三題噺をな、書こうと思ったんじゃ
常盤しのぶ
女二人が一緒の部屋でサメ映画を観る話(お題:蛸、サメ、マンドラゴラ)
「和葉ちゃんってさ、サメ映画って観たことあるん?」
「サメ?」
とうに日は暮れていた。外の闇とは相反して二人がいる部屋の明かりは隅々まで照らされている。テレビではロケ番組が流れているが、それに目を向けるものは誰もいない。
「色々あるのは知ってるけど、実際に観たことはないかも」
「そうなん!? あかんなぁ和葉ちゃん、サメ映画は現代のトレンドやで? トレンドはしっかり抑えとかな」
そうなの? 和葉は炬燵に足を入れたまま興味なさげに応えた。眉が少し動いたものの、手に持っている本から視線が離れることはなかった。
「サメ映画ってそんなに面白くないらしいけど」
「観てもいない映画をクソ映画扱いしたらいかんよ和葉ちゃん! クソ映画認定してええのんは実際に観た人だけやからね!」
まるで興味を示さない和葉に対して美空は炬燵にも入らずに雄弁に語る。150cmにも満たない小さな身体は、サメ映画への熱意に満ち満ちていた。熱量の放出はなおも続く。
「サメやで!? 海で出会ったら超怖いやつやで!?」
「私海苦手だからなぁ」
「ほら! 和葉ちゃん海もサメも怖いんやからサメ映画も超怖いはずやん!」
「そんな美味しいものと美味しいものを合わせたら超美味しいものになるみたいな理屈で言われてもな」
「でも実際そうやと思わん?」
「どうだろうなぁ」
美空の熱意に和葉はやや圧倒されていた。というより読んでいる本に集中できず困っていた。二人目の死者が出て盛り上がってきたところなのだが。そもそも海が苦手なのは泳ぐのが苦手とか海水が口の中に入るのが苦手とかとそういう類であり、映像で観る分には何一つ不自由ではない。むしろ休日はペンギンの映像で日々の疲れを癒しているくらいである。
依然として直立を維持したままサメ映画への熱意を語る美空に対し、和葉は問うた。
「美空、そこまで言うならなんかオススメあるの?」
「え?」
「え?」
場が一瞬凍りついた。和葉は初めて本から視線を外し、美空へ向ける。こいつ、まさか……。
「お前、もしかしてサメ映画観たことないのか」
「うん」
思わず天を仰いだ。本を持つ手に力が入り、次第に抜けていった。炬燵から抜け出し、煙草とジェットライターを持ってベランダへ続く戸のドアノブに手をかける。外の気温で冷えたドアノブは、和葉の気をほんの少し和らげた。
ベランダへと吸い込まれていく和葉を見送った後、美空は炬燵へと身体を潜らせた。籠の中にあるミカンを取り出し、皮を剥く。柑橘類の爽やかな酸味が鼻腔をくすぐる。
美空がミカンを食べ終えた頃、和葉がベランダから戻ってきた。美空とは反対側から炬燵に入る。ラッキーストライクの残り香が身体から微かに漂っていた。
「おかえり、和葉ちゃん」
「……うん」
美空、お前さっきサメ映画は現代のトレンドがどうとか言っていなかったか? あと、観たこともないジャンルに対してあそこまで熱を持って語れるものなのか? そして自分すら観たことがないサメ映画を私に勧めてどうするつもりなんだ?
