態なのかもさっぱり分からない。
「レイモン―――」
『ピーピーうるせぇな。戦場で喚くんじゃねぇよ、腹が立つぜ』
レイモンドの返答の代わりに返ってきたのは、男の短い罵倒。先ほどまで心なしか心地よく聞こえていた声は、今や忌みの対象でしかない。
「……っ! お前……!」
『めでたいモンだな、敵の言葉にまんまと乗せられて。その程度の判断力ならこんな世界でもさぞ生きやすいだろ』
「……あぁ、生きやすくて爽快な毎日だよ」
『はっ、嘘くせぇな』
レイモンドの状態も気になるが、ルスタンとの会話で懸念点がまた一つ増えた。
(なんだ、アイツの声……反響、というより、スピーカーから喋ってるみたいな……)
聞えてきたルスタンの声に感じた違和感。ルスタンの声であるのは間違いないが、エコーのように声が重なって聞こえてきたのだ。スピーカーでも使っているのだろうか、音の反響もあってか、ルスタンの声は非常に聞き取りづらいものになっていた。こうなっては1/fの揺らぎも意味を成さないだろうが、戦闘が既に始まっている以上、ルスタンに会話の意志は殆どなかったのだ。
「いや、今はレイモンドを―――」
またルスタンのペースに乗せられそうになったが、同じ過ちは繰り返さない。奇襲後から行方の分からないレイモンドの居場所を見つける方が先だ。
(返事がない、ってことは)
レイモンドは呼びかけに応じなかった。それはつまり、彼が返答できない状態にあるということ。事態は一刻を争うかもしれないのだ。
(どこだ! どこに――――)
周囲に視線を巡らせ、レイモンドの姿を探すアンドレ。
足場板とそれを吊るすワイヤーのせいで可視範囲が狭窄する上に、ルスタンの銃撃から身を隠すために物陰から少しずつしか顔を出せない。
レイモンドを探すこと数秒、アンドレはその姿を見つけるにいたる。
「! レイモンドッ!!」
彼がいたのは、アンドレ達のいた階層から一段下の足場板の上。ワイヤーで吊られた不安定な足場の上で揺られながら、レイモンドは脇腹を抱えて蹲っていた。
「ぅ、ぐ……」
血が滲んだ部分を抑えて呻くレイモンドの顔は青白く、脂汗がびっしりと浮かんでいる。強化外骨格を貫いて急所を撃たれたに違いあるまい。一刻も早く助けに行かねば、命に関わる。
持っていた銃はというと、レイモンドの直上に捨て置かれている。恐らく、回避の際にルスタンに撃たれ、足を踏み外したのだろう。地面まで落下しなかったのは不幸中の幸いだが、銃が無ければ自己防衛も難しいだろう。
「っ、待ってろ! 今助け、に……」
行くぞ、と言葉を繋ぎかけて気づく。
彼らが置かれた状況。移動しづらい足場板だらけのフロアに、少ない弾薬数。ルスタンがどこにいるかも分からず、いつ狙撃されてもおかしくないときた。
(迂闊に動けない……!)
敵の一人をあえて殺さず負傷させ、仲間に助けに行かせる。そして助けにきた仲間諸共、撃ち殺す。それは狙撃手が戦場でとる常套手段だ。
ここでレイモンドを助けに行けば、その瞬間アンドレはルスタンに狙撃されるだろう。かと言って助けにいかなければレイモンドは遠からず息を引き取るだろう。
『助けに行けよ。撃たねぇから』
「嘘つけ。お前の言葉なんざ信用できるか」
『信頼ねぇな……あ、神に誓おうか?』
「その流れ今さっきやっただろうが!?」
そんなコンビニついでに買っとこうか?みたいなノリで神に誓うな、と突っ込みたくもなるが、生憎そんなことに気を配っていられるほど余裕がない。こうしている間にも、レイモンドの命の灯火は消えかけて───
「アンドレ。
しかし、彼女は違った。
釣りだと分かっていても、躊躇わずに物陰から飛び出したのだ。自分の隊の大事な部下であるレイモンドを助けるために。
((!!))
