全裸!全裸!全裸!

夏生ナツノ@ ツイッター始めました

全裸!全裸!全裸!

 通学路、振り返るとそこに裸のおじさんがいた。

「え……………」

 思わず持っていたスマホをコンクリートの上へと落としてしまった。硬直した私にも、落下して硬質な音をたてるスマホにも意に介さず、中年太りの裸のおじさんは、そのだらしない体格に見合わない立派な革の鞄を持って、ずんずんと閑静な住宅街の中を進んでいく。いまだ硬直する私はついに追い越され、その弛んだ背中を見送ることになった。

「露出狂…………?」

 朝からとんだ珍獣を見てしまった。落としたスマホを抱きしめ、今さらながら激しい動悸に襲われた。こういうときはどうしたらいいのだろうか。警察? 警察に通報したほうがいいのか? いやでも何もされていない。いや、裸で歩くだけで違法なんだからやっぱり通報したほうがいいのだ。そうだ。そうに違いない。

 裸のおじさんはとっくにどこかへと去っていってしまっていて、今から通報したとしても現行犯逮捕はできないだろうが不審者情報を提供するだけでも世の役には立つだろう。

 そう思い、スマホのロック画面を操作しようとしたところで、近くの家から見知らぬおばさんが出てきた。

「ふああ……眠いわねえ」

 裸のおばさんだった。

 だるんだるんの三段腹の裸のおばさんが、近くの家からぬっと姿を現したのだった。

「え……………………」

「あら山田さん、眠そうねえ」

「おはよう原田さん。昨日は寝付けなくてねえ、やんなっちゃうわあ」

 近くの家からまた別のおばさんが出てきた。こっちのおばさんは痩せていて、ニンジンみたいな形をした萎びたおっぱいがいやに目につく。つまり、このおばさんも裸だった。

「やばっ、遅刻遅刻!」

「ママー、ようちえんのバス、まだかなあ」

「今日の予定だけどさー」

 走ってきた学生も、幼い子供も、二十代くらいの人も、車の運転手も、ランニング中の人も、カップルも、庭の手入れをしている人も、男も、女も、年寄りも、子供も、みんなみんな。

 裸だった。

「な……なんでぇええ~~~~!?」

 こうして、私の裸!裸!裸!な日々は始まったのだ。


「美奈、おはよ~」

「寝不足? ひどい顔だよ」

「お、おは、おはよ……」

 友達も裸だった。いや友達だけではなく、同級生も先輩も後輩も先生もみんな裸だった。みんななんでもない顔をして裸に鞄を持って学校に入っていき、教室で座ったり立ったりおしゃべりをしたりしているのだ。

 全裸で。

「本当にどうしたの? 調子悪そうだけど」

「にゃんでも、いや、な、なんでもない……うん……」

 友達の揺れる胸を直視したくなくて、席に座ってじっと俯いていることにした。

 なんでみんな裸なの? なんでみんなそのことを一切おかしいと思わないの? 唯一服を着ている私のことをどう思っているの?

 もしかして、おかしいのは私のほうなの?

