第10話
年老いたザカの目は、遠い時間の彼方へ去って行った人々を見つめている。彼が再び口を開くのを待つ間、ロンデはソギから聞いた話を思い返していた。
一度は焼けた
そのころティコは孕み、やがてタティカという美しい娘を産んだ。母になったティコは、娘のためにしばらくは槍を置いたが、娘が乳離れした後はまた
タティカとソギはすぐに仲良くなった。ふたりを許婚にしてはどうか、と最初に言い出したのはオセルだった。ザカに断る理由はなかったが、ティコは「お互い好きなら、結婚すればいい」と言った。相手のことが好きかと尋ねると、幼いふたりは無邪気に頷いた。リュオンは「それじゃあ私が、タティカに素敵な花嫁衣装を作ってあげる」と、手を叩いて喜んだ。
けれどもリュオンは、ザカとの六人目の子のお産で死んだ。ソギが十二歳のときだった。同じころ、オセルもワベ族の騙し討ちに遭って命を落とした。彼らの葬儀には、いずれもザカが彫った
ザカが再びティコに対して特別な感情を抱いたかどうかは、ソギやロンデの知るところではない。ただ、ザカはこう語っただけだ。
「ティコが死んだのは、おれのせいだ」
「それは違う。ソギもそう言っている」
ザカが首を振った。
「おれは、外の世界に出たがっていたソギを許さなかった。あいつにはおれ以上に
ザカとの激しい親子喧嘩のあと、ソギは真夜中に
夜が明ける前、ティコがソギを連れて帰ってきた。ザカが心からの感謝を伝えようとしたその瞬間、ティコは目の前で倒れた。その足首に、点々と傷ができていた。毒蛇に咬まれた痕だ。安堵の涙が、悲嘆の涙へと変わった。
ザカにとって何よりもつらかったのは、「母が死んだのはお前のせいだ」とタティカがソギを責めたことだ。ソギとタティカの結婚は自然と破談になり、ソギは深く傷ついた。
ティコとの婚約が破談になったときのザカもひどく苦しんだが、ソギはそれ以上だったろう。だが本当に悪いのはソギではない。ザカが息子の夢を認めてやっていたら、こんなことにはならなかったのだ。
そのころ外の世界では、安価で扱いやすい灯油ランプが普及し始め、
ソギは一緒にピアトへ移り住もうとザカを誘った。ザカもまだ三十代だったし、優れた彫刻の技能を持っているから、発展めざましいピアトに行けば仕事に困りそうもなかった。
けれどもザカは頑なに拒んだ。ティコが
「……ソギには、何度もそう伝えたはずだ」
ザカが
「僕からも君に聞かせたいことがある。ピアトに移り住んだソギが、どうなったかを」
「知ってるよ。商人になったお前から、仕事をもらって生計を立てているんだろう。そのことは本当に感謝してる。あいつは気の毒なやつだ。もう四十も近いというのに、ずっと独り身で……」
ロンデは青い目を見張り、首を振った。
「……違うのか?」
「ソギはついこの間、結婚したんだ。相手は誰だと思う?」
なぜそんな質問をするのか、ザカには分かったはずだ。しかし頭に浮かんだ答えを信じられない様子で、口を開いたまま硬直している。
「タティカだよ、ザカ。ソギはタティカと結婚したんだ。タティカは夫とそりが合わずに、ピアトに来て数年で別れた」
「別れる? ……夫婦が、夫婦をやめるのか?」
「ピアトにはその自由がある。ともかく、タティカは独り身に戻り、独り身のソギに出会ったんだ。ふたりは過去を乗り越えて、自分たちの意志で夫婦になった。ついこないだ息子も生まれたよ。ジャルヤという名前だ。君の孫で、ティコの孫だ。ティコの弔いは、もう十分果たしたろう。君が罪を背負い続ける必要なんてないんだ。僕と一緒に、ピアトへ行こう」
ザカの目から、ぼたぼたと涙が落ちた。
夜が明けて里を出る前に、ザカは
ロンデが連れてきた二頭の馬は、麓の村で草を食みながら大人しく待っていた。行きはロンデだけが乗っていた。帰りにはザカもいる。馬に乗ったことのない彼のために、ロンデは穏やかな気質の馬を選んでいた。
ふたりは馬首を西に向け、野営しながら二日歩いた。悪臭が漂ってくると、そろそろニタンガ川が近いと分かる。
ザカは初めて、ジャガラ=チセが行き着く先を見た。
「こんな、汚い川だったのか」
寂しげな呟きが、いつまでもロンデの耳から離れなかった。(了)
竜の灯は泥河に流れ(短編版) 泡野瑤子 @yokoawano
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