第4話 両親と僕(4)
手紙
親戚一同・数人の友人達へ
この度,私荒巻大介は,将来のことを真剣に考えた結果,自ら自分の人生をこれで終わりにしようと決めました。事前に何の相談もせず,ごめんなさい。私には,もうこれ以上生きることに伴う苦痛に耐えることができませんでした。
私は,誰にも相談はしませんでしたが,幼い頃より父親から度々,仕事のストレス発散と称して見えないところで肉体的・精神的な暴力を受け続けておりました。最初にそれが始まったのは,今でもはっきり覚えていますが,幼稚園の頃でした。
私の父親は,いつも口を真一文字に結び,深刻なことや将来のとりとめの無い心配事を絶えずぶつくさと呟いているような変わった人でした。彼の精神は不安定で,仕事が休みの日やその前日は大抵機嫌がいいのですが,日中に何かいやなことがあると,帰ってきて意味も無く私や母を罵倒し,時に2,3発殴る蹴るの暴行を加えました。
最初,まだ物心ついたばかりの頃の私には,その暴力の意味が理解できませんでした。ただ,何の意味も無く父親に対してものすごい恐怖心を覚えました。身体が大きくなる中学生まで,彼が仕事から帰ってくると心臓がぎゅーっと握りしめられたかのような感じになりました。彼が家にいる間,私はずっと陰で本を読んでいるふりをしたり,父親の言いつけを何でも守るいい子になることに必死でした。
たまに休みの日に父親が家にいることがあれば,遊びに行くふりをして,外出し,公園で時間を潰したり,図書館の隅で誰にも邪魔されない静かな空間に入り浸って,つかの間の安堵を得たりしました。
そんな生活がたたってか,私はどこでも誰にでも,ひどく人見知りで恐怖心を抱きながら接していました。人と話しているときは,その人にも父親のように私を傷つける見えない心の暗闇があるような気がして,自分の素直な気持ちを伝えたり,本当はつらくて苦しいことも打ち明けたりすることはできませんでした。
私にとっての唯一,最大の救いは,母でした。
母は,父親の暴力から,いつも僕を守ろうとしてくれました。父が僕たちをぶつ時は,いつも母が率先してぶたれてくれました。母は,痣だらけの僕の顔を見て,「色白で,きれいな子になったね」と褒めてくれました。
そんな環境でいつも父からの暴力に怯えて育ったからか,僕は運動神経もよくありませんし,勉強もいつもできない子でした。そんな僕なのに,母はいつも「お前はえらい子だ」といって褒めてくれました。
僕のいるこの世界では,母が僕の存在理由そのものでした。
僕は,自分のことが嫌いです。父からの暴力に怯えて,運動もできず勉強もできず,いつも負けっぱなしの自分が嫌いです。もし,生まれ変わってくることができたなら,すごい才能はいりません。ただ,まともな父親と,大きな苦労をせず人生をあるいえちくだけの運動神経,頭の良さ,要領の良さが欲しいです。それらがあれば,僕はきっともっと違った,普通に大学に入って,人並みに就職して,人並みに結婚して家庭を築けるような,まともな人生がおくれたはずです。
しかし,今回の事故で,不幸にも母親は,父親とともに自動車に乗ってトラックにぶつかってしまい,帰らぬ人となってしまいました。
なぜ,母親まで奪うのか。運動神経も,頭の良さも,要領の良さもない僕に,世界は母まで奪っていきました。
僕は怒りと悲しみの渦中にあります。もう,限界です。もう,立ち上がれません。
最後に,僕が死ぬことで,皆さんには僕の想像を超えるような迷惑を掛けてしまうことでしょう。本当に,申し訳ありません。
そして,こんな私にでも友達になってくれた,ほんのわずかな友人達よ。今まで友達でいてくれて,ありがとう。みんな,幸せになってください。
荒巻 大介
僕は,手紙を読み終わった後も,視線を何度も紙面に落とした。手紙を何往復も読み返した。気付いたら,手が脂汗でべっとりと湿っていた。背筋は,凍るように冷たい。
そして,ありありと思い出した。
父親ににらまれたときに感じる,心臓をわしづかみにされるようなギューッという息苦しさを。
そうだ。全部,思い出した。
僕は,この部屋で,クローゼットで首を吊って死のうとしたのだ。
僕は,父親に暴力を受けていた。いつも学校では一人だった。回りの大人は,みんなどこかに父親のような狂気を持っているように見えて,信用できなかった。
僕にとって,世界で唯一心を許せる人は,母さんだった。その母さんが,一年前の丁度今頃,父親と車に乗って,トラックと衝突して,死んだのだ。
僕は,それを知って,最初は信じることができなかった。でも,病院で母さんだったものの一部を,医者に見せられた。
そして、僕はこの家に戻って,泣き散らした。この家に,もう父も母も帰ってこない。だから僕は,椅子を持ち上げ,食器棚に投げつけた。包丁で親が使っていた布団をビリビリに引き裂き,テレビをひっくり返してコンセントをはさみで切った。
僕は,この世界の全部を壊してやりたかった。こんな醜くて残酷な世界なら,僕が壊した方がましだと思った。でも,僕にとっての世界は,この狭い家の中だけだった。