その突飛とも言える行動は、アンドレだけでなくルスタンの意表をも突いた。ノータイムで飛び出したが故にルスタンは狙撃するタイミングを逃したのだ。
(……どうやら、想像以上の馬鹿だったみたいだな)
シュティーネの向こう見ずっぷりに呆れるルスタン。
だってそうだろう。最初こそ逃したが、それでもルスタンが狙撃するタイミングはいくらでもある。全力疾走しているシュティーネが速度を落とす瞬間に撃ち殺せばいいのだから、それこそレイモンドを助けようとするタイミングを狙えばいい。救助相手が倒れている以上、トップスピードを維持するのは不可能だろう。
叛乱軍の分隊長といえど、その程度の知能か。
そう失望したルスタンはしかし、彼女の次の行動に目を見張ることになる。
不安定な足場板の上を俊敏に駆け抜けて、レイモンドが倒れている場所から6mほど離れた位置まで到達した。
だが、不幸なことにそこから先には足場がなく、レイモンドの下へ直接行くことが出来ない。足を滑らせたら地面まで真っ逆さになるだろうそこへ、シュティーネは迂回せずに迷わず突貫した。
足場の端近くまで来ると、ロンダートの要領で軽やかに飛び上がり、そして空中へと身を投げ出したのだ。
(!)
確かに、わざわざ迂回するよりかは跳び越えていった方がショートカットにはなる。しかし、身動きの取りづらい空中に飛び出し、しかも最高速度になりかけていた自身のスピードを殺すという選択肢を取るのはあまりにも愚かだ。
だって、ルスタンは狙撃手なのだから。
狙撃手相手に体の自由の利かない場所で勝負を挑むのは狂気の沙汰だ。撃たれると分かっていても、銃弾なんてそうそう避けられるものではない。
ましてや相手はルスタンである。直接見ることはなかったとはいえ、閃光弾が凄まじい光と音を発する中でアンドレを負傷させ、レイモンドの急所を撃ち抜いた。その腕の良さは推して知るべしだ。
そんなルスタンにとって、空中へ飛び出したシュティーネは絶好の的。この機を逃す手はなく、ルスタンはスナイパーライフルの引き金を───
(……と、普通なら考える)
シュティーネがこうして無防備を晒したことを好機と捉えるようでは、その人間は三流と呼ばれて然るべきである。
だって、シュティーネだって空中に飛び出せば撃たれることぐらい分かっているはずなのだ。それでも飛び出したというのは、つまり
シュティーネは馬鹿ではない。これは、彼女が誘っている『罠』だ。
(ここで俺が撃てば、あのアマは撃たれた方向から逆算して俺の位置を特定するだろうな)
シュティーネは自分が撃たれることで、攻撃のあった方向からルスタンの位置を特定しようとしているのだ。故に、これは罠。このタイミングでシュティーネを撃つのは下策も下策だ。
シュティーネを確実に殺したいなら、レイモンドを助ける瞬間を狙えばいい。それは未だに変わりようのない事実だ。ルスタンは目の前に吊り下げられた餌に喰いかかって、確定していた勝利を逃すことはしない。大局を見定める第三者的視点こそ、スナイパーに必要な素養であり、ここで求められるべき能力なのだから。
(撃たねぇよ。勝手に期待してろ)
フン、と小さく鼻を鳴らし、様子見の構えを崩さないルスタン。それは非常に合理的な判断であり、この場で下す判断として正しいものであった。
一方でシュティーネは、空中に跳びあがったまま体をひねらせ、抜刀の構えをとる。
腹を天井に、背中を地面に。上からくる射撃に備えているのであろう、仰向けのままで宙を舞っていたシュティーネの行動は、徒労に終わるかと思えた。
が、しかし。
「―――――来い」
