第四十四揺 不徳漢のお気の成すまま

 

「……どういうつもりぃ?」


 敵であるはずのシュティーネ達に対し、「通っていい」と、そうのたまってみせた傭兵団幹部――ルスタン・ピヴォヴァロフに、不信感を滲ませながら問い返すシュティーネ。

 敵からそんなことを言われて「あざっす! じゃあ通らせていただきますね!」と素直に受け取る人間はおそらく地球上にいまい。ルスタンが通行許可を出す理由も見当たらなければ、そんな裏切りをして得られるメリットも思いつかない。警戒をするのは当然の思考回路であって、シュティーネの疑念ももっともだ。


「……察しやがれ」


 本意を話すのすら億劫だと言わんばかりに鼻を鳴らしたルスタンに、シュティーネは青筋をピキらせながら淡々と返答する。


「無理だねぇ。金に目がない傭兵団の人間が私たちを殺さない理由なんてものは、ちっちゃな私の脳では思いつかないしぃ? ご教授いただきたいなぁって、そう思うのは道理だと思うけどぉ?」

「……脳が小せぇ自覚はあんのか。殊勝な心掛けだな」


 あ、コイツ嫌いだわ。

 と、普段は温厚なシュティーネが表出ろやと怒鳴る直前、ルスタンは観念したといった風に大仰に肩をすくめた。気は乗らなそうだが、どうやら理由を話すつもりらしい。


「……俺は労働が嫌いだ。働かないに越したことはねぇと思ってる。今回だって敵がここまで来ないってクソ上司バナードに聞いてたから、こんな馬鹿デカくて落ちつかねぇ所を一人で守る任務を引き受けた。まぁ寝てたが」

「寝るなよ」


 彼がバナードから任されたのは、この重要地点の警備だ。高確率の戦闘が見込まれる以上、間違っても居眠りをしていい場所ではない。


(……まさか、さっきまで電気が点いてなかったのは……)


 アンドレがルスタンのマイペースさに突っ込むと同時、その可能性に気づいてしまったことを少し後悔する。

 アンドレ達がこの吹き抜けフロアに侵入した際、フロアの電気は点いていなかった。アンドレはてっきり傭兵団が奇襲するためかと思っていたのだが、結果として奇襲はなかった。

 つまり、電気が点けられていなかったのは奇襲をするためではなく、

 ……残念なことに、辻褄が合ってしまう。


「まさか、傭兵団にこんなふざけた奴がいるとはな……」


 ルスタンの緊張感の無さに拍子抜けしてしまうアンドレだが、だからといって警戒を緩めるわけではない。ルスタンは依然として最大限の注意を払うべき強敵だと脳が認識している。

 汗玉が額に馴染むのを肌で感じているアンドレだったが、彼らの心境にお構いなく、ルスタンはつらつらと怠惰な言い訳を繰り返していた。


「敵が来るとは思ってなかった上に、戦闘するモチベーションも無いとくれば、俺としては白旗を上げる一択だ。普通に戦うのは面倒過ぎる」


 そもそも、とルスタンは漫然と抑揚のない声を連ね続ける。


。荒事は好きじゃねぇ。初手で奇襲出来なかった分、普通に戦うしかねぇが……それは面倒だ。ここまで言えば満足か? そこのアマ」

「納得はできないけどねぇ……」


 ルスタンの言い分を聞いてもなお釈然としないシュティーネ。見てわかるほどの強者でありながら、たった一度、奇襲が上手くいかなったというだけで白旗を上げる根性の持ち主だというのは、いまいちピンと来ない。普通に戦えばシャティーネ達を殺して任務を完遂するだけの力はありそうなのに。


(ただ……荒事が好きじゃない、っていうのは本気な気がするんだよねぇ……)


 何もかもが面倒だ、といった表情をしているルスタンに対し、シュティーネは目をすがめる。彼の怠惰癖は見て取れるし、戦いに対して積極的じゃないのも雰囲気で分かっていた。

