3章 第23話 side A

 俺は今、ひな姉がシシリー風を食べているのを黙って眺めている。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。


 頭を抱えたくなる衝動を抑え、俺は先日のことを思い出す。





 あれは、天成くんが愛花ちゃんを助けて病院に運ばれた日。

 俺はひな姉と再会を果たした。


「久しぶりだね、まー......東堂くん?」


 ひな姉が慣れない口調で呼ぶ。俺はずっと子ども扱いされるのが嫌でまーくんと呼ばれる度に反発してきた。それを気にして今さら呼び方を変えようとしているのだろう。

 でもなぜだろうか。やっと呼び方が変わって嬉しいはずなのに、今は急に距離ができてしまったように感じて寂しくなる。昔はあんなに近かったのに。


「こっち帰ってたんだね。 知らなかったよ」


 俺が何も言わないからだろう。ひな姉が話を続ける。

 知らなかったのも当然だ。俺が親にも口止めして、ひな姉の耳に入らないようにしていたのだから。

 たった1年で心が折れて東京から帰ってきた俺。そんな情けない姿をひな姉だけには見せたくなかった。


「まぁ、うん。特に言う必要もないと思ってさ」

「......」


 やっと口を開いたと思えばクソみたいな言葉しか出てこない自分に腹が立つ。悲しそうにこちらを見てくるひな姉の視線が痛い。


「ごめん、俺もう学校戻らなきゃ」


 俺は学校で今日の報告をするためにここを去ろうとする......いや、違う。本当はひな姉の視線に耐えられなかっただけだ。謝らなきゃいけないこともあるのに、言いたいこともあるのに。

 俺は黙って後ろを向き病院から出ようとする。


「待って!」


 背中からひな姉の声が聞こえる。でも、振り向けない。


「土曜の12時。いつもの公園で待ってるから!」


 俺はその声を聞きつつも足を止めることなく病院を出た。



“何様のつもりなんだ、俺......”


 ひな姉とこんな関係のまま終わりたくないと思ってるのは俺も同じだ。なのに結局最初に声を掛けたのも、最後にまた話の場を作ろうとしたのも、全部ひな姉だった。言いにくい事全て、ひな姉に言わせてしまった。


 その日、俺は帰って反省する。今日取ってしまった態度、今日言った言葉を。

 あんなにひな姉とけんか別れをしたことを後悔したはずだったのに。

 結局はあの日の俺と変わらない、ガキのままじゃないか。


“土曜日は俺がリードする。そして俺からちゃんと謝る”


 そんな決意を胸に、その日は眠りに付いた。




「てめぇ、禁煙ってどういうことだよ!」


 あぁ、これはそう。会う約束をした土曜の昼のこと......正確には俺は何も返せていなくて約束でもないんだが。

 俺はひな姉が来てくれるか不安だったので早々に着いて待っていたのだが、ちゃんと時間通りに来てくれた。


『立ち話をなんだからどっかお店でも入ろうか』


 俺は前日から準備していた言葉をそのまま言い、さっさと喫茶店に向けて歩きはじめた。

 俺がこの町でよく遊んでいたのは学生の頃だし、帰って来てからはひな姉に見つかりたくなくて極力家から出なかった。だから、知っている喫茶店なんて一店、背伸びして学生の頃入ったことがある店だけだった。


『ここでいいかな』


 しかし、そんなこと知られたくない俺は店前で躊躇する素振りも見せず、当然のように店に入った


......瞬間男の怒声が聞こえたのだ。


「てめぇ、“喫”茶店なのに“喫”煙できねぇってどういうことだよ!」


“いや、タイミング最悪!”


 俺は心の中で頭を抱える。確かに最近は喫茶店なのに禁煙っていう店も増えてるけどそんな怒鳴ることだろうか。

 俺はどうしようか考える。静かに話をしたいから喫茶店を選んだのにこんな声が響いては話に集中できないし、何より雰囲気が悪い。でもこの他に知っている喫茶店なんてないし......


 そうこうしている内に女性のウエイトレスが男性の方に近づいて来る。


“よかった!”


 この人がこの場を穏便に収めてくれるのであれば、店を変える必要もないかもしれない。


「文句あっか! 踊り場で踊っちゃいけねぇのと同じ理由だよ!」


“いやそうじゃないだろ! というか火に油注いでどうする!”


