師弟関係あれこれへの応援コメント
師弟関係というのも創作ではかなり美味しい要素ですよね。あるエッセイでは、ライバルとは所謂互角の好敵手だけではなく、師匠や先輩のような先達タイプも該当すると記されてあったのを思い出しました。
※それとは逆に、後輩も力量によってはライバルに該当するそうです。
とはいえ、師弟関係を描写するのも書き手によっては難しい場合があるのかもしれない、というのが正直なところです。
上司や先輩などと言った目上の人にもタイプがあるのはその通りですよね。創作の参考にと読んでいた課長の心得的な本では、社長(リーダー)と課長(マネージャー)では役割や気質が違うとの事でした。
創作の中の師匠も、リーダー気質なのかマネージャー気質なのか、意識してみるのも手なのかなと思った次第です。
※ちなみに私は平社員です。
作者からの返信
本文中で挙げたヒソカが、言われてみればライバルも兼ねていますね。
強くなった相手と戦いたい戦闘狂と、それを打倒したい主役との意思が一致した結果、奇妙な師弟関係のようなものが自然と出来上がったイメージですね。(作中で師弟関係だとは明言されていなかった筈です)
リーダーとマネージャー、と言う話もなるほど、と思いました。
この世の中、一人に両方やらせようとして、歪みが生じるのかも知れません。
こう言うと語弊があり失礼でもありますが、最初に私を教えてくれた人は明らかに“リーダー”には向いていない、マネージャータイプだと思います。
逆に私が両方やらされている現状として、マネージャー面が相当疎かになっていると自分でも思います。
現実では人手不足もあるのかも知れませんが、リーダーとマネージャーの区別が曖昧な事が多いせいもあるのかも知れません。
作品の人物としても、方向性をしっかり決めておかないとキャラが容易にブレそうな要素ではありますね。
顔の見えない外見描写への応援コメント
ご無沙汰しております。
確かに多くの小説では主人公等の姿を読者が(もちろん作者も)思い浮かべる形になりますので、最後の描写の出力云々の所はその通りだな、と思いました。
この読者によるイメージの出力を逆手に取り、どんでん返しの手法を取っていた短編を思い出しました。シングルマザーの許で暮らしていた娘と飼い犬の話なのですが、入りびたるようになったシングルマザーの彼氏が「私」の友達である「ユカ」を度々虐待するようになり、「私」はその男を噛み殺すべく、散歩の折に犬などを噛み殺して練習していた……という話でした。
読んでいると「私」が犬で「ユカ」が娘(人間)だと思っていましたが、実の所それはミスリードであり、飼い犬を殴っていた男を娘の方が噛み殺そうと画策していた……というオチが終盤で明らかになるんですよね。乙一先生の「GOTH」に収録されているお話です。
結局のところ、描写でイメージを作り出すのは読者ですが、作者が誘導させる事も出来るのだなぁと思いました。長文でまとまりのない文ですが失礼いたします。
作者からの返信
GOTH懐かしいですね。同じく読んだ事があります。
今回は“声”と言う、映像作品でしか使えない要素から小説と言う媒体で出来ない事を引き合いに出しましたが、逆も然りですね。
CG技術が追い付いてなかった時代の指輪物語や、“死の接吻”という作品もそうなのですが「映像化不可能」とされる作品は、媒体の違いをうまく突いているのだと思いました。
実際、指輪物語は世の中のCG技術の進歩で実現したものの、一人称視点が鍵となる死の接吻の方の映画版は今一つ不評だったそうです。
本文で挙げたアーマード・コア6のブルートゥは、作業用重機のツギハギみたいな機体に乗り、荒くれ者ばかりの組織の中で(上面は)非常に紳士的な振る舞いと言うミスマッチ感があり、作中で唯一容姿が想像出来ませんでした。
ただ、どんな風貌をしていても、きっとさほど驚かないのだろうとも思い、それはそれで秀逸なキャラクターをしていると思います。
pvなどのアクセス状況 ~追放ものを自分で書き終えて~への応援コメント
悪役が没落する姿を見たい(そこにカタルシスがある)という読者は多いのではないでしょうか。
作者からの返信
そこがこのジャンルの肝なのかも知れませんね。
没落に至るまでの悪行をどれだけ醜く、かつ、実際に居てもおかしくない様に書くのは主人公視点と同じくらい大事なのかも、と思いました。
編集済
チェーホフの銃とLGBTQへの応援コメント
チェーホフの銃と言えば、アニメ等で「未成年主人公に両親(ないし保護者)が不在な理由」の説明でこの単語が出ているのを思い出しました。バトルファンタジーや恋愛などの場合、なまじ両親がいると展開がぎくしゃくしてしまう……といったものですね。ただこれも、最近のラブコメ物などを見ていると「そう言うジャンルだから親が出てこないのはお約束」と割り切れるのか「子供たちだけで暮らしている・保護者がいないのはどうなのか?」と疑問視してしまうかによって、読者の考えも変わるかな……と思います。
ちなみに私は後者の考えになってしまいます。親と同居していない若者の話を書こうと思ったら、18歳以上にするか、学生寮に住んでいるという設定にしてしまいがちです。九尾シリーズの主人公も一人暮らしですが、高校を出るまでは親兄弟の許で暮らしていたと明記しておりますし。
LGBTQについては難しいですね……実は私も深く突っ込んで書いていない部分でもあるのです。
とはいえ、未だに異性愛が前提で物語が作られている感は強いかなぁと思いますね。或いはウェブ小説の中などでは(男性向け・女性向け問わず)ステロタイプ的な男らしさ/女らしさのような物がある意味支持されているような気もします。
この辺りは本当に難しいのでうまく表現できませんが。
長文失礼しました。しかも前半はちょっと無関係な話ですし……
作者からの返信
今回の話を書くに辺り改めてチェーホフの銃について調べ直した時、この親兄弟が書かれない理由とされることについても目にしました。
さもありなんと思う一方、フリとオチが釣り合っているなら、ちょい役程度でも親兄弟が出てるに越したことは無いとも思いました。
本文で挙げた薬売りの少女のように、大きな活躍を予見させておきながらオチが弱いと言うのが問題な気がします。
明るい性格の主人公の両親も、笑顔の絶えない朗らかな家族であるようだ、と言うだけでも、登場人物としての親兄弟の役割は充分に果たせるように思います。
LGBTQ、ポリコレ関係については、やはりマイノリティはマイノリティである現実……と、現実と違って物語には全てに必然性が求められると言う差異を認めないと、誰のためにもならないと思いますね。
活動家の人達が、LGBTQ問題をよく“虹”に例えていますが、その例えの通り色と色との境界がとてもファジーであること、そして赤の端と青の端では明確に違うと言う事を理解しないと、バズライトイヤーの例のように「これは何ら特別な事ではないと思うべきだ」と言う“型”に他人を当てはめようとしてしまうのかも知れません。
同性愛者でなくとも人間関係だとか抜きの「好みのタイプの同性」だとかは多かれ少なかれあるのではないかとも思いますし。
若返るアラサー・アラフォー世代への応援コメント
お父さんたちの年齢に関しては、個人的には「しんちゃんのお父さん」と「毛利のおっちゃん」が衝撃的でした。多分、私自身「クレヨンしんちゃん」「名探偵コナン」を見て育ったからかもしれませんね。小五郎さんそんなに若かったのか、と今の私は思ってしまいます。というか22歳の時に娘が出来た計算ですし。
>>昭和の30歳と令和の30歳
これに関しましては、「人生七掛け説」という物を思い出しました。今を生きる人達の年齢は、昔の人たちの年齢の七掛けという説ですね。残念ながら「昔」がいつごろかまではうろ覚えなのですが、その事が書かれた本の中では30歳でようやく大人ではないか、と論じてあった気がします。
ちなみにこの本自体も、10年近く前に読んだものなので、平成20年代の本ではあるのですが……
あと確かに、精神年齢はある程度の所で若い状態をキープするのは同感ですね。古代ローマでも「人生の悲劇は80歳なのに心が20前後であるからこそ起きてしまう」みたいな言葉があったそうです。
作者からの返信
人生7掛け論は目から鱗でした。
昔から、人類みな同じ事を考えているのだなと思いました。
やはり単純に、平均寿命が性急さやゆとりに連動してるのかなとも思いました。
本文で挙げたぼのぼののシマリス君のエピソードでも、両親が要介護となった事で、大人にならざるを得ないというものがあったそうです。
私も幼い頃にこれらのアニメを見ていたのですが、野原ひろしは当時としては年齢も外見も老けて見えていたのですが、初婚が30歳オーバーがざらにある今ではしっくりきて、これも時代の流れを感じさせられます。
また、現代の35歳から見れば、彼はかなりのエリートになる事も有名ですね。
毛利小五郎は、今回調べて初めて実年齢を知ったのですが、流石にこちらには驚きました。
逆に、視聴していた当時は容貌と子供の年齢から40オーバーだと思っていたので、全く違和感が無かったのですが。
両親ともに大卒でしょうから、社会人一年目で親になったのかと思います。
作者自身については詳しくないのですが、自分の親を参照して人物の年齢を設定した結果、こうした世代のギャップが出てしまうのかも? と思いました。
吐血への応援コメント
久しぶりのコメント失礼いたします。
吐血については実生活・創作共に縁遠い事柄でしたので今回のコラムは興味深く拝読いたしました。
>>一度の吐血でコップ一杯以上の出血
先程軽く調べましたところ、血液量は体重の1/13(8%程度)だそうです。単純な出血量で生命に関わるのは1リットル程度との事ですが、吐血・喀血でコップ一杯も出てきたら大事ですよね。ご指摘の通り組織へのダメージが示唆されますし、血液やその塊で窒息する可能性もあるかな? と素人考えでは思ったり致します。
そうでなくとも、健康診断の採血で貧血を起こす方もいらっしゃる訳ですし。
※採血は大さじ1杯程度の血液を採取するそうです。
ただもしかしたら、ヒトは血の赤色に敏感に反応しやすいという話も聞いた事がありますので、見た目が派手でも実質的に流れている血の量は少ない……という可能性もあるかなと思いました。
長文失礼いたしました。どうぞご参考までに。
作者からの返信
貴重な情報をありがとうございます。
こうして具体的な数値で見ると、より致命的な失血量がイメージしやすくなったように感じられました。
実はタイムリーな事に昨日が健康診断で、採血をしたのですが、体感時間も結構長く感じられましたね。
あまり気持ちの良い時間でも無いのもありそうですが……。
赤色に敏感、と言う話も何らかの描写の糸口というかヒントになりそうですね。
言われてみれば、医者等ではない素人の我々は、少量の血でも過敏に驚いてしまいますし、事実、正確な数値としての身体の血液量や致死量についても、こうしたきっかけでもないと知らないまま過ごしていますからね。
合体メカあれこれへの応援コメント
こんにちは、モブ モブ夫です。
パーツのすり合わせに関してですが、大手自動車メーカーで勤務していた自身の見解を述べさせて下さい。
一言でいえば、『設計による』です。
例えば『A車』と『B車』を製造している場合、設計者(チーム)が異なる場合が大半です。
そして、製品にはその設計者(チーム)の癖がもろに出るのです。
試作品が組み上がり作業員の訓練が終わると製造ラインに流し問題点を洗い直す訳ですが、ここで現場の意見がどの程度取り入れられるかで量産のしやすさ(組みやすさ)が決まります。
当然、現場の意見が反映されればそれだけ組みやすく不具合も出にくい、もしくは出ても手直ししやすい車種に仕上がります。
反映されなければ勿論逆の結果に。
では、設計者(チーム)が現場の意見を切り捨てるのはどういう場合なのか。
一つは初期設計に余裕が有るか無いか。
もう一つは、設計に手を加える段階での人的、時間的余裕の有り無しになります。
初期設計の余裕に関しては経験がものをいうらしく、組むのがきつい車種だとルーキー設計者(チーム)。
楽だとベテラン設計者(チーム)の場合が大半だと思われます。
余談ですが、車種の見た目(内装含む)は組みやすさに大きく影響します。
角張ったデザインの車種は設計に余裕が生まれやすく、流線型デザインの車種はその逆になり易いです。
というかそうなります。
車の内部部品に丸い物(球状、半球状など)が少ないので、その入れ物となるボデー等が流線型だった場合デッドスペースが生まれてしまうからですね。
巨大ロボに関してですが、未来的流線型フォルムの機体は見た目や性能は良いが生産性と整備性が悪く、古臭く角張ったフォルムの機体はその逆というのは理に適っているのではないでしょうか。
聖竜の介様の一助になれば幸いです。
作者からの返信
貴重なお話をありがとうございます。
本文で挙げたルガーもどの程度の規模の現場だったのかはわかりませんが、現代の自動車でもそうした癖や、開発とのギャップがあるのですね。
作業員個々の癖については何となく想像がついていたのですが、大手でも設計と現場のギャップが結構あるようで意外でした。
一般消費者としては、自動車というのはピッタリきっちりな設計図が上がってから作り始めるイメージがありました。
そうなるとやはり、Vガンダムのような製造のしかたは、現実的にはかなりシビアなのだろうなと改めて思いました。
フォルムについても、言われてみれば丸みを帯びているものほどハイテクっぽいイメージを漠然と抱いていました。(ターンAガンダムとか、昔のiMacとか)
モビルスーツはともかく、自動車はデザインにも消費者の需要がある分、なおのこと作業性とのジレンマに悩まされそうですね。
量産機あれこれ ~ザクはザコではない~への応援コメント
こんにちは、モブ モブ夫です。
前回に引き続き鋭い考察ですね。
ロボット物の設定を詰めるのに非常に勉強になります。
今にして思えば、90年代中盤のガンダムシリーズは、作品ごとに新しい事をやろうとする姿勢が満ち溢れていたと思います。
特に『機動武闘伝Gガンダム』は驚きでした。
各国の粋を集めたキワモノガンダムは勿論の事、『デビルガンダム』が産み出す『デスアーミー』の機能美が素晴らしい。
『デスアーミー』のバリエーションは数多く、『機動戦士ガンダムSEED』以降の武装換装もこれが元ネタなのでは? と思わせる完成度でした。
作者からの返信
実は富野監督的にはGガンダムが一推しだった、と言うのも有名な話ですね。
ガンダムで、何でもやっちゃって良いんだ! と思えたとか。
当時、ジャニーズガンダムと謗られていたWも、ちゃんと理解するとしっかりした話なんですよね。
本文でも触れましたが、主人公機が使い捨てされる一方、量産機が妙に輝いていたり。
機体のコンセプトもかなりリアルでした。
美少年が余裕然とスタイリッシュに戦う話では無く、むしろ敗走に敗走を重ねて戦い抜く泥臭さに力が込められていました。
Gのデスアーミーも、ある種、富野ガンダムだけでは生まれない発想だったろうなと思いますね。
ファンタジーロボットものについて、全く詳しくない立場から考察への応援コメント
>>「魔法があれば何でもオッケー」の罠
これはファンタジーをメインで書いている身なので、そうならないように心がけて執筆していますね。
ロボット的な科学技術とファンタジーが違和感なく混在するジャンルと言えば、サイバーパンクやスチームパンクかな? と思いました。どちらもSFの亜種のようですが。
ファンタジーは確かに書き手の解釈によって魔法や妖術なども好きなように描写できるので、そこが悩みどころであり、腕の見せ所なのかもしれませんね。
作者からの返信
今回、実際の作品から考察しながら気付きましたが、魔法で巨大ロボットを動かすと言う事は核融合ジェネレータと同じ重みをもつ事に着目すると、魔法を便利道具で終わらせないよう気を付けられるようになるのかも知れません。
本文で挙げた聖戦士ダンバインが、日本ではドラゴンクエストが発売される以前=今ほどファンタジーが国内でメジャーでは無かった時代に放送されていたそうで、そう考えると当時としては革新的な設定だったのかも知れません。
いずれにせよ、SFとファンタジーを合体させるのは、かなりの大仕事だろうと思います。
真面目・ストイックである事に越したことは無いへの応援コメント
私の場合も、メイン連載の主人公は努力していると言いますか、筋を通すべき事は筋を通すタイプになっていますし、読者の方からもそのように認識していただいているみたいです。
元々は欲望に忠実でおのれの出自や能力を過信する若者として主人公を描いてはいました。ですが物語の中で起きる出来事が出来事なので、却って「子供じみた野望のみで茨の道を進む主人公は強メンタルの持ち主ではないか……?」と筆者自身も思っている次第です。
後、意図せずに嫌われるキャラにならないようにするには、いっそ「読者に嫌われる場合もあるかもしれない」と思いながらキャラを造るのも良いかもしれないなと、メイン連載を書いていて思いました。前述の主人公も、当初は「イキリ小僧やし野望が野望だけに好みが分かれるだろうな」と思っていましたので。
作者からの返信
九尾の末裔の主人公は、読む前の当初に想像していたよりしっかりした性格の印象を受けましたが「子供じみた野望~」と言うのはなるほど、逆説的にこう言う考え方もあるのか、と思いました。
現実の人間にも言えますが、必ず誰かしらに嫌われるものではありそうですからね。
何となくでも想定しておくのは大事かも知れません。
モータルコンバットの思い出への応援コメント
こんにちは、モブ モブ夫です。
モブ夫も格闘ゲームが好きでよく遊んでいましたね。
モータルコンバットシリーズも、スーファミのⅡやPS1のⅢは持ってました。
日本メーカーの格ゲーで勝ち過ぎると友達が不機嫌になっていたのですが、この作品は究極神拳などがある事で笑いが絶えませんでしたね。
ゴア表現で日本では発売禁止になっているのが惜しい……。
日本ではエロ絵ゲームがほぼ出し放題(18禁ではない作品)なのにゴア表現は駄目。
海外ではその逆と云う矛盾。
モーコンがオアシスだったあの日に帰りたいモブ モブ夫でした。
トッシー!