 で、あれば。


「……乗るのも一手、か」


 小さく呟くアンドレに視線をやり、シュティーネは言外にその意見に賛同した。

 今更撤退して別ルートを進むというのは時間を浪費しすぎてしまう。このフロアを通れるのはシュティーネ達にとって願ってもないことだ。


「警戒は最大限に。お嬢もだ」

「分かってるよぉ」


 アンドレはルスタンへ向き直り、銃を向けたままで言い放つ。


「提案には乗る。けどな、少しでも動いたら撃つぜ」

「好きにしろ。チキンなお前らのために両手は上げたままにしといてやる」


 お勤めご苦労様さまでーす、とでも言いたいのだろうか、手をヒラヒラさせながら煽ってくるルスタン。相も変わらずシュティーネを無言で嘲弄してくるが、ここで激昂しては彼の思う壺だ。そう気づいたシュティーネは深呼吸で心を落ち着けると、ルスタンから目を離さないようにしながら再び歩き始める。


 ルスタンがいきなり攻撃態勢に入っても対応できるようにするには、シュティーネ達もルスタンに対して常に気を配りながら動く必要がある。彼から視線を逸らせば何をされるか分からない以上、目を離すわけにはいかない。

 だが、それ故にシュティーネ達は普通に動けない。本当ならこのフロアを走り抜けたいところだが、走りながらではルスタンへの警戒が不十分になってしまう。彼に注目しながら動くとなると、どうしても動きが制限されてしまうのだ。


(クソ……じれったい……!)


 大きくあくびをしているルスタンに苛つきながら、アンドレは足場板の上をジリジリと進む。気兼ねなく走れないのが実にもどかしい。それは他の2人に関しても同じだろう。

 そういったシュティーネ達の心境を小馬鹿にするように至って平然とした態度をとるルスタンへ、レイモンドが痺れを切らして尋ねる。


「随分と緊張感がねぇな。次の瞬間にコイツがお前のドタマをぶっ飛ばすかもしれねぇってのによ」


 レイモンドが銃を軽くノックしながら投げかけた問いに対し、ルスタンは抑揚のない声で力無く返答する。


「やめとけ三流。テメェら如きじゃ俺には勝てねぇ」

「……な」

「所詮、叛乱軍なんざ木っ端者の集まりだ。それともなんだ、テメェらは枯草相手に緊張すんのか」

「―――」


 ルスタンの回答は、まぁ予想できるものだった。ただ、その言葉を以て疑念は確信に変わる。


 ルスタン・ピヴォヴァロフは、シュティーネ達を舐め腐っていた。

 現に、細められた双眸から覗く冷え切った青の瞳がシュティーネへの興味を完全に失っていることをありありと示している。彼女らの実力を見定めた上で、取るに足らない相手であると断定したのだ。自分が手を下すまでもないド三流、放っておけばどこかで野垂れ死ぬであろう只の雑魚だと。


「っ、この……!」


 そうも馬鹿にされてはシュティーネ達だって黙ってはいられない。彼女らも他の叛乱軍と同じく、その命を懸けて戦場に赴いてきている。不利な戦いになるのが分かっていながら、それでも本懐を遂げる為に心身を賭してきているのに。

 その覚悟を鼻で笑うようなルスタンに対し、憤るなという方が無理な話だろう。


「落ち着け。お嬢」

「アンドレ……」

「言いたいことは分かる。だが、舐められてるんなら好都合だ。あんな奴は放っておいて、俺らは先に進むべきなんだよ」

「で、でもぉ……!」


 肩に手を置いて宥めてくるアンドレに、反論の言葉をぶつけようとしたシュティーネ。だが、肩を掴む彼の手が異常なまでに力んでいるのを感じた瞬間、シュティーネは開きかけた口を閉じる。

 彼とて悔しいに決まっている。だが、ここでルスタンと怒りのままに交戦してしまえば、大幅な時間のロスになることは絶対だ。それだけは避けねばならない。だからこそアンドレは、ルスタンへの殺意を理性で必死に制しながらシュティーネを諭そうとしているのだ。