そう、シュティーネが言い放つ。
地獄耳のルスタンがその言葉を聞き逃すわけもなく、確かに彼女の挑発は彼に届いていた。ルスタンは傍観を決め込んでいるので、ルスタンがその挑発に乗る道理は無い。彼は挑発に易々と乗るような単純な人間ではないし、無駄な労力を嫌う人間だ。だが、彼女の言葉は思いもしない形でルスタンのスタンスを動かすことに成功する。
来い、という言葉。そこには彼女の確固たる自信が込められていた。
そこで、ルスタンの脳裏には一つの疑問が浮かぶ。
―――なぜ、この女は銃弾を避ける自信があるのだ。
それは、ある意味で当然の疑問だ。
ルスタンは研究者という側面を持っている。彼は他の研究者同様、疑問を疑問のままで終わらせることに抵抗があり、問いに対する解を狂信的に求める質なのだ。解に辿り着けない、果ての見えない研究ならまだしも、この問いに対する解であれば目の前に転がっている。であれば、明快な結論を求めずにはいられない。このままシュティーネがレイモンドを助ける瞬間を狙って撃つのでは、あまりに芸がないというものだ。
知りたい。
かつて
ルスタンは研究者だ。未知を既知にする手段など、一つしか見出せない。
───彼女を『実験』すればいい。
斯くして、戦闘に否定的であったルスタンは、研究者としての義務――真理の解明を果たすべく、その闘争心に僅かながらの火を点ける。
『小手調べだ』
ルスタンは賭けの台に乗ることを決め、シュティーネの体を穿つべく銃口を傾ける。彼の鋭い双眸が見据えるは、ある一点。
凄腕のスナイパーであるルスタンの放った銃弾は、そこへ引き寄せられるように───
(……来る)
それは彼女に生来から備わっていた獣の勘というやつだった。
ヒリつく空気を肌で感じ、刹那に襲い来るであろう致死の銃弾を待ち構える。どこから、いつ来るかも分からない銃弾に瞬時に反応するのは不可能に近い。
しかし、『いつ』かは分からないが、『どこ』を狙ってくるかは検討がつく。
(多分だけど、アイツは性格的に……私を一発で仕留めにくる。つまり、狙うのは人体の急所だよねぇ)
人体の急所というのは非常に多いが、一発で息の根を止められる急所となると話が変わる。心臓を撃ち抜かれても、痛みさえ無視すれば失血死するまで行動が可能だ。頭蓋は脳味噌があるので狙われやすいが、頭に銃弾を撃ち込まれても奇跡的に生還した例は意外にも多くある。故に、心臓と頭蓋は除外。
人間を一発で即死させるなら、仰向けのシュティーネが晒している急所というのは、恐らく。
(眉間しかない)
ルスタンがシュティーネの眉間を狙撃してくることを推測して、シュティーネは刀の鯉口を切り、前頭部へ全神経を集中させた。
聴覚を限りなく澄ませるため、目は閉じる。呼吸音すら煩わしい。息を止めて、来たる一瞬を待った。
限界まで集中した先、スローモーションのように全てが緩慢に感じる世界の中で。
シュティーネは
「違う」
本能が
シュティーネは知っているはずだ。
シュティーネを試しにくるルスタンが、果たしてどこを狙ってくるのか。
考えている時間は無かった。だが、彼女の
「――――左脚ッッッ!!」
体を傾け、体を半回転させながら抜刀。鞘から引き抜かれた高周波ブレードの黒い刃が閃き、一筋の黒腺を宙に描く。そして、黒線の真ん中で赤く散る火花が一つ。その正体は言うまでもない。
ルスタンによって放たれた銃弾を、シュティーネが刀で弾いたのだ。
その光景を見ていたアンドレは、シュティーネの実力に改めて驚愕させられた。なぜルスタンが眉間ではなく左脚を狙ったのか、アンドレは遅れて理解したからである。