作者からの返信
ここまで読んでいただき、★もありがとうございます。
ゲームバランス的にも結構無茶苦茶でしたが、真剣勝負の格闘ゲームというよりはパーティゲームのような趣がありましたね。
対戦で究極神拳を喰らったらリアル罰ゲームとかやってました。
規制については斬首とか頭から真っ二つとかはそのまま日本版に移植された一方、サブゼロの脊髄ごと首を引っこ抜くやつだけ修正されたのが有名ですね。
素人目からすると、正直、大差ないと思うのですが……。
この手の規制はその国々の誰かの都合によるな、と思わされます。
エリモマエーッ!(ライデンのミサイルアタック)
群像劇の視点あれこれ覚え書きへの応援コメント
コメントお久しぶりです。
視点の切り替えや使い分けに関しましても、ある程度書く事に慣れれば色々なやり方に挑戦するのも手かなぁ、と思うようになり始めました。
私事ですが、私は小説を書く際に、一人の視点に固定して書く事がかなり多かったのです。恐らくは初心者向けの小説指南に「視点をコロコロ替えるのはNG」とあったのを、かたくなに護ってしまった結果ですね。
ですが最近は、主人公視点をベースにしつつもそれを補完する形で他者視点も挿入する……というスタイルを使ったりもしております。
それに小説って、何を「書かないか」も結構重要ですよね。
長文失礼しました。
作者からの返信
私も同じく、“型”に拘りすぎていた時期がありました。
この創作論の最初期にも書きましたが、一定期間、型に忠実に書くのも大事だとは思いますが「いずれはアレンジしても良いですよ」って事も指南書やハウツー本に書いてあって欲しいものだと思いました。
本文にも書きましたが群像劇は、敢えて渦中の人物からずらした人選をする事で「描写を伏せておく」選択肢がしやすい印象でした。
AIの作品に感想を述べる試みへの応援コメント
ヨグ=ソトースが一個人に斃されるクリーチャーのくだりで、ブライアン・ラムレイのタイタス・クロウシリーズを思い出してしまいました。
こちらでも、実はタイタス・クロウ(人間)が、ヨグ様と一対一のガチバトルを繰り広げてしまうそうです……私自身、タイタスクロウシリーズは未読なので、バトルの行方までは知らないのですが。
もしかしたら、AIの作ったヨグ様の話も、タイタス・クロウシリーズに引きずられた可能性もあるのかもしれませんね。
あと、「AIのべりすと」というAI文章作成サービスの場合、過去に書いた文章やインプットしたデータを忘れてしまうという記述を目にした事があります。
蛇足:実はブライアン・ラムレイはイギリス出身の作家でして、日本と同じく島国なのですね。邪神たちとバチボコ闘う小説を書いたのも、その辺りに関連するのでは? と言う説もあるみたいです。何処で見たかは忘れましたが。
作者からの返信
そう言われてみると、クトゥルフ神話という極めて広範囲でファジーな題材だったのも災いしたのかも、と、思いました。
恐らくこの創作論の次話で書く事になりそうですが、予想以上の難物で、早くも心が折れそうになっています。
名前からして小説執筆に特化してそうなAIのべりすとに乗り換えようかな……とか。
タイタス・クロウの前例はあるとはいえ、もっと、こう、クトゥルフもののセオリーとかあるだろう! と、モバイル相手に格闘してます。
編集済
クトゥルフものを書き終えた感想あれこれへの応援コメント
手許の本によりますと、ラヴクラフト先生とダーレス先生は手紙でのやり取りは盛んだったものの、実際に会った事は一度も無いようですね。当時の交通の便ですとか、二人の住んでいる場所の距離を思えば致し方ない事ではありますが。
また、ラヴクラフトvsダーレスのクトゥルフ神話の解釈とは別に、日本人にはラヴクラフト先生の言う「冒涜的な物」を真に解釈するのが難しいのではないか? と考察されているのも思い出しました。何と言いますか、日本では異形の存在はおぞましいだけではなく、不思議だけど憎めない存在になる事もままありますし。
実際、クトゥルフ神話系統でも擬人化・萌え系統にアレンジしたものもありまして、シュブ=ニグラスが主人公の少年の「姉」になるという漫画さえ存在します。
私もクトゥルフ神話要素はメイン連載とうに組み込んでいますが、別の神話・伝承(西遊記・封神演義等)と絡めて個人解釈を繰り広げていますね。九頭雉鶏精・九頭駙馬がヨグ様の子孫かもしれないとか、四凶の渾沌はニャル様の化身ではないかとか、そんな感じですね。
追記:ヨグ=ソトースと人間の子供に関しましては、初出は「ダンウィッチの怪」ですね。魔術師の家系に生まれた女性が、ヨグ様の子供を産んだ(産まされた)と言うお話です。息子たちはやっぱり邪神的な要素を具えていました。
それ以降もTRPGなどでも「ヨグ=ソトースの落とし子」と言う感じでヨグ様と人間の子供と言うのは出てきます。
拙作でもヨグ様の息子は登場していますね。但し母親は人間ではなく鳥妖怪ですが……
作者からの返信
同じく、文通のみの関係だったとどこかで聞いたことがあります。
それでアーカムハウス社まで設立する程となると、相当の熱意ですね。
それ以外に相手に対する余計な情報もなかったからかな、とも思います。
宗教観的に“神々”にどうしても人格を見立ててしまう性質上、宇宙的恐怖の思想や、ダーレス以降の邪神という概念が理解されにくそうなのはありそうですね。
今回の作中でも軽く触れましたが、宇宙的恐怖として考えると「時に積極的に人間を破滅させる」ニャルラトテップは、他の外なる神よりも、人類との距離感が近いように思えます。
我々人類で言えば、それこそ熱狂的な“昆虫マニア”みたいなものなのかも知れないと、ふと思いました。
人間がヨグ=ソトースと子をなした話も何処かで聞いたことがありますが……。
中央ヨーロッパ旅行記 異世界見てきたお話への応援コメント
誤字報告:
>敵に攻め込まれる時の驚異を
脅威を
旅行記、楽しませてもらいました。
ファンタジーファンには欧州旅行は最高の取材ですよね。
私も一度だけパリに行った際、同行者に嫌がられるのも構わずカタコンベに行きましたw
あれも暗くて狭くて湿っぽい、まさにダンジョンな感じでしたねー。
狭いなりの新たなバトルが描けそう、というのは面白い視点ですね。
迷宮式格闘術とかナイフ術が作れそうですw
作者からの返信
カタコンベも楽しそうですね。
こう言うと不謹慎かもしれませんが、本物に触れた感覚があるのとないのとでは、描写の幅もかなり違うのではと思います。
ちなみにチェコでは、都心部から少し離れた所にある、人骨で出来た聖堂も見学してきました。
補修工事中だったらしく、それが却って雰囲気ありました。
これを書いてから大分後になって、狭い迷宮での戦闘を書く機会がありましたが、泥臭いインファイトを書く、良い経験になったかも知れません。
プロを諦めるまでの話への応援コメント
小説書き続けて、現実をおろそかにするは経験あります。
要領いい人は公務員からプロ目指したりするようですが、私は無理で、氷河期に派遣やバイトを転々としてました。危機感なかったのは、ある意味、馬鹿だったからかもw
目指していた夢にエネルギーが足りないと気づく感覚、わかる気がします。
プロになれずとも小説を読んでもらえる環境が生まれた現代に感謝したいところですね。
作者からの返信
同じ「小説家以外に目標が無い」にしても、公務員から入る人はやはり賢明なのでしょうね。
この頃の私も(と言うか子供が生まれるつい最近まで)半ば哲学的ゾンビ状態な所もあり、真剣に向き合える本職に恵まれたのは非常に幸運な事だったのだと、自分で読み返しても思いました。
一方で、この、いい加減ながらも小説家の目標らしきものを抱いていなかった場合、もっと酷い事になっていたかも知れないと考えると、一応は今に繋がる支えにはなったのかな、とも思います。
ネットで小説が公開しやすくなった昨今は、本当にありがたいものだと思います。
バズった作品を一度消した話への応援コメント
ああ、これもよくわかりますね。
私も一作品だけバズったクチなので。
その作品はなろうオンリーで残してるんですが、多分カクヨムに持ってきてもさして人気にならない気がします。やはり勢いとか周知効果だと。
バズに動揺せず、書き手の本質を見誤らない辺り、見習いたいものです。
私も次の幸運を待ちながら、まじめに小説を書こうと思いました。
作者からの返信
何だかんだで、嬉しいは嬉しかったですね。
ネット小説は“点取り”もうまくないと、なかなか読まれさえしない側面もあるようですから、この時は純粋に作品そのものを評価されたと前向きに受け取りました。
その作品は私の中では文体がまだくどい時期だったので、読むのも大変だったろうとは思い、それもあって尚更でした。
ただやはり、一過性の人気には頭打ちがあるのも事実で、日単位のアクセスはそのうち元通りになっていましたね。
何事もやはり、こつこつとですかね。
編集済
グループに所属した話への応援コメント
ははは、これは面白い体験談ですね!w
いや、笑ったら失礼かも。すみません。
でもいかにもありそうな話だな、と。
性質的に孤独になる文章書きが群れに憧れるのは痛いほどわかります。
私も仲間欲しさにあちこち遍歴した口です。
大概のサークルなり集合体は、ろくな結末を迎えませんでしたけど。
アレです。
小説書きにまともな人間なんていないから、まとまるわけがない。
と、私はどっかで達観した気がします。
しかしまあ、創作関連で金銭が絡むと、なんでこうも胡散臭くなるのか。
小説サイト詐欺とかもリアルにありそうですよね。
自費出版とかも、そういう感じなのかもしれませんが。
大変面白い体験記でした!
追記:
あるあるですねw
蘊蓄で満足しちゃうタイプ。
書くと実力が露呈しちゃうので、余計に書かなくなるパターンです。
作者からの返信
それともう一つ「小説以外の御託の多い人ほど、作品を書いていない」と言うことも学んだ気がします。
この頃、仲間を探していた私自身もそうでしたが、小説は基本的に誰かに読まれる前提として書くもののはずなので、読まれないまま延々書き続ける孤独感には、怪しげな団体が付け入る隙も多いのでは、と思います。
型破りな物を作る為にへの応援コメント
守破離というやつですね。
私は我流でずっと書いてたので耳が痛いところですがw
私は読書経験から書き方のセオリーを覚えましたが、大抵の人はそうだと思っていました。いや、その本が偏ってるとアレなのか?
私も最初のモデルが栗本薫だったせいで、長らくダッシュを多用してたしw
編集済
漢字の比率への応援コメント
「執筆遍歴」企画のご参加ありがとうございます。
なかなか面白い創作論ですね。
全ては時間的に無理かもですが、惹かれたタイトルのものから読んで、軽く感想書いていきます。
私は、台詞に関しては漢字の軽重はそこまで気にしない派です。
というのも、ひらがなが続く文章というのは、どうしてもメリハリがなく、読みづらくなってしまうので。
なので、キャラの個性は「普段使いの言葉」を変えて出すようにしてます。
まあ結果的に漢字は増えますし、あえてひらがなを選ぶ場面もあるんですがw
あと、多少漫画的ですが、カタカナを混ぜるって手もありますね、個性。
漢字ひらがなの比率を重視するのは、作品の対象年齢が変わる場合でしょうか。
何歳くらいに読んでもらいたいかで、作品ごと使用する漢字とひらきを変えます。
まさに聖竜の介さんが、このコラムでされてるようにw
追記:
あ、執筆遍歴の書かれてる回、教えていただければ優先して読みにいきます。
作者からの返信
はじめまして。コメントをありがとうございます。
この手法は今でも続けているのですが「ひらがなの多いタイプ」の人物を書く時に、結構頭を悩ませています。
仰られる通り、メリハリが無くなってしまうので。
全体的に何らかの自分の経験則を込めて書いているのですが、その性格が強いコラムは、さしあたり、この辺りでしょうか。
「グループに所属した話」
https://kakuyomu.jp/works/16816452218321983797/episodes/16816452218465982819
「バズった作品を一度消した話」
https://kakuyomu.jp/works/16816452218321983797/episodes/16816452218475533174
「プロを諦めるまでの話」
https://kakuyomu.jp/works/16816452218321983797/episodes/16816452218885706335
「中央ヨーロッパ旅行記」
https://kakuyomu.jp/works/16816452218321983797/episodes/16816452220222251799
ニモとか滅茶苦茶懐かしいですね……あの頃はカクレクマノミ・クマノミが急に脚光を浴び、高価ながらもペットショップに並んでいた事や、修学旅行でクマノミを見た時に、クラスメートが「ニモ!」と叫んでいた事を思い出しました。
世界観がどのようなものかでもご都合主義になるか否かと言うのが分かれ目になるというのは興味深いですね。
作者からの返信
正確にはもう20年も前の作品のようですね。
作品そのものを視聴したのは初めてでしたが、キャラクター自体は確かにそれくらい長いこと馴染みがあった気がします。
カクレクマノミの、あの印象的な容貌は現実で見付けても一発で目に留まりますからね。
そういう意味でも見事な人(?)選だったのかも知れません。
ドリーの方は数年前の公開時に映画館で見ていて、苦難はあるけど比較的平和なイメージがあったので、ニモの冒頭のハードさには逆に驚きました。
通常、見た順番が逆なのだろうとは思いますが。
弱肉強食の大海原と言う舞台設定が、これくらい災難が続いてもおかしくないと言う背景になったように思えます。
何もない方が逆におかしいくらいですからね。
結婚もまた、一つの“失恋”なのかも知れないと言うお話への応援コメント
学園もののラブコメで思い出しましたが、最近は学生の主人公とヒロインがすぐに同棲・結婚みたいな感じのお話が散見されるんですよね(汗)
あと何と言いますか、家族と言う側面で語られるラブコメで違和感を覚えたのが、「姪または年少の女性親族(従妹など)を引き取って養育していたら、彼女が主人公に恋心を抱く」みたいなジャンルがたまにある事ですね。
無論これは今回のお話とはかすらないかもなんですが……兄と言うよりもむしろ保護者みたいな存在を、女の子が好きになってしまうのか。そんな事を野暮だと思いつつも疑問視してしまうのです。
そもそもその手の話は引き取る子が複数人でも必ず「姉妹」であり、「兄妹」「姉弟」ではないという所も不自然だったりするんですよね。そもそも「甥」だったらどうするのかとかそんな事もやはり思ってしまう時があります。
ズレた話で恐縮ですが。
作者からの返信
学生婚にせよ異性の親族を引き取る話にせよ、今回述べたギャップを本当に導入したら、生々しくて需要のニッチ過ぎる話になりそうですね……。
以前も話した気がしますが、特に親族を恋愛対象としてしまう話は、現実には該当する親族の居ない人だからこそ思い付くのかも知れないと思います。
それこそ“結婚に至る覚悟”が視野に無い、と言いますか。
それはそれで“夢”を描いている側面もあると思うので一概に否定も出来ないところですが。
私も、恋愛ではなく、純粋に上の兄or姉が欲しかった事があり、クラスメイトにそれを話した事がありますが、
「姉なんて居てもろくなもんじゃない」
と力説されましたね。
やはり、理由のひとつには“無い物ねだり”もあるのかも知れません。
読まれない募集要項?への応援コメント
自主企画のお話は少しタイムリーですね。
と申しますのも、運営側が仕様を変更し、最低開催期間を7日~に変更したからですね。自主企画の闇につきましては、実は参加側のみならず企画主側にも実は感じていた節がございました。
もちろん、純粋な意図(好みの作品を集めたいなど)で作られたものもございます。ですがここ一年ほど(恐らくはサポパス制度が出来た頃から)は、短期で開催と削除を繰り返す自主企画の濫立が目立ち始めていたのです。読み合い企画・読み返し企画も多かったように存じますね。
企画主にしろ参加者にしろ確かに自主企画に寄生するようなユーザーの存在は見受けられましたが、今回の「その人の主張に相手の存在がない」と言う言葉で腑に落ちました。
自主企画は何度も立ち上げておりますが、最近は妖怪もの路線で固定しているためか、カテゴリ違いの作品は殆どやってこないですね。「放置する」事を明確に打ち出しているので、参加したがらないだけかもしれませんが(笑)
作者からの返信
個人的には7日間が過不足なく丁度いいと思ってたので、仕様が変わった事に気付くのが遅れましたが、やはりその手の事情が原因だったのですね。
確かに、作品を露出させるなら自主企画は数少ない手段となりますからね。完結済みのものは特に。
やはり“嫌々やっているテストの点取り”を彷彿とさせます。
私も毎回「読み合い企画ではありません」「企画主からの読み返しはありません」と明記しています。
放置を強調するのは一定の効果がありそうですね。
(※要項をご一読下さい)と同様、読み飛ばすタイプの人は、それでも来そうですが、もはや、そこまで視野狭窄を起こしている相手には、どのみちどうしようもないですからね。
私も時々他サイト(ハーメルン)への投稿状況をコラムにしたためる事がありますが……私の場合、同一作品のアクセス推移をカクヨムとハーメルンでどう違っているのか、見る事が多いですね。
もっとも、ハーメルンは老舗と言えども二次創作が主流のサイトなので、一次創作のサブ投稿として併用するのは邪道かもしれませんが(笑) むしろ流れ的にハーメルンで人気の出た作家がカクヨムにも上陸する……と言う流れは結構多いですね。向こうは趣味一本のサイトなので、リワードどころか書籍化も殆どありませんので。
あと、カクヨムは何故か選択できる小説のジャンルが極端に少ないですよね。その部分は皆さんかなりジャンル分けに頭を悩ませるところではないかなと思います。或いはそれを逆手に取ったような作品も多いですし。
