退屈な毎日に一滴の刺激を(後編)

◾︎


自宅に戻ったユトを迎えたのは、ブルーライトの光だった。

「おっかえりー、ユトー!」

大きなモニターから、ウィールの明るげな声が聞こえてくる。

カーテンが閉まった薄暗い部屋で、ウィールの笑顔は、闇夜を照らす太陽の様だ。

ユトは、カバンをカーペットの敷かれた床にほおり投げると、ブレザーのボタンを開けた。

ベットの上に無造作に投げ捨て、いつもの如く椅子に座る。

ゲーミングチェアは自分の体にフィットして、ユトをリラックス状態にさせた。

ふう、と一息着くユト。ユトにとって、一人で居られる時間は何より安らぎがあった。

人と会話をする事も無く、自分自身を否定されない。

ネット社会に生きるユトにとって、一人モニターを眺める時間は幸福ですらあった。

「ユトー、ターゲットの位置情報を特定したぞー!帰宅の予想時間は十九時二十八分。ターゲットの自宅位置はここ! 」

学校までの道のりと、人付き合いの気疲れで一休みしていると、ウィールがユトに声を掛けた。

再び気の引き締まる言葉に、ユトは眉をピクリと動かした。

モニターに現れた地図を、ユトは凝視する。

ブルーライトの光がユトの瞳を淡く照らした。

「ウィール、実行は十九時半ジャスト。」

確認を終えたユトは、ウィールに次の指示を出す。

重く、響く声にウィールは天真爛漫に「了解したぜー!」と敬礼のポーズをした。

モニターに映し出されている時計に目をやると、時刻は十八時過ぎを指している。

ユトは闇を孕んだその瞳を細めた。

その中に眠る密かな怒りを刃に変えて、モニターへ恨みを増幅させていく。

もしくは、その中にいる姿無き誰かかもしれないけれど。


ガタッと立ち上がったユトは、クローゼットの中から黒ずくめの服を取り出す。

「……。」

ワイシャツを脱ぎ、取り出した服に身を包んだユトは、再びモニターの画面と睨めっこを始めた。

キーボードをカチャカチャと鳴らせ、ユトは作業を始める。

その音は、現代のピアノのようにその部屋に鳴り響いていた。


◾︎


「——ウィール。準備は良いか?」


夜に小さく月が昇る。

この街はあらゆる光が交差していて、月の明かりなんて米粒の様に小さい。

手で覆い隠せば、すぐに消えてしまいそうな弱々しい月の下、ユトはその黒髪を靡かせていた。

ビル風が吹き抜ける屋外で、ユトは手に持つ端末に話しかけた。

「おう!準備万端、あと少しで始めるぜ!」

太陽のような笑顔で笑うウィールに、ユトはこくりと頷いた。

ユトの髪が月光に透かされ、淡く輝く。

ドクン、と脈打つ心臓の音に耳を傾けながら、ユトは静かに深呼吸をした。

ゆっくりと流れる雲は、静寂の中で月を覆い隠そうとする。

その刹那、ユトは伏せていた瞳を大きく開け、眠る世界に告げた。


「——タナトスの救済を始める。」


眼光が闇を帯びて、静寂を壊し始める。

ユトが握る端末は赤く光り、『スタート』の文字が表示されていた。



◾︎


時を同じくして、ある一人のサラリーマンが帰路に着こうとしていた。

「さあーて、今日の動画はっと……。」

携帯端末を見ながら、ニヤリと微笑む。

男は端末を動かし、自由自在に操っていた。

「うわ、またコイツかよ……。うぜぇし、またコメントしてやろうかなー。」

吐き捨てる様に呟きながら、何やら文字を打つ。

それは、ある配信者に向けたコメントのようで、『加工詐欺乙〜お前みたいなのは、社会のゴミなんだよ〜www』と打っていた。

「早く引退しろよ……っと」

送信ボタンに親指を置こうとした瞬間、男の画面は大きく切り替わる。

青い光が男を襲い、画面上にある文字が表示されていた。

男は無意識に、その文字を読む。


「——『タナトスの崩壊を望む者よ』……なんだこれ。」


その文字をタップしようとした瞬間、男はちょうど玄関の前に立っていた。

指紋認証で鍵を開き、玄関の扉を開ける。

部屋に入るのと同時に、男は文字をタップした。

端末に触れる音とドアが閉まる音が混ざりあって、男を暗闇の中に誘った。

——次の画面へと移り変わる。

クラシックのような音楽が流れる始め、男を隔離された世界へと導き始めた。

そして、端末に目を向けた男はそこに映し出される文字列を凝視する。

数字、英語、日本語、中国語、韓国語、ロシア語。

様々な文字が次から次へと画面に流れ、その異常なスピードに男の背筋は凍る。

「んだよこれ、ウイルスプログラムじゃ無いだろうな……。」

男は、不審に思い電源ボタンを押す。

けれど、画面は閉じず音楽は流れ続けていた。

文字が動く速度は段々と速くなっていく。

「な、なんだよこれ!操作が効かない!?」

