第3話 勝負弱い浪人生と病んでしまった女の子

 この第三章は、やはり、今であれば、Facebookや LINEやTwitterといったSNSがあれば、何の誤解もなく恋が成熟したであろうという切ない物語です。


 主人公は大学受験に失敗し、地元を離れ予備校の寮で生活している浪人生の『新井辰徳』


 もう1人の主人公は、地元を離れ他県の大学に入学したが、大学生活に馴染めず、うつ病を発症し、退学してしまった『吉岡美穂』


 この2人の切ない恋の物語である。


 辰徳は兎に角、勝負弱い男であった。いつも、あと僅かというところで、紙一重の差でチャンスを活かせないことが多く、不器用な性格から空回りし、いざという時、必ず、「失敗」という2文字の烙印を押される男子であった。


 出だしはいつも良かった。

 中学時代の野球部の時も2年生で準レギュラーになり期待されていた。

 ある県大会の試合の時であった。相手チームのエースは県下指折りの左腕ピッチャーであった。チームと7回裏最終回まで「0」点に抑えられ、1ー0でリードされ2アウトまで行き、完封負け直前に1人が粘り四球を選び、辰徳に打順が回ってきた。

 流石に辰徳も将来を期待されたバッターではあったが、相手の3年生の左腕ピッチャーにはそれまで歯が立たず凡打を繰り返していた。

 誰もが自軍の完封負けを覚悟していた。

 その初球であった。

 内角高めのストレートであった。

 辰徳は内角が得意であった。

 無心で振り抜いた。

 打球はレフト方向に高々と上がり、レフトは外野フェンスに背中を付き、フェンス越えを諦めた仕草を見せながら打球を見上げていた。

 自軍のベンチから響めきが起こった。

 辰徳は入ったと思いながら、打球の行くへを見ながら一塁ベースを回りかけた時、強い風が急に吹き出し、軟式ボールはまるでテニスボールのように風に戻され、フェンス越しにジャンプしたレフトのクラブに辛うじてキャッチされてしまった。

 あと何秒後に風が強まれば、あと数cm打球が戻されなければ、「サヨナラホームラン」であった。

 辰徳は一塁ベースの手前で立ち止まり、誰を責めることもできず、チームメイトに「もう少しだったなぁ」と肩を叩かれるだけであった。

 辰徳はチャンスを逃した。仕方のない事であった。

 辰徳は高校でも野球部に入り、上級生の人数が少なかったこともあるが、一年生から3番サードを任せられ将来を期待されていた。

 一年生の2月、フリーバッティング練習で悲劇が起こった。

 その当時、今のように高速のピッチングマーシンは無く、本格派ピッチャー対策として、通常よりもマウンド3m前から投手役が目一杯投げ込む球を打つという練習を行っていた。

 辰徳がゲージに入ると、それまで投げていた投手役がへばり、外野手の選手が代わりに登場した。

 こいつはコントロールが悪くて評判だったが、辰徳は強靭な肉体をし、死球を逃れるのが上手かったので気にする事なくバッターボックスに入り、その外野手に「思い切って投げ込んでくれ!」と一言声を掛けてあげた。

 その初球であった。投球が辰徳の顔面を直撃した。

 マウンド3m前という至近距離では流石の辰徳も避けることが出来ず、さらには、当たった場所が悪すぎた。

 幸い意識はあったが、左眼をボールが直撃し、目がお岩さんのように腫れ上がっていた。

 何日経っても腫れが引かず、視界に霞かかった白い靄が消えなかったので、辰徳は眼科に行った。

 「眼球内損傷により視力回復矯正不可:重度の弱視」と診断された。

 それから辰徳の守備、バッティングに異変が起こった。

 辰徳は守備でのグローブ裁きには定評があったが、その怪我をしてから、どうしても左側、ショート寄りの打球が捕れ無くなってしまった。

 また、バッティングでも得意のインコースが全く見えなくなってしまった。

 将来を期待された辰徳は1年で高校野球を退部してしまった。

 それからの辰徳の学校生活は荒れたものになり、喧嘩ばかりし、授業は寝るかお喋りをするかで教師に疎まれ、煙草、酒に手を出し、雨が降ると学校をサボり、注意する教師にも脅しをかけるといった問題児になってしまった。