例:ラブコメの世界に転生した! という「ラブコメ」ジャンル作等
規格がある様なものではないと承知しているのですが、ある程度主要な投稿サイトごとにジャンル分けを似たようなものにしてくれていたら、まだ混乱も防げるのかなと思ったりします。
作者からの返信
二次創作が多数のハーメルンで投稿なさっている話は、予てより凄いなと思っておりました。
私も、なろうの方ではカクヨム以上に色々と不利と言うか読まれる大変さを痛感しています。
実のところ、カクヨム以外の他サイトを使う事はもう無いかと思っていましたが、こう言う検証も出来るのは有意義だなと今回思いました。
カクヨムのジャンル選択の余地が少ないのは、もしかしたら表現の幅を狭めないためかな? とも少し思いました。
それはそれで、投稿する方としては悩ましい所ですが。
今回の私(と、投稿したVRMMOもの二作)にとって、どちらが良かったのだろうと考えさせられました。
VRゲームを読みたい人の動線がはっきりしている代わりに、人気作に埋もれやすいなろうの方が良いのか、フワッとSFとしか設定できないカクヨムの方が良いのか。
年齢的な立ち位置でキャラが180度変わる事例への応援コメント
そのキャラの年齢と周囲の人々の年齢の関係性は興味深いですよね。
前も申し上げましたが、読者の方がどれくらいの年齢か(主人公よりも年長か同年代か、或いは年下なのか)によっても、印象が変わるのだなとひしひしと感じております。
実はこうした見方と言うのは、特定のキャラ(特に主人公の敵対者・ライバル)がヘイトを集めるか否かにもつながるのかな……と思う時が最近はあります。
拙作メイン連載では、雷獣の少年(前回のコメントで少し言及した雷獣です)が初登場時はやや悪役的な言動を行っていました。その後主人公の傍にいるシーンが多く、「若干嫌味な上に主人公に悔しい思いをさせる相手」と言う描写が結構長くなってしまいました。それでも寄せられるコメントからは「子供っぽい」みたいな意見はありましたが、そんなに嫌われる事はありませんでした。
私自身がざまぁされるだけのかませ犬キャラを書けなかった事もありますが(件の雷獣に関しても結構彼の内面や境遇はがっつり書いています)、それ以前に読者の方が大人であり、主人公と雷獣とのやり取りも「若者・子供同士のやり取り」と言う印象を与えていたからなのかも、と思いました。
長文失礼しました。これもまた何処かでコラムにする予定です。
作者からの返信
今回は作中の年齢的な立ち位置に限定して話しましたが、更に作品の外の作者・読者の年齢も複雑に影響し合うようですね。
私自身、例に挙げた過去作を書いていた時から十年以上の歳を経て、当該人物が昔より子供っぽく見えている部分もあると思います。
まさしく子供の喧嘩などは、当人にとっては死闘なのでしょうけど、大人から見たそれとはギャップが大きいと思います。
ジャイアンなどは、同じ目線の学友(のび太達)からすれば洒落にならない事をするので嫌われる事も多々ありそうですが、大人の目線から見るとやっぱり、そこまで憎むものでも無かったりしますからね。
(たまにドラえもんの秘密道具絡みで洒落にならない暴挙も起こしていますが)
今回、思った以上に、年齢設定の重要さを感じた気がします。
五行思想に学ぶ、ゲーム的属性への応援コメント
ゲーム的属性と聞いて真っ先に浮かぶのはポケモンでしたね……アニメを視聴し、漫画で取り上げられていたのも見ていたので、刷り込まれているのかもしれません。
これでも歳がバレますね(笑)
私もメイン連載で妖怪が絡むファンタジーを書いておりますが、五行属性って案外どの種族がその五行なのかと当てはめるのが難しかったりしますね。と言いますのも、干支に割り当てられた五行と、動物の大きな区別によって割り当てられた五行が違っている事もあるからです。
ただまぁ……妖狐は土、雷は木なので雷獣は木属性、みたいにフワッと考えたりしているくらいですね。そこで、主人公である妖狐(半妖)が格下の雷獣に苦戦しまくっていたのは、木と土の相克にあるからかな……と勝手に考えを膨らませたりしておりました(笑)
五行属性を使うなら五行属性、四元素を使うなら四元素と、作中でごっちゃにならなければいいのかなとは個人的に思いますね。
作者からの返信
ポケモンは案外、属性がややこしかったですね。アニメ版など、ある意味で、ゲーム的記号が表立っていた良いケースかも知れません。
実は、世紀末スローライフのフェンリル(笑)の話の時に頂いたコメントがきっかけで、漠然と構想のあったスキル自作システムと五行思想とが繋がりました。
例に出した吹雪(火属性)もそうなのですが、五行思想にせよ四元素にせよ、具体的な部分と抽象的な部分との違いを意識すると、表現の幅が広がりましたね。
やはり、自分が扱っているものを良く知るのは大事だと思いました。
未来世界の“お年寄り”とは、自分よりも年下であると言う話への応援コメント
そう言えば何年前か忘れましたが、20年前のゲーム機はこれ! と言うのでPS2が掲載されていたのを見て「!!!」となりましたね……時代の流れって早いですものね。
歳がバレるという概念って、いつの間にか自分の心の中にあるので不思議ですよね。私自身、それほど年齢に無頓着ではあったのですが、二十代後半くらいからそう言う概念が誕生しました。多分会社で後輩(当時18、19)が入社し、彼らの面倒を見るようになったからかもしれません。
精神年齢は若いつもりなのですが、それでも18の新入社員(自分とは一回りも年少)と接していると「この子は小学校に上がる前から既にニコ動とかユーチューブとかあったんだな」とついつい思ってしまいます(汗)
作者からの返信
プレステ2が次世代機だった時代の感覚は今でも鮮明な分、ふとした時に数字としての年数を見ると、目が飛び出しそうになりますね。
私の場合は、自分に特定のレッテルを貼りたくないのもあり、何となく今回も歳がバレそうと言うのが気になった感はありますね。
本当に、減るものでも無いのですが。
スローライフもの難しいへの応援コメント
スローライフに関しましては、カクヨム外にある投稿サイトのコラムの中に考察されていた記事がありました。
それによりますと、「自発的な新しい試み」がスローライフの肝である、との事でした(DAS〇村などが実例ではないかとも書かれてあります)
私個人はスローライフって何だろう……とスローライフをはっきり掴んでいない方になるのですが、恐らくは「普段の暮らしにのんびりひと手間掛けて暮らす」みたいな感じなのかなと(前述のコラムを読んでからは)思っています。
そう思いますと、舞台がヒャッハー世紀末でもスチームパンクでもSFっぽさ前回であってもスローライフは成り立つのかもと思いました。
あと確かにスローライフなのにマクロな事件に巻き込まれるのは不自然ですよね。
スローライフはある種の日常ものの一種なのかもとも思います。
また結論がふらふらしてしまいましたが、失礼します。
作者からの返信
興味を引き続け、なおかつ、初志がブレないように……と言う課題に対して、良い指標となるかも知れませんね。
>自発的な新しい試み
今回の作品を書いている時に知っていたら、もしかしたら違った展開になっていたかも知れません。
同時にVRMMOと言う別要素も初挑戦だったので、大きく言えば仮想空間(作中で言うところの“フォルム”)でのんびり暮らしているとも言えなくもないですが。
今回の作品やこの記事を書くにあたり、軽くスローライフものについて調べたのですが、そこでも、日常ものとの相似が指摘されていましたね。
VRMMOものを書き終えてへの応援コメント
連載お疲れさまでした。
VR拷問の件もそうでしたが、確かに死んでも復活するゲームであれば、「死生観」は異なってきますよね。その辺りは私にもどうなるのか、判然としません。精神への負荷がきつそうだなぁと、素人考えで思う位ですね。
強いて言うならば各個人のグロ耐性に左右される部分もあるかもしれません。これはあくまでも「そう言うシーン」を目の当たりにするだけの事を考慮しての話ですが。
また、実体験ですがグロ描写・グロ画像への耐性も年と共に変動する事すらあります。高校生くらいの時は割と平気・怖いもの見たさで見ていたような物であっても、ある程度大人になったら(二十代後半とか)「うわキッツ……」となる事もありますし。
とはいえもしかしたら順応しちゃう可能性もありますよね。それはそれで問題が無いと言いますか別の意味の問題があると言いますか……
フワッとしたコメントで失礼します。
作者からの返信
今回も、感想等ありがとうございました。
作者のイメージ的には、今回の“カレント・アポカリプス”は、色んな意味でVRMMOに慣れた上級者向けタイトルでした。
VRMMO自体、現実の食糧問題解決と言う、“遊戯”以上の重大な役割を担っている事もあり、可能な限り多様なニーズに応えねばなりません。
グロ耐性などは、その最たるものであろう事を考えると、それこそダメージが数字だけで管理されて痛みは全く感じられないものから、多少小突かれた程度の痛みまでは感じるものも、あるのかもしれません。
剣が刺さっても血が出ないものもあると思います。
以前、FF7リメイクをプレイした折、恐らくCEROを低くするために、実写同然のグラフィックで血が全く出ない光景に違和感を禁じ得ませんでした。
痛みを感じる世界・感じない世界の
いずれを経験しても、現実世界への復帰は困難になってゆくだろうと思います。
(まだ一作だけですが)シリーズに対して身も蓋もない事を言うようですが、普通にVRで生活させるだけならゲームの体を取る必要はないはずです。
無論、そうした刺激を「ユーザー自ら」望む事は大いにあると思いますが。
VRMMO制度があったとしたら、政府による体の良い口減らしになりそうな気がしてなりません。
しかし純粋に小説の題材としてのVRMMOには多くの可能性を感じた執筆となりました。
個人サイトむかしばなしへの応援コメント
先行者…懐かしいですね。今になって思えば酷いジョークで、もう日本の科学力がさほどでもない今日では皮肉な気分になりますね。
小説サイトの交流について興味深く読ませてもらいました。
時代と世代が変わってゆくのだなあとしみじみ思いました。
作者からの返信
今にして思えば、先行者もまた、ステップアップの途上と思えば馬鹿にしたものでも無かったのかも知れません。
交流サイトやツールは、こうして振り返るとやはり、機能やレイアウトに制限があったり簡略化されて、盛んになった気がしますね。
誰でも出来るように、という敷居の低さも進歩の一つなんだと学びました。
物語仕立ての“武勇伝”に感じる違和感への応援コメント
ざまぁ系の中には、ざまぁするカタルシスを重視するあまり、ざまぁされる対象が残念な人物になっている場合もありますからね……そうした人物にクビ/婚約破棄されるという所で、主人公もどっこいどっこいでは、となってしまう事もあるようです。
共感についてですが、案外「読者と作中の主人公」の関係性も無視できない部分があるなと近頃思うのです。
例えば主人公が十八歳の若者と言う部分は変わりませんが、読者が同年代なのか年上なのかなどと言った部分でも読み手ごとに印象は変わるという感じですね。もちろん、性別・人生経験・社会経験の違いなどもあるでしょうし。
作者からの返信
今回ご紹介した私が違和感を覚えるタイプの話は、肝心要である筈の悪役も粗いものばかりでした。
ちゃんと、私欲や負のオーラを剥き出しにして情感豊かな筈なのに、とりわけ成敗されるシーンでの狼狽えぶりなど、サンドバッグとか“そう言う装置”にしか見えないんですよね。
やはり、無能は無能でも、主人公にはどうする事も出来ない状況を作り出す狡猾さだとか、
現在の権威を手に入れ、維持している曲がりなりの強大さを書き切れていないからなのかもしれません。
仰る通り、そんな相手とやりあっている主人公も相対的に同レベルに落ちているようにしか見えず、ともすれば悪役が主人公の延長線上にあるものにすら見えてしまいます。
もう一つ、作品(もしくは体験談)と読者(もしくは聞き手)のギャップを埋める努力、擦り合わせる努力の有無かな……と、頂いたコメントを拝見して思いました。
恐らく、私が最も違和感を覚えるシーン=作者が最も熱弁しているシーンでは、特にそれが無いように思えます。
結局、他人事を他人事の範疇から抜け出せない限り、需要がないと思います。
編集済
ビームあれこれへの応援コメント
レーザー加工機は職場に導入されたので実際に使用した事がありますね。
製品の表面に加工する工業的な使い方でしたが、位置合わせ・条件の設定出しが結構大変だったのは覚えてます。ただ、材質や厚みがほぼ同じなので設定の使い回しは多少できますが(笑) それで違う材質になると、加工の仕上がりが異なるのが印象的でした。
ビームサーベルに関しては空想科学読本で考察されておりました。曰く斬りつける様な動きをすると軸がズレ、持ち手も危険にさらされるとの事。
あと、レーザー加工機(工業用)はレーザー光が目に入ると危険なので、光が見えない箱の中で照射する・レーザー加工用の保護メガネをかけると言った対策が必要だったりします。
もしかしたら、レーザー武器はレーザーとしての機能(切断・貫通)だけではなく、レーザー光そのもので「目がァァァ……!」みたいな攻撃もできるのではと思ってしまいました。
追記:断面が汚い……状況が目に浮かぶようです。結構制御が難しいですからね。
作者からの返信
私が直接見たのは主に切断の用途に使われていましたが、表面に図を描いたり、微細な加工が出来るようですね。
一応の切断が出来たとしても、客先の要求次第では断面が汚いから駄目だ、とされることもあり、そう言う時はかなり四苦八苦しているようでした。
空想科学読本は同じのを読んだかも知れません。確か、ビームサーベルは剣にせずに飛ばした方が良いと言う、身も蓋もない結果になっていた記憶があります。
ガンダムにはミノフスキー粒子、スターウォーズにはフォースと言う、現実にはない要素があるので、考察が大変そうでしたが。
視覚的な危険と言う意味では、もしかしたらSF世界やレトロフューチャーでよく見る、バイザーみたいな装備の理由になるかも知れないと思いました。
神の視点バイアス・おまけ ~ペルソナ4でのケース~への応援コメント
殺害を救済と見做すって某事件を思い出してしまいました……ですが、あの事件と違って生田目は異界に隠す=殺すとは思っていないみたいですもんね。
大切な人が殺されたら私刑を行うで思い出したのですが、最近のウェブ小説の「人気作」って、主人公が激昂して悪や敵を斃すって話が案外少ないんですよね。
別に闘って斃すシーンが減少している訳ではなく、あくまでも「平常心又は冷静な状態で」行っていると言う印象がありますね。奇しくもメイン連載で準主役が激昂して敵に反撃するというシーンを書いていてふと思いました。
別サイトのコラムにて「俺ツエー系の主人公が強そうに見えるのは、能力ではなく敵(人型・人含む)を斃す際の躊躇が見られない」と言う意見もあり、それとも関連性がありそうだなと思ってます。
作者からの返信
実際、その事件を想起させる意図もあったのでは無いかと思います。
とにかく、生田目を胡散臭く感じさせる伏線が沢山張られていました。
“救済”と言う、仰々しく傲慢な言い方もシャドウ(生田目のヒーロー願望が大袈裟に誇張されたもの)による発言であるから、真相がわかった後でも何ら不自然ではないのが巧みです。
昨今の人気作の傾向も、興味深いですね。
ある意味では、作者は作品を作品として俯瞰しているのかも知れませんが「作中人物の立場になって想像してみる」部分が欠けていると、そうした殺人マシーンに意図せずなってしまうのかな? と思いました。
作品を他人事として自認する事・しかし自分ならどう感じるかと言う想像、
一見して相反するこの二つについてバランスよく考えないと、これらの齟齬が生まれてしまうのかも知れません。
神の視点バイアス・後編への応援コメント
>>「作中人物と現実の自分は立場が違う」
本コラムの内容とは少し違いますが、長らく「原作世界に入り込むタイプの二次創作」に対して何故私が違和感を抱いていたのか、その原因が分かった気がしました。
あの手の作品は、主人公が「自分の知っている物語に転生/転移する」お話ですね。そのためか今いる「世界」がフィクションであると思っていたり、相対する登場人物たちをキャラクターだと見做していたりするところが見受けられるのです。カクヨム内での一次創作作品よりも、別サイトの二次創作作品でその傾向が強い感じですね。
これも主人公は作中の人物なのに、「違う世界(=現実世界)」にいるかのように振舞っている・考えているがためのズレなのかなと思いました。
どういった意図かはさておき、作中で転生キャラが「この世界はラノベが下地だから世界観なんて軽いもの」と言っていたのにちょっとモヤっと来ちゃいましたし(こちらは一次創作で、「架空の原作世界」に転生したというお話ですね)
作者からの返信
言われてみれば、誰かの作った世界に入り込み「自分ならこうする」と想像するロールプレイと言う意味では、通じるものがあるかも知れません。
今回ご紹介したコベナントでの一件も、何があっても現実の自分に危害が及ぶわけではない、ゲームとして俯瞰しているからこそ判断が下せたのだと思います。
もし自分がリアルにミニッツメンを率いる立場にあり、その支持勢力であるコベナントの実験を目の当たりにしたら……相当悩むと思います。
むしろ、今立っている世界が創作物であり、他人が全て“キャラクター”である事が自認できている様をリアルに想像したら、かなり怖いと思いますね。
そもそもジャンルに貴賤は無いと言うのはひとまず置いておいても、世界観が軽ければろくに法整備されていない、それこそフォールアウトや北斗の拳のような目に遭いそうですし、逆にやたら世界観に拘ったライトノベルだとするとルールに適合出来ずに死刑にされそうです。
また“キャラクター”だらけの世界と言うのも、他者がロボットしかいないようなもので、そういう意味でも不気味ですね。
やはり、世界に対する一定の自認が無いと、書く時には世界のディテールが粗くなり、読む時には理解の妨げになってしまうのではないかと思います。
個人サイトむかしばなしへの応援コメント
確かに懐かしい話です……私自身ウェブ小説を見始めたのが2000年代末ごろではあるのですが、BBSとか掲示板とかキリ番ゲットとかはギリギリ知ってますね。
と言うかその頃はラノ研とか読み漁ってました。
フォントの装飾に関しましては、太字とかはあれば有難いですが、あんまり多すぎるとそれはそれで(読む側が)しんどいかなと思います。
実はハーメルン(二次創作が盛んな所)は、かなりフォントの装飾の種類が多いみたいなのですね。太字・異なったフォントだけではなく、文字が揺れたり動いたりするものも見かけた事があります。動くフォントは流石になぁ……と言うのが個人の意見ですね。
あと小説家になろうとか携帯小説系統は背景の色と文字の色を自由に変えられるみたいですが、見づらい色の組み合わせ(黒+赤など)ですと、やはり読むのがしんどいなぁと素直に思ってしまいます。
作者からの返信
振り返ってみると、ネットの交流文化も当時からあまり変わっていないようで、結構様変わりしてたんだなと、本文を書きながら思いました。
キリ番を踏んだらイラストを貰えるなど、今ではなかなか考えられません。
文字が動く、と言うのは流石にやり過ぎに思えますね……。
それを画期的に使いこなす方法が無いとも言いきれないにしても、大半は失敗に終わるであろう事を考えると、投稿サイト側がそれを出来るように作るのはどうか、とも。
それによる失敗も、経験と言えば経験なのかも知れませんが。
そう言えば、なろうで背景の色を変えている作品を見た気がしますが、ほとんどの人はデフォルトの色でやっている印象ですね。
昔は逆に、黒背景をよく見掛けたものですが、ネットを始めたての頃として、視覚的なインパクトはあった気がします。
時代が進むにつれそのメリットが薄れると、目が痛いと言うデメリットだけが残り、廃れたのかなと思いました。
キャラへの共感と言うのは、読み手・書き手共に考えさせられる部分ですね。むしろ書き手の方が難しいかもしれません。「大人」のキャラを書く際に中学生や高校生の書き手が書いた大人と、社会人(20代以上)の書き手が書いたそれでは大分異なって来るでしょうし。もちろん、若い書き手でも周囲の大人を観察し類推して書く事は出来るでしょうが。
さてロールプレイについてなのですが、数か月前に読んだ本の中に興味深い記載がありました。
その本曰く「けれど、演技が本当の自己と同じくらい正確に自己を語る場合もあるのだ。なぜって、本物の自己よりももっと自由だからである」との事。
(囚われし者たちの国――世界の刑務所に正義を訪ねて
バズ・ドライシンガー著、梶山あゆみ訳 紀伊国屋書店)
若干特殊な状況下でのお話ではあるのですが、「何かを演じる行為は何かを偽る行為だ」という自分の考えを打破してくれました。
メイン連載で「演技が上手だけど嘘や誰かを騙すのが苦手」な主人公を書いているのですが、「演技が上手」と「嘘や偽りが嫌い」は矛盾しないのかもしれない、と思ったりしていますね。
或いは書き手が登場人物を書く時、別人格と見做していたとしてもある種のロールプレイかもしれないと思ったりですとか。
作者からの返信
逆に、大人が高校生を書くと、年相応に書くのが大変なように思えます。
前にも何処かで似たような事を話した気はしますが、大人→未成年を書く場合、自分が通ってきた道の筈なのに思いの外大人びてしまう事が多いですね。
例えば高校が舞台のゲームなどは、ともすれば40代~50代の方が書いている事も大いにあり得ますからね……。
演技が~の話は、確かに言われてみればって感じで興味深いですね。
ゲーム内で野盗や辻斬りをしたとして、勿論現実で同じことをするわけがないにしても「もし捕まるリスクが無いとしたら」と言うシミュレートに(ある程度・間接的に)なっている気がします。
やはり非戦闘員は狙えないのか、マップの隅々までNPCを探して全滅させようとするのか、その光景を見てどの程度楽しそうにしているのか。
それがダイレクトに人格を表すわけでは勿論無いのですが。
ゲームはまだわかりやすい例ですが、日常的にある程度の演技は誰しも行っているのだろうと思います。
他人の落ち度に対して心情的にはそこまで怒ってなくても、相手にショックを与えてでも再発を防がなければならない場合など、本心より割り増しで怒ったり。
それによってピリピリした空気に当てられて、本当に怒りが増してしまうと言う事も大いにあり得ると思います。
演技からでたまことと言いますか。
フォールアウト4の思い出 ~人造人間あれこれ~ その1への応援コメント
洗脳魔法・洗脳術への考察がとても興味深かったです。
私の作品も妖怪が登場し、ファンタジーの部類になるのですが、洗脳術は(作中キャラの周辺では)出てこないですね。難易度はどれほどのものか考えてはいないのですが、登場妖物たちは「洗脳術で相手を縛るのは三流の行う事」と考えているのではないかと思っています。
とはいえこれは、妖怪間の個体の強さに大きな開きが出る場合があるから……と言う点があるが故のお話になるのですが。或いは筆者である私自身が洗脳術を好まないからと言う単純な理由なのかもしれません。
作者からの返信
まず、あらゆる魔術・技術は、存在している時点で自分に向けられる可能性を前提としなければならないと思います。
ゲームは勿論のこと、ともすれば昔話でも“魅了”的な術は頻出していますが、効果の強弱に関係なく「効いている瞬間とそうでない瞬間との境目とは?」と言う、それこそ人造人間問題に近い、哲学の領域にまで足を踏み入れてしまいます。
そして多くの場合、こうした洗脳と言う表現を使うにあたり、そこまで気にされていないとも思います。
フォールアウト4の思い出 ~秀逸なルート分岐~ その1への応援コメント
ルート分岐で思い出したのは「アンダーテール」というRPGですね。
実は度々言及していた某ゲームはこのアンダーテールの事です。こちらはモンスターの封じ込められた地下に落ちたニンゲンの子供が、地上へ戻るために冒険をするという筋立てですね。但し、モンスターたちは地上に出る事、封印を解くために人間のタマシイが必要なので、プレイヤーと敵対する事になります。
普通のRPGよろしくモンスターを斃し(ここは「殺す」と言い換えても良いでしょう)レベルを上げる事も可能なのですが……実はレベルを上げなくても、モンスターを斃さなくてもゲームがクリアできる仕様になっているんですね。
やはりネタバレになってしまって恐縮ですが、モンスターを斃した事で上がるレベルは実は「暴力レベル」だったですとか、周回プレイを前提としているためにゲームでありがちなセーブ・リセットなどのメタ的な物が物語に絡んでいたりですとか、中々に作り込みがすごいです。実際二次創作が国内外で多数あるほどですからね。
ちなみにこのゲーム、レベルを上げる事「だけ」に特化していると隠れルートに入り、「攻撃力・防御力・HP全て1」のラスボスとの闘いになる訳です。そこに至るまでの難易度は(技能的にはもちろん精神的にも)爆上がりなのですがね……
作者からの返信
有名な所では“ニーア レプリカント”という作品もそうなのですが、“真実”をどのタイミングで明かすかと言うのは非常に大事だとわかりますね。
ゲームに関してはそこそこ明るいつもりでしたが、アンダーテールと言うタイトルは初めて聞きましたが、以前からお話を聞く感じ、メタ的な演出が凝ってそうですね。
ちょっと調べてみようと思います。
編集済
フォールアウト4の思い出 ~レトロフューチャー~への応援コメント
未来のテクノロジーの予測って難しそうですよね。それでもやはり魅力的な物だったらしく、明治時代か大正時代にも「100年後の日本」というのを予想した記事があったそうです。
一方で、「未来のテクノロジー」として物語に出てきた物に感銘を受けたキッズたちが、長じてそれに似たものを作る……という事もあるみたいですからね。その辺は相互作用とかもあるかもです。
近未来~遠い未来がどのように物語で描かれていったかについては、円道祥之氏の「空想歴史読本」が面白いかもしれませんね。こちらはちょっと古い(1999年)書籍ではあるのですが、エヴァ・ガンダム・ドラえもん……などでの出来事を時系列順に並べて考察なさっています。
最後の後書きに「空想歴史が扱っている未来はせいぜい千年先」というのが興味深い所でもあります。
追記:空想歴史読本は空想科学読本の姉妹本ですね。実際には過去・現在・未来の3パートに分かれておりますが、コラムの内容上未来のお話に言及しました。
ちなみに読本によると、人類は猿によって滅ぼされるのだとか。
作者からの返信
物語に影響されて、それの実現を果たした結果、嘘から出たまこと(と言うと語弊がありますが)になった、というのも因果は逆ですが、予言と言えるのかも知れません。
テクノロジーとは少し違いますが、キャプテン翼に憧れてプロになったサッカー選手は相当居るとか。
私もあまり読まずに終わったのですが、内容的にはトンデモな描写が多い印象でしたが。
空想科学読本は(昔、何冊か持っていました。
取り上げられている作品の順番は意識せずに読んでいたので、時系列まで意図して書かれていたのは驚きです。
昔より知恵の付いた今、また読みたくなってきました。
名台詞とTPOへの応援コメント
個人的な意見ですが、「物語には自分の思想が出るから気を付けろ」などと言った強い言葉は自分に向けたものなのか相手に突き付ける物なのかで大分印象が変わってくるように感じますね。自分に向けた言葉であればおのれを律するという意味合いでまだ良いのでしょうが、相手に突き付けるとなると良くありませんし。
昔、某妖怪なアパートの作品内で「歳を喰っただけのやつを大人とは認めない」という言葉があったのですね。当初私はこれを「歳を~(だから自分も言動を気を付けなくては)」という自分(語り手)に向けた言葉だと思って素直に感動していたんですね。しかし実際には「歳を~(だからお前などを大人とは認めない)」という他者を貶める言葉に過ぎなかったと気付きがっかりした事はあります(汗)
>>名台詞と言うのはその前後に、当事者達の(時には命を懸けた)出来事の結果生じるもの
私事ですが、メイン連載にて「敢えて似たようなセリフを使う事でそのキャラの心的成長を魅せる」という手法を最近使いました。
・誰の許しを得て手を触れているんだこの下郎が!
・誰の許しを得て発言しているんだ、下郎
上述の二つは、文字そのものはよく似てはおります。しかし一方は「泥酔した挙句取り巻きを従え乱痴気騒ぎを行っている際に放たれた一言」であり、他方は「卑劣な犯行を行った犯行グループへの怒りに燃えた一言」なのですね。同じ言葉でも印象は異なるという点を示してみました。
この辺りは別途拙創作論でも書こうと思ってます。
長文失礼しました。
作者からの返信
他人に何かを要求する場合、更に責任のハードルは高くなるでしょうね。
持論ですが、他人に厳しくするなら自分にも厳しく、自分に甘いなら他人に厳しく要求する資格は無いと考えています。
これも徹底を強要するとまずい面はありますが……家の中ではよく言ってしまいます。
まして思想が自前のものであるなら、まだ節度も守られるものですが、それすらも借り物であった場合、発せられた経緯からして無責任なので、本文で述べました通り、最悪他人に迷惑をもたらすケースも多かったと思います。
同じ言葉をもって、発した人の精神的成長を表現するのは面白そうですね。
言葉そのものの是非ではなく、その言葉を何のために使うのか、は大事だと思います。
作品の外でチャンスを逃す事への応援コメント
これは気をつけなければと何度も頷きながら読ませていただきました。私はSNSを活用して作品を宣伝したりささやかに他の作家さんとの交流を楽しんでいますが、自分の作品が大切なので作者が嫌われるような言動をしてはならないと戒めています。
また、他作品を引き合いに出すことについて、私も微妙な気持ちになることがありましたのでとても共感しました。どうもその方の感想スタイルらしく、まあこういう人もいるか、と流していたのですがあまりに繰り返されるので辟易してしまいました。
その方も作品を書いているのですが、同じことをされてもきっと不快にならない感性なんだろうなと思います。
自分も同じことを他の作家さんにしないよう気をつけたいところです。
作者からの返信
実は、後半の、何故かジョジョになぞらえた感想を下さった方に、逆の立場の時にトゲのある返信をされた事があります。
そう考えると「自分なら、作品の意図を誤解されても、そんな狭量な返信はしないのに」と思っているつもりでも、苛立っていた事があったんだなと反省しました。
◯◯(他作品)に似てますね、と言う感想が世間では結構な地雷なのは聞いていましたが、全く掠りもしない作品を挙げられると、これもこれで不快感があるものですね。
次回の話題として取り上げるかもしれませんが、ジョジョやガンダムなど名言の多い作品が、TPO無視で引き合いに出されるケースが多いのですが「それを言いたさに、こちらの作品をきちんと読んでないのでは」と邪推してしまいます。
あとは、この話を書いていて「こちらが返信する時は、それを出さずに飲み込んだのに」と言うことを思い出したと言う、器量の小さい理由でもあったりしますが。
「出版社からの書籍化」を、マスメディアという共通点で「テレビ番組への出演」に置き換えるとするならば、Web作家というのは小劇団の団員や、youtuberみたいなものだと思うんですよね。
マスメディアへ上る事に拘ってるより、今のステージで完成形を模索する方が最終的な質もあがるし、日々が楽しくなるのではないかな、などと思う次第です。
自分の話で恐縮ですが、自分の場合は↓これをやり始めた時から、自作を書いたらこれに加える事が完成形みたいな状態になり「単品でも楽しめる形で書いてはいるけど、それだけだと断片って感覚で、仮に書籍になっても断片感が拭えない」という心理に至ってしまったんですよね。
https://kakuyomu.jp/works/16816927859652865113
逆に言えば、リンクからのジャンプが容易で無料公開されているWeb媒体だからこそ可能な物に行き着けたんじゃないかと好意的に考えていたりもします。
作者からの返信
これはナイスアイディアだと思いました。
確かに投稿サイトでなければ出来ない事が実現していると思います。
読者としても、どのように読むのか(歴史の時系列順に読むのか、自分の好きな時代から探すのか等)
探しやすく、紙媒体には無い小回りも利きそうだと思いました。
私個人は、三国志のテレビドラマを通して観たのと、北方三国志、安能訳封神演義を読んだくらいですが、やはり歴史は連続しているものなので、各時代の簡潔な解説があったのはありがたいと思いました。
完結させた自作品に、後付けで人物を増やしてみる試みへの応援コメント
物語としてのスケールがキーかもですね。
極端な例を上げると、痴情のもつれを描いた密室の会話劇とかにキャラを追加するには、プロットから何から組み直さねばいけません。
しかし逆に世界規模の戦いみたい場合なら、主人公たちと出会っていないところで同じ敵と戦っている人間がいくらでもいるので、主人公の旅路を少し伸ばすだけで、簡単にキャラを増やす事が出来たりするんですよね。
指○物語、ガ○ダム、ス○ーウォーズなんか良い例ですなw
作者からの返信
確かに、その中でも取り分けガンダムは、外伝や続編などで、舞台を一度白紙に戻しているのもあってか、うまく後付けしている印象ですね。
逆襲のシャアで、作中十数年前の因縁を持ち出してきた時は、流石に「今更言う?」と思わなくもありませんでしたが。
痴話喧嘩などのミクロな視点での出来事は“場所”を変化させにくい一方、戦記もの等の戦局など大きな視点での出来事を新キャラで動かすのも、なかなか難しいと言うジレンマを感じます。
極端な話、歴史に残る名軍師をもう一人増やしてみたりするのは、困難でしょうし。
>>全ての回復魔法を使える・最も高威力の攻撃魔法を使える・必殺剣も完備
小説世界だと所謂メアリー・スーとかオレ主(二次創作で混入されるオリジナル主人公)みたいだなぁとふと思いました。もしかするとハイスペックなテンプレ主人公も、一次創作の枠組みではありますがそう言った者たちの子孫なのかもしれませんね。
「世界観やプロットの方が主人公(“自分”や読者の投影)に忖度する」というのも興味深い話かもしれないです。確かにゲーム内での要素はかなり単純化されてますものね。戦闘面でも極論HP・攻撃力・防御力の三要素だけを考えればOK、みたいな作品もありそうですし。もちろん創作でそこまで露骨にパラメータに依存した小説でなくとも、「主人公の方が敵よりも魔力(妖力)が上だから、負ける事はない」みたいな事を書かれているとモヤっと来ますね。
多分私は「強かろうと精神と経験が伴っていなければどうにもならない」「弱者が策を弄すのが好き」という気持ちが強すぎるだけなのかもですが……
作者からの返信
前回言っていた、制約になっていない制約も、こうした自分への甘さに起因しているのではないかと思いますね。
ちなみに当時、この万能勇者タイプ一人でボス戦のテストプレイをしてみたのですが、一人で何でも出来るとは言っても所詮、手数は一人なので劇的に強くは感じませんでした。
ゲーム的な世界は、数値で単純化されているのともう一つ、職業選択なども現実のそれより単純で「人生の完成形」が遥かに浅く、それを参照して書いてしまうから手っ取り早く結果を求めてしまうのでは、と、今回の話を書きながら思いました。
特に追放ものなどは、何処かネットゲーム的なものを前々から感じていました。
〇〇ダイーン! はやる夫スレで味方がやられた時の定番セリフでしたから、やっぱりやられ役という認識はされてましたね。
敵だと強いが味方になった途端に弱くなるキャラのテンプレといいますか。
確かにクロコダインをタンク役として見れば優秀です。
文化の熟成のおかげですね。
作者からの返信
私もこう言う話題を読む頻度はそれほど高くないものの、クロコダイン軽視は割りと最近まであったイメージですね。
やっぱり、スレの様式の一つにもなっているあたり、ネタ扱いではあったようですね。
本文にも書いた通り、バランを追い詰めた最大の要因であり、作者も明確に意図していたのだろうと推測しますが……やはり、時代が追い付いていなかったのかも知れないと思います。
1つの作品に縛られるへの応援コメント
私も長い年月を一つの作品に費やしている一人です。
他にも大筋プロットが完成している作品も二~三作品あるのですが、今取り組んでいる物語を何らかの形でもいいから完成させないと気がすまないというか……
今はとにかくこの作品を世に出すために活動している、という感じですね。
ひとつの作品に拘ることへの弊害はいろいろ指摘されていますが、私は自分の直感に素直に従おうと思っています。
作者からの返信
これも、短編or長編、どちらが得意かのように個人差があるのかも知れませんね。
一つの作品をきっちり書き切る事は、やはり大事だと思いますし。
私の過去の失敗も、自己分析不足から来ていたのだと、今にして思います。
ご都合主義にならない強キャラの書き方? その2への応援コメント
強大な力を得た存在について描写する際に
・ともあれそれが良い物(利点のみという意味ですね)として描写するか
・デメリットもある物として描写するか
のどちらかによっても、物語の印象はかなり変わると思います。
ありがちな俺ツエーものは前者になるのでしょうね。地の文等々で後者のような事に触れていたとしても、結局の物語の流れを見ると前者……というパターンとかもありました。
私個人の考えは完全に後者ですね。「強いから幸せなのか」「強くても経験や精神が追い付いてなかったらそれはそれで危うい」みたいな事は作中でしつこいくらいに描写されてますね。しかも主人公が「最強を目指す」話であるにもかかわらず、です。
種族としての特徴や対比は、私事ですが手掛けているメイン連載でも感じる所がありました。主人公のライバル枠として、「雷獣」という別種族のキャラを登場させたからですね。(主人公は妖狐25%の半妖です)
雷獣は身体能力や反応速度に優れ、戦闘能力が高い。妖狐は(基本的に)戦闘能力が低いが知略と戦略・手数の多さが武器になる……みたいな対比があったんですね。各個体としての強さは雷獣に軍配が上がるかもしれないんですが、実は雷獣は強い個体程思慮深く物事を考えるのは苦手で、その性質故に妖怪社会では支配階級になれない……みたいな話も出てきました。色々と「残酷」な話ではあるのですが、これもまたメリットの裏側にある制約みたいなものです。
つまるところ、筆者自身強さよりも精神力や知力を重視しているが故の考えですね。
作者からの返信
制約になってない制約を課すケースもありそう……と考えていたのですが、やはり実例があるんですね。
人物を甘やかしてしまう心理が働いてしまうのでしょうか。
雷獣の設定を聞いて、この前お話しした三國志ドラマの呂布を思い出しました。
どれだけ無敵と言える強さを誇っていても、政治や戦争そのものには無力ですからね。
一騎討ちなどの得意分野で、政治や戦争にピンポイントでショックを与え、大局を動かす事はあるかも知れませんが……適材適所は大事だと思います。
チェーンソーにおいても、最初の頃にお話しした覚えがありますが、ワーキャットを衛兵に取り立てない、ドワーフが非戦闘員や現場監督ばかりで、力の持ち腐れにさせているなど、一周回って、知力に物を言わせた体制側の“愚かさ”に繋がっています。
以前はコメントありがとうございました。
サガフロンティアのゲームは詳しく存じないのでフワッとした返信になってしまいましたが、種族間ハーフっていいとこどりになってしまう作品とか内容ってどうしても出てしまうのかなと思いますね。
あと結構半妖とか魔物とかのハーフって皆さん好んで使う事も多いようですし。かくいう私もその一人ではありますが(汗)
作者からの返信
こちらこそ、題材が閃くきっかけを頂けて感謝しております。(と言うのも微妙に変かも知れませんが)
やはり、ゲームと言う媒体ではプレイヤーにある程度以上苦戦して貰わないといけない事情がある分、文字通りバランスの取れた設定に自ずとなりやすいのかも知れません。
思えば、私自身は何かのハーフをテーマに書いた事は無かったのですが、やはり色々とアイデアが出やすそうな題材かも? と思いました。
今回のテーマは“戦力”や“強化”の質の差異にあったので省略しましたが、
どちらの種族にもなりきれない主人公の懊悩だとか、妖魔の中からも「種族全体に進歩が無い」事を打破すべく下克上を目論む者が出る社会的な動きだとかも描写されており、そう言う意味でも秀逸なシナリオだったと思います。
本文中でも、さりげなく「人間に戻る」結末について触れましたが、勿論、半妖のまま現状維持のエンドと、開き直って完全に妖魔化して新たな王となるエンドもあります。
個人的には「両種族から疎まれようと、私は自分が好きだから、それで良い」とした半妖エンドが一番好きでした。
営業(文官)と意見が対立するシーンへの応援コメント
技術職(研究職)vs営業職という構図は何処でもあると思います(ド偏見)
拙作メイン連載の中でも職人気質な研究センター長を営業マン的なマネージャーがいさめるというシーンは度々ありますし。
現実では技術vs営業だけではなく、技術vs製造現場、技術vs検査部門と色々あったりもします。営業や見積もり先が持ってきた図面を見ても、製造時の構造上問題ありなんて事もざらですね。
仰る通り、部署が違うと見方も違うので、どうしても意見の食い違いが出てしまうのでしょう。特に技術職は間接部門ですが外部と現場の中間にある感じなので尚更かもです。
それにしても出禁を喰らったとは相当ですね。
作者からの返信
同じ組織の利益の為と言うのは共通している筈なのに、まるで敵対しているかのようにいがみ合ってしまうのも、立場のギャップと考えると無理もない、と近頃思います。
本文の締め括りでも軽く触れましたが、一見して無理を通そうとしている方が悪くて、冷静に諌める方が正しいと思い込まないよう気を付けたいものです。
出禁になったのは、私が入社する以前からのようですが、やむを得ず入った時の様子を見ると、何となく原因の想像がついてしまいました。
確かに言っている事は正しいのかも知れませんが、現実的にいつも徹底するのは無理があったり、そもそも考えが古かったり、見当違いだったり、
少しも斟酌せずに押し付けてくるので心象は悪いですし、その通りに動けば実害が出る事すらあるので。
両者をうまく纏めるのは、やはりトップの大事な仕事でもあると思います。
商売上手な自己啓発セミナー本を読んだ感想への応援コメント
幸福の科学の色々な霊言も、読むと面白いのかも知れませんね。
信者数はかなり多くなっているみたいですから。
自己啓発セミナーの講師のトイレ掃除の件は、労働人口が多い時代だからこそ通用したやり口ですね。
仕事を教える訳ではなく、何か見どころがある新人を選別するやり方。
企業がいくらでも採用できる環境でないと、おっしゃる通り辞めていくだけです。
今でもそうしている所があって「人手が足りない」と言っているのだとしたら、それはその企業の甘えでしょう。
作者からの返信
幸福の科学もあちこちで建物を見かけますが、人気ですよね。
これだけ需要があると言うのは、それだけ近道をしたがる人達が多いと言う事なのか、と思わされます。
今回の自己啓発セミナーも、表向きは霊感的な話が何もないだけで、文法ややり口は宗教と同じだと思います。
トイレ掃除の話は、まさしく時代錯誤を感じました。
本文でも書きました通り、エピソード自体は見るところもありましたが。
年号が二つも変わっているのにアップデート出来ていない所から、人材を失って潰れていくのかな、と思わされます。
(PV・評価)無欲は正義?(アイテム・経験値)への応援コメント
ここは本当に難しいですね……
星爆・読み合い強制みたいな流れは確かにしんどいなぁと思うんですが、本文にあります「評価を気にしないのが至高」というのも行き過ぎはまずいというのは解かりますし……というか私は好み>>評価で書いているのでグサッと来ました(汗)
あんまり強制するような事ではなく、自分の考えだけで完結しているのであればまだしもなのかもですね。
或いは読まれなさ過ぎて凹んでいる人に向けて「好みで書いたらええんや」と言うのは勇気づけになるかもですし。
正直な話、投稿サイトにアップしている時点で読まれたいという慾はあるでしょうね。小説を書く「だけ」でしたらオフラインでも出来ますし。(実際何処にも公開せずに書き溜めただけの小説は私にもあります)
作者からの返信
私も、評価の為に自主企画を作ったり参加したり、普通にやっていますし、広告を表示しているのも、貰えるものは貰っておこうと言う意識の低い理由からです。
そして、どれだけ頑張った所で、大した収入にならないであろう事も同時に理解しています。
やはり、どの考えが良い・悪いではなく、自分の中の“比率”をちゃんと理解した上で、あまりに離れた人とは関わらない事でしょうか。
投稿サイトやゲームに限った話ではありませんが、一つの言葉や思想に固執しすぎると容易にモラルが崩壊する恐ろしさがあると思います。
読まれるにはどうしたものか? ネガティブ編への応援コメント
読んで欲しいメイン作品(長編)でなく適当な短編でお茶を濁される、これはわかります。義理読み返しでありがちすぎて切ない気持ちになります。
作者からの返信
他人に期待しすぎてはならない、最たるものかも知れませんね。
本文中でも述べましたが、読書はそらなりの重労働だと思います。
あくまでも本心から読みたいと思って読まないと、作者・読者双方にとって良くない結果に終わるのだと思います。
公募は今の世でもガチ勢という感じはしますね。
何処かで申したかもしれませんが、公募の原稿は「紙を閉じる位置や器具」「表紙のフォーマット(※出版社によって違う)」などといった内容以前の部分も整えておかないと下読み段階で門前払いとかありますからね……そして出版業界の関係上、悪質な応募者はブラックリスト逝きになる事もあるそうですし。
その事を思いますと、投稿サイト内のコンテストってかなり緩い規約だよなぁと思います。複数応募可・文字数の規約(○○字以上)なども、公募のそれとは比較にならない訳ですから。
そんな訳で、投稿サイトでの投稿はかなり自由であると個人的に思います。
私の場合は趣味で書いている所が多いので尚更かもですが。
作者からの返信
別項「作品の外でチャンスを逃す事」でも言及しましたが、公募もまた“就職活動”ですからね。
規定の綴じ方など、少し真面目に読めば理解は出来るものの、それが苦にならないかどうかと言うのは、自分自身の中にやる気が本当にあるかの指標としても良いのかも知れません。
描写のつもりなのか、作品をプリントした紙に香りを付けて落とされたと言うような話も聞きますが、本文中に挙げた私のかつての慢心に通じるものを感じます。
編集済
あまりにも影が薄いところがファンたちから散々ネタにされて、いまとなっては、逆に唯一無二の個性になってるような気もします。結構好きなんですよね、メリナさん。レベルアップをしてくれるのはいつも「従属的で献身的な女性」、というお決まりのイメージから少しでも逃れようとした結果、プレイヤーの期待と齟齬をきたしたのではないかと思います。暗殺者のような好戦的で殺意の高い戦闘スタイルも、なんか笑ってしまいました。
作者からの返信
マンネリを避けようとした、と言うのも確かにありそうですね。
やはり、新しい試みと言うのは大体“定番”の期待とジレンマになってしまって、難しい所です。
召喚出来る場面では、正直そこまで期待せずに呼んだのですが、予想外の活躍をしてくれました。
後から知ったのですが、アサシン的な素養があった事については、ヒントが落ちていたようですが……かなりわかりにくいものでした。
やはり、オープンワールドで世界が広がった関係もあるのでしょうか、もう少し何らかの出番があったなら、と思います。
全ジャンル最強キャラクター議論スレへの応援コメント
今このエッセイを読みながらチラッとまとめサイトを見てみました。
ご指摘の通り、異なる世界観・作品内外で強さを比較するのって難しそうだなと思いました。
あと理系分野で~の下りにて「空想科学読本」を思い出しました。特撮やアニメのキャラの強さや必殺技を出来るだけ科学的に考察した本なのですが、そうした物を読んでいるとやはり違うのかもですね。
そしてご指摘の通り、強さに説得力を持たせるというのは大事だと思います。妖怪や魔法や異能バトルはどうしてもファンタジーでフィクションの領域に入る内容になるかとは思います。ですがそれでも「ファンタジーだから何でもあり」と「架空だけど実在の事柄(動物の生態・物理現象)を参考にしつつ設定を考えている」であれば説得力に違いがある気がしますし。
作中ではったりを利かせるにも、書き手の知識や創意工夫が必要なのかもですね。
作者からの返信
空想科学読本は私も大好きでした。あちらは現実の物理法則を重視しているのに対し、最強キャラ議論は作中描写を尊重している傾向にある点が違う印象でした。
作者が想像し得る“最強”と言うのは、何気に知識の程を示すものでもあるのかも知れません。
言い方は悪いかも知れませんが、お勉強不足の作品の最強キャラを見ているとそれがよくわかります。
勿論、本文中でも述べましたように、書ける知識があるからと言って、合っていない世界観やシチュエーションで全部を盛り込めば良いものでもないのですが。
ネット小説における感想のやり取りへの応援コメント
傲慢な作者になってはいけないと引き締まる思いで読ませてもらいました。
的外れな感想でも好意的なら嬉しいですけどね。作者が拗らせすぎると作品もろともご縁を切りたいという気持ちはわかります。
何度も頷きながら読ませていただきました。
作者からの返信
先日はレビューの方もありがとうございました。
個人が作品を配信しやすくなった事による、案外意識しにくい弊害かなと思います。
紙媒体など市販の作品では、このコメント機能のように気軽にやり取りする手段が無いので、圧倒的に起こりにくい筈ですし。
私の場合、特に、嫌な思いをした記憶と、そのきっかけとなった物事が紐付けされやすい性格なので、好き嫌い以前に「読めなく」なってしまいます。
作品を誤解される本能的な不快感については、私も身に覚えが無いわけでも無いので、この次に敢えて逆の視点からの話も書いたのですが、
本能を胸のうちに留めておけるかどうか、と言うのはやはり理性の有無だとも思います。
完結させた自作品に、後付けで人物を増やしてみる試みへの応援コメント
>>一度完成を見た物語と言うのは、元の出来が良ければ良いほど、スパコンのシステムのように融通が利かないものです。
本文中の言葉を拝読し、「二次創作が作られやすい作品の特徴」について思い出しました。
何と言いますか、出来の善し悪しとは別に物語の受け手に対して想像の余地とか創作の余地とか「遊び」があると二次創作が作りやすいのかもしれませんね。
実際、二次創作が盛んな「東方プロジェクト」というゲームにおきましては、原作ストーリーはゲーム上のみで展開されており、他の部分(キャラの過去・キャラ同士の関係性)は結構想像の余地があるからです。考察も複数の説が一つのキャラにあるのも珍しくありませんし。
※東方プロジェクト自体は二次創作を公認(無論規約はあります)しているので、余計に二次創作が盛んなのかもしれませんが……
コラムとズレた内容で失礼します。
作者からの返信
確かに、出来の良し悪しと言うよりは構造の違いと言った方が正確だったかも知れません。
今回、私がシミュレートした自分の作品数作でも、いずれも人物の追加が難しかったとは言え「出来なくもない」ものと「絶対に無理」なものと、微妙に差がありました。
よくよく考えると、邪聖剣チェーンソーの外伝も、既存の作品に人物を(結構な人数)後付けしたと言えるかも知れません。
プロを諦めるまでの話への応援コメント
非常に心に刺さる話でした。ここまで赤裸々に語っていただき、感謝したいです。私もいわゆるワナビなのですが、まだもがいています。
作者からの返信
難しいもので、私の場合、プロを諦めた後の方が小説書きとして飛躍的に伸びた感があります。(※当社比)
私はたまたま、小説とは別に「極めたい本職」が出来た点で幸運だったと思いますが、その立場から無責任ながら、一度諦めた上で好き勝手書くのも一つかな? とも思います。
作品さえあれば、コンテストには応募できるわけで、私もたまに、条件が合えば何となく応募したりしてます。
それにしたところで受験勉強のように、足切りだとかセオリーだとかあるのでしょうけれど。
“駄作”なら出すなへの応援コメント
確かにー‼︎これは私も常々思っていたことで、必要以上に卑下する方はおそらく年齢が若いのだろうなと思います。仕事をしてみると他人の時間を無駄にすることのまずさがよく分かりますからこの感覚に気がつくかどうかは経験もあるのかなと思いました。創作経験の長さが伝わるエッセイ、面白く読ませてもらっています。
作者からの返信
本当に、“洗脳”と言って差し支えないほどに、若者を蝕む、この国の悪い思想だと思います。
それでいざ、採用面接で「自分は大したことありません」と“謙虚”になると「大したことの無い人は当社には要りません」と言われる。
実際には後者が尤もであり、そう教育した前者の落ち度でもあるのだとは思いますが。
最近、新卒の部下と接していると、良くも悪くも、そうした“謙虚さ”からは脱却しているのかな? と感じています。
実体験の使い道?への応援コメント
これは気をつけたいですね。腹いせに不満を作品にぶつけることができるのは物書きの特権ではありますが、そのままやってしまうのは芸がないように思います。
しかし、昨今の欲望丸出し小説を読む(テンプレものは全く読んでいませんが)と作者の頭の中身が垣間見えそうな気がします。
作者からの返信
他人の作品では、一目見てわかるのですが、不思議なもので、気を抜くと自分でもやりそうになってしまいます。
