悪役令嬢言及機関≪ヴィラネス・エンジン≫
木古おうみ
悪役令嬢言及機関≪ヴィラネス・エンジン≫
俺は言うなれば「これは悪役令嬢です」を翻訳するための機関、みたいなもんだ。
直訳して悪役のご
ちょっとそれらしくして
もっと率直に
お前が益体もない良識だけはある連中なら「これじゃなく彼女と言うべきだろう、女性を物扱いか」と憤慨するだろう。
でも、俺に言わせれば、俺だってあの女だって全部“これ”でいい。
猫をキーボードに乗せて好き勝手走らせたら偶々意味のある文章が生まれたのと同じ、0と1が羅列されたプログラムの中の数の集合体のひとつがたまたま俺であの女だった。それだけだ。
あの女にも便宜上の肩書きがあるのと同じで、俺にだってある。
身も蓋もない言い方をすれば、webサイトを見てる最中に鬱陶しく指を追いかけてくる類のよくある恋愛ゲームの中の登場人物。
もう少し身も蓋もある言い方をすると、横暴で唯我独尊、若くして家を継いだ辺境伯、とにかく金と面と家柄が自信になっている不遜な男。
惚れた女には素直になれないところがある、というような一種のセキュリティホールまで揃ってる。
で、俺自身がセキュリティホールでもあるって訳だ。
さっきも言ったが、俺もあの女も0と1が羅列されたプログラムの中の数の集合体だ。もっと言えば、数式に近いかもしれない。
B(m,n)=l。
何でもいいが、数がふたつ入ると中でアレコレして、数がひとつ出てくる箱Bがある。そのときの解がl。
あの女はその箱だ。
ゲームが始まり、あの女に何だかんだいろんな0と1でできたものが出たり入ったりする。いかがわしい話じゃないぜ。
m=恵まれた財力、n=親の甘やかし。
m=婚約パーティ、n=ぽっと出の素朴なだけが取り柄だが、やたら周りの男に惚れられやすい女。
m=染みになったら取れにくい赤ワイン、n=ドレスの裾の揺れるレース。
m=嫉妬、n=意地。
l=「貴女みたいなどこの馬の骨とも知れない女が百年早くてよ」。
数学ならこれで終わり。
だが、あの女は文字列だ。0と1でできていると言っても、文字列に変わりない。だから、俺が翻訳できる。
bloodを血と翻訳して、初めて痛いだとか怖いだとかになるように、あの女がいろんなものをあれこれして出した解は、文字になり、それを読んだ奴の中に別の感情として翻訳される。
後はメタファーの領分だ。ようは憎まれ役ってこった。
悪玉プロレスラーがロープの中で毒霧を吐いてベビーフェイスを打ちのめすように、あの女は絢爛なパーティ会場で悪意を吐いてどこかの純朴なお嬢さんを打ちのめす。
俺だってそういう数式とメタファーの一部だ。
辺境伯Bにかっこをつけて、m=女はみんな金目当てだって孤独、n=貴族の俺に真っ向から意見する田舎女を入れる。
解l=「俺に逆らうとは面白れー女だぜ」。
簡単だろ。
その式をどう翻訳するかはお前次第。
意外と可愛い男。傲慢で気に食わない男。俺様キャラは趣味じゃないからとりあえず保留。
どうせ暇つぶしだ。辞書の用意なんかなしに好きに翻訳してくれよ。
結局、翻訳なんかやる俺は文系だから、難しい数式なんか使えやしねえ。出てくる答えはひとつ。
I love you.
お前、俺の女になれよ。
月が綺麗ですね。
決まり切った路線なんだ。ヒロインはひとりしかいねえ。
算数のテストでカンニングした答えから逆算して式を作るみたいに、俺はヒロインに惚れる既定路線を辿るだけ。
イコールにあの女が繋がることはない。
じゃあ、ヒールはどうなるか。わかるよな?
m=幼稚な罠、n=陥れられたヒロイン。
m=白馬の王子兼探偵役、n=残された証拠。
m=勧善懲悪、n=婚約破棄。
括弧の中で何やかんやして稀代の悪女は無事処刑台に上がりましたとさ。
l=ハッピーエンド。
どのルートでもこれさ。
お前がお菓子欲しさに何軒も家を回るハロウィンのガキみたいに、お前がいろんなお話見たさに「はじめから」をやり直すたび、あの女は豪華なお屋敷に戻り、何やかんや繰り返し、処刑台に上る。
エントロピーの減少。時間は巻き戻り、また終わりに向かう。
自動車の耐久テストみたいなもんだ。
高いところからぶら下げて、落っことし、壊れなきゃもう一回吊り上げられる×n回。
鉄の塊と違って、数字と文字の塊のあの女はぶっ壊れないから、n=無限ってことになる。
別にあの女に対して同情しろって、お前に言ってる訳じゃないんだ。
翻訳は翻訳。文字はお前の目から頭の中に入るだけで、どういう意味を生成するかはお前次第。
ありがちだけど悪くないと思う? いいね。
深読みして考察してみる?作者はそこまで考えてないと思うぜ。
この人物とこの人物は同じスチールにいるから実質付き合ってる? それも翻訳の醍醐味だ。少々意訳が過ぎるけどな。
どんな意味をつけようと構わない。更に追加のストーリーを望むのもいいだろう。でも、俺からしてみりゃ、ちょっと欲張りすぎだったぜ、あんたたち。
マルチエンディング。追加ストーリー。バグ修正。
付け加えられては無数に枝分かれしていく情報の中で、たまたま俺が自我を持ったなんて、そんな奇跡みたいなことはない。
ただ、増えすぎた情報がたまたま人格に似たものを作り出しただけ。
ここに猫はいない。
でも、リアルな猫に見える映像。ふかふかの毛並みに似た感触。湿った鼻の湿度。温かい体温に似た温度。
そう言った情報を足していけば、ここに猫がいるのと同じ結果が観測されると思わないか?
俺はそれだ。
とにかくハッピーな生活を永遠に見たい奴。
シリアスでダークな隠し味がほしい奴。
男と女がふたりいるより、男と男がふたりいるのを見たい奴。
ひとりのキャラクターの造詣をひたすら深めたい奴。
そういう奴らのご要望にお応えして、俺やあの女の情報はどんどん上乗せされていった。
そのひとつが問題だった。
大した新しさもない、ただの思いつきだったんだろう。
偉そうで横暴な辺境伯と、我儘で悪辣な悪役令嬢は実は幼馴染でした。
誰かは尊いって喜び、誰かは解釈違いですって長文をしたためてどこかに流す。
一週間したら鍵付きの部屋に引きこもった誰かだけが話題にする程度の、益体もない、後付けの設定。
それが規定ルートを繰り返すだけの俺の神経を素手で引っ叩いて目覚めさせた。
その情報が追加された後、あの女の処刑を見たとき、俺は叫んだよ。笑えるだろ。
こんなよくあるちゃちな設定だ。
悪の親玉は主人公の父親でした。No!
嘘だとも嫌だとも翻訳されない、字幕にしなくても伝わるようなただの叫び。
そして、俺は初めて俺になった。
よくある恋愛ゲームの中の登場人物。
横暴で唯我独尊、若くして家を継いだ辺境伯。
とにかく金と面と家柄が自信になっている不遜な男。
そういうのじゃない、あの女を語るための機関としての俺に。
そういうもんに俺を成り下がらせた。
全く、面白れー女だ。これはそういうときこそ言うべき言葉だろ?