 辰徳の学校は一応進学校で大学入学率が90%を越えていた。

 辰徳の成績は当然ながら下から数えた方が早かったが、中学生の頃は成績も良く、もともとやれば勉強はそこそこの成績を採れる能力は持っていた。

 辰徳は最後の1年、自身の将来も気にし、最早、野球ができない身体となった以上、なんとかして大学に入学できるよう急に猛勉強を始め出した。

 その結果、学年の中位当たりまで成績は上がり、最後の追い込み次第では一流大学の合格も夢ではない位置に付けることができた。

 共通一次試験の前日であった。

 午前中、学校で明日の試験の激励式等が行われ3年生は午後から帰宅した。

 自宅に帰ると母親がその日は仕事を休み、昼飯に豚カツを作って待っていてくれた。

 辰徳は腹一杯食べて、自室に戻り、コタツに入り、明日の試験科目の最終チェックを行っていた。

 昼飯を腹一杯食ったせいか睡魔が襲って来た、辰徳はこたつの中で寝てしまった。

 起きたのは午後8時頃、夕飯の支度ができたと下から声がしたので眼を覚ました。

 よく熟睡できたのか、とても気分が清々しかった。

 夕食は予想通りカツカレーであった。


 辰徳は両親と祖母に明日の共通一次試験の成功を誓い、いつもより早目に床に着いた。

 昼寝をしたせいか、緊張のせいか、全く眠れない。眠ろうと焦るほど目が冴え渡り、全く眠れなかった。

 辰徳はここで浅はかな考えを思いつく。寝酒をすれば寝付けるだろうと


 家族が寝静まってから、台所に行き、料理用の調理酒一升瓶をラッパ飲みした。

 下手に酒に強かったので一升まるまる飲み干してしまった。

 流石に酔っ払った辰徳は二階の自部屋に千鳥足で戻り布団に倒れ込むように寝込んだ。

 すると、急に天井が周りだし嘔吐してしまった。

 それからは、朝方までトイレに駆け込むことの繰り返しで、一睡もできないまま、朝を迎えた。

 酒臭い匂いを消すためマスクをし、集合時間ギリギリに自転車で学校にたどり着いた。

 自転車に乗っている時も前方が朧げに見え、かなり酒が残っており酷い二日酔いであった。

 試験会場にバスで着くと、辰徳はトイレに直行し、ゲロを吐いて、大学の売店に行き、ソルマックを買い、最後の悪あがきをした。

 試験は散々たる結果であった。

 それからは、辰徳は学校に行く事はなく、結局、地元で浪人生活をする事を嫌い、隣県の予備校の寮に入寮した。

 この辰徳の破天荒な性格から寮生活を真面目に過ごすはずはなかった。

 直ぐに寮内の悪友どもと連み、勉強は殆どすることなく、昼間はパチンコ屋に朝から閉店まで通い、居酒屋で酒を飲んで寮の二階の窓から忍び込むといった荒んだ日々を送っていた。

 そんな中、いつものように悪友共が辰徳の部屋に集まり、わいわい騒いでいる時、1人の悪友が辰徳の高校の卒業アルバムを見つけ見出した。

 奴が辰徳に言った。

 「お前、どの子が1番好きやったと?」と

 辰徳は迷わず『吉岡美穂』を指さした。

 辰徳と美穂は中学から高校まで一緒であったが、話したことはなかった。

 しかし、辰徳はいつも美穂の事を影から見つめ、恋憧れていたのだ。

 辰徳は一つの夢があった。

 美穂の進学した県の大学に入り、美穂に告白したいという夢を持っていた。

 そう、お分かりのとおり、ここでネタ話をすれば、第二章の「長谷川卓也」が「新井辰徳」であり、「清水洋子」が「吉岡美穂」なのである。

 その頃の卒業アルバムにはまだ卒業生の住所と電話番号が最後のページに記されていた。

 調子に乗った暇な悪友は、「おいが手紙を書いちゃる」と言い出した。

 辰徳は美穂は優秀であったので、また、バレンタインデーの経緯もあったので、どうせ、あの佐藤とかいうバスケ部の奴と付き合っているだろうと思い、「勝手にしろ!」と悪友の悪戯を相手にはしなかった。