 俺は頭が真っ白になる。

 口論はさらにヒートアップし、終わる様子がない。


「お店変えよっか?」


 空気を読んだひな姉はそう言って店を出る。しばらく歩いたところで俺の様子をチラッと確認した後ひな姉が提案する。


「ちょっと騒がしいけどいつものサイゼでいいかな?」


 俺が代案を出さないと感じてだろう。ひな姉はそう言ってサイゼに歩きはじめた。

 最初から計画が破綻してしまった俺はそれに黙って付いて行くことしかできなかった......いや、俺のメンタル弱すぎじゃないだろうか。




“はぁ......”

 ひな姉はドリンクバーとシシリー風を頼んでいたが、喪失感で食欲がない俺はドリンクバーだけを頼む。

 何とか話だけは俺から切り出そうと頃合いを見るが、お互いトイレに行ったり、ドリンクバーを取りに行ったり、料理が来たり......ということをやっていたらいつの間にか会話を始めるタイミングを見失ってしまった。


 無言の時間が耐え切れず店内を見回す。


“というかここも懐かしいな......”


 チキンをつまみながらおしゃべりする高校生やパソコンに向かってレポートを書いているであろう大学生。このあたりの地域に住んでいてここでたむろったことがない学生はいないだろう。昔と変わらない。見慣れた景色だった。


“あの頃は俺もよく俺もここに来たっけな......”


 友達とおしゃべりしに来たことも家族でご飯に来たこともあったけれど、不思議と思い出すのはひな姉と一緒に来た時のことばかりだった。高校受験のときも大学受験のときも、はたまた教員採用試験のときも。よくここでひな姉に勉強を教えてもらっていたのを思い出す。


「何か食べないの?」

「いや、俺はお腹減ってないからいいや」


 ひな姉が気を利かして聞いて来るが、それを断って俺はグラスに入ったコーヒーに口を付ける。


“にが......”


 学生の溜まり場でもコーヒーは大人の味だ。そんな当然の事に今さら気付く。あの頃もずっとコーヒーは苦かったのだろうから変わったのは俺の方だろうけど。


「えーっと、天成くんはあの後大丈夫だった?」


 ひな姉が食事の手を止めて俺に話を振って来る。


「大丈夫だったよ。 ひな姉も病院で笑って話してたじゃん」

「まぁね。 でもなんか強がってるように見えたからちょっと心配でね」


 どうやらひな姉には天成くんに少し思うところがあったようだ。

 俺よりも長く天成くんを見ているひな姉の言う事だから信憑性は高い。少し気に掛けてあげようと思う。


「分かった。 ちょっと気を付けて見てみるようにするよ」

「ありがとう」


 そう言って笑うひな姉。久しぶりにひな姉の笑った顔を見て気持ちが浮つく。勘付かれないようにコーヒーの苦味で正気を保ちつつ慌てて言葉を付け足す。


「それに天成くんにとっては愛花ちゃんと仲直りする良いきっかけになったんじゃないかな?」

「え、元々あの子とケンカしてたの?」


 ひな姉が驚いて聞いて来る。きっと天成くんが他の子と喧嘩しているというのが珍しいからだろう。


「うん......といっても愛花ちゃんが一方的に喧嘩腰だっただけだけど。 今は普通に仲が良い......というか普通以上に仲が良さそうかな?」

「え、まさかの5人目!?」


 ひな姉が急に大きな声を出す。いかに学生の溜まり場であるサイゼといっても周りの人がこちらを見るくらいには目立ってしまっていた。

 ただ、それにしても気になることがあるので確認する。


「天成くんの彼女って3人じゃないの?」


 俺が知っている限りでは3人だったはずなのだが、小学校に上がって1人減ったのだろうか。


「あ、ごめん。私入れてた」

「え!?なんで自分入れてるの!?」


 ひな姉が衝撃のカミングアウトをする。もしかして俺がうだうだしている間に幼稚園生に女を取られていたのだろうか。もしそうであるなら俺は天成くんとの関わりを考え直さなくてはならないかもしれない。


「いや、これには深い事情があって......いや、別に深くはないんだけど」

「ちょっと去年の幼稚園の様子について聞きたいかな......あくまで今受け持っている児童の様子を知るために!」


 俺はひな姉を尋問する。本当は俺が言わなきゃいけないことがたくさんあるのだが、そんなもの全て棚に上げた。




 そこからしばらくはひな姉の幼稚園での様子を聞いた。

 子ども達と遊んだ話。

 子ども達から悩みを相談された話。

 子ども達の事を理解しようとして悪戦苦闘した話。

 

 その中には天成くんのことを知ろうとして空回った話や、女の子たちに天成くんが好きだと誤解された話、その子達と全力でおままごとした話なども含まれていた。


 その話を聞いて俺は思う。


“ひな姉は幼稚園に通っている子どもとどんな時も一生懸命に関わってきたのだろうな”