 怒りで細かく震えるアンドレの手に免じ、シュティーネもまた沸々と煮える憤怒の感情を抑える。


「……分かった。行こ―――」

「―――まぁ、強いて言うなら。テメェには少し興味がある」


 シュティーネの発言と殆ど同時、結果的に食い気味になってしまったが、ルスタンはそう言って人差し指を動かした。

 その指し示す先は、刀に手を乗せたままの女性――第二部隊分隊長、シュティーネ・ガイストである。


「私ぃ……?」


 やや意外なことを言い出したルスタンに眉を顰め、その真意を推し量りかねるシュティーネ。怪訝そうな顔をする彼女に、ルスタンは無表情のまま舌打ちをした。


「アホ面晒すんじゃねぇよ、理由ぐらいわかんだろうが」


「それだそれ」と指を何度も突き出すルスタンを見て、シュティーネもようやく合点がいく。


これのことぉ?」

「……中世ならいざ知らず、銃器が発達した現代で刀なんざ使う人間はそういねぇ。遊び感覚ってなら分かるが、信じ難いことに本気らしいからな。多少は興味が湧く。……あと、そのクソみてぇな喋り方やめろ。腹が立って仕方ねぇ」


 確かにルスタンの言うことも一理あった。シュティーネは銃を使わない、というより使えない。絶望的な射撃センスをしているので下手すれば味方へ誤射しかねないからだ。彼女が自身を役立たずと称するのも、ひとえに彼女のその厄介な特質のせいであった。

 そのため、近距離最強の彼女に何とかして実力を発揮させようとして作られたのが、彼女専用の強化外骨格と二振りの刀だった。強化外骨格と言ってもシュティーネのは第三部隊の<TALOS>とは異なり、全身タイツのような見た目をしているのだが。「機能性重視じゃからな! 趣味じゃないぞい!」とは、制作者である憲嗣スケベ反論いいわけである。


「生憎、銃を全然使えない私じゃこれぐらいしか扱えなくてねぇ」

「……骨董品じゃねぇか」


(※骨董品……時代遅れの役立たずを意味した皮肉。)


「あ゛?」


 一度は収めた怒りが再燃するのを感じるシュティーネ。刀の柄に手をかけたシュティーネが前傾姿勢になると、ルスタンは顎に手を当てて一考した。


「……いや、それは失礼だな」

「え? あ、そ、そうだよぉ。失礼でしょぉ? うん、分かれば別に」


 柄から手を離し。


「骨董品に」


 ―――刀を引き抜いてシュティーネが駆け出したのと、アンドレがシュティーネの体にしがみついたのは殆ど同時だった。


「あああああああああああああああああああああああああああ!!」

「おっ、お嬢!? ステイ! ステイッ……あっダメだ全然止まらんレイモンド助けてぇ!!」

「二人して何やってんだ馬鹿野郎ッ!?」


 普段の温厚さは脳から家出したらしい。ルスタンの挑発にガチギレして絶叫するシュティーネを、アンドレは必死に抑えつける。が、シュティーネの並外れた膂力のせいで、アンドレがシュティーネに引き摺られるという絵面になっていた。

 アンドレと一緒になってシュティーネの体にしがみつきながら、レイモンドはルスタンをキッと睨みつける。


(あいつ……お嬢の経験が浅いのに気づいて……!)


 シュティーネは強いが、実戦経験が薄い。そのため、敵方から向けられる悪意というものに慣れていない節があり、煽り耐性が無かったシュティーネはこうしてルスタンの発言に翻弄されてしまっている。彼が意図してシュティーネをおちょくっているであろうことは、本人が薄ら笑いを浮かべているので何となく察しが付いた。


「お嬢っ! こんなことやってる暇じゃないんだって!」

「……はっ! 私は何を……」


 怒りで白目を剝いていたシュティーネが正気と黒目を取り戻し、引き摺られていたアンドレ達の体も同時に止まる。そして二人が安堵の息をついていると、ルスタンがシュティーネに声をかけた。


「そうキレるな。骨董品ってのは悪いモンじゃない」

「おいコラ骨董品言うなぁ!」

「それが実用性の欠片もねぇような古い時代のものであっても、それに特別な意味を見出す人間ってのはいるからな。……人間だって同じだ。時代に合わねぇ才能を持った人間であろうが、そこにこそ意味を見出す奴もいる」

