第4話 両親と僕(5)

 それから僕は、自分の家を出て、そのまま病院に帰った。

 自分の書いた遺書は、ビリビリに引き裂いて、そのままゴミ箱に捨ててしまった。クローゼットに吊してあったロープは、固く結ばれて解けないようになっていたため、机の引き出しからはさみを持ってきて、結び目のところから切り取った。

 丁度一年前、自分の首を締め付けていたロープは、見ているだけで首を締め付けられる感触を思い出してしまうため、自宅のゴミ箱には捨てたくないな、と思った。

 はさみでロープを10個ほどに切り分け、帰りのバスの車内で誰にもバレないように窓から投げ捨てた。南里病院へ向かう途中の山道に捨てたため、きっと誰も迷惑しないだろう。

 帰ってから、葉菜にショートメールを送った。

 今まで、葉菜から一方的に連絡を取ってもらっている状態だったため、自分から連絡をするのは少し勇気が必要だった。

 「伝えたいことがあるので、悪いけどまた病院に来てくれないか」という主旨のメッセージのみを送った。葉菜からはその日のうちに返信がきて、「分かった」という返事のみが来た。

 葉菜は、次の日、再び僕の病室を尋ねてきてくれた。今日は土曜日のため、就活はないのだという。

「葉菜さん、実は、昔の自分のこと、思い出したんだ」

「・・・そうなの」

 葉菜は、どうやって思い出したの、とは聞かなかった。彼女は、自分たちが止めても、いずれ僕が自分の過去のことを暴いてしまうこと分かっていたようだった。

僕は、ベッドを降りて立ち上がった。

そのまま、ゆっくり葉菜に頭を下げた。

「今までありがとう。僕を見守っていてくれて。

 僕は、思い出したよ。僕は自殺しようとして、それを誰かに発見されて、死にかけた状態でこの病院に運ばれたんだ。記憶一部抜け落ちていたのは、きっと酸欠状態が続いたからかな。

 それで優は、僕に最初に話しかけてくれたんだ。僕を気遣って。

 そうでしょう、葉菜さん?」

「・・・それは違うわよ。

 優があなたに近づいたのは、荒巻君を助けたかったからじゃない。あなたと友達になって、一緒の時間を過ごしたかったからなの。

 優があなたと仲良くなって少し時間が経ってから、藪川先生からね、君の抱えている事情を伝えられたの。それでも、優は君の事情なんて、あまり気にしているようには見えなかったわ。

 優が死ぬ1週間前、私はあの子に言われたわ。荒巻君は、自分と違って直る見込みのある病気なんだから、自分がいなくなった後も彼をしばらく見守っていてほしいってね。

 あの子が君を助けたんじゃないわ。君は、自分で自分を助けたのよ」

「ホントにそうかな」

「ええ、そうよ」

 僕がこの病院に来た当初、無意識に何のために生きるのか、なぜ生きるのかと常々考えていた理由がようやく分かった。

 僕は、本当は死にたくなんてなかった。だけど自分の過去を思い出せば、また死ぬほどつらいことがわかっていた。。僕は、なんとか過去を思い出す前に、自分がこの世界に生きていていい理由を見つけようと足掻いていたんだ。

「でも、よかった。過去を思い出して、きっと君は取り乱すと思っていたから。君はとっても強いわ」

 葉菜はそう言って微笑んだ。

「そんなことないよ。でも、何か手がかりが掴めたような気がするんだ。僕は、もう大丈夫。2度と、自分から死のうとなんて、思わないよ」

 僕は、そう言って笑った。

 僕は、自分の過去を乗り越えられたような気がして、言葉にできない充実感に満たされていた。そしてこの経験があれば、この先何があってもきっと大丈夫だという気がした。

 葉菜は、なぜか、急に目を潤ませた。

 彼女は慌てて、目にハンカチを当てて表情を見られないように横を向いた。

「は、葉菜さん!どうしたの?」

 僕は、葉菜が急に泣き出したことに戸惑った。

「いえ、ごめんなさい。君の今の顔が、ほんの少しだけ、優に似ていたから」

 僕の顔が優に似ていた?

