『僕も私も悪くない、それは仕方がないことなんだ』
ジョン・グレイディー
第1話 まさかのチョコ投げ
今の時代、中学生の恋愛も本当に自由だ。
男子、女子、性別に関係なく、好きな人に好きと言えるチャンス、手段、風潮などなど、古臭い日本文化の縛りなど何もない。
この章の主人公である『吉村香織』が経験した悲劇など、今なら「まさか、そんなことないよぉ~」って盛った話として一蹴されるかもしれないが、香織は事実としてその悲劇を被ったのである。
香織は何も悪くはない、仕方がないことであった。
それは、昭和55年2月14日聖バレンタインデーの日に起こった。
皆さんもご存知かと思ういますが、このバレンタインデーに女子から男子にチョコをあげ、愛の告白をすることは、日本独自の儀式である。
そもそも、聖バレンタインデー・セイントバレンタインデーとは、キリスト教圏の祝いで主に欧米で、毎年2月14日に恋人同士がその愛を祝う日とされ、お互いにプレゼントを渡し合うのが慣わしである。
このバレンタインデー「愛の祝い」の儀式が日本社会に定着したのは、1970年代後半(昭和55年頃)であった。
そして、「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこの頃であった。
きっかけは、毎年2月に売り上げが落ちることに頭をかかえていた菓子店主が企画を発案したと云われている。
文化的に日本の男性は女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため定着しなかったので、女性から男性に贈るというキャッチコピーに変えると徐々に流行りだした。
菓子店の企画と広告、キャッチコピー、宣伝方法、百貨店とのタッグなどによる商戦の成功であったといわれている。
そう、香織の時代は、ちょうど、「日本型バレンタインデー」が定着した時代であり、その激化した極端な宣伝効果から、殆どの女子が半強制的に「愛の告白」を虐げられていた過酷な時代であったのだ。
無論、「義理チョコ」なんて言葉もなかった。
この極端過ぎる真剣勝負の「愛の告白」、誰もが初心者である孤立無援で挑まなくてはならないこの「時代の風潮」が、香織を悲劇に落とし込む一因となる。
バレンタインの愛の告白を敢行した、香織は何も悪くなかったのである。
香織は勉強もでき、顔も可愛く、性格も明るい、クラスの人気者であった。
香織は中1の時、同じクラスで、席が前後であった『吉田涼』のことが好きだった。
中2では、2人は別々のクラスとなったが、香織にとって、中1の時の涼との楽しい思い出は山程あった。
いつも涼は、授業中でも後ろ席の香織にちょっかいを出していた、涼は戯けるのが好きであったのだ。
ワザと鉛筆や消しゴムを落として、香織のスカートを覗こうとしたり、プリントを配る時、変顔したりして香織を笑わせた。
また、掃除時間に昨夜のテレビドラマの真似をし、「吉村、俺と結婚してくれ!」と言い、ロミオのように片膝を付いて、香織に雑巾を渡したりして、香織を笑わせていた。
香織はそんな屈託のない明るく面白い涼が可愛くて、大好きであった。
そう、涼は特に幼かった。まだ、小学生であったのだ。
そんな香織の涼に対する「好き」が「愛」に進化を遂げたのは、中2になって、久しぶりに廊下で涼とすれ違った時であった。
涼の顔が中1の時と違い、大人の顔になっていたのだ。
鼻筋が通り、まつ毛が濃ゆく、目鼻立ちがはっきりとし、白人のような彫りの深い顔立ちなっていた。
そして、背も高くなり、髪の毛もオシャレにウェーブがかかって、とってもカッコよく変身していたのだ。
香織は涼に、「吉田君、久しぶり!」と笑顔で声を掛けたが、涼は何も言わずに通り過ぎて行った。
このぶっきらぼうな涼の態度に香織は「男らしさ」を感じてしまい、益々、惚れてしまったのだ。
香織はどちらかというと早熟な女子でもあった。
男子の思春期とは、男らしさを同性と競う時期でもある。
この時期の男子は、他の同性と「どちらが男らしいか」競争意識で動いている。
つまり女子にモテるより、同性たちから「男として」認められることのほうが重要なのだ。
同性集団に対する承認欲求である。
こんな時期には女子とベタベタする男子は「お子ちゃま」として扱われかねない。
同性集団と競い合うことによって、「男らしくあろう」としている思春期男子が、女性原理を遠ざるのは、当然の心理状態といえる。
なので、決して女子を嫌っているわけではない。
むしろ女子が好きで、愛おしく思っているからこそ、女性の愛に包まれて甘えたい本心を同性に見破られたくないからこそ、その引力から脱したいのだ。
それが「大人の男」になること。
すなわち自立することだと、男性としての本能的意識が働いているのだ。
その思春期の男子の特徴が極端に出ていたのが、『吉田涼』であった。
というのも、涼は男と女の双子であり、双子の姉も同じ中学校であったことから、中1の頃は他の女子も兄妹のように感じ、全く性差を意識することがなかったが、それがある意味、リバウンドとして、良く言えば「硬派」、悪く言えば、極端な「性差」の意識として態度に現れてしまったのだ。
この思春期における2人の性差が、香織の悲劇の一因ともなる。
香織は何も悪くはなかったのだ。仕方のないことだった。
その頃、香織だけに限らず、涼の変化を意識する女子は多くいた。
よく香織は、女友達からこう言われるのであった。
「吉田君、中2になった途端、全然、女子と話さないのよ!
香織、吉田君と仲良かったでしょ。
香織にも話さないの?」と
そう言われると、香織はムキになって、こう反論するのであった。
「中2なって、吉田君とちゃんと会ってないから分からない!」と
この頃は今の少子化と違って、ベビーブームの子供達がちょうど中学生になる時期であり、1クラス40人の15クラスが1学年といったマンモン校が多く、クラスが違うとなれば、部活などが一緒でない限り、自然に顔を合わせることは、本当になかなか難しい時代でもあった。
そのため、カッコイイ男子に「愛の告白」をするのは今より競争率も高く、チャンスもかなり限定されていたのだ。
これも香織の悲劇の一因となる。
香織は何も悪くはなかったのだ。
時が春から夏、秋から冬へと移るにつれ、あの2.14が近づいてくる。
今のようにLINEやTwitterもない、ましてや携帯電話もない時代。
女子通しの探り合いもできず、本命者がどれくらい居るのかも分からない。
相手男子の前情報も掴めない。
正に当日が一発勝負であった。
S55.2.14 PM12:45、場所校庭の中廊下
吉村香織は、前もっての呼び出しや友達の支援もなく、廊下を歩く涼の前に現れ、「私、吉田君が中1の時から好きでした。このチョコレート貰ってください。」と涼の目を見つめながら赤いリボンで綺麗に包装した箱を差し出した。
涼は「こんな物、貰えるか!」と言い、香織の差し出した箱を中庭の花壇の中に放り投げた。
香織は「酷い~」と言って泣き出した。
今ならば、この涼という男は、ちょっと頭おかしいのでは?と思われるが、この時代はセーフであった。
涼は香織に対してではなく、他のライバルの男子にマウントを取ったのであった。
時代が悲劇を生み、性差が悲劇を生んだだけであり、演者である香織と涼は、時代のシナリオどおり、特段のアドリブを付けることなく、時代と社会の風潮に従っただけである。
涼も香織も何も悪くない、仕方がなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます