応援コメント

「ご都合主義にならない強キャラの書き方? その2」への応援コメント

  •  強大な力を得た存在について描写する際に
    ・ともあれそれが良い物(利点のみという意味ですね)として描写するか
    ・デメリットもある物として描写するか
     のどちらかによっても、物語の印象はかなり変わると思います。
     ありがちな俺ツエーものは前者になるのでしょうね。地の文等々で後者のような事に触れていたとしても、結局の物語の流れを見ると前者……というパターンとかもありました。
     私個人の考えは完全に後者ですね。「強いから幸せなのか」「強くても経験や精神が追い付いてなかったらそれはそれで危うい」みたいな事は作中でしつこいくらいに描写されてますね。しかも主人公が「最強を目指す」話であるにもかかわらず、です。

     種族としての特徴や対比は、私事ですが手掛けているメイン連載でも感じる所がありました。主人公のライバル枠として、「雷獣」という別種族のキャラを登場させたからですね。(主人公は妖狐25%の半妖です)
     雷獣は身体能力や反応速度に優れ、戦闘能力が高い。妖狐は(基本的に)戦闘能力が低いが知略と戦略・手数の多さが武器になる……みたいな対比があったんですね。各個体としての強さは雷獣に軍配が上がるかもしれないんですが、実は雷獣は強い個体程思慮深く物事を考えるのは苦手で、その性質故に妖怪社会では支配階級になれない……みたいな話も出てきました。色々と「残酷」な話ではあるのですが、これもまたメリットの裏側にある制約みたいなものです。
     つまるところ、筆者自身強さよりも精神力や知力を重視しているが故の考えですね。

    作者からの返信

     制約になってない制約を課すケースもありそう……と考えていたのですが、やはり実例があるんですね。
     人物を甘やかしてしまう心理が働いてしまうのでしょうか。
     
     雷獣の設定を聞いて、この前お話しした三國志ドラマの呂布を思い出しました。
     どれだけ無敵と言える強さを誇っていても、政治や戦争そのものには無力ですからね。
     一騎討ちなどの得意分野で、政治や戦争にピンポイントでショックを与え、大局を動かす事はあるかも知れませんが……適材適所は大事だと思います。
     
     チェーンソーにおいても、最初の頃にお話しした覚えがありますが、ワーキャットを衛兵に取り立てない、ドワーフが非戦闘員や現場監督ばかりで、力の持ち腐れにさせているなど、一周回って、知力に物を言わせた体制側の“愚かさ”に繋がっています。