揺れるハートに祝福を

きさらぎみやび

揺れるハートに祝福を

 今年のバレンタインデーは日曜日になった。

 ということは、当日に学校でチョコを渡すわけにはいかないということ。


「土曜日を使って手作りの準備ができるのはいいけど、渡し方に悩むよね」

「そうだねー」


 週末の金曜日、学校帰りのマックで友達と作戦会議。

 だらだらと関係ないおしゃべりもしながら作戦会議をしたけれど、結局は当日にLINEで相手を呼び出すか、当日に渡すのは諦めて週明けの学校で渡すしかないという結論になった。

 気になるポイントは何を作るかだ。友達も気になっているのか、私に尋ねてくる。


「それで、佳奈ちゃんは何を作るの?」

「うーん、あんまり難しいのに挑戦して失敗しても嫌だから、簡単なのにしようかと思ってる。ガトーショコラとかかなぁ」

「お互い頑張ろうね」

「うん」


 友達と別れた後は帰り道の途中の商店街のスーパーによって、材料を調達する。板チョコに、生クリーム、ココアパウダーなどなど。レジのお姉さんが買い物カゴの中身を見てこちらに微笑みかけてきたのが、なんだか少しむずかゆかった。



 土曜日はいつもなら昼過ぎまで寝ちゃったりするのだけど、なんだか落ち着かなくていつも学校に行くのと同じ時間に起きてしまった。台所に行くとお母さんが「あら、今日は珍しく早起きなのね」とからかうように言ってくる。「パン焼くけど、食べる?」と言ってきたのでそのまま朝ご飯になった。ダイニングテーブルでお母さんと向かい合って、カリカリに焼けたトーストをかじる。ダイニングテーブルの隅っこに昨日買ってきたチョコレートの材料が佇んでいる。お母さんがそちらにチラリと目をやって、「手伝おうか?」と言ってきた。


「いいよ、大丈夫。簡単だし、一人で作れるよ」


 首を振って申し出を断った。「誰にあげるの」と聞かれないのがなんとなく見透かされているようで悔しい。

 食後にお皿を片付けて、お母さんをキッチンから追い出してからそのままチョコレート作りに入ることにした。


 スマホに手順を表示させて確認しながら作業を始める。

 板チョコを細かく砕いて湯煎にかける。チョコレートの塊が溶けるまでゆっくりと溶かす。生クリームも同じように湯煎してチョコレートと合わせてかき混ぜる。とろみが付いてきたところで冷蔵庫で冷やし、ちょうどいい固さになったところでバットにクッキングシートを引いて、小さく取り分ける。もう一度冷蔵庫で冷やして改めて形を整える。ココアパウダーをうつわに取ってひとつひとつまぶしていく。


 これで完成、というところで肝心のラッピングを買い忘れていたことに気がついた。様子を見に来たお母さんに助けを求めると、「お父さんにあげたものの余りだけどね」と言いながら戸棚の奥から一セットを取り出してきてくれた。ラッピング作業を手伝ってもらっていると「もう相手の子には渡す話はしているの?」と聞かれた。


 そう、それが問題。


 その場はごにょごにょとごまかしてしまったけれど、どうやって渡すかをずっと悩んでいた。


 完成したチョコレートを持って自分の部屋に戻り、机の上にそっと置く。

 なんて言おう、どうやって渡そう。


 ……悩んでいる間に眠くなってきてしまった。


 ベッドでスマホを握りしめたまま眠ってしまっていたみたいなのだけど、夜中に凄まじい振動と音で飛び起きた。


 ーーーー地震だ!


 天井からぶら下がった照明が大きく揺れる。壁際の本棚からコミックがなだれ落ちた。勉強机も棚から教科書が崩れてきている。私は布団を抱きしめたまま揺れが収まるのを待つ。「佳奈、大丈夫!?」下の階からお母さんが呼びかけてくるのに対して「うん、大丈夫!」と大声で返事をする。とりあえずスリッパを履いてから慎重に階段を降りる。リビングでお父さんとお母さんが心配そうにテレビを見ていた。リビングも小物が棚から落ちていたりはするものの、大きな家具が倒れたりはしていないようだったので、ちょっとほっとする。

 テレビを見ながら二人が話をしている。


「震度六だって」

「津波の心配は無さそうだな」

「あの時の余震かしら」

「もう十年経つっていうのにな」


 十年前。私はまだ小学校に上がるか上がらないかくらいだったと思うけど、訳も分からずとても怖かったことだけは良く覚えている。地震がきっかけで前に住んでいた所から引っ越す事になって、それで今の所に住み始めたんだと聞いていた。