と。


 どの子がどんな性格なのか。

 どう接していったら仲良くなれるのか。

 どの子とどの子が仲が良いのか。


 ひな姉が話してくれる内容は、たかが一先生が普通に接しただけでは到底分からないであろう繊細な内容ばかりだった。


 そしてそんなひな姉の話を聞いていれば自然と分かる。


 ひな姉がどれだけ幼稚園の子ども達を愛していたか。

 幼稚園の子ども達がどれだけひな姉のことを好きだったか。



「流石ひな姉だな......」

「え?」


 俺の呟きを聞き、話を中断するひな姉。


「実は、東京に行っても俺はそんな風にちゃんと生徒と関わり合うことができなかったんだ」


 今度は俺が話す番だ。

 そう思った俺は、ひな姉と離れてからどんな生活を送っていたかを事細かに話し始めた。


 俺が一昨年、憧れた先生のマネをして失敗したこと。

 1年で中学校教員を辞め、東京から逃げ帰って来たこと。

 去年1年間、何からも逃げてだらだらとバイト生活を送っていたこと。

 そして、今年逃げ着いた場所が小学校で、今年から働いていること。

 

 今までひな姉にだけは知られたくないと思っていたのに話し始めると止まらなかった。

 

 ここまで話していたら、流石に分かる。

 俺は多分、本当は誰かに俺の話を聞いてほしかったのだろう。

 そしてこんな情けない姿の俺を誰かに叱ってほしかったのだ。


「......だから、俺は今小学校の先生をやってる。

 俺は正直、子ども達とどう接していったらいいか分からないんだ。

 最近になってやっと憧れた先生じゃなく、俺が俺として子どもと向き合わなくちゃいけないんだと思えるようになった」


 この前の天成くんとの会話を思い出す。何が正解かは分からないけれど天成くんには俺が今考えられる最大の助言を与えたつもりだ。ただ、この対応が正解かどうか、俺にはまだ分からなかった。


「でも、そしたら急に不安になった。こんな感じで接していって、もし、俺が俺のままで子ども達に受け入れられなかったらどうすれば良いのかなって......自分自身を受け入れられなかったら、今度は自分を変えるしかないのかなって......」


 俺は思っていることを全てぶちまけて話を終える。

 ひな姉は俺の言葉を受け、真剣に悩んでくれているようだった。急にこんな悩みを相談されても困るだろうに、ずっと相槌を打って聞きつづけてくれた。


 そしてしばらくした後、考えがまとまったように話始める。


「そうだね。本心でぶつかり合った結果、子ども達とうまくいかないっていうこともあるよ」


 ひな姉が俺の不安を肯定する。


“ひな姉にもそんな体験あるのか”


 俺が驚いていると、そのままひな姉は言葉を続ける。


「でも、それは人間同士だから仕方のないこともあるんじゃないかな。 もしそんなことがあったら、その度に悩んで、その子とお話して解決していくしかないんじゃないかと私は思ってる」


 それに、と続けてひな姉が話す。


「もし悩んでどうしようもなくなったら、今度は私もいる。相談に乗ってあげるよ」


 ひな姉が笑う。


「あと、これはあくまで私の意見だけど、」


 そう言ったひな姉は俺の手を取る。


「私はまーくんなら大丈夫だと思ってる。

 まーくんが本心で言ったことなら子ども達も絶対みんな受け入れてくれる。

 まーくんが真剣に向き合ったなら絶対心を開いてくれる。

 だから、私が保証するよ。

 きっと大丈夫」


 ひな姉の言葉は叱責ではなかった。

 それどころかとても月並みな励ましの言葉だった。


 でもこれは確かに。

 誰よりも俺の事を知っているひな姉の。

 俺が1番信頼しているひな姉の言葉だった。


 今まで俺は自分のことが信じられなかった。

 誰かのマネをして助言をしたり、大人のフリをして振る舞ったり、そんなことを繰り返してきっと自分以外の誰かになろうとしていたのだろう。

 俺が俺以外の人間であるはずがないのに。


 でもひな姉は俺が俺のままで良いと言ってくれた。

 今まで情けなく逃げていたことも全部知った上でそれで良いと肯定してくれた。

 俺はそれがこの上なく嬉しかった。


「うぇ!?」


 ひな姉が素っ頓狂は声を出す。それもそうだろう。俺が急に泣きはじめたのだから。

 ひな姉に迷惑を掛けまいと思いつつも、涙を流すのを止められる気はしなかった。


「ほら、あれだよ!