「……?」


 先ほどのシュティーネを馬鹿にするような発言からは一転して、彼女をかばうような言葉を連ね始めるルスタン。シュティーネを銃が使えない時代遅れの役立たず――骨董品と称しておきながら、今はシュティーネの能力を認めるようなことを言っている。あるいは、シュティーネに意味を見出した人間、つまり叛乱軍のことを誉めているのだろうか。ルスタンのシュティーネに対する急激な温度差に、シュティーネは動揺を隠し切れない。


「それは―――」


 シュティーネがルスタンにその本意を問い詰めようとした瞬間。


 ルスタンの双眸の裏に潜む冷たい悪意が、彼女に牙を剝く。




「なぁ、そうだろ―――《架橋の使徒アトラク=ナクア》の被験体モルモット


「―――――…………ぇ」




 世界が止まったかのような衝撃を受けた。

 視界が揺らぐ。息が出来なくなる。焦点が定まらない。


 完全に表面化した動揺。

 その原因は、モルモットと称されたことではない。その前だ。その、男が口にした名前。


「なん、で」


 その名前を知っている。

 いや、そうじゃない。裏世界の人間なら、その組織の名前ぐらい知っていても不思議ではない。問題はそこでは無いのだ。


「なんで、私が……被験体モルモットにされてたって……」


 あてずっぽうではない。組織の名前まで完全に当てられているのであれば、それは確かな根拠に基づいた情報なのだろう。


「なんで、私が《架橋の使徒アトラク=ナクア》から逃げてきたって知ってるの……ッ!」


 部外者では知り得ない情報を口にしたルスタンは、ただ冷淡に薄ら笑いを浮かべていた。






 かつて。

 シュティーネは、忌み児としてガイスト家で秘されてきた。

 妾の子であったこと、母が正妻の嫌がらせで死亡したこと。本人の与り知らぬところで勝手に因果が絡み合い、彼女は疎まれながら生を送っていた。

 闘牛を絞め殺すという離れ業をしてしまったが故に、彼女の不遇さは極まってしまう。彼女の並外れた身体能力を見初めた『ある研究組織』によって、彼女の身柄は簡単に買い取られ、彼女の意志をないがしろにしたまま、生き地獄とも言える場所に輸送された。


 ―――――《架橋の使徒アトラク=ナクア》。


 それは、裏世界で名の知れたである。

 その組織は常人の知能を遥かに凌ぐ頭脳を持ち合わせながら、倫理観と罪悪感をドブに捨ててきたような異常者ばかりで構成されている。生命の営みを冒涜し、尊厳に唾を吐き、仏の顔に泥を塗るような連中だ。

 憐れな実験体は、そこに運ばれたが最期。研究所から出る時には、ただの廃棄物になっているか、ヒトではないナニカになっているかの二択。まず五体満足では生きて帰れない。ヒトの形のまま足一本残っているのすら幸運だとも言えるだろう。


 そんな場所に売り払われたシュティーネは貴重な実験体として、それはもう丁寧に丁寧に

 死が救済に思える地獄の日々を過ごしたシュティーネだが、本格的な実験に入るために本部に移動されるタイミングで叛乱軍に助けられたおかげで、今もこうして生きていられる。


 彼が先の会話で述べた『骨董品に意味を見出す人間』。

 ルスタンの性格の悪さだ。それが含意したのは、おそらく叛乱軍ではない。シュティーネという特異体質の人間が《架橋の使徒アトラク=ナクア》というサイコパス連中に目をつけられたことを言っていたのだ。


 その彼女自身の異常体質―――並外れた単位面積当たりの筋繊維量に注目したという点では、叛乱軍も《架橋の使徒アトラク=ナクア》も変わらないのだから。






 そういった経緯で、シュティーネと《架橋の使徒アトラク=ナクア》では、切っても切れない因縁が存在していた。だが、シュティーネがかの研究機関で実験体にされていたことを知る人間はそう多くない。その事実を知っているとなれば、ルスタンはとんでもなく広い情報網を持ってるか、もしくは―――