ルスタンは研究者であり、怠惰癖の彼が動いたのはシュティーネに対する探究心が理由だった。であれば、一撃でシュティーネを仕留めに来る訳がない。貴重な実験体である彼女をすぐに殺してしまってはデータが取れないからだ。
というのも、ルスタンとシュティーネは面識がなく、ルスタンの反応からしてシュティーネを一方的に、字面だけで知っていたことは確実だった。彼女が研究されていたことは知っていても、彼女がどのような能力を持っているのかを知らなかった可能性が高い。
だから、彼は試したのだ。彼女が果たして、不可視の銃弾に対してどこまで反応できるのか。命を奪わないのは当然、ルスタンが最も興味を注ぐもの、つまりシュティーネお得意の機動力を削がないよう、手始めに左脚──利き足である右脚を避けて──射撃を行ったのである。
しかし、あくまでこれらの推察は結果論である。あの一瞬でここまで考えられる訳がなく、実際にアンドレもルスタンは眉間を狙ってくると確信していた。一方で、シュティーネは勘だけでルスタンの意図を見抜いた。そこには天と地ほども差があり、シュティーネの天賦の才があってこその芸当だったのだ。
「……ッ! お嬢、やっぱすげぇよ……!」
銃弾の撃力を受けたことで空中で体勢を崩したシュティーネだったが、手を伸ばして何とか下階の足場の手すりに掴まり、勢いのまま足場の上に放り出される。そこは幸いにも不安定な足場板の上ではなく、フロアの壁に直結した丈夫な橋の上だ。受け身を取って転がったシュティーネは起き上がると同時、アンドレに向けて叫んだ。
「3時の方向! 撃ってッ!」
「了解だぜ!」
レイモンドが落とした銃の方向へ転がり込みながら、脇に構えたアサルトライフルで連射を行う。方向はシュティーネが身を張って特定した、3時の方角である。角度までは分からなかったようだが、問題はない。
「縦に片っ端から撃ってやるよッッッ!!」
簡単な話、ルスタンのいる方角さえ分かっているのなら、そちらへ縦方向に撃ちまくればいい。数撃ちゃ当たるではないが、大体のルスタンの所在の把握は出来る。
相変わらずの視界不良だが、縦に撃っても手ごたえがないのを感じ取ったアンドレは、それでもシュティーネが身を張って得た情報を疑うことはなかった。
(撃てる場所には撃った……となると、アイツの居場所は自ずと絞られる!)
当たっていないということは、アンドレが撃って当たる場所にはルスタンはいないということだ。恐らく、ルスタンはアンドレの威嚇射撃に怯んで遮蔽物に潜んでいるに違いない。視線を巡らせると、ルスタンの巨躯が完全に隠れそうな場所を一つだけ見つける。
3時方向、クレーンを操作するためのコンソールの筐体。該当しそうな場所はそこしかなかった。
すかさずコンソールの筐体へ向けて威嚇射撃を行い、陰に隠れているであろうルスタンを身動きできない状態にした。銃弾の数はみるみると減っていくが、背に腹は代えられない。レイモンドの銃を回収するのが最優先事項だ。
「今のうちに……!」
コンソールに常に体を向けて精密に銃を連射しながら、腰を下げた状態で銃の回収に向かうアンドレ。流石のルスタンでも威嚇射撃の合間を縫ってアンドレに一発撃ち込むのは無理だろう。リロードで連射が途切れてしまう前にと、落ちている銃に手を伸ばし。
その伸ばした左手が、一発の弾丸に撃ち抜かれる。
「なっ……!」
突如として手の甲に穴を開けられる不快感、そしてすぐさま襲い来る猛烈な痛みに神経を焼かれながら、アンドレは撃たれた左手を抑える。
(撃たれた?! どこから?!)