「具合悪いので早退します……」

 友達が、同級生が、先生が、全員全員全裸という現実に耐えかねて早退した。当然道行く人も裸だが、顔見知りの裸を見るよりはマシだ。

「どうしよう……」

 公園のベンチで一人、呟く。きっと家に帰ったら、突然の早退にもお母さんは怒らずに、心配してくれるだろう。

 全裸で。

 顔見知りが平然と裸で出歩いているのがキツいなら、きっと両親が全裸なのはもっとキツい。だから、家には帰りたくない。

 ブルル、と音を立てて公園の前をトラックが通っていった。

「はは……今なら異世界転生してもいいかも……みんなが服を着てる世界なら……」

 戯れ言を一言。自分で放ったそれに、ハッとなった。

「まさか……まさか知らないうちに"服を着ていないのが当たり前の世界"に移動してたとか……」

 そんなことありえない、そう言いたいが、周りが全裸で平然としているのは事実なのだ。

「いやでも……みんな全裸が当たり前の世界って何……?」

 冬に凍死するだろそんなの、とブツブツ呟いていると、「もし」と頭上から声をかけられた。

「貴女、今……"ありえないこと"でお困りでありませんか?」


「それは、おそらく妖魔の仕業でしょう」

「はあ、妖魔……」

 痩せぎすの中年の女性に誘われて、近くの大きな家へと招かれた。

「私には、ちゃんと貴女が服を着ているように見えます」

「そ、そうですよね!」

「同時に、私もきちんと服を着ています。シャネルを」

「は、はあ……」

 ちら、と見るがやはり痩せぎすの中年女性が紅茶を啜っているようにしか見えなかった。

「妖魔とは、人を孤独にすることに長けた生き物。周囲が全裸に見えるのは、そのせいです」

「なんですかそのぶっとび方!?」

「そもそも妖魔とは、心の隙間に入り込み、成長し、果ては魂を食らう……ありていに言えば人の心に寄生し、寄生した生き物が死ぬまで餌とする存在です」

「ひ、ひどい……」

「では心の隙間とは? それは、孤独です。誰にも相手にされない、誰にも理解されない、だから一人でいるしかない。そういった"さみしさ"につけこむのが妖魔です。とはいえ、妖魔が入り込めるほどの心の隙間が空いている人はそうそういない。だからやつらは……"孤独'を"作る"のです」

「孤独を……作る……?」

「妖術を持って、他人と共有できないような幻覚を見せるのです。そう、例えば"周囲の全ての人間が全裸で生活してる"とかね」

 がたっ、とたまらず立ち上がった。

「じゃあこの厄介なことは、幻覚!? 妖魔が私に寄生しようとして……!?」

「ええ。実際貴女、さっきは一人で孤独に、公園にいたでしょう?」

「ぐ……」

「おそらくもうしばらくしたら、妖術で貴女と同じ年頃の女の子に化けた妖魔がやって来てこう言うはずだったのです。『私も同じように、みんなが裸で出歩いているように見えるの』とね。そこで仲間意識を持ったらもう終わり。貴女の心に入り込んで、本格的に寄生が始まるのです」

「…………っ!」

 たしかに、このトンデモな状況で同じ目にあっている女の子がいたら、心を許してしまいそうだ。

「あ、あの、どうしたら……」

「心配ご無用」

 にい、と女性は笑う。

「この私……夢月刹那は、長年そのような妖魔と戦って参りました。もちろん対抗する術は持っています。ただ、どうしても時間はかかりますし、貴女の努力も必要です」

「お願いします! なんでもしますから、私を元通りの生活に戻してください!!!」

「ええ。おまかせなさい」

 にっ、と夢月先生は笑った。


 こうして私は、夢月先生の道場で暮らすことになった。「その状況では、外に出ないほうがいいでしょう」との先生のはからいだった。

「裸……はよくわからないけど、私もね、妖魔のせいで、周りの人みんなが私の悪口を言ってるのが聞こえてくるの……知り合いとかじゃなくて、すれ違った人とかも、みんな。もう疲れはてたときに夢月先生が手を差しのべてくださって……」

「私も、朝起きたら外にいたりするの。お酒を飲んだとかじゃなくて、普通に寝てただけなのに。家族には怒られるけど、自分でもなんでこんなことになってるのかさっぱりで困ってたところに夢月先生が妖魔の仕業だって教えてくださったの」

 道場には、周りが全裸に見えるという人こそいなかったが、同じように妖魔に目をつけられ孤独に追いやられた人がいて……少し、ホッとした。同じではないけど、孤独の苦しみを共有できる人たちがいて、苦痛が少し和らいだ。

「さあみなさん。今日も清く正しく生きて参りましょう」

「はい!」

 夢月先生はおっしゃっていた。妖魔を退けるには先生の祈祷はもちろんのこと、生活を正し、清くし、そして自らを鍛え上げることが大事であると。

 先生の家に併設された道場には百五十人もの、夢月先生に救ってもらいたい人たち、通称"生徒"が済んでいる。私もそのうちの一人として、日々瞑想や修行、先生からの講義を受けている。

 ここの生徒たちはランクが付けられている。金、銀、銅、鉄の四ランクだ。先生の言いつけを守り、清廉潔白に過ごした人は評価されランクが上がっていき、最上位の"金"の生徒だけが、夢月先生のご祈祷を受けることができるのだ。

「私たちも、外で暮らせればいいんだけどね……」

 庭の掃除をしながら、雑談をする。

「外でお仕事してることは大きな評価点になるからね。金の人たちってほとんど外で仕事してるらしいよ」

「へえ、そうなんだ……外に出れないし子供私には厳しいかも……」

「でも焦っちゃダメだよ。絶対にね」

 それはどういう、と問いかけようとして、「ひいぃぃぃいい!!!!!」と悲鳴が庭をつんざいた。

「な、なに……いまの……」

「……外の仕事ができなくて評価点をとるのが難しい人がね、ときどきズルして他人の手柄を横取りしようとしたりするの。そんなの清廉潔白から程遠いでしょ? だからそういう人は鞭打ちの罰を受けるの」