「そんなもん、決まってんだろ。


 ―――その組織に属していたか、のどちらかだろう。


「ッッッ!! やっぱり……!」

「お前の特異体質に研究所の奴らは珍しく盛り上がってたからな。専門こそ違ったが、お前の話はよく耳に入ってきた」

「……その、頭にある蜘蛛の刺青は」

「組織にいた頃の名残りだ」


 ルスタンが依然として淡々とした態度を続けるのに対し、シュティーネの反応は感情的なものだった。

 握りすぎて出血している拳、小刻みに震える体躯、限界まで見開かれた瞳。誰が見ても、シュティーネがいま何を考えているかは察しが付くであろう。

 近くにいるアンドレとレイモンドは、シュティーネの発するを間近で感じ、体中から冷や汗が止まらなくなっている。これは、怒りとか憎しみとか、そういったありきたりな言葉では役足らずだ。


「お嬢、ダメだ」


「アンドレ」


「だめだ。戦うな」


「離して」


「おじょ――」


「離してッッッ!!」


 シュティーネを傍で見てきたアンドレですら、シュティーネのそんな顔は見たことが無かった。

 穏やかで、刀が大好きで、よく笑う。そんな女性だったはずのシュティーネ。


 その顔は今や、殺意一色に染まっていた。


「ごめんアンドレ。でも、アイツだけは赦せない」

「お嬢……」

「あの組織の人間は鏖殺おうさつするって決めてるの」


 瞋恚に燃える声が、聴けば震え上がるような響きを以て耳朶を打つ。その声で、アンドレは悟ってしまった。

 彼女はもう、止められないと。


 シュティーネが叛乱軍に属する理由は、彼らに助けられたことだけではない。

 彼女が掲げるのは、《架橋の使徒アトラク=ナクア》の根絶。機関の構成員を鏖殺すること。それこそが、彼女の抱く正義だ。

 だからこそ、シュティーネはもう止まらなかった。

 目の前に宿敵が現れれば、誰だって冷静ではいられまい。《架橋の使徒アトラク=ナクア》という邪虫を駆除せずにはいられないのだ。


(クソ、どうする……! 折角スルーできるかもしれないんだ、その機を逃したくはないってのに……!)


 再び動きつつあるシュティーネを抑えながら、アンドレは内心を焦らせる。

 ルスタンとは戦いたくない。勿論シュティーネを悪く言う人間はぶっ殺してやりたくなるが、それとこれとは話が別だ。任務に私情を挟むことはプロとして絶対にしない。だが、まだ若いシュティーネにとってルスタンを見逃せと言っても従わないだろう。任務経験の浅さが裏目に出てしまっている。


「お前だけは、絶対に……!」

「はぁ? 荒事は好きじゃねぇって言ってんだろ。レオノールみてぇな戦闘狂とは違って、俺は無抵抗の相手を好き勝手に弄り倒す方が性に合ってんだ」

「……ッ、この……!」

「はぁ……だりぃな。ほら、何やってんだ、そこの保護者二人。さっさとその猛犬を連れてけよ」

「……」


 アンドレとしても看過できないほどにルスタンは人間性が歪み切っているが、立ち振る舞いから見ても猛者であることは間違いない。戦うことでの被害を考えれば、ここはやはりルスタンの提案に乗るのが正解だろう。


「お嬢、頼む。抑えてくれ」

「アンドレ……でも、あんな奴らは絶対に生かしておけない。いまここで逃がせば、あの虫どもは必ず新たな犠牲者を生む。駆除しないと」

「……お嬢が怒るのは分かる。でも、こっちの事情も分かってくれ」

「……」


 アンドレとレイモンドに説得されてもなお、濃密な殺気を放ち続けるシュティーネ。それを見かねたのか、ルスタンが再び口を開いた。


「俺はもう組織から抜けた身だ。今は傭兵団で稼いでるが……この戦いが終われば傭兵団も抜ける。非人道的な研究なんざしねぇよ」

「信じられる訳がない」

「……ッチ。うるせぇアマだな。なら、これでどうだ」


 ルスタンが挙げていた両手の内の片方をローブの中に突っ込み、拳大の物体を取り出した。

 それは、銀色の光沢を煌かせる十字架型のモチーフ。その中心にはとある人物が磔にされている様子が凹凸で描かれており、本来ならば悲惨な状況なのであろうが、その周囲に散りばめられた薔薇と蔓の細かな装飾のお陰か、どうにも神秘的で美しいものに見えてしまう。豪奢というほど主張は激しくないが、それなりの手がかけられて出来たのだと一目で分からせてしまう程の意匠の緻密さ。シュティーネ達にはあまり縁のないものだが、それが何であるかは流石に知っている。