家の外は,僕の世界の外側だった。そこに,僕の居場所は最初からなかった。そして,僕の世界から,ついに父親も母親もいなくなった。
僕は,しばらくめちゃくちゃになった部屋を眺めていた。将来のことを,ぼんやりと考えていた。
こんな環境で育ち,何の取り柄もない僕が,この世界にこれ以上いることはできない。早く消えなきゃ。
そんな気持ちに突き動かされた。
ネットで自殺の仕方についていろいろと調べた。
苦しい死に方はいやだな,飛び降りは失敗することがあるらしい。
ネットで記事を読みあさっているうちに,世の中には目に見えないだけで沢山の自殺志願者がいるのだと知ることができた。それだけで,なぜか同胞がいるような奇妙な心強さを感じた。
そうだ,この社会では,沢山の死にたいくらいつらい人がいる。別に,僕だけじゃ無い。みんな,死にたいのだ。この国では,年間二〇〇〇〇人強の人が自殺している。そういう人たちは,インターネットの人には見えない隅っこで,コミュニティを作って,死ぬ計画を立てている。
特に大きなコミュニティが「霧の街」というサイトで,登録者数は1万人以上もいた。そこは,場合によってはメンバーが生きることも許容するという,自殺専用サイトの中では際だって寛容なコミュニティだった。
そこの掲示板で一週間ほど書き込みをし,数人の知人を得た。そして,同時に死ぬことだけなら意外と簡単なんだとも分かった。それは,社会の陰で,自殺ノウハウが脈々と先人達から受け継がれている証拠でもあった。
掲示板のメンバーに自分の「締め切り」を宣言して一週間後,「それでは,行ってきます」という書き込みをした。メンバー達からは沢山の声援を得た。
そして,部屋の天井から百均で購入したロープを垂らし,踏み台に乗った。首にロープを巻き付け,大きく深呼吸をし,ネットで知った輪廻転生を祈る言葉を心の底で呟いた。
そのまま,勢いよく踏み台を蹴飛ばした。2012年3月16日午後4時15分。それが僕が死んだはずの時間だった。
「それなのに,誰かが見つけたんだな・・・」
徐々にキツくしまっていくロープの感触と,薄れていく意識の底で,誰かがドアを開ける音がした。きっと,誰かが僕が首を吊っている現場を発見し,助けたのだ。
まったく、余計なことをしてくれたな。
僕はそう思った。
僕の人生は、僕だけのもののはずだ。それならば、それを終わらせる権利も、僕にあるはずだ。それなのに、何処かの誰かは、僕の死を選ぶ権利の行使を妨げた。
誰かが邪魔をしたおかげで、僕はこの1年間、病院でだらだらと人生の締め切りを先延ばしにされていたわけだ。
僕の中に、強い怒りの感情がわき上がってきた。僕の自殺を邪魔した誰かにしろ、病院の人たちにしろ、僕の人生を勝手に邪魔し,僕が自由にできる権利を侵害する。
しかし、今、僕はこの家に一人だ。僕はついに、様々な妨害をくぐり抜け、自分から死ぬことができる状態になったわけだ。
ならば、さっさと終わらせよう。1年前の自殺の続きをしよう。それが、過去の僕の人生の目的だったからだ。
僕は離れたところにある踏み台を持ってきて、その上に乗った。クローゼットに結ばれたままのロープを首に掛けた。
耳を澄まして家の中の音を確認するが、やはり誰もいない。今度こそ、誰にも邪魔されないだろう。
僕の中の黒い衝動が、腹の底から湧き上がってきて、「早く死ね」と僕に命じている。僕はその衝動に突き動かされて、早く首を吊りたいと思った。
しかし、首をロープに掛けたところから、僕の手が震えだした。そして、いつまで経っても首にロープを結ぼうとしない。
ついに膝までガクガクと震えだしてきた。
僕は、死ぬことに恐怖を感じていた。
僕は立っていられなくなってしまい、ロープから手を離して床に座り込んだ。
床に座り込んだままの状態で、なんで自分は死ねないんだろう、とぼんやり考えた。
今の僕には、死ぬ理由がどこにもないことに気が付いた。
過去の僕は、この家以外に自分の居場所がなかった。それに、母親がいなくなってしまった以上、もう生きる理由はないのだと思ったから、死のうとしたのだ。
しかし、今の僕にはそれがある。退屈ではあるけれど、病院は僕の居場所だ。誰にも拒否されず,僕を気に掛けてくれる人がいて、お見舞いに来てくれる人がいる。
そして、僕はこの一年間で、人生は生きる価値があるのだと、分かったんじゃないか。人生に何の意味があるのかは、未だに分からない。でも、生きる目的さえ見つけられたなら、人生は生きるだけの価値があるものだと思ったのだ。
僕は、それをここに探しに来たのだ。死ぬためにここに来たわけじゃない。
肩の力が抜けていく。
誰かに一本取られたような気がする。こんな都合のいい展開、誰かが考えたような気がしてならない。
すぐに、白織優の顔が頭に浮かんだ。彼が病院でいたずらをする時の、にやにやとした表情が。
「あいつめ・・・」
僕は、もうこの世にいないあいつに、またも一本を取られたわけだ。
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