ひな祭りは記念写真で

大田康湖

ひな祭りは記念写真で

 昭和58年3月3日、陽光原ようこうばら市。

「ちょっと、お姉ちゃん、まだだめなの?」

「ミーコ、動かないで。ピントがずれちゃうじゃないの」

 村田むらた家の三段飾りのひな人形の前では、二人の女の子がポーズを取って澄ましている。右側のセミロングの女の子が村田家の次女、留実子るみこ。しかし、皆にはミーコと呼ばれている。左側の三つ編みお下げの女の子が西園寺唯子さいおんじゆいこ、あだ名はユッコだ。二人は小学6年生で、2学期に転校してきた唯子が隣の席になったことがきっかけで仲良くなったのだ。

 その二人をカメラに収めようとしているポニーテールの少女が留実子の姉、愛利あいり。中学2年生で写真部に入っている。今日は二人を被写体にスナップ写真を撮ろうというのだ。

「いい、撮るわよ」

 愛利が二人に声をかける。

「オッケー」

 留実子が答えた。

「はい、チーズ」

 パシャッと軽い音が響く。カメラから目を離した愛利はあ然とした。二人がいないのだ。部屋を見回してもどこにも見えない。写真を撮ってカメラから目を離すまで、数秒もかからなかったはずだ。そんなに素早く隠れられるはずもない。

「ミーコ、ユッコちゃん!」

 名前を呼んでも返事はない。普段は怪奇現象など起こるはずがないと決めつけていた愛利だが、何故かその言葉が脳裏に浮かんできた。

「お母さん、ちょっと来て!」

 愛利はふすまを開けると叫んだ。


 一方、留実子と唯子は訳の分からないところにいた。とにかく真っ暗で何も見えない。だが、そばにもう一人いることは闇の中でもはっきり分かった。唯子が尋ねる。

「ミーコ、ここはどこ?」

「私にも分からない」

 二人はどちらともなく手を握り合った。寒さと恐ろしさで互いの手が震えているのが感じられる。

「あたしたち写真撮ってもらっただけなのに、どうしてこんな所に来ちゃったんだろう」

 留実子が不安を紛らすように話しかけるが、唯子は前方を見つめて声を上げた。

「あの光、何かしら」

「どこ?」

「こっちよ」

 唯子は握っている留実子の手を持ち上げると、ある一点で止めた。その手の方へ体を向けた留実子は、ぼんやりとした光を見つけた。

「とにかく、あの光の所まで行ってみない?」

 留実子は唯子に呼びかけた。

「そうね。もうこんな暗いところ嫌だし」

 二人は手を握り合ったまま、光に向かって走り出した。


 どこまでも、その暗いトンネルは続いていた。二人はだんだん明るくなる光に向かって走り続けた。そのまま光に飛び込んだ二人は、眼前の光景に目を見張った。

 そこはなんと、駅のホームだったのだ。駅名標には「ようこうばら」と書かれている。だが、自分たちの知っている駅のホームと雰囲気が違う。ともかく、二人は前に並ぶ人の列に加わった。

 列はぞろぞろと前へ進んでいる。いつの間にか、二人の後ろにも人が並んでいた。前に進むにつれて、改札口が見えてきた。改札ばさみを持った駅員が立つ先には外の風景が広がっている。