「ロザリオ……」


 ロザリオ。それは、カトリック教徒が聖母マリアに祈りを捧げる際に用いる数珠状の祈祷具である。十字架のシンボルを数珠玉を通した紐でくくるのが一般的な形であり、ルスタンが持っていたそれも形状からしてロザリオと見て間違いなさそうだった。


「お前、神を信じてんのか? 聞く限りだと、《架橋の使徒アトラク=ナクア》ってのは背信者ばっかのクズ野郎しかいないはずだろ」

「……テメェがどこでそんなクソ未満の情報を得てんのかは知らねぇが、俺に言わせれば全くの真逆だ。研究者の方が常人よりよっぽど神を信じてる」

「はぁ?」


 ルスタンの思いがけぬ発言に眉を顰めるレイモンド。

 研究者とは自然の摂理を追求し、暴く者の名だ。彼らは歴史を見れば分かる通り、神を信奉する人間からの迫害を受けている。神の威厳で象られた世界を人間の勝手な探究心で詳らかにすることは、ある意味で神への冒涜と捉えられたのだ。

 天動説然り、進化論然り。長年「神がそうした」で世界の原理を信じてきた信奉者にとって、彼らによる神秘の崩壊は何としても防ぎたいものだったのである。


 その対立を知るが故に、シュティーネ達は困惑していた。研究者、中でもルスタンのような狂人に、神を信じる心などあるはずが無いと考えたからだ。


 だが、ルスタンはその論を真っ向から否定する。


「研究を進めるほど―――世界の原理を明らかにしていくほど、研究者ってのは神を信じるようになる。自然の緻密すぎる機序にどこか作為的なものを感じざるを得ないからだ」


 それは、向日葵の種の配列がフィボナッチ数列に準じているように。

 または、30兆にものぼる細胞が人間の中で上手く噛み合っているように。

 あるいは、この世全ての物理運動がたった一つの公式で証明できるように。


 偶然できたものだと思い込むには、この世はあまりに複雑すぎる。


「だから、神を信じていると?」

「あぁ」


 そう短く返答すると、ルスタンはロザリオを眼前に掲げて瞑目した。


「神に誓う。俺はこの先、非人道的な行いをするつもりはない。これからは静かな場所で余生を過ごすつもりだ」

「……そんなの」

「信じられないだろうな。だから態度で示してる。最初に奇襲しなかったのだって、もう戦うつもりが無かったからだ」

「……!」


 そうだ。彼自身が言っていたではないか。

 ルスタンは奇襲専門。であれば、一番最初の段階で奇襲を仕掛けなかった理由が分からない。光で目が眩んだシュティーネ達であれば、葬ることは叶わずとも、痛手を負わせるぐらいのことは出来たはずだ。

 そうしなかったのは、彼なりの誠実さだったということだろう。


「過去に逃げ出した貴重な実験体を捕まえて組織に差し出せば、俺もまたあの研究所に戻れるだろうが……もう、俺にはそんな気は湧かねぇ」

「お前……」

「テメェを見逃すことで罪が精算できるとも思わねぇが……俺なりの誠意だ。受け取ってくれ」


 片膝を立て、粗野な言葉しか吐いていなかった彼の口から、細々と祈りの言葉が述べられる。


「天におられる私達の父よ、御名が聖とされますように―――」


 早口ではあるが、それが祈りの言葉であるのは間違いない。神を信仰する者が神に誓うというのであれば、その内容は以降決して破られることのない信条となるはずだ。

 ルスタンは酷く挑発的で、残虐で、人間性を疑うようなだ。それは間違いない。しかし、神を信じ、それに誓うという真人間な部分も持っていたということなのだろう。

 外道が極まったような人間が敬虔に祈りをささげているというのも新鮮で、シュティーネ達は不覚にも見入ってしまった。


(性格も口も悪い奴であるが……案外、まともな人間……なのか?)