 我慢して飲むコーヒーよりもおいしく飲めるオレンジジュースの方が良くない?」


 ひな姉は俺が泣いているのを見て慌てたように言葉を足してくる。

 これは多分、俺の今日の行動を見て言っているのだろう。

 きっとひな姉は、ずっと俺が無理に背伸びしていることに気付いていた。

 まともに入ったことのない喫茶店を選んで、まだおいしいとも思えないコーヒーを飲む俺を見て、無理をしているのだと思ったのだろう。


 今なら分かる。ひな姉がサイゼを選んだのも、ご飯を進めてきたのも、前と変わらずいつものご飯、いつものドリンクを選んだのも。

 きっと無理に背伸びをしなくて良いと伝えてくれていたのだ。


 コーヒーを飲んだだけで自分が変わったなんて思っていたのが恥ずかしい。

 苦いコーヒーをおいしくないと感じている時点で、

 俺は、まだまだ子どもだったのだ。


「あ、というかまーくんって言っちゃってごめん。それに私なんかがまーくんのこと理解してる感じ出しちゃったし。あ、また私まーくんって......」


 ひな姉が慌てふためいているのを見て笑う。こんなに純粋な気持ちで笑えたのは何年ぶりだろうか。きっと心のつかえが取れたからこそこんなすがすがしい気分で笑えるのだろう。


「まーくんでいいよ。 それにひな姉が俺のことを1番理解してるよ」


 そして俺は先ほど棚に上げた話題を降ろす。

 まだ伝えられていない言葉があった。

 俺は立ち上がり、頭を下げる。


「2年前別れ際に言った言葉を訂正させてください。 本当にごめんなさい」


『ひな姉はもっと俺のことを理解してくれていると思ってたよ』


 2年前に言ってしまった失言。この八つ当たりでひな姉を傷つけてしまった事実は変わらない。そんなことは俺も分かっている。それでも俺は謝らずにはいられなかった。

 

 泣いていた俺が今度は急に謝ってさらに混乱したひな姉が慌てて声を出す。


「いや全然いいから頭あげて! それに私もまーくんに言われて初めて、本当に理解してあげられてたのかなって考えるようになったし...... 私もあんなこと言わせてごめんね?」


 頭を上げるとひな姉と顔を見合わせる。そしてどちらからでもなくお互いに笑い合った。


 この時、ようやく2年間の溝が埋まり、前の幼馴染の関係に戻れたような気がした。





 それから2人で取り留めもない話をたくさんした。

 昔もよく勉強会と言いながらおしゃべりだけして帰ったことを思い出し、懐かしい気分になる。今グラスに入っているのもあの時と同じオレンジジュースだ。



「あ、いけない。 転園の子の保護者さんと話をするからそろそろ幼稚園行かないと......」

「土曜なのに仕事なんて大変だね」


 まぁ、俺も今日は仕事がないだけである時は当然のようにある。先生という名の職業に土曜出勤は付き物なのだ。


「あぁ、いいよ。お金は俺が払っておくから」


 ひな姉が帰り支度をする途中で財布を出そうとしたため声を掛けて止める。

 何か言いたそうな顔をしていたので遮るように言葉を重ねる。


「こんくらい男の俺に払わせてよ」


 このくらいの背伸びは許してくれるだろう。ひな姉もそんな俺の気持ちを汲み取ったのか笑ってくれた。


「分かった。ごちそうさま。 また連絡するからね。 私達は幼馴染なんだからさ」



 その言葉を聞いて俺はふと考えてしまう。


 このままでいいのだろうかと。



 今日やっと昔の幼馴染の関係に戻ることができた。でも、俺が反発したのはその幼馴染の関係を変えたいからじゃなかっただろうか。


“でも、これからはいつでも会えるし......”


 そう思った瞬間デジャヴのような感覚に陥る。


 いや、これは決してデジャヴなんかじゃない。

 これは学生の頃の俺が。

 最後の最後まで関係性を変えられなかったあの時の俺が、散々考えていたことだ。

 


 そう。

 これはただの。

 逃げるための言い訳だ。


「まって!」


 今度は俺が声を掛けてひな姉を止める。ひな姉は振り向いてくれた。

 俺は天成くんに言った言葉を思い出していた。

『逃げてほしくない』

 そう俺は天成くんに言った。ならば俺がここで逃げて良い道理はないだろう。


 場所がどうとか時間がどうとか関係ない。思いは伝えなきゃ伝わらない。



 俺は意を決して声を出す。


「ひな姉。一人の女性としてずっとずっと子どもの頃から好きでした。俺と付き合ってくれませんか?」


 この日、やっと2年前に止まった俺の人生が動き始めた。

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