 突然駅員が、先頭から10人目くらいのところで、

「そこまでーっ!」

 と叫んだ。突然列がバラバラになり、皆が走り出した。二人も訳も分からず走り出す。


 どこをどう歩いたのか分からないが、次に気づいた時、二人は商店街の中にいた。よく知っているようでもあり、一度も見たことのない風景のようで落ち着かない。

 駅であれほどいた人々が、もう一人もいない。二人が途方に暮れていると、道の向こうから学生服っぽい上着を着た少年が歩いてくる。その顔を見た唯子が声を上げた。

「あれ、浜高はまたか君じゃない?」

 浜高君というのはクラスメイトの浜高夢人はまたかゆめとのことで、家は老舗の和菓子屋だ。

「確かに似てるね。とりあえず、ここがどこだか訊いてみようよ」

 留実子は男の子を呼び止める。

「浜高君、だよね」

 男の子は二人に向き直った。

「そうだけど、何か」

「私たち、道に迷っちゃったみたいなの。ここがどこだか知ってる?」

「わかんねぇ奴だな、ここは陽光原だろ」

「ほらね、やっぱり」

 そう言った留実子に、唯子がささやいた。

「ミーコ、浜高君の鼻の脇にほくろなんてあった?」

 言われてみると気になる。留実子はあわてて歩き出した男の子に呼びかけた。

「浜高夢人君だよね」

「俺は浜高安人はまたかやすと。人違いじゃねえか?」

「あたしたちのこと分からないの?」

 留実子が食い下がっていると、唯子が駆け寄ってきた。

「ちょっと来て」

 そう言うと唯子は留実子の手を引っ張ると、道沿いの「和菓子 流川ながれがわ』という店の飾り棚を指差した。日めくりカレンダーの下に「ひな祭り ひし餅あります」と書かれており、そのカレンダーの日付は「昭和33年3月3日」となっている。

「昭和33年?」

 顔を見合わせた二人の頭上から、突然女性の声が聞こえた。

『これから2時間以内に、陽光原駅前の『桜井さくらい写真館』で写真を撮るのです』

『そうすればお前達は元の世界に帰れるだろう』

 今度は男性の声だ。

「どうやら、私たちに言ったみたいね」

 唯子が空を仰ぐが、もちろん誰もいない。

「でも、『桜井写真館』なんて駅前にあったかな」

 頭を巡らす留実子に声をかけたのは、安人だった。

「お前達、そこに立ってたら入れないだろ」

 唯子がそわそわしながら尋ねる。

「もしかして、ここが浜高君の家?」

「それなら一緒に入っていい? 時間が知りたいの」

 留実子の言葉に安人はうなずくと、引き戸を開けた。


 和菓子屋で今の時間が16時過ぎであることを確認すると、二人は安人の案内で陽光原駅前に向かって歩いていた。安人によれば30分くらいかかるという。

「お前たち、もしかして俺のクラスの落合と桜井の親戚か? 顔が似てる気がするんだが」

「落合さんと桜井さん?」

 留実子が尋ねる。

「ああ、落合おちあいふさがクリーニング屋の子で、桜井準子さくらいじゅんこが写真屋の子さ」

 フルネームを聞いた二人の顔色が変わる。

「あ、ああそう、親戚なの。急ぎましょ」

 唯子が照れ隠しのように手を振ると、安人の背中に手が当たった。慌てて手を引っ込める。言葉にはしないものの、二人はある事実に気づいていた。


 幸い、『桜井写真館』は駅の北口近くにあった。二人は帰る安人を見送ると入り口の前に立った。

「ここ、もしかしたら私のおばあちゃん家かもしれない」

 唯子が口を開く。

「それどういうこと?」

「もう亡くなったけど、おばあちゃんは昔、陽光原に住んでたらしいの」

「私の場合、お母さんの昔の名前は『落合ふさ子』だし、家がクリーニング屋だったことも知ってるけど、もう店をやめて引っ越してるから詳しいことは分からないわ」

「もし写真撮っても帰れなかったら、私たちどうなるの」

 ためらう唯子の背中を留実子が押した。

「でも、ここで迷ってたら2時間の期限に間に合わなくなっちゃうよ。さぁ」

 唯子は意を決してドアのハンドルを回した。


 ドアは開いたが、店先には誰もいない。その時、奥のスタジオらしき部屋で子どもの声がした。

「あら、お客さんかしら」

 その声と共に、奥の部屋からセーラー服姿の二人の少女が顔をだした。一人は短い2本お下げ、もう一人はおかっぱ頭だ。その顔はあまりにも留実子と唯子にそっくりだった。その思いは向こうも同じだったようだ。唯子にそっくりなお下げの少女が呼びかける。

