終わりと始まりの曲

 まだ俺の胸は興奮が冷めやらない状態で、心臓がどきどきしている。

 つい先程まで画面の中から聞こえていた声が、今は俺のスマホから聞こえてくる。

 それはいつもの聞き慣れた声で、俺の中にあるどこかを落ち着かせてくれる。

 くるくると甘えたその声は、俺にとって天使の響きを伝えてくるんだ。


『大河君。わたし、ちゃんと歌えてたよね? ちゃんと聴いてた?』

「ああ、有理紗と聴いてたよ。ちゃんと歌えてた」


 華音のやつ、歌えたことがどれだけ嬉しいのだろうか。

 そういえば前に言ってたもんな。歌手になりたくて、声優目指したんだって。どれだけふざけた動機だろうってそれを聞いた時は思ったけど、華音にとってはふざけた動機というわけでもなんでもなく、ちゃんと真面目な話だったのかもしれない。……いや、他人が聞いたらやっぱしちゃんとふざけた動機に聞こえるんだけどな。


『ねーねー。わたしの歌声、どうだった?』

「良かったんじゃないか。有理紗だって、上手くなったって言ってたし」


 もっとも有理紗にしてみたら『結局あたしは何も教えられてね〜じゃん』と、華音のいない俺の前では常に愚痴たらたらだった。そりゃそうだ。有理紗の前では目を回しながら必死に歌う小動物の姿しか存在してなかったわけだから。でもそんな華音を精神的に支えていたのは間違えなく有理紗だった。ま、そんなこと俺の口からは間違ったって言う気はないけどな。


『有理紗先生とは後で話すからいいよ〜。それより大河君の感想が聞きたいの』

「俺の……?」

『そう。大河君の感想。電話代もったいないから早く言ってよ〜』


 待て待て。俺の感想と電話代を天秤にかけてるのかこの小動物は。とはいえ、つい先程イベントが終わったばかり。華音は時間がない中で、俺に電話をかけていることは明白だった。この後だってまだ打ち合わせなども残っているのだろう。


「お前らしい声で、いい声してたよ」

『わたしらしい……声?』

「ああ。我儘で、甘えん坊で、頑固で、いつもの華音をちゃんと表現できてた」

『……それってわたし、本当に大河くんに褒められてるのかな???』


 ふと訝しげな声を上げる華音。馬鹿だな〜。それくらい自分で考えろって。


「でも本当に華音らしい声で良かったよ。それでちゃんと六海も表現できてたから」

『なんだかそれ、上手くはぐらかされたようにしか聞こえないんだけどなぁ〜……』


 だってそんな質問、俺に聞かないまでもないだろ。俺は毎日華音の声を聞いてるんだ。夜寝る前も、朝起きた時も。日光のように浴び続けてきたその声を、俺が嫌いになるわけないじゃんか。


『あ、時間ないからもう一つだけ教えてくれないかな』

「今度はなんだよ?」


 時間ないなら帰ってきてから俺と話せばいいんじゃないか? ……とも一瞬思ったが、気づくと俺は既に華音へ聞き返していた後だった。


『わたし、なんで歌えるようになったんだろうね?』

「…………え?」

『わたしは歌えるようになって、大河君はピアノを弾けるようになったじゃん』

「俺が弾けたのはピアノじゃなくてキーボードだけどな」

『でも、弾けるようにはなったんでしょ?』

「……ああ」


 もっとも実際のところは、華音の言う通りだったんだ。俺はあの日からキーボードだけでなく、ピアノも弾けるようになっていた。だけどまだ華音には絶対に秘密なんだ。

 俺は華音と収録に行った日、ITOいとが用意したシンセサイザーを弾くことができた。最初はこのシンセサイザーが魔法にでもかかってるんじゃないかって思った。実はITOが用意したこの楽器が少し特殊な代物で、俺はそこから放たれる魔力に従い、騙されたように手が動いているだけじゃないかって。ふざけた話に聞こえるけど……いや、やっぱしふざけた話でしかなかったけど。