絶えない疑問が和葉の脳内を駆け巡るが、先程ベランダで吐き出したラッキーストライクの煙と共にどこかへ行ってしまった。美空との付き合いは長い。大阪出身の人間が皆そうでないことはわかっている。しかし、千葉に長らく居を構えていた和葉にとって、大阪出身の美空が考えていることを理解することは、今でも難しい。付き合い始めの頃は逐一ツッコミを入れていたが、最近では無闇にツッコミを入れず、ラッキーストライクで気分を整えることにしている。
「というわけでな和葉ちゃん」
「何が”というわけで”だ」
「なんかサメ映画観よ」
和葉のツッコミを無視し、美空は己の欲求を推し進める。最近ではレンタルビデオ屋に行かずとも映画やドラマやアニメなどを視聴できる。アニメ好きの美空はそういった動画配信サービスを頻繁に利用している。その中にあるサメ映画を見繕って観てしまおう、という寸法だ。
「さっきも言ったけど、サメ映画って一本も観たことないよ、私」
「大丈夫やで和葉ちゃん、ウチも観たことあれへんから」
何がどう大丈夫なのか一切わからないが、とりあえず適当にサメ映画を観ることにした。もう一度ベランダに出ようかと思ったが、流石にこの季節のベランダは冷える。
「さーて、何にしよかなーっと」
美空は検索窓に『サメ映画』と入力して検索を開始した。聞いたこともないサメ映画のタイトルが列挙されている。基本的にタイトルには『シャーク』や『ジョーズ』と付いている映画がほとんどだが、『サメ映画』でも検索に引っかかることに和葉は心の内で驚いた。おそらく美空のような人間を想定しているのだろう。美空はうんうん悩みながらサメ映画を吟味している。
「よし、これにしよう」
和葉の本が4ページほど進んだところで美空が声を上げた。タイトルは
『メガ・シャーク vs ギガ・マンドラゴラ』
イメージビジュアルには巨大化したギガ・マンドラゴラと、それを喰らおうとするメガ・シャークが臨場感たっぷりに映っていた。
まずもって、この映画を作ったスタッフの心境を知りたいと思った。何故作ろうと思った。何故世に出そうと思った。何故売れると思った。何故海の生物と山の生物を戦わせようと思った。いやそもそもマンドラゴラは山の生き物なのか? 疑問は尽きない。
「吹替版と字幕版どっちがええ?」
「もう、どっちでもいい」
ほな字幕な。美空は意気揚々と再生ボタンを押した。
◆◆◆
「スティーブ、お前には愛する家族がいるだろう。このメガ・シャーク討伐計画はオレが行く」
「確かに俺には愛する家族がいる。だがなジョージ、ここのメンバーは家族と同じくらい大事なんだよ。俺にとってはな」
「スティーブ……」
「オーストラリア支部より伝達! エアーズロック付近から巨大な樹が突如発生したとのこと!」
「あれは樹なんかじゃない……」
「え?」
「”マンドラゴラ”だ」
「放っておいたらその内抜け出し、オーストラリア、いや、全世界がマンドラゴラの声で発狂してしまう!」
「メガ・シャーク、こちらに急接近しています!」
「やれやれ、まさに”前門のメガ・シャーク、後門のギガ・マンドラゴラ”ってとこか」
「あれは、ジャイアント・オクトパス!?」
「バカな! 奴は20年前に倒されたはずだ!」
「再生したというの?」
「やれやれ、今夜はたこ焼きパーティだな」
「ジャイアント・オクトパスが、ギガ・マンドラゴラを絡め取っているぞ……!」
「そういう趣味でもあるってのか?」
「メガ・シャーク、勢いが衰えません!」
「やれやれ、サメの塩焼きに大根おろしは欠かせないもんな」
「メガ・シャークがギガ・マンドラゴラを食っているぞ!」
「作戦は成功だ!」
「やれやれ、腹が減ってはなんとやらだな」
「メガ・シャークが帰っていくぞ」
「討伐は」
「戦意がない以上、追う必要もあるまい」
「やれやれ、もしかしたら、腹を空かせていただけなのかもな」
◆◆◆
「いやー思てたよりおもろかったな」
「………………………………………………」
今まで映画に関しては名作を嗜む程度の知識しか持っていなかった和葉にとって、このサメ映画は思っていたよりハードに思えた。和葉の中の常識が一切通用しない、まさにSFの世界に身を投じた感覚を覚えた。しかし美空はこのク、B級映画をそこそこ気に入ったらしい。
「いやまさかあそこでジャイアント・オクトパスが出てくるとは思わんかったでな」
「なんなんだよ、ジャイアント・オクトパス……」
「メガ・シャークめっちゃマンドラゴラ食うてたな」
「抜けてんじゃねーか、マンドラゴラ……発狂設定どうした……」
「和葉ちゃんはどないやった?」
疑いを知らないきれいな目を向けられた。クソとは言えない。
「……疲れた」
「確かになー怒涛の展開やったもんなー」
憔悴しきった和葉はなんとかキッチンに向かい、インスタントコーヒーを淹れるマシンの電源を入れた。起動するまでの間にマグカップをセットし、ボタンを押した。マシンが勢いよくコーヒーを吐き出す。
「和葉ちゃんはどのシーンが好きやった?」
頑張って好きになれそうなシーンを思い返す。
「”前門のメガ・シャーク、後門のギガ・マンドラゴラ”って言いたいだけだろって思った」
特別好きというわけではないが、妙に印象に残っていた。やたら「やれやれ」と言う男。あいつは何者だったんだ。マグカップのコーヒーを飲みながら、和葉は炬燵に入った。
「え、そんなセリフあったっけ?」
「あったよ。いや、あったっけな……自信なくなってきた」
美空はにへらと笑う。
「じゃあさ、じゃあさ、和葉ちゃん」
「何」
「次のサメ映画、いってみようか」
思わず、天を仰いだ。
三題噺をな、書こうと思ったんじゃ 常盤しのぶ @shinobu__tt
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