19 お面

 盛夏の候を見据えて、「妖怪になれるお面」が発売された。


 顔にお面を被せると外見と行動がお面に描かれた妖怪そのものになる、という誘い文句。

 無料貸出が一週間で、それ以降は週額有料……。

 見た目は祭りの屋台で売られているプラスチック製のお面となんら変わりない。


 最初はネット通販の評価コメントで論争が広がった。

「どうやら本物らしい」という書き込みが増えつつも、「お面販売元の用意したサクラが特殊メイクやコスプレをしただけではないか。信憑性が薄い」と叩かれ、あくまで都市伝説レベルに留まっていた。


 しかし矢継ぎ早に全国の夏祭りが開催され始める時期となり、すぐの事。

 お面が小中学生の手に渡るようになると世間の反応が一変した。


 お面を被った瞬間、お化けのように半透明半実体になり。一反もめんはもめん状に細くたなびき。垢舐めは風呂掃除に勤しみ。ぬりかべは壁になり。唐傘小僧の身体は傘になり。両手足が毛むくじゃらの狼男になり。


 本当に妖怪に変身できると証明されると、手軽に仮装できるちょっと奇抜でオシャレなアイテムという認識に変わった。

 このひと夏、お面ブームに誰しも賑やいだ。




 夏休み前最終日、僕らの中学校でも「妖怪になれるお面」が溢れた。

 教室中に赤鬼、化け狸、口裂け女、人面犬がくつろいでいた。まるで妖怪学校。


 不本意ながら僕も姉に強行されてお面を着けた。

 長く伸びる赤鼻の天狗だ。口が鶏の黄色い嘴で、背中には烏の濡羽色。


 これどうやってご飯食べよう……? そもそも、どうやって席に座ろう……? 体育着に着替えられないのですが……!?


 取り敢えず姉の気が済むまで、長くて一週間はこの状態で過ごすわけだ。僕に選択権はない……。




 西日の眩しい放課後。

 学校の廊下でばったり、後輩のレイナと会った。


 猫又だった。


 ぴょこぴょこ動く茶色の猫耳と、耳のラインより下で結ばれたツインテール。心なしか普段の猫っ毛がよりボリュームアップしている。

 橙色の夕日に輝いて血色の良い頬。

 セーラー服から伸びる健康的で華奢な腕……の先の両手はふわふわの毛皮とピンクの肉球。

 無意識に目線を下げると、制服のスカートの下からゆらゆらたなびく二本の尻尾。


「かわゆい……じゃない。ストライク……何がだよ。や、あの、……お互い災難だったね、レイナちゃん」


 レイナは不思議そうに小首を傾げたが、急に合点がいったように痛恨の表情が過ぎり、疲労の影が濃くなった。


「ほんとだよ。僕のお父さん、このお面の開発者と知り合いらしくて。半強制だったよねこれ。娘を利用すんなーって感じ」


 本当に災難に遭っていた。

 彼女は不服そうに毛を逆立て、クリリと瞳孔を細くした。




「妖怪になれるお面」のネット広告でお馴染みの注意書きがあった。


 『お面を一週間以上着けっ放しにしないでください。就寝前は必ずお面を外しましょう。

 無料貸出期間が終了する前に速やかにお面をご返却ください。もし返却いただけない場合はやむを得ず利用者様を祟る事がございます。』というもの。


 催眠術は必ず解かなくてはならないと聞く。

 お面を外すという事は術を解くという事に近いのかもしれない。


 一週間以内に剝がさなければならないお面。一部、注意書きを守らない者が現れ出した。

 就寝時もお面を外さず妖怪になったまま一週間が経過した者は、お面の影響により徐々に自我を保てなくなった。


 垢舐めが風呂場に籠ったり、狼男が夜になると徘徊したり、吸血鬼が血以外受け付けなくなったり、河童が沼に沈んで地上で生活できなくなったり、木霊が木々から降りれず会社に行けなくなったり。


 そうなってしまったら、お面を外す、つまりは術を解く事すら思い出せなくなり、家族が外そうとしても激しく抵抗したりパニックで暴れ回る。


 彼らは身も心も化け物になったまま突然姿を消した。


 これらの事件は大々的に報道され、危険性が急速に知られた。


 その後、お面を開発した会社は雲隠れした。

 ネットニュースでは会社員全員がお面の副作用で神隠しに遭ったのではと噂されたが、真偽は分からなかった。




 夏休みに入って一週間ちょっとが経つ。

 僕のクラスメイトであり友人のゴイチが今日も妖怪になれるお面を着け続けている。


「もうやめなよ」


 僕が真剣に注意しても聞く耳を持たない。


 ゴイチは教室内で概ね大人しいキャラで、卓球部員。飛行機、特に戦闘機マニアでその手の話題を話し出すと止まらなくなるが、それ以外は平凡だと思う。


 常日頃「リーダーになりたい。カッコ良くみんなに指示とか出したい。意志の強い人になりたい」と言い続けていたのを僕は知っている。


 そして彼はお面の力でケルベロスになった。

 三つの頭に体は人間。三つの口で唸り、炎の尻尾をゴオッと怒らせる。


 何事も無難にこなすように見えた彼が、ケルベロスとなった頃から部活動でバンバン先輩に意見し、やりたくないトレーニングは見向きもせず、監督の教師に叱られても食って掛かり、上級生のマネージャーに一目惚れして猛アタックしてみせて……。

