エピローグ

私の宝『者』

 思っていたより、簡単だった。


 今まで、流れ込んでくる一方だった思いを、送り込んでみた。

 どうして、本当の気持ちをぶつけてくれなかったの?

 たった二人きりの、姉妹なのだから。

 憎いわ。


 でもそれ以上に、愛しくてたまらない。


 ……返ってきたのは、記憶の塊。






 身を固くする、少女。


「やめて、おとうさん」

 震える、か細い声で、やっと抗う。

「大好きだよ。愛しているよ」


 母の目を盗むように、過剰なスキンシップを求める男。何気なく肩に手を置く時。背中をさする時。腰に手を回す時。

 母が抱き締めてくれるのとは違う、肌を這うような手つきが、嫌だった。


 自分の部屋で過ごしている時に、理由をつけて入ってきては、肩を揉む振りをして、首筋に息を吹き掛けていく。

 ゾッとしたけど、友達も「パパがしつこくてウザい!」とグチっていたし、父親はそういうものなんだって、無理やり自分を納得させようとしていた、けど。


 自分が実子でないと知った時、妙にホッとした。

 そうか、私は、実の娘じゃないから、こうなんだ。

 実の父親だったら、きっと、こんな風にゾッとするほど嫌だなんて思わないかもしれない、私がひどい娘な訳じゃない、と。


 そうは言っても。

 優しい母には知られたくなくて、誰にも言えなくて。

 双子の姉がいるかもしれない、その人も、同じ苦しみを感じているかもしれない。私の悩みを受け止めてくれるかもしれない。

 その事が希望となった。


 なのに。

 やっと会えた姉は、幸せな家庭で、養女とは知らずに暮らしていた。

 自分が養女と知っても、動じない、幸せな、女。

 私は絶望した。


 なるべくあの男と二人きりにならないように、細心の注意を払い、びくびくしながら、年月が経ち。

 短大を卒業して、すぐに従兄からプロポーズされた。


 ずっと慕っていた。大好きな従兄。

 幸せだった。

 初めは。


 結婚三年目、喧嘩して、実家に帰ったのが、悪夢の始まり。

 なかなか子供ができないことで、検査を受けたいと言ったら、「今は仕事に穴をあけられない」と即答されて、大喧嘩した。


 今思えば、もっと根気強く待てばよかった。でも。

 泣きながら帰ってきた私を、父は優しく、慰めてくれた。

 私は、夫をなじり、感情のまま、深く考えもせず、言い放った。

 結婚しなければよかった、と。


「ああ、可愛いお前にそんな苦労させるつもりはなかったんだよ。もう、帰ってきなさい。ずっとここで暮らせばいいよ……」

 その時になって、家に母の気配がないことに気が付いた。


「お母様は……?」

「旅行に行ってるんだ。同級会でね」

 目の前にいるのは、父ではない、一人の男。


「愛しているよ。ずっと、お前にそばにいて欲しかった……断腸の思いで結婚させたのに……こんなことになるなら……」


「お、とう、さま……」


 男の目から、労りの光が消え、代わりに、浮かぶのは、熱に浮かされたような……欲望。


「ああ、愛しているよ、可愛い希和子……私の、希和子」



 …………!


 …………………………!



 私は、妊娠した。

 産めないと思った。

 喜ぶ夫の顔を見るのがツラかった。


 夫が、泣き暮らす私にうんざりして、飲みに行ってしまった夜、流産してしまった。

 ほっとしたが、その後妊娠できない体になったことを聞き、お腹の子供の死を喜んだ罰だと思った。


「僕の妻で有る限り、後継者問題は付いて回る。いっそ離婚した方が、気が楽だろう」

 自分の評判が悪くなるのを承知で、気遣ってくれた彼の思いも、私には届かなかった。

 私の心は、ただ、自分の存在が否定された、その哀しみで、痛みで、覆われていた。


 子供を殺した、母親。

 