 《架橋の使徒アトラク=ナクア》に所属していたというのは聞き捨てならない情報であるが、彼のように過去に悪行を働いていても今は改心しているという者は一定数いる。叛乱軍にだって、その手の輩は少なくなかった。

 任務中に寝ていたりと、ルスタンの振る舞いと言うのはどこか気が抜けるものでもあった。所々でジョーク地味た発言を繰り返していたのも要因だったのだろうか、アンドレも最初ほど彼を警戒していない。敵意を四方八方から向けられながら中央管制塔でずっと戦っていたが故に、彼のような非戦闘派の人間はある意味でありがたい存在だったのかもしれなかった。


(入れ込みすぎかもな……でも、この声を聴いていると自然と―――)


 ルスタンの声は冷ややかだが、こうして話してみると意外と心地の良い声だったりする。耳当たりが良く、激昂していたシュティーネも先程よりは落ち着いているように見えた。彼が祈る姿が堂に入りすぎていて圧倒されているという側面もあるだろう。

 とにかく、彼が誓った後はこのフロアを早く抜けるに限る。こうも真摯にされてはシュティーネも戦おうとはしないはずだし、この場はスムーズに収まるだろう。


(思ったよりも時間を使っちまったけど、これで結果オーライだ。弾薬と消耗ナシで乗り切れたんなら、戦うよりよっぽどマシだしな)


「私達の罪をお赦しください。私達を誘惑に陥らせ、悪をお救いください」


 そう言うと、一拍置いてから、ルスタンは締めくくる。


「以下略」

「いや略すな―――――……え?」


 やや苦笑いでアンドレが突っ込むのと、ルスタンの手が動いたのは同時。





 ルスタンが手に持っていた物体が放り投げられ、宙を舞う。


 彼が何をしたのか分からずに呆けていた三人。

 最も早く気付いたのは、警戒を解ききっていなかったシュティーネだ。


「!! まさか――――!」


 しかし、それも遅すぎた。対応するには至らない。


 放物線の頂点に達して動きを止めたロザリオが、



 次の瞬間。

 ロザリオ―――否、ロザリオの形をした閃光弾スタングレネードは凄まじい音と光を伴って、シュティーネ達の網膜と鼓膜を襲ったのだった。




 ***




 ルスタン・ピヴォヴァロフ。

 彼は研究者でありながら、戦闘面にも長けていた。体躯にも恵まれ、才能もあった。まさに文武両道、才能の塊のような人間である。

 しかし、彼自身は戦いを好まない。自身が危険を冒して戦うよりも、更に安全で、より手軽で、もっと暴力的な展開を好んだのだ。


 結果、彼が最も好む武器として行きついたのは

 最初から力比べをするよりも、言葉で相手を油断させてから翻弄する手を彼は選ぶ。


 彼の持つ声帯から発せられる特殊な周波数の肉声―――1/f揺らぎ。生来から持っていた彼の最初の武器は、この手段に打ってつけだった。


 1/f揺らぎは、心拍数・ろうそくの火の揺れ・木漏れ日などに代表される、ヒトが五感を通じて感知すると精神の安定化を齎すとされる周波数だ。有名な歌手や著名な役者にもこの声の持ち主は存在しているが、一方でアドルフ・ヒトラーといった悪名高い人間なども有していたとも言われる。良い意味でも悪い意味でも人を惑わす、悪魔の美声。よりにもよって彼がそれを持って生まれたのは、神の采配とも言えるだろう。


 こうして弁舌を武器にすることを覚えた彼は、傭兵団に入団後も、入念な事前準備と持ち前の弁舌を生かして傭兵団を発展させ、そして任務をスムーズにこなすようになった。バナードに妙に気に入られて実働部隊の隊長にされたのは不本意だったが。