 傍若無人っぷりを発揮した。


 そんな彼もケルベロスのお面を被って明日で一週間。

 お面に関する良くない噂は当然僕らの耳にも届いている。

 というのにゴイチは意に介さないのだ。




 翌日、ゴイチは消えた。


 僕がゴイチの一件に憔悴している事を、電話越しでも読み取ったレイナは『カイ君、僕とお祭り行こ!』と一言。

 問答無用で連れ出された。


 夏夜。レイナと僕の二人で祭りの露店を重たい足取りで歩く。


 屋台から離れ人通りの少ない路上で、レイナは頭に乗っけていた猫又のお面を落とし踏みつけた。


 乾いた音を立て、お面が割れた。


 彼女は呟いた。


「……ゴイチ君は本当に意志が強い人になれたのかな。

 僕はどうしても自分の意志で、お面なんてなくても過ごせる、強く在れるって自分を信じてなかった以上ゴイチ君は結局望み通りの人にはなれてなかったんじゃないかって思うよ」


 僕はつい反論したくなった。


「ゴイチが頼る物を間違えた事は認めるけど、別に理想の自分を叶えるために形から入るのは一概に悪いわけじゃないよ」


 僕は形だけ反論してみせたものの、声に覇気がない。

 ゴイチへの、助けられなかった罪悪感が募って出た言葉というだけで、内心の苦さを消せなかった。


 ――僕はあれだけ忠告してやったのに。


 ハッとした。多分僕はゴイチがこうなった事を彼の自業自得だと思ってる。


 結局人生はそれぞれ自己責任だと、そういう薄情な意識が僕の根底には確実に在るのだ。

 他人の人生を面倒に思う自分本位な気持ち。


 それをそのまま吐露した。

 薄情な本音を晒す事で幾ばくかレイナに対して自分が誠実に見えやしないかという、曲がりくねった見栄があった。


 レイナはひらりと近付いた。

 体側に力なく垂れた僕のてのひらを、揶揄うように励ますように、こちょこちょと擽る。


 僕は驚いて「ちょ、ちょっと!」と飛び上がった。


「カイ君」


 彼女の声は波のない湖面のように凛としていた。夏祭りの喧騒が、僕の意識から溶暗した。


「他人を面倒に思うのはそれだけ誰かの人生が重要に見えてるってことだよ。君はちゃんと、誰かの事を丁重に扱わなきゃいけないって思ってるんだ」


 そうなのかな?


「本当に君が薄情なら『いいよいいよ、好きにしなよ、僕が保証するよ』って安請け合いしてから放り出すと思う」


 ――そうなのかな?


「カイ君はゴイチ君の事を背負えなくて当たり前。面倒に思って当たり前。他人の人生は大事だいじ大事おおごとだから」


 あっけらかんとしたレイナの言葉に心が軽くなってしまう事に、僕は自嘲した。


 ゴイチの行方は未だ不明、だが学校からもニュースでも一切説明はなかった。




 後日談。僕は一度だけゴイチに会った。


 ケルベロスの三つの頭はそのまま、肩から飛行機の翼が皮膚を破って突き出ていた。

 彼はふっと僕に焦点を合わせて、縋るような目をした。


「――な、なあカイ。お面もう一つ着けたんだ。飛行機戦隊のやつ。せめてケルベロスが取れたらいいと思って。でも、そしたら二つとも取れなくなった」


 ――がしてやれたら良かったのに、と心底思う。


 しかしゴイチのお面は恐らくケルベロスの頭部と融合して跡形も見えなくなっていた。


 僕はただ謝るしかできない。


「カイ、俺どうしたらいいかな? もう一つお面を着けたらいいかな?」


「――っ、ごめん」


「もう一つさ、卓球ボールのお面見つけてて。それ着けたら、今度こそ、これ外れるかな?」


「それは、駄目だと思う」


「じゃあどうすりゃいいの!?」


「――ごめんっ……」


 突然、ゴイチは滑稽なほどまっすぐに走り出した。


 僕は反射的に彼にしがみついた。ふわりと体が浮いた。


 ゴイチは驚愕の表情で僕を見返した。


「ゴイチは、悪くないのにっ! ゴイチが悪いんだったらお面作った人が悪いし、殴ってでもとめなかった僕が悪い……!」


 ゴイチは泣き出しそうに、しかし口元を僅かに緩ませた。


 ゴイチのケルベロスの頭が身震いするように震えた。

 僕は空気の圧に振り落とされて地面に転がった。


 化け物になった彼は何処までも直進した。


 一瞬直線に伸びた通学路が、空港の滑走路に見えた。

 ゴイチは肩から飛び出た飛行機の翼の角度を神経質にきゅるきゅる調節し、空へと、何処までも高く飛び立っていった。


 その姿は傍から見れば少し可笑しく、僕にしてみれば途轍とてつもなく悲しかった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブーム @kazura1441

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