 悪友は本当に美穂に手紙を出していた。

 ある日、悪友が辰徳の部屋に来て、今、吉岡美穂は実家に帰っているらしいので、電話をしてみろと言うのであった。

 辰徳は心の底で「本当は大学に合格してから改めて心の内を美穂に伝えたい思いがあったが、どうせ、断れるだろうと思い、荒れた生活を送っていたので、半分ヤケになり、寮の前の公衆電話から美穂の自宅に電話をした。

 美穂の母親が電話に出た。

 辰徳は名前を名乗り、美穂は居ますかと問うた。

 すると、毛嫌いされると思っていた美穂の母親は、「ちょっと待っててください。直ぐに呼んで来ますから」と辰徳の予想より好感的に対応してくれた。

 暫くすると美穂が「もしもし」と小さな声で電話に出た。

 辰徳は要件だけを言った。

 「吉岡さんにどうしても逢いたいので、逢ってくれますか?」と

 すると、美穂は一言、「はい。」と言った。

 辰徳にしては想定外であり、ある意味、動揺してしまった。

 それでも辰徳は美穂に「待ち合わせの日時と場所を告げ」電話を切った。

 辰徳はまだ浪人生の身でありながら、一足早い春が来たように感じた。

 辰徳は親に帰省する事は内緒に、美穂との待ち合わせの日に地元にて帰った。

 地元に帰る金がなかったので、キセル乗車して帰って来たのだ。

 待ち合わせした、地元のアーケド街の船のモニュメントの前に辰徳は美穂を待った。

 待ち合わせ時刻を少し回った時、美穂が現れた。

 辰徳は嬉しかった。

 その時、あまりに緊張していて、美穂にどのように愛の告白をしたかは鮮明には覚えてないが、「付き合って下さい」と言ったことは覚えている。

 美穂も「はい」と笑顔で返事をしてくれたのも覚えている。

 それからは、地元に度々帰り、美穂とのデートをし、女性慣れしてない辰徳は、喫茶店ばかり美穂を連れ回したが、美穂が母校にも行きたいと言うので中学校や高校にも2人で顔を出した。

 やがて、美穂が辰徳の予備校のある都市に遊びに来たり、会えない時は毎週のように文通で愛を語り合った。

 辰徳はその手紙の中で、「いつか美穂と2人でシルクロードに行ってみたい」とも書き綴った。

 辰徳は美穂の神秘的な雰囲気が大好きで、何故か、昔見たシルクロードのドキュメンタリー番組で見たイスタンブールの美人に似ていると思っていた。そして、古来から続く砂漠、平原を貫く一本の絹の道を誰にも邪魔されず2人で歩みたいという憧れを持っていた。

 美穂も同じようにシルクロードに辰徳と2人だけで行ってみたいと返事を書いて寄越してくれていた。

 そのような遠距離恋愛というよりは、浪人生と女子大生との格差のある付き合い型に、辰徳は少し焦りを感じ、なんとかして、美穂の居る県内の大学に入学しようと心に誓っていた。

 その気持ちを強くさせたのは、辰徳が美穂の居る県に遊びに行った帰りの駅のホームで列車で帰る辰徳を泣きながら見送ってくれた美穂の泣く姿を見た時であった。

 それからは、今までが嘘のように生活態度を改め勉強に勤しんだが、辰徳の部屋は悪友達の溜まり場となっており、皆んな集まり辰徳の部屋で禁止されている煙草を吸うのであった。