 キーボードを弾きながら、隣で歌う華音の顔を見て直感的に思ったんだ。あ、俺はもうピアノを弾けるんだって。どうしてそう思ったのかはわからない。もしくは、ただわかろうとしていないだけかもしれない。それこそ俺は魔法にでもかかってしまったかのようで、霧が晴れていくように、もう大丈夫だって思ったんだ。だがもちろんその魔力とは、ITOが用意したシンセサイザーから放たれていたわけではない。

 なぜならそこには、楽しそうに歌う笑顔があったから。


「やっぱそんなのは自分で考えろって」

『え〜、わからないから大河君に聞いてるんじゃん!』

「俺に聞かれたって、知るかとしか言えね〜ぞ」


 だってその答えは、華音だってもうとっくに気づいているんだろ? 華音がそれでも知らないふりをして同じ質問を何度もしてくる理由は、俺はやはり『知るか』としか答えようがないんだ。


『じゃあさ。わたしが帰ったら、あの曲をまたピアノで弾いてよ』

「あの曲……?」

『そうあの曲。名前なんて言ったっけ? 一昨日大河君が部屋で弾いてた曲……』

「っ…………」


 あれを、華音にも聴かれていたってことか。


「『月神の賛歌』……だな」

『そう、それ! わたしあの曲大好きだもん。また聴かせてよ!!』


 俺はITOのシンセサイザーが弾けた後、自分の部屋で何度かピアノを弾いていた。最初は本当に弾けるのか、お試しで弾く程度だった。有理紗にからかわれるのも癪だし、誰にも聴かれないよう有理紗も華音もいない時間を見計らって。

 昨日その曲を弾いていたのだって、実に一年ぶりくらいだった。もしかしたらとふと思って、俺は手書きの譜面を本棚の一番端から引っ張り出した。まだ他に誰も帰ってきていないことを確認すると、誰も入ってこないよう厳重に防音室の鍵をかけて、その曲を弾き始めたんだ。手に懐いてくるような感覚を味わいながら、やはりこの曲は俺の曲なんだって、改めてそれを感じながら弾いてたはずだったんだ。


 まさかそれを華音に……一番聴いてはいけない人物に聴かれていたとは。


「お前そんなこと言ったって、だってあの曲は……」


 あの曲は俺からピアノを奪っただけでなく、華音から歌を奪った曲でもある。


『前にも言ったよね。わたしあの曲、あの頃から好きだったって』

「でももしまた……」

『ありえないってそんなこと。……あ、そろそろ時間みたい。じゃあ、またね!』

「……あ、ああ」


 ありえない……か。華音の甲高い明るい声と、電話のプープーという音がシンクロするように、俺の耳にその余韻が響き渡っていた。


 確かに華音の言う通りだ。あり得るわけない。

 なぜならあの曲は俺と華音にとって、終わりの曲でもあるし、始まりの曲でもある。あの曲がこの世に存在していなければ、俺はピアノを弾けなくなることもなかったし、華音だって大好きな歌を歌えなくなることもなかったかもしれない。でも同時に、俺と華音がここで出逢うこともなかった。


 なぜこの曲は生まれてきたのだろう?

 俺が全てを込めて作り上げた曲。一時は俺の全てを奪い去った曲でもある。

 俺と華音をひたすらに惑わせ、だけど最後にはひとつになった。


 そして俺はもう一度その曲を弾く。俺の一番大切な人の前で。

 もう絶対に悲しませたくはない。幸せをぶち壊すなんてもうごめんだ。

 手で触れただけで壊れてしまいそうな大切なものを、もう二度と離したくはない。

 だから俺は、ピアノをもう一度弾き続けるしかないのかもしれない。



 あいつが帰ってくる前に、もう一度練習しておこう。

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声優ってなんで歌わなきゃいけないんだろね!? 鹿野月美 @shikanotsukimi

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