シュティーネの言った方向で隠れられる場所はコンソールしかない。そして、ルスタンが動いた気配も全く感じられなかった。
いや、気配がなかったというだけではない。それ以上に驚愕すべき事実を目の当たりにし、アンドレは一時的に思考を停止させてしまう。
「なんで逆方向から……?!」
撃ち抜かれた左手は手の甲から手の平を貫通する形で穴が開いており、それは手の平側の穴の方が大きいことから明白だった。しかし、それでは矛盾が生じる。
ルスタンが隠れているはずのコンソールには常に体を向けていた。そのコンソールからルスタンが動いたような気配はしていない。加えて、アンドレの左手はルスタンのいる方向と逆側から撃たれたのだ。それらが何を意味するかをアンドレは理解してしまった。
「跳弾ッ……
シュティーネの特定した方向は間違っていなかった。ただ、ルスタンの方が一枚上手だったのである。
「俺を出し抜こうなんざ百年早い」
ルスタンにとって、あの一射は防がれようが当たろうが、どちらでも良かった。シュティーネが撃ち抜かれれば、その程度だったということ。防げば、調べ甲斐があることが分かるだけ。ルスタンにとって不利になることは何もない。
なぜなら、射撃された方向からルスタンの位置を特定するのは不可能だから。そのことにアンドレは気づいてしまったのだ。
「
シュティーネを襲ったのは跳弾させた銃弾であり、シュティーネが特定したのは最後に弾が跳ね返った方向だ。ルスタンのいる方向ではなかった。
アンドレにコンソールの陰に隠れていると誤認させるのも作戦の一環である。弾を消費させ、場を混乱させるための罠にすぎない。
シュティーネはルスタンを釣ったつもりだったのだろうが、実のところは真逆だった。釣られたのはシュティーネの方だ。
(そして……お前らは俺を絶対に見つけられない)
ルスタンは確固たる自信を持って、内心でそう断言する。
「お、嬢……」
「っ! レイモンド! 喋らないでぇ、いま安全なところに運んでるから!」
シュティーネの肩に担がれたレイモンドは痛みで朦朧とする意識の中、必死に口を動かして、自身の得た情報を伝えようとする。
「だめ、だ……アイツには勝てない……!」
「な、何言ってるのぉ!? 確かに不意は突かれちゃったけど、居場所だってもう……!」
「それも、罠だ」
「え」
あの時、全身を襲う眩い光と凄まじい音の中、確かにレイモンドはその目で見ていた。薄く開いた瞼の向こうで、ルスタンの
「アイツ……
「……? どういう───」
「文字通りだ……アイツの武装は、
それこそ、ルスタンを絶対に見つけられない理由。
第一に、場所。
この場所は蜘蛛の巣のように足場板が多く組まれ、視界も悪い。立つのにも不安定で、シュティーネの高機動性も活かしづらい。
第二に、跳弾。
撃たれた方向から位置を逆探知しようとしても、ルスタンは跳弾させてくるために正確な居場所は特定不可能。
第三に、反響。
ルスタンの話し声自体にエコーがかかっているのもそうだが、構造的に音が反響しやすいフロアなのだ。そのため、音のした方向からルスタンの位置を特定することもままならない。
第四に、光化学迷彩。
姿を不可視化する特殊な装備のせいでルスタンの視認は不可能。彼が
目で見えない。音は意味をなさない。攻撃は一方的。
あまりに不利な状況に立たされていることを理解したシュティーネ達は、遂に気づいてしまう。
ルスタンは自分が圧倒的に有利な状況を利用して、シュティーネ達を一方的に嬲るつもりなのだと。自分達の勝ち目はゼロに等しいということを。
気づいて、しまったのだ。
『俺の巣へようこそ、憐れな餌ども。とりあえず、仕事時間ぐらい稼がせてくれよ』
***
黒一色の装備に身を包んだ機甲兵団──叛乱軍第三部隊『黒兜』。スカイフロント第一区中央官制塔においても実力を遺憾無く発揮していた叛乱軍最強の部隊が、その歩みを止める。
『止まれ』
現場に出られない第三部隊分隊長蕪木典嗣に代わり、第三部隊の指揮している分隊長格の男が、手で後方に伝えた。
それが意味するところは、敵の出現。警戒を強めながらも、結局はワンサイドゲームだ。一方的に傭兵団を蹂躙して終わるのが、最早パターン化してきていた。
しかし、隊員達はすぐに異常に気づく。
肌を直接焼くような緊張感。張り詰めた空気が、歴戦の猛者達に対面した敵の強さを教えている。
間違いない。
歩み出た一人の男を見て、全員が確信した。
「おーおー。派手にやってんなぁ、叛乱軍の秘蔵っ子さんよ」
『……』
「はぁ? ダンマリ? そりゃあねぇぜ、カーナビですらもっと喋るってのに」
禿頭に三本線の傷を刻んだ男。彼が誰であるかを、そこにいる全員が知っていた。
『バナード・イーデン・ボイデル……!』
先頭に立つ『黒兜』の隊員がそう呟くと、男は呼応するように不気味な笑みを浮かべる。
「おーし、虐殺だ。多少は愉しませろよなぁ?」
戦場が――――悪辣が動く。
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