この事について何も考えていなかった頃は、真面目で純粋なキャラの主人公にすら、権威を傘に着た上司を蔑むような描写をしてしまったことがあります。
良くも悪くも、作品は経験のエッセンスだと思います。
私も最近、見識を広める意味でテンプレものに挑戦してみましたが、我々の現代的な欲望を、条理の違う異世界で違和感なく当て嵌めるのは、非常に難しく、大抵はアンバランスになってしまうのだと思いました。
虚淵玄あれこれへの応援コメント
うろぶち氏の作品は小説で読んだことがなく、ほとんどアニメですね。
これもⅾアニメストアのおかげ。
聖竜の介様がこちらで挙げられた中で触れたことがあるのは「まどマギ」だけです。
うろぶち氏、それはカンベンって展開に持っていくので、何となく「はいはい、うろぶちうろぶち」みたいな耐性が出来てしまいましたが、「楽園追放」みたいな鬱展開があんま無い作品だと「……うろぶち?」となるので困ったものです。
作者からの返信
私は基本的に映像作品を見ようと思う腰が重く、小説版があるならそれだけで済ましてしまうのですが、まどマギやヴェドゴニアは、結局ゲームやアニメで映像化された姿が気になって、そっちの方も見てしまいました。
単に過酷なだけなら、最終的な希望も持てますが、氏の作品は本文中でも触れました通り、そもそも前提となっていた「頑張る理由」から刈り取って来ますからね……。
楽園追放は初めて聞くタイトルですね。
逆に普段の虚淵節が鳴りを潜めている虚淵作品と言うのも一周回って気になります。
この創作論でよく読まれている話題 その3への応援コメント
朝井リョウは平成生まれで初の直木賞受賞作家ですからね。現在三十代半ばですが、そういう意味でも話題性があったのだと思われます。しかも平成元年生まれ、二十代前半での直木賞受賞なので尚更でしょう。
私も学生時代に彼の本は何冊か読んだ事があります(歳がバレますね)
確かに彼自身も若く(私の方が彼より年下なのですが)、若い人の感性を描こうとしているように感じました。ですがパート仲間が赤面した様子を「小学一年生のランドセル」と暗喩していたところで「あぁ……」と思ってしまいましたね(汗)
10年程前でしたら、ランドセルの色も「男子は黒で女子は赤」と一概に言えなくなっておりましたから。しかもそれを、「若さ」で注目され、尚且つ自身もその事を売りにしているであろう作家がそのような記述を行ったので、尚更ですね。
……コラム内容とはかけ離れてしまって恐縮です。
作者からの返信
後に「正欲」を書いた作家である事を踏まえると、興味深い記述ですね、
>ランドセル
正欲の題材が題材なので玉虫色に終わったと言うか、結論、煙に巻かれた感もあったので(そこが非常に巧い所でもありましたが)
私が読んだのは、例によって当該啓発活動を行っている知人の影響で読んだ正欲と「桐島部活辞めるってよ」
くらいなのですが、実際、読者の「わかっちゃいるけど」の盲点を突くのが上手い印象でした。
嫌な話、作家デビューと若さは面白おかしく論われがちに思えますね。
建物あれこれへの応援コメント
自動生成ダンジョンとかあるんですね。私、ダンジョン物はちょっと疎いので勉強になります。
ヨーロッパ風の建物と言っても「ヨーロッパ」自体が広く、東欧・北欧・南欧・西欧だったらかなり違いますものね。その辺りまで言及されている作品は少ないようにも見受けられますね。
それを言えば日本でも地域や時代が違えば建築様式が違う場合もありますし。
電気系統が死ぬのは大惨事だと思います(真顔)
私事ですが、今年の夏に職場で二度停電が起き、復旧に3時間くらいかかりました。その間PCはもちろんの事エアコンも照明も機能しなかったので難儀したのを覚えております。
※一度目は夜中に発生したのですが、それでもまぁ色々と大変でした(汗)
作者からの返信
古くは、トルネコの不思議なダンジョン等が有名ですね。自動生成ダンジョン。
同じダンジョンを何十階とひたすら降りていくレトロゲームなのですが、飽きさせない工夫なのだろうと思います。
今回の話を書くにあたり軽く調べたら……やはり、それなりにありました。自動生成ダンジョンを作る能力に目覚めた、と言うような作品が。
私も死に乙女ゲームを書いていて、色々な偶然が重なって“古城”にも古今東西あると気付きました。
(深く考えずに作られた世界の具現化・世界の補完作用と言うテーマのお陰で)
かつてチェコの首都プラハを旅行した時に、質素なものから豪奢なものまで、建築様式の見本市みたいな街並みを見てきて印象に残っていたのですが、それでも自分が作品を書く時には何処かそれを忘れてしまっていた気がします。
土地の形状も、ついつい碁盤の目のような正方形でイメージしてはいないかも、考えるきっかけになりました。
時代設定次第ではあるものの、電気と言うのは大事なもので、忘れた頃に、そうしたトラブルによって途絶えてしまう危ういものでもあると思います。
これがなかった時代については想像するしかありませんが、ランプや松明、蝋燭で照明を賄っていた時代を思えば、停電のリスクを許容してでも電気はありがたい存在なのだろうと思います。
火を使った照明は取り替えがめんどくさそうですし、燃料となる脂の臭気や煤も酷そうですし。
作品の外でチャンスを逃す事への応援コメント
近況ノートとかも見に行く人は見に行きますからねー。
良くも悪くも「本性」が露わになる事はあると思います。
私は色々あって実はSNSに消極的です。プライベートでのウェブ上の発信はカクヨムとハーメルンだけだったりします。
近況ノートとかも小説に関する事をメインに呟くように意識しております。
エッセイとか創作論も……小説絡みの話に限定していますかね。言うて既にサラリーマンであるとかは暴露しちゃってますが。
やはり何と言いますか、尖がった表現(マイルド表現です)をしているノートとユーザーって目立ちますからね(汗)
それを見に行くのも悪趣味なのかもしれませんが。
作者からの返信
本性もさることながら、自分を大きく見せようと欲張るパターンも結果、損してるなと思いますね。
SNSには、自他ともにそう言う引力も生じやすいので、極力やらないほうが無難だと思っています。
私もFacebookで地元仲間にしか見えない日記を雑多に書いているくらいですね。
一時期Twitterで作品の宣伝も呟いていましたが、効果はほとんどありませんでしたし。
もしも死に乙女ゲームの“闇と光のキセキ”が発売されたら?への応援コメント
>>プログラマが過労で死にます。 が個人的にツボでした。いや笑い話ではありませんが。そう言った意味でも死にゲーの名に偽りなしですかね(汗)
作者からの返信
キャラクターは3Dなので、プレイヤーなど他キャラクターの動作を流用すれば、新たに作る手間は掛からないとは思われますが、
最終決戦時の、花畑に武器をばらまいていた場面などは、小説で描写したような万事的確な行動を取らせるとなると、凄まじい仕事量になるのではと思います。
ゲームの制作現場を直接見たことは無いので想像半分ではありますが。
異性の視点に立つへの応援コメント
性別の他にも、ライフステージが違うと書きづらいなぁと思う事はままありますね。私などは高校生の頃は中学生を主人公に据え、大学生の頃は高校生を主人公に据え……と言った塩梅で執筆しておりました。非常に解りやすいですね(笑)
現在サラリーマン等が主人公になるのも、恐らくは自分がサラリーマンだからなのでしょうね。油断すると二十代半ば~後半の独身男性と、作者に近い人物像に主人公はなってしまいます。
大人なのに威厳の無い口調・軽い口調というのが気になってしまう……というのは書き手/読み手がある程度経験を積むと生じる事なのかなと思われますね。
かくいう私もバイトをするまで(十代後半)は、さほど軽い口調に違和感を持たなかったので。その代わり、「粗暴な言動をする青少年」はさっぱり書けなくなりました(極端)
作者からの返信
私も、気づけば学生の主人公をめっきり書かなくなっていました。
以前もどこかで話した気がしますが、世の中の学生がメインの物語において、学生らしく見えないのは大多数が社会人の作ったものなのだからかな? と思います。
また、例えば同じ中2でも、私達の頃と今の子達ではまるっきり違うのかなと、親戚などを見ていて思う次第です。
今の子達は昔より大人びているように思えます。
もしかしたら、今回事例として出したファイナルファンタジー15で感じた事を近いうちにまとめるかもしれませんが、
この話は、そこらにいそうな今風の若者が“王”に相応しい人物に成長する話でもあったので、なおさら威厳を求められるハードルは高かったと思われます。
世代の違いもまた、異性と同じで、自分の属性から遠い存在になるのかも知れません。
ヤンキーだとか不良が絶滅してしまっているのでは? と思うほど、外から見ると最近の学生さんなどは落ち着いて見えます。
編集済
断捨離ポイントへの応援コメント
斑猫です。
私も「あの原作世界に入った……? この先はこの展開があって……」というお話には十数年前から懐疑的でした。
作中では主人公はその作品の熱烈なファンとされている事が多いのですが、彼/彼女の人生の中ではその作品を読んできた「だけ」ではないと思うのですね。だからその作品の内容だけを考えて生きているのは不自然だろう、と。
また自分は「原作では破滅するキャラだから原作をブレイクして生きる」みたいな話を書くんだったらその「原作」を書けよ、と思ったりもしまして……
そして確かに省略というのは大事ですね。
私は妖怪ものを書いておりまして、妖怪の生態(繁殖様式・食性・社会活動……)とかもがっつり考えております。しかし例えば雷獣が出るからと言って「雷獣は雌雄異体であり有性生殖を行い……」みたいな事は書きませんね。そこまで書かずとも、「母親が死んだから叔父に引き取られた」みたいな事を書けば、そこで雷獣の生態の一端(ある程度は親が仔を養育するなど)は判る訳ですし。
追記:毎度お世話になっておりますが、新作であるラブコメをお読みくださり誠にありがとうございます。但し、筆者がかなりふざけて書いている内容ですので、真面目に読んで下さっていると思うと申し訳ないです……
もちろん表向きはラブコメになるでしょう。しかし別作品をご存じの方には裏事情が解るネタ作品という感じになるのです。
返信への追記:お気遣いありがとうございます。
派生作品を書く際、その作品から読んでも大丈夫なように書く事を心掛けておりますので元ネタになった作品を読まなくても大丈夫です。前作の「彼女の浮気が~」の内容についてもサラッと触れておりますし。
大本の作品である「九尾の末裔~」は結構長く、読む人を選ぶ作品でもありますのでそちらに関しましては無理に読まなくても大丈夫ですね。妖狐の方はともかく、雷獣の方は結構登場も遅いですし。
作者からの返信
今回、序章が原作だったと言う仕掛けについては結構バレバレだったとは思いますが、
(バレる前提で考えてすらいましたが)
ソウルシリーズのリスペクトという形式だから何とか成立した感はありました。
これも結局、ソウルシリーズを知らない人からすれば「あの原作の世界に」と言う形式には変わらない気もしましたが……。
極力、シリーズを知らない人にもわかりやすく、かつ、知っている人には要所要所で共感出来るように気を付けたつもりではあります。
転生ものを読みに来た人に対して普通のファンタジーに摩り替えねばならないとも言えました。
ある種「転生した。さあどうする」と言う“結論”から遠回りしているので、そういう意味でもなかなか難しい試みでした。
ただ、悪役(ラスボス)に転生してしまうと言うのは、やはりその時点で過酷な末路を約束されているので“ピンチ”としては良い題材だと感じました。
新作の方にお邪魔させていただいた件について、
個人的に読むモードに移ろうかと思い、次はラブコメを読んでみようかな? と考えていた経緯がありました。
作品の説明文や冒頭から、別シリーズの派生作品である事は何となく理解していましたが、やはり順番としてはそちらから読んだ方が良さそうなのでしょうか。
(ハーレム・逆ハーレム)君たち皆を平等に扱うなんて無理だへの応援コメント
失礼します。
“死に乙女ゲーム”が面白かったので、こちらのエッセイを覗いてしまった者です。
作者さんの意図や思いを知ることが出来て興味深く読みました。
参考になるか分かりませんが💦 いち読者としての感想を置いていきます。
確かに物語に深みを与えているなぁと感じるのは騎士、執事、不死王でした。
けれど、乙女心を撃ち抜かれたというか、乙女ゲームのヒーローとして好きだと思うのはダントツで司祭です。
次を挙げるとするならば、温かさと切なさを味わった巨人だったりします。
自分好みで測った存在感は、ここが1・2でした。
(すみません……司祭の存在感、結構あったよと伝えたかったのです……)
ちなみにエッセイ内容に関連して。
実際の乙女ゲームでは、ハーレム展開というのはあまり無いように感じます。
同一の世界観で、違うヒーローだったら物語がどう展開するか。幾つかのifを楽しむノベルゲームである事が多いです(冒頭、若しくは序盤で個別ルートに入りますし)。
各ルートにおいて、メインヒーロー以外は空気である事もしばしばだったりしますよ。
長々と失礼いたしました。
作者からの返信
感想と、先日は作品へのレビューも頂きありがとうございます。
やはり、作者として感じた活躍の比重と、読んでいただいて印象に残った部分は、また違うのだなと思いました。
逆に言えば、前線に出ていた三人は、いかに少ない交流の中で全てを出し切るかを頑張ったので、司祭や巨人の存在感がちゃんとあったと言っていただけて安心しました。
やはり、ゲームと言うルート分岐のある媒体を一本の小説に落とし込もうとすると、必然的に単一の人物に活躍が絞られるのだと感じました。
少なくとも“ハーレム”と言うものを書く前に、ゲームのルート分岐とごっちゃにしていないかは自覚した方が良いのかもと思います。
それこそ現実のポリアモリーをモチーフに書こうかと思いましたが、今回の物語にはマッチしないので断念、この形となりました。
貴重なご意見、ありがとうございました。
サブタイトル(エピソードタイトル)と言う名の描写への応援コメント
斑猫です。
私はサブタイトルはアニメやドラマでの各エピソードのタイトルとほぼ同じかなと思っておりました。一般書籍と異なり、目につくか否かが結構重要になりますし。
誰がそのタイトルを言ったのか、という視点は興味深いですね。私はサブタイトルを考える時に、そのシーンを「端的に・そして小粋に」表現する事のみで頭が一杯でした。
一番サブタイトルの付け方に凝っているのはメイン連載「九尾の末裔~」ですね。話の内容を示すのはさることながら、五七五にしてみたり音読した時に語呂が良かったりと、読み心地を重視しています。後は物語の展開を暗示したりダブルミーニングを使う事もありますね。
作者からの返信
言われてみれば、アニメやドラマのそれも、時々、凝った形式のものが見られますね。
次回の台詞を抜粋したものとか。
サブタイトルの様式は、最初に慎重に決めた方が良さそうだと、今更ながらに思いました。
死に乙女ゲームで、後半の事務的なそれの方が真剣味があると言うのは半ば偶然の産物でした。
古くさいファンタジーを避ける~死に乙女ゲームを書き終えて~への応援コメント
ご指摘の通り、制約がある方が色々とアイディアは出ますし、物語の展開の盛り上がりも出しやすいと思います。
高スペックの攻撃術ばかりだとバトルもので展開に詰まる、という話は有名ですが、防御術(結界や護符などの護り)についてもそれは当てはまると、メイン連載を書きながら痛感しました。
何しろ「どのような攻撃・物理的接触も防ぎきる」とあれば、その防御術の使い手が無傷である事は明らかになってしまいますからね。性能が良くてもその防御術の穴(攻撃を通さずとも水や空気などの無害なものは通す・「プロ仕様」なので落石や転倒などの攻撃ではない脅威は防げない)があるみたいな考えに落ち着きました。
やはりありがちな内容でも突き詰めたりひねりを入れる事で一味違うものが出来るのかな、と思います。
作者からの返信
本文中でも述べましたが、今回の執筆である種の「女性的な」空気感を意識した経験から、世界観はデザインにも通じるのではと思えてきました。
使う“色”を絞って、細部の差異は濃淡などでつける事で、何らかのテーマだとか指向性を伝えられるのかな、と。
何色使うのも自由ですし、虹をテーマとしたデザインなら全色盛るのも勿論手法としてありですが。
(特に魔術の属性に関しては、そちらが多数派なのですが)
高スペックと言うのも、ある種の“色”なのかもしれませんね。
それ同士のぶつかり合いに必然性、一貫性があれば、自ずと攻守の技術の成り立ちとか考えねばならないでしょうし。
聖水魔術も、書いてて新しい発見が沢山ありました。
水はまだ、水質変化までオーケーにすれば幅を広げやすかったのですが、視覚的に表現しにくい風オンリーとか、性質を変えるのが難しい雷オンリーとかだと、更に難易度は上がりそうだと思いました。
やはり、時には引き算してみるのも面白いものです。
ホラージャンルにおいては、アルフレッド・ヒッチコック監督が1960年代に制作した2作品が、映画のみならず全媒体におけるホラーの主流を変えたって言われておりますな。
それ以前、つまり1950年代までのホラーと言えば、ドラキュラ伯爵を筆頭とする吸血鬼モノ、外惑星からやってきた侵略異星人、巨大怪獣を含めたモンスター映画等が主流で、強いて言うなら「日常の外からやってくる恐怖」だったのですよね。
それが1960年の『サイコ』では「人当たりの良い好青年が、実は連続殺人の犯人だった」、1962年の『鳥』では「ハト、スズメ、カモメなどの普段見かける鳥が一斉に暴れるだけで社会が崩壊してしまう」といった事を描くという、「日常の中に潜む恐怖」を提示したんですよね。
そうすると実感のない「日常の外から来るもの」に対して観客が恐怖を感じなくなってしまい、そういった「外部からの脅威」を描く作品自体は生き残ったものの、アクション、ヒーロー、ヒューマンドラマ等の要素が強くなり、ホラージャンルからは駆逐されてしまいました。
