長い踵

澄岡京樹

路地裏・踵・異音

長い踵



/0 路地裏・異音


 びちゃびちゃと。路地裏で垂れ流されたのは混沌とした吐瀉物。酒を飲みすぎた中年の男によるものだ。

 男は悪酔いでグワングワンする視界の中どうにか立ち上がり、路地裏から出ようとした。……その時であった。


 コツリ、コツリ——と。男の耳に、何かが地面を叩くような音が入ってきた。

 酔いでボヤけた思考でも、男はその音が靴の音であると気づいた。その音は、路地裏の奥から聞こえてきた。


 コツリ、コツリ。——少しずつ近づいてくる。


 コツリ、コツリ。——音が段々大きくなる。


 ゴツン、ゴツン。——大きく、そして激しい打撃音へと変貌する。


 ——男はここで異常に気づいた。

 その鉄めいた音は、初めからすぐ横で鳴っていたのだと。

 なぜならその路地裏に奥行きなどほとんどなかったのだから。


 ごぎゅり、ずぶり。——それきり音はしなくなった。


 ◇


/1


 翌日。警察による捜査が一通り済んだあたりで、道途どうと刑事がやって来た。細縁眼鏡がクールな彼は、二十代半ばのである。


「あ、道途さーん! こっちですこっち」


 同僚の笹葉ささのは香織かおりが手を振っているのを見た道途は、人差し指で眼鏡の位置を直しつつ気怠げな表情でそちらへ向かった。


「道途さん、今日はいつにも増して不機嫌そうですね。コーヒー飲み損ねたんですか?」

「俺がそんなことで機嫌損ねるか。本件に関わってそうな魔獣が想定通りなら面倒だと思ってただけだ」


 〈不明物質〉と呼ばれる謎の物質に触れてしまった生物や物体は、領域外の常識に侵蝕されて魔獣へと変貌してしまう。その現象を『バグる』と表現する者はそこそこ多い。意味不明の現象を出来るだけ理解可能な事象に置き換えようとした努力がうかがえる。


 道途や笹葉は、そんな不明物質関係の事件を専門に取り扱う部署——『不明物質対策課』に所属している刑事なのだった。


「道途さーん、それでそれで、どんな魔獣を想定しているんですか?」

 マロンヘアをゆさゆささせながら笹葉が訊ねてきたので、道途は手短に答えることにした。


「路地裏で発見されたのは被害者のみ。そして、そこから何者かが逃走した形跡はなく、周囲には魔獣が放出したと思しき不明物質が残留している。

 ——状況から察するに、魔獣は路地裏に


 道途の推測に、笹葉は目を丸くさせた。


「えっ、えー。じゃあ【再現】型ってことですか?」

「そうなるな。魔獣化する前は、この辺りにいたんじゃないか? で、その当時の思い出を何度も再演させている——そんなところかもな。……笹葉。この魔獣はまだ発生して間もないだろう。直近で行方不明者がいないか調べてくれ」


 一気に思ったことを言いきって、道途はどこかに電話を始めた。それが上司の高野目たかのめ美来理みくりへの電話であることなど、笹葉はもう嫌でも理解していた。


「んもー、道途さんてば高野目さんに電話したいだけでしょー。……んー、まあいっか。道途さんのリサーチ力は本物ですからね。鼻が効くというか舌が効くというか。とにかく、私の方でも調べてみますかー!」


 ◇


 笹葉の調査の結果、二日ほど前に件の路地裏付近で女性が行方不明になっていることがわかった。原因は不明。対人関係でのトラブルも特になかったという。

 失踪当日、その女性はバーで友人と食事を取った後、帰り道で突如姿を消したという。……その場所というのが魔獣が出現したと思われる路地裏であった。友人が路地裏に駆け寄った際にはもう姿はなく、そのまま現在に至るという。


 その日、その女性は赤いハイヒールの靴を履いていたという。コツリコツリと軽快な音を響かせていたのが印象的だったと、友人は語っていたという——。


 ◇


魔獣解説


〈魔突冷嬢・スカァレットヒィル〉


 司る称号は【再現/際限】。魔獣化する寸前の——つまり人としてのラストシーンを引きずり込んだターゲットに再演させる。不明物質に飲み込まれ、ヒールの音が虚しく響いたその演目を、何度も何度も際限なく。その際、トドメとばかりに長大なヒールをターゲットに突き刺す。それがそのまま演目終了の合図となる。

 二度目の再演時、道途刑事により討伐される。




長い踵、了。

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