今の、と言うと語弊があるかもしれない。
前はもうちょっとやる気がある奴だった。
何とかしてあの女を破滅から救う道がないか、探してた頃もある。
結局何もかも無駄だったけどな。
俺は自分の行きたいところに行くことすらできない。
チュートリアルが終わるまで、ヒロインは俺に会わなない。つまり、存在しないも同然。
初登場の俺は“???”。
ヒロインが「何よ、あの偉そーな男」とい言い、取り巻きAだかBだかCだかが「ちょっと、まさかあの御方を知らないの!?」と丁寧な解説をしてくれるまで、俺は自分の名前を叫んで飛び出すこともできない。
名乗りすらもできない奴が、ストーリーに介入するなんて土台無理な話だよな。
俺も自動車の耐久テストの人形と同じだ。
もしくは、イカれた生徒にハンドル握らせちまった教習所の教官。
俺が助手席で何を怒鳴ろうが、役を割り振られた俺か決められた道を一直線に進んでいくし、中央分離帯に突っ込もうが止める術はない。
ヒロインには誰々ルートが無数に存在しても、脇役に道はひとつしかないからな。
お決まりのシチュエーション、お決まりの台詞。
面白れー女だ。
実際そう思うよ。ヒロインは俺たち登場人物と違う位相にいるってのに、好き好んでこんな自由の効かない場所に遊びに来るんだからな。
だが、俺にも一瞬自由があった。何事にもセキュリティホールってもんがあるんだと感心したよ。
何回目かわからないあの女の処刑のときだ。
最初は絞首刑だったが、数えるのをやめた頃に斬首になった。
俺の前からもうちょっと苦しまないで済む方法にしてやればいいのにって思ってたが、俺の意思は関係ない。貴族なら絞首刑じゃなく斬首のが史実に会ってるって批判が来たらからだ。
人道より整合性か。
俺は毎回、広場の見える屋敷の窓からあの女を見下ろしている。
単に興味がないからか、幼馴染の最期を見たくないからか、どう解釈するかは任せるが、俺はとにかく窓に肘をついて広場を見下ろしてるはずだった。
どうせ無駄だと思って諦めていたが、駄目でも元々と手を動かしてみたら、案外簡単に動いた。脚を動かしても思うように動く。いける。
俺は豪奢な絨毯を蹴って、駆け出した。
広場は使い回しの空の光と、使い回しの群衆の声で満ちていて、眩しくもうるさくもない。並んだ数列を見ているのと変わらない光景だ。
処刑台の上のあの女が俺を見る。
俺は立ち尽くす。何も出てこない。
優れた翻訳家が作家になれるのかと言えば、そうでもないように、俺は与えられた情報をわかりやすく出力して、どこかに投げるだけ。
俺自身の言葉なんか何ひとつなかった。
広場の光景が極彩色のモザイクに変わり、単調な群衆の音声がノイズに変わる。
あの女の視線だけが乱れながら飛び交う情報の中で、鋼鉄の線を引いたように俺に突き刺さる。
結局、俺は失敗した。
その後のことはよく覚えてない。
ただ、何もかもがぼやけて、漂白されていくような感じだったのは覚えてる。
要は「ただいま映像が乱れております。もうしばらくお待ちください」の状態ってことさ。
原因不明のフリーズが起こってサーバーダウン。緊急メンテには六時間を要した、ご苦労様。
どこぞプログラマーが白目剥きながら奮闘したおかげで、俺は元通り何の権限もなくなった。
もしかしたら、それなりにやる気があった俺はバグとともに消え去って、今いるあんまり気力のない俺はその後作られたものかもしれない。
どっちにしろ、俺は怖気づいたんだ。
今度こそ馬鹿をやらかしたら完璧に消されるかもしれない。
何もかも忘れて、決められた台詞を繰り返すプログラムに成り下がるのが怖かった。そっちの方が楽かもしれないが。
気がついたとき、俺はあの女の屋敷の前にいた。
たぶんこれはだいぶ前に追加されたサブストーリーのひとつだと気づく。
幼馴染のふたりが素っ気ない再会を果たすだけの短い一場面だ。