「あなた達、誰?」

「あたしはミーコ、こっちはユッコ」

「ここで写真をすぐ撮らないと未来へ帰れないの」

 向こうの二人は当惑顔だが、留実子にそっくりなおかっぱ頭の少女が口を開いた。

「私はふさ子、こっちは準子じゅんこ。とりあえず中に入って」

 準子を先頭に、四人は奥の部屋へ入った。


 奥のスタジオには三段飾りのひな人形が飾られていた。その脇に椅子が置かれている。

「お父さんが仕事から帰ってきたら、ここでひな祭りの写真を撮るので待ってたの」

 準子が説明する。留実子と唯子はかいつまんでこれまでの事情を話した。

「18時までにここで写真を撮らないといけないのね。じゃ私のカメラ持ってくる」

 準子がカメラを取りに行く間、留実子と唯子はひな人形を眺めていた。

「なんだかうちのひな人形に似てる気がする」

 留実子のつぶやきにふさ子が答える。

「これは準子ちゃんのひな人形よ」

「そうだよね、ここは準子ちゃん家だし」

 唯子が同意する。そこに、小型のトイカメラを持った準子が戻ってきた。

「急ごう、もうすぐ5時45分よ」

 スタジオの時計を見た留実子が急かす。

「二人はその椅子に座って」

 ふさ子に言われるままに、留実子はひな壇の左側、唯子はひな段の右側に腰掛けた。

「いい、撮るわよ。……ハイ、チーズ」

 準子の一声と同時に、カメラのシャッター音が響く。

「……消えちゃった」

 ふさ子がつぶやく。二人は空っぽの椅子を見つめ、呆然と突っ立っていた。


 気がついた時、留実子と唯子は村田家のひな人形の前に座っていた。しかし、カメラを構えていた愛利の姿はない。

「見て!」

 唯子は壁の時計を指差した。17時45分になっている。

「こっちでも向こうと同じ時間が経ってたみたい」

 留実子は立ち上がった。

「お姉ちゃん、私たちを探しまわってたりして」

 その時だ。玄関のドアが開く音がした。

「ミーコ!」

「ユッコ!」

 二人の母親が娘を呼ぶ声がする。玄関に出た二人の前には、愛利と共にふさ子と準子が笑顔で立っていた。

「ほら、大丈夫だって言ったでしょ」

 ひし餅の入った紙袋を持ったふさ子が、愛利に話しかける。それを聞いた留実子は照れ隠しに舌をちょろっと出した。

「ママ、よくここが分かったね」

 唯子の疑問に準子が答える。

「和菓子屋さんにひな祭りのお菓子を買いに行ったら、ふさ子ちゃんが入ってきて。25年ぶりだけど一目で分かったわ。そして、25年前に起きたことも思いだしたの」

「さ、入って入って」

 ふさ子に急かされ、皆はひな人形のある部屋に向かった。


「懐かしいわ」

 準子はひな人形をしげしげと見つめ、男びなと女びなをなでた。

「あの日、父は結局帰ってこなかった。交通事故で亡くなったの。写真館も閉めて、私は母と実家に帰ったわ。引っ越し先にひな人形を持っていくのは大変だからって、ふさ子ちゃんに譲ったのよね」

「じゃ、あの写真館にあったひな人形がこれなのね」

 留実子の言葉にふさ子がうなずく。

「ここに引っ越した後、ふさ子ちゃんの家を探そうとしたんだけど、クリーニング店はなくなってたから、もう会えないと諦めてたの」

 準子の言葉を唯子が継いだ。

「もしかしたら、このおひな様が私たちを見て、お母さんを思いだしたのかも知れないね」

「あたし、今年の3月3日はずっと忘れられないと思う」

 留実子は感慨深くひな壇を見つめた。その時、再び頭の上部から女性と男性の声が響いた。

『そうか、わらわも嬉しく思うぞ』

『これからも麻呂まろたちとお方様を大切にするのだぞ』

 同じく声が聞こえたのか、唯子も留実子の肩を叩く。無言でうなずく留実子。

「これから写真の撮り直しをするよ。カメラ持ってくるから、今度はママ達も入って」

 愛利が呼びかける。

「じゃひし餅を置いてこないと。準子ちゃんもコート脱いで」

 ふさ子と準子が部屋を出て行ったのを見て、唯子と留実子はひな壇に呼びかけた。

「ありがとう、おひな様」

                                  (完)


 あとがき


 本作は、私が昭和60年に作成した小説を手直ししたものである。

 私が小学6年生の時、友人のSさんから面白い夢を見た話を聞かされた。それがあまりに面白く、私はその夢を話にするとSさんに口約束した。Sさんにノートを渡し、夢の内容を書き留めてくれるよう頼んだが、ノートはなかなか帰ってこなかった。そしてそのまま私たちは中学生になった。

 中学1年生の途中で私が急遽転校することが決まり、Sさんは夢の内容にお別れのメッセージを添えて、ノートを返してくれたのだった。その後小説は完成したが、Sさんに見せる機会は結局なかった。

 小説では駅のシーン、写真を撮る時間制限等、一部に夢の内容が使われている。また、オリジナルでは実在の地名が使われていた部分は私が他作品で使った「陽光原」に直している。

 ここで改めて、Sさんに感謝の辞を捧げたい。

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