 それでも辰徳は後ろでワイワイ騒いでいる悪友達に構わず勉強を進めた。

 そんな時、一つの事件が起こった。

 辰徳の部屋で悪友達が辰徳が居ない時、勝手に入り込み煙草を吸っているところを寮長に見つかったのだ。

 当然、辰徳も呼び出され聴取を受けたが、その際、寮長が辰徳にこう言った。


 「貴方のような人間は今更励んでも志望校には絶対通りませんよ。私の経験からして、貴方はまた失敗するでしょう」と


 それを聞いた辰徳は寮長の襟首を掴み、投げ飛ばしてしまった。


 寮長は混乱し、親御さんを呼んで退寮手続きを取ってもらうから覚悟しなさいと言い出した。


 辰徳は寮長を睨みつけ、言われなくても出て行くよと言い、寮長室を後にした。


 辰徳はそれから母親が呼び出される二日間、喫茶店で勉強し、夜は駅のホームで寝ていた。


 母親が喫茶店に現れて、寮長に謝ったから、お願いだから寮に戻るよう辰徳を説得した。


 辰徳は母親に迷惑をかけた事を後悔し、仕方なく寮に戻った。

 寮長とは口を聞くことはなく、寮長も辰徳に近づくことはなかった。


 その年の共通一次試験、辰徳の点数では美穂の居る県の大学には到底無理なものであった。


 辰徳は二浪を決意し、美穂の居る県の予備校に代わる事にした。

 両親も辰徳は寮生活には合わないと思いアパート暮らしを許してくれた。


 その頃、美穂と時間があれば会っていたが、何となく美穂の体調が悪いように辰徳には感じられた。

 地元の遊園地に行った時であった。

 美穂は手作りの弁当を拵えていた。

 辰徳が嬉しそうに卵焼きを取ろうとした時、美穂がこう言ったのを覚えている。

 「作ってて、キツかったから、味は美味しくないかもしれないよ」と

 それが3月の美穂の大学の春休みの頃であった。


 4月、辰徳は引っ越しを済ませて、予備校に慣れた初夏の頃、美穂と待ち合わせをし、居酒屋で酒を飲み、美穂のアパートに泊まった。

 それまでは、なかなか逢えず、アパート前の公衆電話から美穂に電話を掛けていた。

 辰徳のアパートから美穂のアパートまでは決して近い距離ではなかった。


 辰徳は当然、女性の部屋など行ったことはなく、どう寛いだらよいか分からず、美穂の言うまま、シャワーを浴びようとしたが、美穂に裸を見られるのが恥ずかしく、身体をタオルで拭いたぐらいにし、シャワー室から出てきてしまった。