 ほらあそこ、と庭の隅の少し大きめな小屋を指された。たしかに悲鳴はそこから聞こえてくる。

「こ、怖い……」

「大丈夫だよ。そんな卑怯なことをしなきゃいいんだし。ここは先生が作った結界のなかだから、妖魔も入ってこないもの。のんびりやればいいんだよ」

(とはいえ……お母さんとお父さん、心配してるだろうな)

 結界の中にいようと、電波から妖魔が入り込んでくることがあるので、スマホは先生に預けた。先生が親からここで暮らす許可をとってくれたらしいが、それでもやっぱり親は心配するだろう。

「……ねえ、教えてあげよっか。外で仕事してなくても、評価点貰える"特別プログラム"のこと」

「え、なにそれ!?」

「若い女の子や男の子で、ここで生活して、真面目に生活して半年経つと、特別プログラムのメンバーに選ばれることがあるの。プログラムは評価点もいっぱい貰えるんだよ。それだけで金になった人もいるの」

「ど、どんなことするの!?」

「わかんない。なんか別の道場に移動して講義かなんかしてるみたい。真面目にしてればメンバーに選ばれるよ」

「へえ……がんばろう!」

 半年経てば、そのプログラムとやらを受けて"金"になれる。ようやく希望が見えてきた。

(理解はして貰えてるけど……結局私には、みんな全裸に見えるんだよね……)

 プログラムのことを教えてくれた子も全裸。雑草を抜いている人も全裸。夢月先生も全裸。

 一度かかったら、その影響から抜け出すのはかなり難しいようだ。そんな状態から脱するためにも、はやく"金"にならないといけない。

「よっし、がんばるぞー!」

 真面目なところを見て貰うのだ、と生えている雑草を握ったところで。

「動くな!!!!!! 宮城県警だ!!!!!!!」

 全裸のおじさんやお兄さんたちが、やってきた。


「脳腫瘍ですね」

 それが私に下った診断だった。

 私の脳みそに腫瘍が見つかり、それが脳を圧迫して幻覚を見せていたようだ。即入院即手術となり、きれいさっぱり腫瘍がとれたら、みんながちゃんと服を着ている、いつもの風景を取り戻すことができた。

 あの団体は、悩みがある人や精神を病んでいる人を話術であやつり生徒にし、集団生活させて洗脳し、祈祷を餌にしたランク付けと無給の労働により疲弊させ、なんでも言うことを聞かせる危ない集団だったようだ。特別プログラムとやらも、要は違法な店で若い男女に性的な仕事をさせて稼いでいたとのことだ。

 しかしようやく警察がそういった違法行為の動かぬ証拠を掴んで、あの団体は崩壊し、夢月と団体幹部は逮捕された。そしてしばらくの入院の末、ようやく私は元の生活に戻ることができた。

「美゛奈゛~! よかったよ~! もう会えないかと思った~!」

「ごめんね、さっちん。心配かけて……」

「いいよいいよまた会えたんだもん……ぐすん」

 朝、久しぶりの登校のための通学路。私も洗脳は解けてあの出来事は完っっっ全に黒歴史となっていた。

「これからは変なことがあったらすぐ病院に行くよ、ほんと……」

「そうだね……」

 平穏な朝。かけがえのない友情。そんないつも通りの日常であり、とても尊いものを味わっている最中、スッ、と黒い影が私たちを追い越していった。

 裸の、おじさん。

「え……………」

 思わず持っていたスマホをコンクリートの上へと落としてしまった。硬直した私にも、落下して硬質な音をたてるスマホにも意に介さず、中年太りの裸のおじさんは、そのだらしない体格に見合わない立派な革の鞄を持って、ずんずんと閑静な住宅街の中を進んでいく。いまだ硬直する私はついに追い越され、その弛んだ背中を見送ることになった。

「え…………?」

 まさか、また。

「再……発……!?」

 膝から崩れ落ちた私の体を、さっちんが揺すぶった。

「美奈! 違う! あれ本物の全裸のおっさん! 私にも全裸に見えるから! 露出狂!」

 きゃー!と通行人の悲鳴が聞こえてくる。裸のおじさんはそんなもの意に介さず、のっしのっしと歩いている。

「紛らわしいんだよ!!!!!!!」

 怒りにまかせて投げ飛ばした靴が、露出狂の頭にクリーンヒットした。

 変なものを見たときには病院ではなく警察にも連絡しよう。そう思いながら、歩道に落としたスマホを拾い上げた。

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