 顔の造りも性格もまったく違う僕に、優の面影があるなんて思えなかった。顔や体型がそっくりなのはあなたの方でしょう、と言いたかった。

「いえ、顔の造りや表情ではないの。その笑い方、仕草、どうしてだろう。君の中に、どこか優がいるような気が、ずっとするの。

 きっと、君の中に、優は、あの子はいるのね」

 僕は、葉菜が言った言葉の意味がよく分からなかった。

 優は、10ヶ月前に死んだ。あいつと過ごしていた時間は、たった1ヶ月半。普通の友達だって、関係はもっと長いはずだ。

 しかし優がいなければ、今の僕はいないんだろうな、とは思った。僕の中に入り込んだ優の言葉は、内側に流れ込んで、完全に僕の血肉になっていた。

「荒巻君、君の中に優は、きっといる。君たちはきっと、2人で互いの足りないところを補うために生まれてきたんだわ。

 それはきっと、これからも変わらないと思うの」

 やんちゃで明るく、活動的だった白織優。だけど彼は生まれつき身体が弱く、18歳を迎える手前で、死ななければならなかった。

 生まれつき大人しく、自分の境遇を呪って殻に閉じこもっていた僕。心は腐っていたかもしれないけれど、身体だけは父親に似て、しぶとくて健康だった。

 僕たちはまったく違った環境で生まれ育ち、この病院で出会った。一緒に過ごした時間は2ヶ月にも満たなかったけれど、お互いに足りないものを持っていたからこそ、互いに強く惹かれ合ったんだ、と今は思う。

 僕は、思わず胸に手を当てた。心臓の鼓動は1つだけ。それでもその鼓動はわずかに、二重にリズムを刻んでいるような気がした。

「そうかもしれない。いや、きっとそうだよ!

 僕は、ここを出なくちゃいけない。僕はあいつと、一緒に旅に出るんだ。あいつと一緒に、外の世界に行くんだ」

 それが僕と優の決意だった。僕はもう1人じゃない。その心強さが今の僕を支えていた。

 その一週間後、僕は病院を退院した。

 主治医の藪川には、自分の自宅に勝手に行ったこと、僕自身の過去についてすべて思い出したことを伝えた。一瞬、表情が固まった藪川だったが、今の僕の顔つきを見て、すぐに表情を和らげた。

 それから、中根や今までお世話になった病院の人たちにお礼を言いに行った。僕が去った後もこの病院に残ることになる山村老人や向岸ねねにも、別れの言葉を告げに行った。

 山村老人は、病気自体は完治する見込みが無いが、最近巻き返してきており、今では一週間のうち半分くらいは自宅で過ごしているという。

 向岸とは、「霧の街」の件以来、少し気まずい雰囲気になっていて、あまり顔を合わせていなかった。

 僕が会いに行くと、何処か心の陰が取れたような顔つきをしていた。

「病気、直ったんだね」

 僕が何か言い出す前に、彼女はそう言った。

「ええ、なんで分かるんだ?」

「顔を見れば、分かるよ。

 行ってらっしゃい、荒巻さん」

 あの件以来、彼女は僕を「荒巻さん」と呼ぶようになっていた。最初は嫌われたからかな、と思ったが、そうではなかった。

 彼女は、徐々に学校に復学し始めていた。友達も徐々に増えてきているとのこと。

 彼女は精神的にも徐々に自立してきたようだ。以前のように僕を「おにいちゃん」なんていうロリッ子丸出しの雰囲気は、この病院の中でろくに友達もいない特殊な環境ゆえにできあがったものなんだろう。

 喜ばしい限りだ。

 いや、本当に喜ばしいと思っているんだよ?

 僕は、南里病院に運ばれてから375日後、病院を去った。

 退院の際には、今まで知り合った病院の人たちが、わざわざ見送りに玄関まで来てくれていた。

 僕は、大きな花束を渡された。花束の中に、真っ赤なカーネーションが何本も包まれていた。その花は、確か瑠璃川が好きだった花だったな、と懐かしくなった。

 街へ行く山道は、バスを使わず歩いて行こうと決めた。

 リュックに荷物が収まりきらなかったので、大切なものは手に持って行こうと思った。

 僕の腕の右手には、さっき貰った花束。左手には、とあるタイトルの小説を持っていた。せっかく出版社から貰ったものなのに、病院の人たちからの寄せ書きはこの本にして欲しくなってしまい、結局あちこち落書きだらけになってしまった。

 この世にいない作者に心の中で謝りながら、それでもあの人なら嫌みを言っても最後には許してくれるだろうと思った。

 空はどこまでも青かった。僕の心は、その空のように明るかった。僕は、軽い足取りで街へと歩いて行った。

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モノクロデイズ @tomoyasu1994

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