 ともあれ、そうして傭兵団で幹部に上り詰めたルスタンは、今回の任務にも参加することになる。

 バナードの作戦で叛乱軍は一網打尽にされるかと思いきや、流石と言うべきか、大した被害も出さずに突破してきた彼らの相手をルスタンは任された。

 ルスタンからしたら、叛乱軍など厄ネタも厄ネタだ。レオノールのように、いかにも手強そうな相手に戦いを申し込むほど狂ってもない。彼としては叛乱軍を素通りさせる気満々だった。


 その気が変わったのは、シュティーネに会ってからだ。

 フロアの電気を点け、物陰に隠れたまま相手の様子を伺っていたルスタンの気配を察知し、いち早く見抜いた彼女。ルスタンの経験上、こういった輩は舐めていると痛い目に合う。とんでもない常識外の行動をして、策の裏を全速力でかいてくるからだ。

 刀を装備している上に、その顔は研究機関に属していた頃に見覚えがあった。彼女の特性を知っているルスタンからすれば、どう見てもシュティーネは不安要素。これからの傭兵団の思わぬ障害となりかねない。自分の安全を完璧に確保するためにも殺す必要があると感じたのだ。

 よって、ここで彼らを殺すことを決意する。


 とくれば、お得意の口先八丁の時間だ。

 まずは1/f揺らぎの肉声を彼らに少しでも長く聞かせるために、あえて喋る時間を作り出した。この声は無意識のうちに相手に安心感を与えていく。最初は警戒していたアンドレ達が、徐々に警戒を解いていくよう仕向けていたのだ。


 一番最後でロザリオ型の閃光弾を使うのは決めていたので、それに向けた意識誘導を行う。粗野な口調はそのまま。これは最後の祈りの誠実さとのギャップを際立たせるためでもあるが、キャラを変えるのが面倒だったというのもある。

 やる気のない姿勢を見せ続けた上で一番単純そうなシュティーネをからかい、アンドレとレイモンドの思考を非戦闘に偏らせた。


 極め付けはシュティーネの過去を暴き、自分に殺意を持たせること。ここでアンドレとレイモンドの二人がシュティーネを止めれば、彼らの思考が非戦闘に染まっていることの証左だ。逆にシュティーネに賛同して戦闘態勢に入れば、潔くルスタンも戦うつもりだった。

 結果からみれば、ルスタンの思い通りに行った。二人がシュティーネを止めたので、ルスタンはここが勝負時だと確信する。ルスタンから提案された「無血開城」という釣り餌に見事に魅入ってしまった彼らは、ここからルスタンが殺しに来ると予測できない。

 後は簡単だ。ロザリオを自然な流れで取り出し、それっぽいことを言いながら、戦闘体制に移行する。祈りのポーズは自然に目が瞑れるので、閃光弾を使うにはもってこいだった。形から入るのが一番、というのもあながち間違いではないかもしれない。


 そして、ルスタンは敵を騙し通した。

 ちなみに、ルスタンが神を信じているのも嘘。祈りの言葉など覚えてすらおらず、これからの余生を静かに暮らすつもりは毛頭ない。過去の悪行は反省も後悔もしない。荒事が嫌い、奇襲するつもりはない、と真実も部分的にあったが、基本的に彼の発言は嘘だ。


 しかし人を騙すには、真実と嘘は織り交ぜるに限る。現に、シュティーネ達は見事にルスタンに騙され、ルスタンは彼女らを一掃するための準備が出来た。


 初手で奇襲するより、確実に相手を殺せる奇襲を仕掛けたのである。



 彼を見誤ってはならない。

 ルスタン・ピヴォヴァロフは大嘘吐き。

 彼の本質はあくまで『悪』であり、『善』に転ずることはないのだ。






 斯くして、新たな幹部戦が幕を開ける。

 完全に不意打ちをされ、ただでさえ不利だった状況から更に追い込まれたシュティーネ達と、思惑通りに事を運ばせたルスタンとの戦いが始まったのだ。



 ブラッドハウンド傭兵団『実働部隊隊長』、『贋者トロンプ・ルイユ』―――ルスタン・ピヴォヴァロフ。

 対。

 叛乱軍『第二部隊分隊長』、『武の原石』―――シュティーネ・ガイスト。



 時刻、二〇一〇。

 戦闘開始。



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