 一時、美穂と話したようだが、その記憶は辰徳には余りなかった。


 その後の出来事は鮮明に覚えている。


 美穂が電気を消して2人とも別々の布団に寝た。


 辰徳は思い切って美穂に被さり美穂にキスをした。

 そして、美穂を大事にするからと言い、眠りについた記憶は鮮明に覚えている。


 朝、辰徳が目を覚ますと、美穂は洗濯物を干していた。


 朝日に照らされた美穂のスカートの中に薄らと見える長い細い足が、辰徳には、太陽よりも眩しく見えた。


 その日が美穂に会った最後の日になった。


 辰徳は今度は集中して勉学に励めたため、美穂の居る県の大学には余裕で入れる成績をキープしていた。


 ただ、それから何度も何度も美穂に連絡するが、美穂が電話に出ることはなかった。


 辰徳は美穂のアパートに行ってみようかと思っていたが、美穂も地元に帰っているかもしれないと思い、美穂の夏休みが終わるのを待った。


 その時、予備校で今まで一度も話したことのない隣の席の女性が、「新井さん、吉村さんの彼氏ですよね。吉村さん、大変見たいですよ。」と告げられた。


 次の朝一、辰徳は一度行った記憶を頼りに、美穂のアパートに向かった。


 美穂のアパートに着くと、バイクを放り投げるよう美穂のアパートに駆け寄り、呼び鈴を何回も鳴らしたが、全く応答はなかった。


 すると隣の部屋の女性が部屋から出てきて、辰徳に脈絡のない事を告げ出した。


 「新井君でしょ?吉村さんは地元に帰りましたよ。」と

 そして辰徳にこうも言った。

 「新井さん、もう吉村さんを追うのはやめた方が良いですよ。

 吉村さん、貴方の写真、全部、やぶってましたから」と


 辰徳には何が何だか全く理解できなかった。


 辰徳はアパートに戻ると美穂の実家に電話を掛けたが、電話に出た美穂の母親が言うには、美穂が電話にはどうしても出たくないと伝えるのみであった。


 それでも辰徳は、毎日のように電話を美穂の実家に掛けたが美穂が電話に出ることはなかった。


 ある秋の日、辰徳に一通の手紙が届いた。美穂からであった。


 辰徳は急いで封を開け、手紙を読んだ。

 こんな内容が書かれていた。

 「私は大学を辞めました。体調が悪いのです。

 貴方はそれが分からず何度も電話を掛けてきます。私にとって、貴方は負担以外、何物でもないのです。分かりました。私がそちらに行って、ちゃんと別れをしましょう。」と


 辰徳は何がどうなって、今この状態になったのか、全く検討が付かなかった。


 美穂との待合の日、辰徳は駅に美穂を迎えに行った。

 美穂の表情は、明らかに険しい表情をしていた。


 辰徳は駅近くの喫茶店に美穂を連れて行った。


 そして、どうして別れなくてはならないのか、理由を教えて欲しいと美穂に聞くが、美穂は何も答えない。

 ずっと下を向いたままであった。


 辰徳は思った。

 「もう、彼女の別れの決意は変わらないだろう」と


 辰徳は美穂に言った。


 「分かった。別れよう。」と


 そして、辰徳は美穂が立ち上がるのを待つ事なく、先に席を断ち、勘定を済ませて、帰り際に、一言、美穂に聞いた。

 「俺の事、嫌いになって別れるんじゃないよね?」と

 辰徳の記憶では美穂は少し頷いたように思えた。


 その先は、辰徳は店を出て、バイクに向かいながら、「勝手にせ!」と怒鳴りながらアパートに向かって帰った。


 それからその美穂のいた県で半年ばかり過ごしたが、辰徳には何の記憶も残ってない。


 そして、辰徳は違う県の大学に入学した。


 大学に入っても辰徳の頭の中は、何故、どうして、美穂は俺から去って行ったのか?どんな理由があったのか?俺のどこが嫌いだったのか?そればかり考えていた。


 大学1年の正月、地元に帰省した時であった。

 辰徳の友達がこう言った。

 「吉村、また、佐藤と付き合ってるみたいだぜ。佐藤の車に吉村が乗ってるのを友達が見たってさ。なんか、佐藤の大学にも一緒に顔見せに来たそうだよ」と

 そして、辰徳に向かってこう言った。


 「お前、また、騙されたんだよ!」と


 しかし、辰徳は「そんなことはない!美穂の熊本駅で俺を見送るときの涙は本物だった。何かの間違いに決まってる!」と心に言い聞かせていた。


 あの別れの際、理由も言わず別れを押し切った美穂に会いに行くわけにはいかない、ましてや、手紙には、「貴方は私の負担以外何物でもないです。」と書かれていた。


 辰徳は動くに動けなかった。


 それから5年後、辰徳は、美穂と佐藤が結婚すると友達から聞いた。


 辰徳は全てが終わったと諦めた。


 実は、美穂には辰徳から遠ざかる理由があったのだ。

 美穂は大学に入り、環境の変化等もあり、うつ病を患っていたのだ。

 その時代は今のように、うつ病は「心の風邪」だなどと言われる時代でなく、気軽に行ける心療内科もなかった時代であった。

 美穂は頑張ったが、徐々に気分が重たくなり、アパートにずっと引きこもったままで、ボサボサの髪をし、化粧もする気にもなれず、そんな無様な容姿を辰徳に見られたくなかったのである。

 そして、うつ病の悪化の進行により辰徳との別れを決意し、心の中では辰徳がまた助けに来てくれると期待していたが、あの理由なき別れにより、辰徳が美穂の前に姿を見せることはなかった。

 辰徳も必ず美穂が戻って来てくれると信じていたのだ。


 今の時代のように、LINEがあれば、美穂もいろいろな事情を辰徳に相談することができたであろうし、体調が良くなるまで待っていてくれとメッセージを送ることもできたであろう。

 また、現代のようにうつ病がポピュラーであれば、心療内科が至る所にあるような時代であれば、美穂のうつ病も早目に治療を行うことができ、辰徳との別れを決意させるまで深刻な状態にならなくて済んだかもしれない。


 美穂も辰徳も決して、何も悪くないのだ!

 仕方がなかっただけである。

 時代が悪かっただけである。

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