文中でも言っておられるように、現代のホラーというのは、いかに「自分の身近にもあるかも」と想起させる事が重要って事なんですよね。
作者からの返信
“鳥”は観た事がないのですが、触りを聞いた感じ、すごく面白そうですね。機会があったら観てみようと思います。
やはり、例に挙げたエルデンリングにしても、ドラゴンだとか魔獣が相手だと「何か攻略法があるだろう」と言う希望が持てるんですよね。
プレイヤー型の敵対NPCは、お互いの能力が最初から知れているので「勝てない」と悟らされるのが早い。
ゴジラにしても、
「現実に居るわけがない」のと「現実に居たら対処不可能」と言うのと、どちらの立場から考えるかによっても驚異度がまるで違う筈ですね。
以前、カクヨムである怪獣ものの作品を読んだのですが、現実に地底の底で眠っていてもおかしくないと思わせるのが巧みで、読んでいて「万が一……」と考えて恐ろしくなりました。
恐怖に対する当事者意識を持たせられるかどうかが鍵のようですね。
人外物を好んで題材に取り上げる人でも、モンスターが好きな人と妖怪が好きな人では大分人外の捉え方が違うと感じますね。もちろん、妖怪好き同士・モンスター好き同士であっても解釈の違いというのはありますし。
拙作(メイン連載)の場合ですと妖怪は未知の脅威になるのかもと思いました。
主人公は物語開始時点までは人間として暮らすように育てられていましたからね。
但し、妖怪連中は人語での意思疎通が可能(別作品「四六の~」の玉藻さんをイメージしていただければと思います)なほどの知能を持っていますので、本文中の「半モンスター」に近いのかもしれません。
作品の性質上戦闘シーンは少ないですが、戦闘になると主人公は苦戦していますね。
作者からの返信
恐怖の対象に対する理解の度合いも、条件によって千差万別だと思いました。
妖怪などは伝承などである程度、情報が残っていたり、本文中で例に出したゴジラなんかも再戦を繰り返した場合、未知から既知にシフトして心が折れてしまう可能性もありますね。
そう考えると流動的な感覚でもあり、非常に掴み所が難しい気もします。
時に、アグレッシブに攻めるには、現実に対してある程度無知であるほうが、うまく行く事もありそうです。
思い付いた発端が、死んでもやり直しのきくゲームと言うのもありますが。
ダークファンタジーとは?への応援コメント
ダークかダークじゃないかは各個人の判断にゆだねられるというのは同感ですね。
拙作「四六の~」は普通の追放ものやざまぁ展開以上に苛烈で陰鬱な展開もあるにはありましたが、ダークファンタジーかと言われると「違うかも」というのが素直な感想ですね。むしろ異世界版アニマルプラ〇ットの趣であり、サバイバル物の側面が強かったみたいですし。
コズミックホラーとか邪神が出てくるのはダークファンタジーかも、と思いましたが、ホラーとダークファンタジーも何となく違いますものね。
深く考えると難しいので、フワッと区分けするのが良いのかもしれませんね。
作者からの返信
書く人読む人、双方がどの程度気にするかによって、敷居が高いとも低いとも言えますね。
ダークファンタジーでなくともそうなのかもしれませんが、要項を念入りに読み込んでから参加しないと齟齬が起きやすいかなと思いました。
四六の~の場合も、明るいイメージで読んでいました。
王宮視点だったりの強調する部分が変わっていたら、全く同じ話でも“ダーク”要素の強さも変わっていたのかも知れませんね。
ダークファンタジーとは?への応援コメント
そもそもジャンル定義って曖昧ですからねぇ。
例えば『スターウォーズ』などは、ジャンル定義に照らしてみると
「科学的知見などは特にない。どっちかといえば良い意味で荒唐無稽」
「現実とは違う世界で、宗教的な超常能力を駆使して戦う」
…という点で、ジャンルは「SF」ではなく「異世界ファンタジー」とするのが正解ですしねぇ。
作者からの返信
自主企画においては、この辺のファジーさがアクシデントを招くリスクがありそうな気がします。
恐らく、殊更“ダークファンタジー”を募る場合、それこそ戦場跡に亡骸がゴロゴロ転がっているようなものを求められているのだろうと思われますが……そうとも限らないわけで。
この創作論の最初らへんでも考察しましたが、ジャンルと言うのはきっちり線引き出来るものではないと思います。
スターウォーズなどは、今からして思えば、それに囚われずに独自の世界観を構築した好例でしょうね。
単にスペースオペラと言うものに囚われていたなら、フォースなどという概念は生まれてなかったと思います。
やっぱりイージーモードな世界で「俺凄い!」とされても興醒めしてしまう人は一定数いると思います。(というか私は興醒めする側にあると思いますね)
むしろ本文中にあります通り「優しくない世界」「試練まみれの世界」であがき、どうにか目標に向かって動くからこそ読者の方から頑張りが認められるのではないかと思いますね。
実体験ですが、イキリ主人公を書いていたとしても、彼のイキリ度合い以上の試練や周囲の客観的な評価・対応が描写されていますと読者に嫌われる事は少ないですね。むしろ「芯の強い子」と好評価を頂く場合もあります。
メイン連載(時々コメント欄で解説している妖怪ものです)の主人公はあからさまに「俺大妖怪の子孫だから最強になるぜ」みたいなイキリ小僧なのですが、大体試練に直面して相応の目に遭っているんですね。それを見てむしろ応援してもらっている……という感じです。
※但し、これは読者の年齢層にもよるかもしれません。主人公は18の若者なのですが、読者の方は若くとも20代以上、もっと年上の方も愛読なさっているみたいなのですね。弟や息子を見るような目線で見ているから、上述の評価になっている可能性もあるかもです。
作者からの返信
更に思い返してみると、このトープスも「何かやっちゃいました?」状態だったりするんですよね。
恐らく自分の研究がどれほど革命的だったか自覚がないまま、人生最後の自由研究くらいの認識だったと思われます。
もしかするとこの人物、近年のライトノベルに対するそうした含みを、意図的に持たせているのかもしれません。
こうした成り上がりだとか、意外な才能だとかが好意的に受け止められるかどうかは、人物本人よりも世界観の方に懸かっているのかも知れません。
作者の都合で動いている世界と言うのは、大抵それが見え透いていますからね。
世界はさておき、同じ人物の同じ振る舞いに対しても、年齢層によって印象が変わるのはありそうですね。
また、書く側としても、自分の年齢が成人以上だと、精神年齢の高い学生をナチュラルに書いてしまいがちです。
確かに異世界ファンタジーは和風・中華風・あるいは他の惑星風と様々な物があってもおかしくはないですよね。(他の惑星風はSFと重なるかもですが)
とはいえ書き易さ・読み易さ等々から「ヨーロッパ風ファンタジー」が主流になったのかもしれません。それももしかしたら、馴染みのあるRPGがヨーロッパ風だからなのかもと思ったり致します。
エネルギー弾を放出して……のくだりも確かにそうだなと思いました。最近の異世界ものの的当てテストでは威力の大きさで主人公の凄さを見る傾向がありますが、精密さなどを見るという所に着眼しても良いんじゃないかなと思ったりしますね。
(前も申し上げたかもですが)
作者からの返信
書き始めた頃の私もそうだったので、好きなゲームに影響された世界観になってしまうのはわかる気はします。
あとは、一人一人がそこから踏み出せるかどうかでしょうか。
そう考えると、今やってるエルデンリングなどは、良い参考材料になりそうなのですが……CERO的に万人にはおすすめ出来ませんが。
エルデンリングの魔法を見て思ったのは「各々の性能から人の歴史や営みが感じられる」と言う事でした。
それこそ的当てテストが出てくるような作品では、敵が多数なら範囲魔法を使い、名ありの強敵には威力重視の魔法を使うと言う記号化がされがちなのでしょうけど、
それらの魔法が生み出された時には、誰かが確固たる意思のもとに設計したルーツがある筈です。
この辺は、以前、武器の意匠について書いた所とかぶりますが。
輝石と言うエネルギー弾を扱う魔術体系のもと、
一撃必殺が正しいとする権威、広範囲の面制圧こそが重要とする権威、剣術との波状攻撃が最強だと考える権威……それぞれが考える正しさが極まって、人類単位で研究された結果、様々な形の“エネルギー弾”が今にある。
その結果「状況によって、それらを使い分けるプレイヤー」と言う所まで織り込み済みだとしたら……フロム・ソフトウェア(と言うかジョージ・R・R・マーティン)恐るべし、といった所です。
また、個人単位で固有の魔術を編み出した人物も何人か存在しており、そのうちの一人がボス敵で、倒したらそれが貰えると言うのがシンプルに熱かったですね。
また、自分を劣等生だと卑下していた中年魔術師が、人生の最期にひっそり完成させた魔術が(論理的に)前代未聞のものだったりとか、なろう系のモチーフでも出てきそうだなと思いました。
無意識にやってしまう? 逆効果になる数字のマジックへの応援コメント
金額の変動について無頓着になる感覚ってありますね。
職場で注文書を書く時、数千円の備品とかでしたら「安いなぁ」と思いますもの。プライベートで買い物をする時とは明らかに異なった感覚になっております。
HPの内容も読んでいてい興味深かったですね。この創作論の初期で、「HPが高い値でも野良犬の噛む力も強ければ蒸発」と書いてあったのを思い出しました。
ちなみに某ゲームの隠れルートのラスボスはHP・攻撃力・防御力全て1なのですね。一方主人公のHPは92、攻撃力・防御力共に99の最大値になっており、理論上は「一撃で倒す事が可能な最弱の敵」になってはおります。
ところが主人公の攻撃を回避、無数の「1ダメージの攻撃を叩きこむ」というギミックでもってそのゲーム内で屈指の強敵になっている、というのを思い出しました。
これはステータスを逆手に取った、しかし「嘘は言ってない」という麗になるのだろうなと思われます。
作者からの返信
仕事もまた、個人で動く金額・物の量が桁違いになりますからね。
そう考えると国家予算なんかは想像もつきません。
結局の所、HPと言うのは「主人公の並外れたタフネス」を誇示する道具ではなく、攻守と言う対人(?)関係の1要素である筈なのですよね。
私も今回、直に書いてみて何となくわかりましたが。
そのゲームの設定は興味深いと思いました。
数字で計れない、しかし、システム内の秩序も破ってない。
邪聖剣チェーンソーの終盤でも、知力以外のステータスはほとんど用を成していなかったのは、書きながらそのように感じた事を、終盤で自然と反映させた結果でした。
サメ映画への応援コメント
『ジョーズ』の時点でスピルバーグ監督は原作者のベンチュリーから「お前は永遠にこんなB級映画を撮ってろ」とバチクソ叩かれてましたからなぁ。
原作ではサメの生態を調べ上げて、現実的に起こり得る最悪のケースとして描いたのに、映画化したジョーズは実態を無視した殺戮マシーンになってた事で原作者激怒だったって流れなんですよね。
ただ映画と原作小説を比べると、娯楽作品として面白いのは満場一致で映画版なのが難しい所ですなw
作者からの返信
小説と映像作品の差異については色々考えさせられますね。
得意分野の違いではあるのですが、やはり、サメ襲撃のような場面で直感的に迫力がある(サメに求められるのが直感的な迫力)なのは圧倒的に映画と言うのが現実ですね。
自分の文章作品を他人に変質される不快感は何となくわかる気もしますが、表現の幅が広がったと前向きに考えても良さそうなケースですね。
モンスターへの応援コメント
モンスターと言った人外との戦闘をメインに据えた場合、やっぱりやられ役だとしても彼らの強さには気を配ってあげたいですよね。
拙作のメイン連載では妖怪が登場しますが、雑魚妖怪であってもシベリアトラを難なく斃せる強さがあるという事が示唆されていますね。しかも人間以上の知能を持つ(人間が持つ概念を把握し、それ以上を知っている)存在なので、敵対したらまぁ脅威ですね。
もっとも拙作の場合、主人公も妖怪に近いので何とも言えませんが。対戦車ライフル以上の威力を秘めた攻撃を何十発も放てるとか書いちゃいましたし。まぁ相手の妖怪と闘って負けるんですが(笑)
俺ツエー物とかは、「ドラゴン」とか「大妖怪」とかいう名称で強さを示す事が出来ていると思ってしまっているのかもしれません。それで肝心の描写がおざなりになってるから、物足りないと言いますか、主人公の強さがぼやけるのかなと思う訳です。
作者からの返信
主役を強く見せたいなら、やはり、やられ役とて、時には理不尽なくらい強くないと映えないと思いますね。
この辺は、最近、なろう系に挑戦した折りに必ずしもそうでない事もあるとは学びましたが……それならそれで、説得力のあるバックボーンは必須かと思います。
先のサメの話にも通じるのですが、自然界の動物がヒト並の知性を持っていたら、ひとたまりも無いですね。
前にも何処かで話した気はしますが、食べすぎて小太りになったイエネコですら、その気になれば日本刀を持った人間と同等のポテンシャルを持っているそうですし。
それがシベリアトラともなると……フィジカル面では大変な脅威ですね。
サメ映画への応援コメント
一説によりますと、サーフボード等に乗っかった人を餌のアザラシだと思って襲撃する事が多いそうです。
個人的に好きな鮫はダルマザメですね。数十センチのとても小さな鮫なのですが、マグロやカジキ、鯨などと言った大型の獲物を捕食するのですが……齧り取られる肉が少ないため、獲物もダメージが少なくて済むそうです。
ちなみにこのダルマザメは人間も襲撃する事があるらしいので注意ですね(汗)
作者からの返信
逆に、スキューバダイビングで襲われた事例がほとんどない所から見ても、人間側の過失による所が大きいようですね。
ダルマザメは初めて知りました。
サメといえば大柄で、獲物を頭から丸かじりしていそうなイメージでしたが、こう言う少しずつかじられるパターンもあるんですね。
大群で来られたらひとたまりも無さそうです。
お陰様で、サメ的啓蒙がまた一つ増えました。
作品=作者の思想?への応援コメント
そう言えば私、創作論の最初に「作者の思想が滲み出る」と書いてしまいました。
弁解がましくなりますが、あの言葉はむしろ自分に向けて放った言葉でもあったのです。「何がしかの発表にはおのれの思想が宿るものであるから、公に発表する際にはおのれの心がけに気を配りたい」と。間違っても「ああいう展開だからあの作者はああいう考えなのだ」と糾弾するためのものではないのです。
※確かに作品から考えがあふれ出てくるものもありますし、自分も「こういう考えなのか」と類推する事はあるので偉そうなことは申せませんが。
そしてさり気ない所で思想が滲み出るというのは同感ですね。むしろ表立ったテーマや極端なシーンでは作者も「気合が入っている」いるでしょうし。さり気ないシーンで「油断した」所で本来の思想が露わになってしまうのかもしれませんね。
決めつけというのはまぁ確かに言いがかりとも取れますよね。二次創作の界隈ですと、登場人物の性格や過去を捏造・歪曲し貶めるという「ヘイト創作」なる物さえ存在するわけですし。
作者からの返信
斑猫さんがそのような考えだとは全く思っていないですね。
むしろ、今回引き合いに出した例が特殊過ぎたかも知れません。
匿名掲示板の不特定多数は元より、私のこの知人も「相手が病んでくれていた方が面白い」「自分がそう評価したのだからそうだ」なのでしょう。
ヘイト創作と言うものがある事にも驚きでしたが、赤の他人にそこまで負の“情熱”を傾けられる気持ちってちょっとわかりませんね。
今回、この話を書いてみてわかりましたが、やはり「自分ならこうする」と「この人物ならこうする」の境目が凄く難しいです。
仕事や学校の憂さ晴らしを反映させている系は見た目、わかりやすいのですが。
当たり前ではありますが、必ずしも自分と同じものを書くのが物語ではないですからね。
時に自分と程遠いものも書かなければならない、と考えると、少なくとも例に挙げた勘繰りがいかに無意味かは明白ですが……一定数存在する事も無視は出来ないのかも知れません。
修行、あるいは、コーチングの話への応援コメント
前項で聖竜の介様が触れていた、ある程度失敗が許容できる環境というのは必要になると思います。
私は人は自分で経験しないと絶対に理解できないものだと思っているので、失敗しないとわからないことというのも多々存在していると考えているからです。
ただ、失敗から学べる人と、失敗が許されると思って同じことを何度も繰り返す人というのは、上長なり指導者が見極めないといけませんけど。
私が思うに、こうした指導に対する考え方が上長になる方には絶対に必要だと思うのですが、なかなかその部分を見ずに役職に配置するため、権威的な指導が罷り通っているのではないかと思います。
作者からの返信
失敗からのリカバリーを適切に出来るかどうかも、精神的なゆとりが必要ですからね。
失敗を次に活かせているか、ダラダラ繰り返しているか、後者だと決め付けて余計に悪循環を招いている上司・指導者が多いものですね。この辺りも、観察力だとか情報収集の為のコミュ力だとか、結構難しいものを要求されるのではないかと思います。
私の前職などは人手が少ない中で、誰かしらをリーダーにしなければならない筈だったので、どうしても消去法で決めてしまう所はあったのかな、と、
……思いましたが、本文中でも軽く触れた今の上司も、指導力はイマイチな人ですが、それでも短所がまだ笑えるレベルに留まっているのは、組織そのものの教育の違いもあるのかな、と思いました。
昨日、ちょうど本文中で触れた、現職の困った人について「赤信号で止まった所を見た事がない」と言う恐ろしい話を聞きました。
赤信号を進んではならない、と言う事を素直に聞き入れずに今日まで来た結果がそれなのかなと何となく想像がつきました。
周りから常に総スカンを喰らっている人なので、話していた人のバイアスもいくらか掛かっている可能性はありそうですが……しかし話を傾聴出来ない人というのは本当に恐ろしいものだと思います。