 ……そっか。

 だからあいつと出会ったのは、それがきっかけでもあるんだ。


 こんな時だというのに、いや、こんな時だからこそなのかもしれないけど、あいつの脳天気な顔が浮かんできた。その顔に何度も救われてきたことを思い出す。


 ピロン。


 意識せずにずっと握りしめていたスマホの通知音が鳴る。通知に目をやるとあいつからのLINEだった。


 どきん、と胸が高鳴る。


 テレビを前に心配そうに話している両親に、「ちょっと部屋を片付けてくるね」と言って、「怪我しないように気をつけるのよ」というお母さんの声を背中に受けながら階段を上って自分の部屋に戻る。


 ベッドの上で画面を開くと、「そっちは大丈夫か?」という一言。

 少し汗ばんだ手でスワイプし、「大丈夫だよ」というスタンプを送る。


 ー それならいいけどさ

 ー そっちこそ大丈夫?

 ー 大丈夫。部屋はぐちゃぐちゃだけど

 ー 元からじゃないの?

 ー 失礼だな。見てみろよ、これ


 ピロン、という通知と共に部屋の中の様子を写した写真が表示される。思いがけずあいつの部屋の中を見られたことにドキドキしながら写真を眺めてみると、確かに部屋の中は本棚にあったらしいラノベが床中に散らばっていた。


 そういえば。


 今更のように思い出して机の上を見てみると、丁寧にラッピングしたチョコレートは崩れ落ちてきた教科書に押しつぶされて、見事にへしゃげてしまっていた。


 逆にそれで何かがふっきれた。

 気持ちの火を消さないように、素早くメッセージを入力、送信。


 ー 明日時間ある?

 ー あるけど

 ー 駅前の公園に、朝九時に来て。渡したい物があるから


 そこまで一気にやりとりした後、返事を見るのが怖くて、電源ボタンを押していったんスマホの画面を消す。


「あーっ!」


 枕に熱くなった顔を押し当てて叫ぶ。


 送った。

 送ってしまった。


 スマホも枕の下に押し込んで布団を抱いてゴロゴロとベッドの上を転がる。くぐもった音で通知音が鳴った。転がるのをやめて恐る恐る枕を持ち上げ、画面を見る。


 ー わかった


 その一言を確認すると、スマホに充電ケーブルを差し、頭から布団をかぶって寝ることにした。


 そんな興奮した状態でまともに寝られるわけもなく、ベッドの中でごろごろしたり、うとうととしたりしているうちに朝になってしまった。散らかったままの部屋で着替えを済ませると、へしゃげたままのチョコレート包みを鞄にそっとしまう。一階に降りて洗面所で身支度をする。水道から水が出てくれることにほっとする。


 リビングは昨晩よりも片付いていた。両親とも夕べ遅くまで片付けをしていたのだろうか、今日はまだ寝ているみたいだった。

 キッチンで袋から取り出してそのまま食パンを囓りながら、キッチンも片付いていることに気がつく。お母さんが夕べ片付けてくれたんだと思う。戸棚にはストッパーが付いていたからお皿などは割れずに済んだみたいだった。ダイニングテーブルに「ちょっと出かけてきます」とメモを残して家を出る。


 冬の光に包まれて、火照る頬を冷ましながら、街を歩く。

 街は昨日の地震を受けてまだ落ち着きなくざわめいているような印象を滲ませている。


 公園が見えてくる。

 待ち合わせの時間にはまだ早いけれど、あいつの姿が遠くからでもすぐ分かった。落ち着かない様子で白い息を吐きながら足元の石ころを蹴っ飛ばしている。


 私は公園の入り口でちょっと立ち止まって、あいつの様子を見つめてみる。ぐらり、と視界が揺れる。揺れたのは余震のせいなのか別の理由なのか、私には分からなかった。


 そうなんだよね。

 心の中でこくりと頷く。

 たぶん今日と同じ明日は来ない。

 今日の私は今日だけのもの。

 今の気持ちは今だけの、かけがえのないものなんだ。


 それはきっと呪いにもなるし、祝福にもなる。


 だから。


 だから、彼の方をしっかりと見つめながら、私は息を吸って、大きく一歩を踏み出した。

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