 だから、夫も、私を捨てた。


 こんな女だから、父も私をもてあそんだんだ、私がどれほど傷つくのかなんて、思いもしないで。


 私が、自分の子供を殺すような、女だから。


 論理性も時系列もグチャグチャだったけど、そう思い込んだら、もう他のことは考えられなくなってしまった。部屋に引きこもり、四六時中独り言を呟いているか、眠っている私を心配して、母がずっと付き添ってくれていた。おかげで、あの男は近づくことが出来ず、私は、少しずつ、心の平穏を取り戻していった。


 けれど。


 あの時。


 臨月の姉を見て。

 私の心は、再び闇に堕ちた。


 私が失くしたもの。

 私が亡くしたもの。


 全て、奪われた。


 私の半身。

 私の片翼。


 ……この人が幸せでいる限り、私は、不幸だ!



   





 つらかった。

 妹の心の崩壊に追い討ちをかけたのが自分の幸せだというのは、あまりにも理不尽な言いがかりではあるけれど。

 でも希和子を襲った、あまりにも悲しい運命が、そうさせてしまった、それがつらかった。

 同じように、養女として引き取られ、養父母に育てられた、そのはずなのに。

 ひとつ間違えば、それは自分の運命だったのかもしれない。

 そして、希和子も、そう思ったのだろう。

 

 目の前にいる、幸せな妊婦は、もしかしたら自分の姿だったのかもしれない、と。


 でも、それでも、たった一つだけ許せないことがある。


 貴弘さんと弘夢を傷つけたこと。


 だから、私は、賭けをした。

 私は、囁いた。


 楽になる方法を教えてあげる。






 飛びなさい……………。








 希和子は眠り続ける。

『貴弘さんと仲睦まじくしてね』

『時折、お父様を見て、無邪気に』

『耐えられなくなってくるはずよ、愛する娘の形代が、他の男を愛する姿は』

『それでも、無下にはできないはずよ。もう失いたくないはず』

『本当に、愛してくれたのよ、お父様なりに』

『愛し方が、間違っていたのよ』


 そうね。

 あなたも愛していたのよね。

 娘として。

 だから、父を厭う自分が許せなかった。

 父に正しく愛されなかった理由を、自分のせいにして、苦しんだ。


 でも、私は、あの男を許してはあげない。

 たとえ血の繋がりがなくとも、きちんと父親としての愛情を注いでくれる存在を知っているから。

 養女だから自分の好きにしていいなんて、そんなことは理由にならない。

 許さない。希和子の身も心も傷つけたこと。


 許さないけど、優しくしてあげる。

 娘の代わりに。

 決して侵すことの許されない存在として、傍にいてあげる。

 愛する娘の代わりに。


 罪の証として。

 希和子、あなたの、代わりに。


 あなたは賭けに勝った。

 たった一度だけ、本気であなたの死を望んだ私は、賭けに負けた。 

 だから、この後の、私の人生の三分の一は、あなたにあげる。

 残りは、夫と息子のモノだから。



『ありがとう、姉さん』

 響いてくる、やさしい呼びかけ。



 希和子。

 もっと早く、分かり会えればよかったね。

 そうしたら、一緒にショッピングしたり、お茶したり、多分たまにしか会えない分、延々とおしゃべりしていたかも。

 それは、もう夢でしかないけれど。

 時々、思うくらい、いいよね。

 そして。



 心の奥の、一番きれいな場所にある、あの人との、思い出。私の心の、奥底に、そっとしまった、宝石のような。

 生涯のうち、たった数時間の、あの人と過ごした、大切な時。


 ハルくん。

 ありがとう。


 ただひたすら、私の話を聞いて、抱き締めてくれた、あなたの優しさが、その思い出が、私を強くしてくれる。

 真心を尽くし、ただただ相手を思いやるだけ、そんな愛が、確かに存在するのだと私に示してくれた、あなたの存在が、私の心の拠り所になる。



 ありがとう。


 そして。



 ――――さようなら。

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