「話を聞け」と言う話を聞いてくれないのでどうしようもないですし、この人のポジションを変えない今の上司はやはり、そうした情報収集に無頓着な気がします。
私が政治を書かない理由(の一部)への応援コメント
ネット黎明期には、粋がり炎上騒ぎを起こしまくる怪しい人の身元を特定し、皆でそっと確認に行ったりしていたらしいですね。
自分では隠せているつもりでも、意外に特定できる情報というのは気づかないうちに残しているものですし、本気で特定しようと思ったらできてしまうので怖いものがあります。
これまでは相手が真に労力をかけて特定しようとしていないだけの幸運に恵まれていただけということもありますので、匿名性に隠れて方々にケンカを売るような行為をしている方を見ると危ういなあと思ってしまいます。
まあ、自分がリアルな立場で発言してもいいと思える範囲でネットに向き合う姿勢は忘れちゃいけないと自戒しております。
作者からの返信
今回、例に挙げたような人は自己顕示欲の塊でしょうし、そう言う人って何かと“黙って”られないでしょうからね。余計にヒントをばらまいてしまっていそうです。
学生時代の私が、特定するつもりなんて全然無くても、年齢程度なら察しがついたくらいですし。
昔は今ほど「暴いてやろう!」って息巻くほどの“情熱”がある人も居なかったように思えますね。
この人に限らずですが、いじめみたいな事を楽しんでいる人達は他人が迎撃しないであげているから成り立っていて、その地盤は極めて不安定なものだと感じられないように思えます。
想像力の欠落と、負のベクトルへの“情熱”ほど恐ろしいものは無いと、思い知らされております。
編集済
セラフィックブルーの思い出 ~巧みな真実の小出し~への応援コメント
伏線の出し方は本当に考えさせられますね。
メイン連載では特に(サブ連載もですが)途中で「このネタをあのネタと繋げよう」と思ったりする事があるので、前後の整合性とかも考えなければならないので尚更です。とはいえ、ネタとネタの連結は仕事中に考えたりしてだいぶ整理できてたりもしますが。
それと作者が伏線! と思っていても読者の方がスルーしちゃうことも珍しくないです。もちろん、読者の方が作者とは違う点に注目して下さるのは当然の事ですし、私もそう言う所があるでしょうからお互い様ですが。
追記:読者様からのコメントは有難いと思っております。むしろ筆者が気付かなかった事を指摘して下さる事もあり、勉強になる事もありますし。
作者からの返信
ちゃんと覚えて貰わないといけない一方、露骨すぎてもまずいと言う匙加減が難しい所です。
セラフィックブルーのケースでは、特に最後の「記憶喪失の冒頭こそが最後の最後で鍵になった」と言うのが非常に巧いと思います。
それ自体はよくある展開で、むしろ過去に目を向けるであろう事で、まさか最後の一手になるとは思いもよりません。
一方で、主人公の記憶喪失なんて大事な事は、まず忘れようがありませんし。
受け手が書き手の想定していない受けとり方をしてくれたのは、むしろ、ありがたいと思いたい所ですね。
ファンタジーあるあるを一々疑いながら書いてみるへの応援コメント
魔法の属性の話は、実在の武術の話にも通じますね。流派や型の相性はあっても使い手の実力差の方が重要で、そこが拮抗している戦いの場合に初めて相性の差が重要になるっていう。
格闘ゲームのキャラ相性の話も同様で、プレイヤーの腕がまずあり、そこが拮抗して初めてキャラ相性の有利不利の話ですし。
そこで1キャラを世界一レベルで突き詰めるか、全キャラの相性を把握して自在に使い分けるかのような違いでしょうかね。
作者からの返信
格闘ゲームの例えは、確かにぴったり当てはまりますね。
本文の例で言えば、マジクックの全属性使いは全キャラを世界一の精度で使いこなせて、
邪聖剣チェーンソーの高位エルフは、1キャラで、例え0対10で開始前から詰んでいるキャラクターに対しても、異次元の力量で圧勝しているイメージです。
やはり相対的な立ち位置だったり、相手の居る話なので、世界観が変わるとこの辺の条理もがらりと変わってしまうようですね。
武術にしても、魔法による自己強化などがある世界では、地球のそれとは全くパワーバランスも変わり果てているのかも、と思いました。
編集済
子供に見せて良いもの悪いもの?への応援コメント
いつも興味深く読ませて頂いています。
大塚英志さんは手塚治虫の初期の作品にて、兵士が自分の腸を取り出して投げるシーンがあることを取り上げていました。
手塚治虫は戦闘機の機銃を受けた少年が血を流すシーンを描き、漫画の世界の人物に「肉体」を初めて持たせた描写をしています。
ただ、その後、兵士が腸を取り出すというグロテスクすぎるシーンを描いてしまったのは、登場人物に「肉体」を与える過程で手塚の身体性への想像力が暴走してしまったためだと指摘していました。
以上はモノを作成する場合に起こった話ですが、本文のように創作物を受容する側、それも子どもが身体性を手に入れていく過程で「暴走」しないように注意を払う必要があるのだなと考えさせられました。
私は人の親ではないため、その意識は親御さんよりもかなり低いのでしょうが。
暴力的なシーンを書いた側として、どのように受容したかは読者の問題だ、と無責任なことは言えないのでしょうね。
暴力シーンを描くのならば、それなりの責任もあるのかもしれません。
作者からの返信
その話と同じか定かではありませんが、確か「キャラクター小説の作り方」で、当時の絵を添付して説明されていた記憶があります。
それまで、ダメージを受けても絆創膏マークが付くだけだったのが、一転して流血を伴い出した変化に、何となく背筋がぞわりとした覚えがあります。
身体性、と言う言葉に、なるほど確かにと思いました。
とりわけ、発展途上にある未成年の人が作品から受ける影響と言うのは不随意なもの……と考えると、やはりもっと慎重に扱うべきなのでしょうね。
読む・観る作品を選んだのは本人である、と言う事実もあって、案外とその辺がわかりにくいのも、問題としてありそうです。
修行、あるいは、コーチングの話への応援コメント
師弟関係と言いますか、上司と部下の関係も難しいですよね……
そう言えば斑猫は「歳が近いから」という理由で新入社員(高卒)の面倒を見る役回りが回ってきた事を思い出しました。
それはさておき、「名選手名監督ならず」は多少なりとも真実だと思いますね。ひねくれた言い方ですが、所謂俺ツエー系チート主人公は後輩の育成はかなり苦手だろうなと邪推しております。
そう言えばクレプスリー伝説(吸血鬼小説、ダレン・シャンの外伝)の中にも、力が強く優秀な吸血鬼の話がありました。彼は優秀で負け知らずだったのですが、そのせいで自分を慕う仲間たちを死なせてしまい、自分が慢心していたという事を烈しく後悔した……みたいな話があったんです。
極端な例ではありますが、今回それを思い出しました。
作者からの返信
勤続年数を重ねると、どうしてもお鉢は回ってきますよね。
物語の師匠とかは能動的になった人が大半だとは思われますが、現実は希望や資質の有無に関係なく指導しなければならない事も多いですからね。
慢心とは、本人が慢心だと知覚出来ないから慢心なのだと、近頃つくづく思います。
現状で相手が「何故出来ないのか」と考え、分析する能力は、本人の能力とは別個のものに思えます。
本文でも書きましたが、本人の力が付けば付くほど「力が付く前」の感覚が薄れる、相克関係ですらある事も多いかと思われます。
特にチート主人公は、自分が強くなる過程をすっ飛ばしている事も多そうですからね……。
私が政治を書かない理由(の一部)への応援コメント
それはまた恐ろしいお話ですね……ネット上って結構データとか残っちゃうので、尚更怖いですよね。実は斑猫もそう言う事が怖くてカクヨム以外ではあんまり活動していないって感じですね。
あと、「中の人の年齢」についてはおおよそ推察できる場合って確かにありますね。もちろん推察に留まる訳ですが、私もカクヨム内でコメントを読んでいて「この人は何歳くらいだろうか」と推察できる時があります。
※もちろんネット上のお話なのでさばを読んだり「これくらいの年齢だ」と印象をごまかしたりできるのでしょうが……
ネットと無関係なお話でした。
作者からの返信
元より争い事が怖い性質なので触る気は更々無かったのですが、この時の直感は正しかったと思います。
こう言う負のベクトルに情熱を傾け、それが決して尽きない人と言うのは対処のしようがなく、危険極まりないです。
表向き、やっている事はしょうもないので、なおさら分かりにくいのですが。
個人的には「本当に危ない相手」かどうかは、この辺で見てますね。
勘ぐる気も無かったのですが、しきりに、俺は○○の設立当初からの古参だ! と誇示してらっしゃったので、その時代から能動的にネットが使える立場=良い年した大人だったと仮定すると、だいぶ歳上なんだな、うわぁ……って感じでした。
今は落ち着いている事を願うばかりです。
勿論、勝手な憶測です。裕福なおうちで、幼くしてネットを使いこなす天才児だった可能性もゼロではありません。
この例は極端ですが、文章に実年齢は、それなりに出るものだと思います。
色んなジャンルを身に付けた方が良いかもへの応援コメント
最初からファンタジーやSFなどの括りにこだわるのではなく、例えば「成長する主人公を描きたい」というテーマがあってから、どのジャンルでそのテーマを描くかと考えるのが自然だと思いますね。
やはり自分のなかに何か表現したいものがあって、次にそのテーマを書くためにどのジャンルが適しているかを考えるものだと思います。
例えば最初から「ファンタジーを書きたい」という考えは、個人的には主客が逆転しているような気がします。(とか言いつつ私はファンタジーしか書かないのですが……)
あまり深く考えたことはなかったのですが、ジャンルとは何なのでしょう。
一つの物語に複数のジャンルを落とし込むことはできますし(異世界ファンタジーの舞台でミステリを書くことは可能だと思います)。
個人的には物語全体を規定するような枠組みのイメージだったのですが、必ず一つじゃなければいけないわけでもなく、複数ジャンルで競合することもないですし。
だから本文では「成分」という書き方をされている?
作者からの返信
そう言えば、これを書いている時点では思いもよらなかったのですが、最近「なろう系に挑戦しよう」と言うきっかけで「ジャンルが先にありき」の書き方をしていました。
これまでの(書きたいテーマからジャンルを決めていた)作品と違ったのは、執筆開始当初に完結させられる自身が無かった事でしたね。
結果、かねてより書きたかったものをそこに盛り込んだ格好になったので、思いのほかスピーディに完結できましたが。
やはり、実際の順序はどうあれ「書きたいもの」が先にあるのが大事なのかも知れませんね。
ジャンルは単一であるとは限らない(と言うか“ジャンル”の定義をどこまで広げるかによっては単一の事の方が稀)だと思い、そう言う意味で“成分”のようなものかな? と考えました。
例えば“恋愛”のような普遍的な要素もジャンルなのか、どうなのか。
実際、目玉要素として扱われている事もある以上、ジャンルではあるのでしょうけれど、それはSFやサイコサスペンスと同列に並べられるものなのかどうか。
と、考えると頭がこんがらがりそうになります。
編集済
型破りな物を作る為にへの応援コメント
初めまして。
創作/評論のカテゴリを何となく見ていたら、「最近、プロの小説家を諦めたおっさん(3○歳)が~」という言葉に誘われて読み始めました。
私はまだ諦めきれていない者ですが……。
このお話は物凄く同意できます。
個人的に私淑している大塚英志さんも同じことを著作で書いておられました。
物語を書き始めた人は、まず型通りに作ってみること。そのうち人によってその型が歪む(個性が出る)こともあると。
私は基本的に物語を(大塚さんが説く)型通りに作ることを心がけていますが、果たして歪んでいるのか。
そもそも、ちゃんと型通りに物語を作れているのやら、と不安に思うことが多いです……。
追記:
返信ありがとうございます。
> 私の場合は他に道が見付かって、気持ち良く諦められたというのはありますね。
おお、それはよかったですね!
大塚英志さんもご存知なのですね。
今の若い人で小説家を目指すという方にも読んでもらいたいなあ、と思います。
個人的に、あの人には読者への愛を感じる。
作者からの返信
はじめまして。
私の場合は他に道が見付かって、気持ち良く諦められたというのはありますね。
それが却って、作風や見識を広めてくれたとも思っています。
やはり、何事も自覚的である事は大事だなと思います。
私も書き始めの頃、大塚英志さんの指南書を読んでいましたが「記号に自覚的であるべし」と言う記述が長らく心に残っていました。
この年になって、やっと分かってきた気がしています。
型通りと言うのも、言葉以上に難しいものです。
書き始めの時の私のように、最初から放棄してはならないものだとも。
1作ずつしか書けない人の話への応援コメント
仕事の場ではマルチタスクは苦手ですが、私は並行連載が苦ではないタイプになるのかもですね。というか現時点でもメイン連載(妖怪もの)、サブ連載(異世界もの)、サブ短編(連作ホラー)を書いておりますし。それと時々創作論の更新を挟んだり、ネタ的な短編をアップしたりしている感じです。
最初はメイン連載一本でしたが、どうしても物語が湧いて出てくるので量産しているという感じですね。今日も実験作をアップしちゃいました。
そうですね。それこそ学生時代とかは同時に6~7本ほど並行して小説を書いていたのを思い出しました。大体趣味で書いていた作品ばかりですが、時々公募用の作品もその中に含まれていた気もします。
その案があるうちは出力しなければ気が済まない……という気持ちは私も解ります。それに並行連載を維持するのはやはり難しいですね。気力体力が少ないと、どうしても特定の作品への更新に偏ってしまいますし。最近は土日で更新を稼いでいるというのが実情です。
あとは並行連載が得意か否かのほかに、「余力をどれだけ執筆に割けるか」というのもありますね。学業・仕事・家事等々に労力を割かれるのは致し方ない話でしょう。
長文失礼しました。
作者からの返信
6~7本は凄いですね。
私も並行して書くのは皆無ではなかったのですが、書くのに一番時間を割けていた頃でも2、3作程度が最多でした。(それも長編1作+短編とか)
やはり「出力したいもの」の浮かび方も人それぞれに差異があるのかも、と思いました。
やつぱりモチベーションの維持(回復)には、自己分析もある程度は必要なのかも知れません。
確かに、執筆外で置かれている状況によっても変わって来るのはありそうです。
学生さんはいつか卒業して、大抵は仕事に1日の大半を費やすことになるでしょうし、やはり年を経ると体力も落ちますからね。
(体力の維持にスポーツとか、別のタスクを生活に組み込む場合もありますし)
私の例で言えば、エタった作品や短編集が後に重荷に変わっていたのも、生活の変化によるものだったのかもしれません。
長短の書き分けは本当に難しいですよね。
短編の方が難しいという説もありますが、そもそも長編を書き切るスタミナも必要です。
※文芸・純文系統の公募は原稿用紙五十枚~二百枚未満と「お手軽」ですが、書籍化する事とかを考えると、結局書き手は三百枚程度は書けないといけなくなりますし。
仰る通り、短い情報の中にも何かを詰め込む事も出来ますよね。或いはさり気ない描写に見せかけて伏線を仕込むとかでしょうか。
作者からの返信
長編・短編は、もはや根幹の属性の違いとすら思えてきますね。
個人的には、短く纏めることをある程度覚えた今でも、長編の方が楽に感じています。
今回、例に出したヴァルキリープロファイルの蘇芳の話は「普遍的なもの」の並べ方が非常に巧いなと、今にして思います。
本来、正義感に溢れた高潔な若武者。
家族を守るために底力を出す村人。
厳しさの裏にある、部下への想い。
この村人の姿こそが蘇芳の理想であったにも関わらず、巡り合わせの悪さによって「この状況」になってしまった。
説明不要な普遍性によって、この短い中で全く新しい物語が作り出されたのかな……と邪推しました。
やっぱりそう言った品性と言いますかそう言う所まで感じるには、書き手がその事柄について羞恥心をきちんと持っているかとかがカギになりそうですね。
実を申せば、私は若い頃(二十代前半まで)は、割とどぎつい表現を書く事に抵抗はなかったのです。投稿サイトに出していなかったから尚更ですね。
ですが二十代半ばくらいからあんまりどぎついのもなぁ……と思うようになり現在に至るという感じですね。
作者からの返信
この辺の描写は、特に理念無く書くと恥を晒す度合いが高いですね。
例に挙げた某全年齢向けライトノベルは、作品そのもののクオリティが全体的に高かっただけに、却って、即物的に書いてしまった部分がひどく悪目立ちしていました。
こうしたものを“かっこいい”と思ってしまう人も居るのかも知れません。
自分で書いてみてわかりましたが、異世界もの等の世界観を作り込むとなると、案外避けられない要素かなと思いました。
それまでは私も、極力書かない方でした。今回例に挙げた色々なケースを知っていたので。
虚淵玄あれこれへの応援コメント
ヴェドゴニアで細かいことを言うと、バイクの記述に誤りがあります。
惣太(主人公)が普段乗っているバイクが、
スズキ カタナの250か400ccモデル。
パクってきた、ウピエルの吸血鬼専用バイクが
GSX デスモドゥス
ですね。
・スズキ GSXハヤブサ 1300ccを2000ccのツインターボに改造&超高水圧でタッピング加工したチタン製ブレードを付けているのも特徴的。
最後の
「あばよ、デスモドゥス。お前は最高のマシンだったぜ」
と言う台詞が印象的でした。
ハードボイルド作家はメカを愛する人が多いのですが、虚淵氏も同様で、
Fate Zeroでは、セイバー専用の Yamaha V-MAXも登場しますね。