黒電話
棚霧書生
黒電話
「もしもし……。こちら、エミちゃんです。あなたは?」
炬燵で暖まりながら新年のお笑い特番を見ていたところ、娘の声が後ろの方から聞こえてきた。振り向くと地面に置かれた古ぼけた黒電話を前にぺたんと座り込んでいる可愛い子がいた。
「受話器を耳に当てないといけないんだよ。ビデオ通話とは違うからね」
炬燵から這い出て、娘の耳に受話器を当ててあげる。不思議がるかと思ったが彼女の中では黒電話はまったくの新しいアイテムらしく、そういうものだとすんなりいったようだ。白玉団子みたいな小さい手が重たそうに真っ黒い受話器を持ち上げる。
なにをしていても可愛らしく見えるのだから、小さい子どもというのは存在しているだけで偉大だ。それが自分の娘ときたら、もう可愛くないわけがない。子どもは天からの授かりものなんて言うけれど、あれは本当だ。つやつやの黒い髪にできた天使の輪っかを見るたびにそう思う。
「お雑煮、もうすぐできますけど、アンタはいくつ餅食べるよ?」
台所の方から、だしのいい香りとともに母さんの控えめだけれどしっかりと張りのある声が飛んでくる。この感じは久々だ。
雑煮以外には昨日の残り物で寿司があったはず。胃袋の計算をして、餅は二つで、と返した。
独り立ちした後にたまに帰ってくる実家はもう安息の地ではない。なぜなら、心配性の母親が私生活のことを根掘り葉掘り聞いてくるからである。仕事、健康、夫婦仲、なぜ帰ってくるたびに決まって同じことを聞くのだろう。いい加減に、普通、大丈夫、まあまあ、という情報量の極めて低い言葉を繰り返すのにも飽きてきた。
逃げの一手でエミに猫なで声で、パパとあそぼっか、と声をかけてみたが、ツクモちゃんとおはなししてるからダメ、と断られてしまった。
「いや誰だよ、ツクモちゃんって……」
俺のぼやきを聞いていた母さんがエミちゃんは想像力が豊かなのね、と蜜柑を剥きながら言った。
「あの黒電話って昔使ってたやつ?」
「物置部屋の床に置きっぱなしにしてたのをエミちゃんが見つけてね。遊びたいみたいだったから、出してあげたの」
エミは昼を食べる前と同じように一人で黒電話の受話器に向かって熱心に話し込んでいた。かれこれ二時間くらいは経ってるんじゃなかろうか。もちろん電話線は繋がっていないので、相手がいるわけではない。
「子どもの集中力ってスゲェなぁ……」
会話が途切れたことを機に、母さんがまた俺の近況を聞いてきそうな気配を感じ取る。しかし幸か不幸か、うちの近所に不審者が出たというニュースが流れたことで、母さんの意識はそちらにいった。
エミは古い黒電話がとても気に入ったらしい。飽きずにずっと一人で喋り続けている。まるで本当に誰かと話しているようで、少し、いや、かなり不気味だった。もうやめなさい、と黒電話を遠ざけても目を離したすきにまた受話器を握って楽しそうに話している。
明日にはエミを連れて妻の待つ我が家に帰る予定なので、気にしようがしまいが黒電話とはすぐにお別れなのだが、どうにも気味が悪い。ゴミは早く捨てるように母さんに言っておいた。
それがいけなかったのだろうか。真夜中に黒電話が鳴る独特の音で俺は目を覚ました。最初は夢の中の音を聞いているのだと思った。だって、どこにも繋がれていないあの黒電話は鳴るはずがないのだ。怖くなって同じ布団で寝ているエミを抱き寄せようとした。が、エミはいなかった。
「エミっ、どこだ!?」
飛び起きる。腹にゴロゴロした氷を大量に入れられたかのような心地がした。布団を叩きながら、エミを探すがどこにもいない。
指先に硬いものが当たる。黒電話だった。喧しい呼び出し鈴に脳味噌を揺さぶられているようで吐きそうだ。だが、俺は受話器を取った。直感的にそうしなければならないと思ったのだ。
エミちゃん、連れてかれちゃうよ?
聞こえたのはそれだけ。直後、電話は切れ、同時に家の玄関ドアが閉まる音がした。
俺は無我夢中になって走った。途中、椅子やガラス戸に体をぶつけたが関係ない。外に飛び出すと怪しい男が子どもを抱えていたので、男のことを渾身の力でとにかく殴った。
新年早々、警察のお世話になるとは夢にも思わなかった。あの夜、俺が殴ったのは誘拐犯だった。エミは拐われかけていたのだ。近くに犯人の車が停めてあったらしいので、俺の到着が少しでも遅かったらと考えるとゾッとする。結局、犯人は御用となり、俺は警官にちょっと殴りすぎだったね、と軽い注意を受けるだけで済んだ。
エミは寝ぼけていたのか拐われたときのことは覚えていないらしい。ツクモちゃんが助けてくれたことを教えてあげると、どこか誇らしげに、エミちゃんのオトモダチだからね、と笑った。
あの黒電話はエミの恩人、間違っても捨てないように今は神棚に祀ってある。
黒電話 棚霧書生 @katagiri_8
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