男の端末は独りでに動き続け、やがて音楽はピタリと止まった。

そして、再び画面に文字が映し出される。


『——貴方にタナトスの救済を。』


その刹那、男は悲鳴を上げた。

「あ、あ、ああああああああぁぁぁ!!!」

悲痛な叫びと共に、男は奇行に走る。

目を赤く充血させ、右手首を掻きむしり始めた。

ガリガリと力いっぱい掻きむしると、皮膚が切れ始め、赤い液体が床に落ちていく。

「——痛い、いたい、いだい、いだい!いだい!!!」

動脈まで切りつけた男は、そのまま両手で自分の首を締め始めた。

「うぐっ……あ、あっ、あっ!」

理性を無くした男はそのまま一気に力を入れ、息を止めた。

ぎゅっと首を締め続け、その右手からは止めどなく血が溢れている。

ダラダラと口元からはヨダレが垂れ、血液と混ざり合っていく。

床を覆い隠す程の血が流れ、やがて男は意識を失った。

「ぐっ……あ……。」

男はそのままばたりと床に倒れ込む。

ワイシャツが男の血を飲み込み、深紅に染まり出した。


男が倒れピクリとも動かなくなってから、数分後、ドアの向こう側から足音が聞こえて来た。

段々と大きくなったその足音は、男の部屋の前でピタリと止まる。

ドアノブがぐるっと周り、扉が静かに開かれた。

闇の中から現れたのは、黒ずくめの男。

男の握る端末がピカリと光だし、その中から声が聞こえる。

「バイタルチェック中……呼吸、脈拍、体温、血圧、意識レベル、共に反応無し。対象、横山新人。死亡を確認しました。」

無機質な男の子の声が、部屋の中で響く。

「ターゲットは、完全に死んだみたいだな。——ユト。」

ウィールにその名を呼ばれたユトは、被っていたフードを取り、その姿を晒す。

光の無い、闇を纏った瞳に男の死体を写した。

「ウィール。カメラの映像、ハッキング出来たか?」

片手に持つ端末に話しかけると、いつもと変わらない笑顔でウィールは笑った。

その笑顔を見ながらも、ユトの瞳はその影を濃くしていく。

「勿論だぜ!映像はすり替え済み。証拠も残らないぞー!」

ふん、と自慢げに鼻を鳴らすウィールにユトは「ありがとう」と口を零した。

そしてユトはその場にしゃがみこみ、床に流れる男の血を指で取る。

黒い手袋の上から、その血で壁に文字を刻んだ。

静かな怒りと、憎しみを必死に押さえ付けながら、世界に告げる様にその文字を書き示す。

誰も知りはしないだろう。己の中に潜む苛立ちも悪意も、苦しみも。

口には出来ない感情が溢れて、人を穢していく。

それは、摩耶堂ユトも例外では無い。

彼の内に秘める感情は、世界への復讐へと変わるだろう。


人一人が死んだ所で、世界は何も変わらない。

当たり前の日々を、日常と呼んで過ごしていく。

『死』という概念を人間は認識しながらも、何一つ変わる事の無い生活を送るのだ。

——ならば、とユトは思う。

明日死ぬかもしれないという恐怖を覚えて、生きていけばいい。

そうすれば、きっと何かは変わるのだろう。

一人でも多くの人間が、死を恐れ、その概念に囚われながら日々を送るのならば、救われる者もある。


血文字で書いたその文字の意味を、誰も気付かなくても。

彼一人が知っている。


——『タナトスの賛歌』


それは、今はもう無念も未練も果たせなくなった屍への慈しみの歌。

誰も裁けない『誹謗中傷者』への裁き。


摩耶堂ユトは誓う。

誰もその悪人を裁けないのならば、自分が始末してあげようと。



それは、天才少年摩耶堂ユトが作り出した、ウイルスプログラム。

視覚と聴覚を利用し、一種の洗脳状態へと導く事が出来る。

洗脳されたターゲットは自我を失い、自ら手首を掻きむしって自殺を図る。


このウイルスプログラムを使用するターゲットは、全員、悪意のあるコメントで、人を自殺にまで追いやった殺人鬼だ。

けれど、そんな奴らが警察に裁かれる事も、責められる事もない。

ただのうのうと、いつも通りの日常を過ごしながら、人を殺し続ける。


だから、摩耶堂ユトは行動した。

誰かでは無い。摩耶堂ユトがやらなねばいけなかった。

このプログラムは、摩耶堂ユトがこれまでに誹謗中傷によって命を落とした者達に贈る手向けの花だ。

警察が裁けないのなら、この手を血で染めてでも自分が裁く。

それが摩耶堂ユトの意思だった。

これが良い事では無いのは、摩耶堂ユト自身も理解している。


——これは、そういう復讐劇なのだから。

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タナトスの崩壊 桜部遥 @ksnami

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