第6話 待ってるだけでは伝わらない
この章は、只々、待ち続けた男『松本健』と振られても振られても諦めず追い続けた『石黒敏夫』、そして、この2人が恋した『平山史織』との愛の行方の物語である。
健と史織は、大学1年生の時に付き合っていた。
どちらも、相思相愛で結ばれたカップルであった。
大学は別々で他県であったので、今はもはや死語となった文通、手紙のやり取りがお互いの愛を確かめ合う手段であった。
しかし、やはり、文通だけの遠距離恋愛は終わりが早かった。
史織が体調を崩しても、結局、健は側に居てあげることができなかった。
どんなに心から愛していても、伝わらない愛はある。
健には固定電話も車もなかった。現代と違い、スマホなどない時代である。
健は史織が遠ざかるにつれ、手紙、そして、小銭を貯めて、公衆電話で何度も何度も連絡を試みたが史織の文、声を、見て、聞くことはできなかった。
情報伝達が現代と雲泥の差のあった昭和後期、別れの理由さえ分からず、健は、来る日も来る日も郵便ポストを確認した。
郵便局の配達がバイクの音だけで分かるようになったが、ただ、それだけであった。
こういう状況、女に別れも告げられず、放置された男の状況としては、得てし、悪い風の便りしか耳に入って来ないものである。
確信も持てない噂、また、それを確証する手立てのない男は、その噂に輪をかけて悪い想像を膨らませるものである。
自分から動こうとせず、どんどん、泥濘みに嵌まり込み、只々、待つだけの身となってしまう。
さらには、こういう待つという手段を選んだ男は未練がましく、なかなか諦めきれなく、最悪の場合を考えつつ、同時に、相手、史織の気持ちを自己都合に解釈し、奇跡という2文字に希望を抱くのであった。
それは、現実が刻々と進んでいる中、過去に取り残された哀れな待ち人であった。
案の定、史織は過去のことは過去のこととして整理していた。
彼女にとっては、過去より未来が必要とされていた。
どんなに健のことを愛していても、それは既に過去の遺物であり、今、その目で見ることはできないものであり、決して戻らないのが過去であった。
史織にとって、辛い現実から明るい未来に伴ってくれる男が必要であった。
過去には戻れないが、未来には嫌でも進まざるを得ない。
その未来へ歩む際の同行者が、史織が求めていた男であった。
敏夫は史織のことが高校時代から好きであった。
クラスも同じで、一時期は史織と付き合っていたこともあった。
だが、史織は中学生の時から好きだった健に憧れており、2人の高校での付き合いは、短い期間で終わってしまった。
敏夫は諦めなかった。
史織が他県の大学に行っても、車で会いに行った。
断られても断られても、会いに行った。
史織の実家までも会いに行った。
史織も次第に自分にはどんな男性が必要か理解してきた。
健には愛こがれるが、今、自分が必要とする男性ではないような気がして来た。
本当に私のこと、好きであれば、会いに来るはずだ、いくら、別れの理由を言わなくても、過去は過去であり、今でも私のこと愛しているのであれば、会いに来るはずだ。
健は来てくれない。私のこと、もう忘れたんだろう。
史織は自身の解釈で、過去の愛をきちんと整理したのだ。
健が今でも一時も史織のことを忘れることがないことを知らずに。
史織は敏夫と結婚した。
やはり、愛すより愛された方が良かったのだ。
高校時代から積極的な敏夫とは冗談も言い合う仲であったし、何よりも何度も何度も交際を断ったのに、プロポーズしてくれた敏夫の目に見える愛を選択した。
健は史織が敏夫と結婚したと、風の便りで聞き及んだ。
健は項垂れた。「サウンドオブサイレンス」の映画みたいにはできない。
彼は動かなかった自分の選択より、心が届かなかった自分の神通力の無さを嘆いた。
信じるものは報われるという神をも憎んだ。
健は二度と女性を愛することを辞めてしまった。
心の声は、決して届かないものだと、ここで初めて認識した。
この先、3人が幸せになったか否かは別問題である。
そして、過去を振り返って心で愛するか、過去を整理し、現実を理解し、未来を見据えるのか、どちらの選択が正しいかは、誰も分からない。
そうなる運命、そのように辿る人生、不幸か幸福か、後悔か希望か、何が良くて、何が悪いのか、誰にも分からないものである。
これも本当に仕方のないことなのである。
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