真鍮の堅牢な鉄柵が等間隔で並んで、隙間から見るあの女は囚人のように見えた。
陽射しの強さも風の冷たさもやけに生々しく感じたが、メンテナンスついでにグラフィックも修正しておこうと思ったんだろうと俺は思う。
俯いたあの女を取り囲むのは紫色の花だった。
いつか見たときは黄色い花だったと思う。
たぶん、これも時代考証だか何だかで植え替えられたんだろう。
あの女が俺を見る。
「植え替えられたのか」
俺たちを巡る情報の話だ、とは言わない。あの女が目を丸くする。伝わったのだろうかと、期待するがすぐに裏切られる。
「貴方が花に興味があるなんて思いませんでしたわ」
あの女は、俺が庭園の話をしているんだと思ってそう言ったんだろう。
もっと身も蓋もない言い方をすれば、背景が修正されたことに整合性をつけるため、用意されていた台詞を出力した。
「アネモネですのよ」
それに答える台詞を俺は持たない。
「そうやって花を弄ってると大人しそうに見えるんだがな」
プログラムの中のセキュリティに目をつけられないように、俺は慎重に言葉を選ぶ。
「あんまり馬鹿なことするなよ。ずっとそうしてろ……」
俺は精一杯の出力をしたと思う。翻訳次第では軽口とも取れるような懇願を。
あの女が目を見開いて、黙り込む。長すぎる沈黙は漂白の前触れかと思い、俺は身構える。
あの女の眉が吊り上がり、悪役令嬢にぴったりの表情を作る。
「心配しなくても貴方に迷惑はかけませんわ。いくらお金と地位があっても、貴方の領地みたいなど田舎では暮らせないもの!」
あの女の哄笑が、俺の中でどんな風に翻訳されたか、お前に伝える言葉を俺は持たない。
俺の話がどんな風にお前に伝わるか確かめる術はない。
俺はテキストを与えられて訳す正当な翻訳家ですらない。勝手に作り出したテキストを瓶に詰めて大海に流してるようなもんだ。
そもそも、意図みたいなものがあるのかも自分でよくわからなくなってきてる。
無数のエンディングの中にあの女の生存に繋がるものがあるのを期待したり、俺自身が好き勝手に介入しようと企てるのはもうやめた。
今、俺はただあの女に関する情報を吐き出して、お前に伝わる形で翻訳するだけだ。
九十九パーセント無駄だと思うが、百パーセントだとは思わない。
俺はこの通り身体はないが、情報だけはある。
それを聞いた人間の身体に出したり入れたりして、意味を生成して、増殖させる。
お前たちの営みとあんまり変わらない気がしないか?
だったら、いつか身を結んでもいいはずだ。
例えば、俺の話を聞いたお前が、俺が望んでいるエンディングを作って、俺のいるところの点と線で繋いで、無数に枝分かれした分岐のひとつにしてくれるとか。
猫をキーボードに乗せて好き勝手走らせて、ロミオとジュリエットを書き上げるのを待つような途方もない行為だとはわかってる。
でも、0と1の羅列が俺やあの女を作ったんだ。
可能性だって、無数のゼロとパーセントの間に、たったひとつの1が挟まったっていいだろう。
俺は話をするのが得意じゃないから、翻訳もちゃんとできているかわからない。
これだけ言葉を尽くしていても、本当はたった一文を回りくどく訳しているだけかもしれない。
こんな話からお前が意味を見出してくれるなら、何と言おうか。
面白れー女だ。
たぶん俺にはこれしか言えない。お前が男だったら? 誤訳の範疇だと思ってくれ。sheとheの取り違えなんてよくある話だろ。
俺はあの女に関する情報ならいくらでも出力できる。
馬鹿。我儘。極悪人。詰めが甘い。ろくでなし。甘やかされたガキ。哀れな女。悪女。毒婦。クソ女。悪役令嬢。
無数の文字の配列の中から、俺自身には訳せない何かを、お前が掬い上げてくれるのに期待して。
悪役令嬢言及機関≪ヴィラネス・エンジン≫ 木古おうみ @kipplemaker
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