ところでなんでオンラインイベントなんだろう?
「ちょっと大河〜。そろそろ始まるわよ〜」
「ああ。今いく」
防音室……という名の俺の部屋のドアに、有理紗の顔がひょっこり顔を出した。
あと五分ほどで華音が出演するオンラインイベントが放映開始となる。俺と有理紗はリビングに集まって、五十五インチのテレビでそれを見届けることにしたんだ。華音としては初めてその顔が視聴者の前に現れるわけで、俺は少しだけ不安さえもあった。でもこれは事務所と華音が話し合って決めたこと。両親の離婚がとりあえず決着したこともあり、このタイミングでとなったのが本音のようだ。
ただし俺の不安は、本当に俺しか感じていなかったようだ。昨晩未来とのラジオ番組でも話していたが、華音本人はむしろそれを楽しんでいるかのよう。『今時の声優はそんなの当たり前なんですよ』とかなんとか仰っていた。ただの小動物のくせに、そういうとこだけは一人前なんだ。だがそうは言っても、学校での周囲からの視線はまた変わってくるんじゃないだろうか。その華音の顔立ちは既に男子からの視線もかなり集めていたわけだから、そこへ人気声優などというレッテルも加わると加速度的に注目を集めることになるだろう。それでも華音は『そんな時は大河君が助けてくれるんでしょ?』なんて言ってくるのだ。俺はただただ無言のまま、笑ってごまかすしかなかったが。
そうは言ってもこのタイミングで『七野かのん』という新人声優が『のかやみなな』という伝説的声優と同一人物であることも公表されていた。おいおいそんな尾ひれのついたヤツを本当に俺が守るのかとか、それこそ聞いていないというのが本音であったが、これも両親の話に決着がついたらという条件で、華音と事務所で予め決めてあった話のようだ。全ては両親に迷惑がかからないようにという華音の願いから、ほぼ無茶振り的に進んでいった事務所移籍騒動。それを見事に叶えたのが今の華音の事務所であって、この件に悪い噂が立つ気配などは微塵も感じられない。
ちなみに華音の母親の方はというと、『四月以降も華音のことよろしくお願いします』と、昨日俺の携帯番号宛に電話があった。有理紗がめんどくさがって教えてしまった俺の電話番号が、結局最後まで悪用されてしまったという具合だ。華音の母親の言葉の意図としては、藤沢の高校へ転校したばかりなのに四月からまた転校というのはさすがに可哀想だという判断と、『大河君が側にいてくれた方が華音も落ち着くだろう』という謎の言葉さえも付け加えていた。
本当になぜ皆、俺と華音をくっつけたがるのだろう。ま、今となっては特に悪い気もしないわけだが……。
「大河遅い! ちょうど今始まったところよ」
「ああ……」
インターネットの番組もこうしてテレビで観られるようになり、本当に便利な時代になったものだ。大画面のテレビの中では六姉妹の声優がずらりと並び、その中にちゃんと華音の姿もあった。アニメ雑誌でよく見かける声優に混ざって、いつも俺の前をちょろちょろしてる華音がいるというのはやや違和感を覚えるくらいだ。もっともその違和感も正直当然かもしれない。他の姉妹役の声優さんたちは毎クールどこかのアニメに出てくる超売れっ子声優ばかりだし、年齢だって高校生なのは華音くらいだろう。そんな中に小動物が紛れ込んでいるわけだから、やや浮いているように見えてしまうのは当然といえばその通りだ。
「みなさん、こんばんわ〜!!」
「って、オンラインイベントなんだからそんな大声出さなくても大丈夫だよ」
「だってステージばかり広くて、観客がいないしなんか寂しいんだもん」
などという会話からイベントが始まった。今時と言えばそうなのかもしれない。
「それよりこの雰囲気、とっとと自己紹介始めた方がいいんじゃないの?」
「ほらほら、視聴者の中には絶対『あの若い女の子誰?』ってなってる人いるもん」
「聞いた話だと顔出し初お披露目らしいよね……って観客いないから反応なしかい!」
「じゃあ早速六姉妹の長女から……ではなく、光太郎役から自己紹介してもらおう」
「え、俺から? いきなりのキラーパスかよ!?」
イベント序盤からテンポよく進んでいく。と言っても視聴者の反応は予想通りと言うべきか、『完全に焦らしてる!』とか『やっぱ一番最後かよ!!』などと言った具合に、そのテンポの良さとは真逆の、明らかに特定の人物の自己紹介を心待ちにしたコメントがずらりと並んでいた。ただしイベントの進行はそれを逆手に取るような進め方をしてるように見えるのも、俺の判官贔屓というやつではないだろう。
やがて自己紹介は、最後の一人に……
「六海役の、七野かのんです。今日はよろしくお願いします!」
誰もが待ち望んでいたその自己紹介は、ようやくその時を迎えたんだ。
「かのんちゃん。イベント初登場おめでと〜! ひょっとして緊張してる?」
「いえ。全然大丈夫です! 皆さんに負けないよう、頑張りま〜す!!」
「ほら〜、現役バリバリの女子高生だもん。六姉妹の中で唯一キャラクターとその中の人の年齢が一致しちゃってるんだよ!!」
「え〜……なんか私たちにもそういう頃があったんだなって考えてたら、思わず涙が出てきちゃった」
「ちょっと待って。それってどういった意味の涙なの!??」
その時からコメント欄は滝のように流れていき、急に花開いたかのように肯定的なコメントがみっしりと書き込まれていった。およそ内容は華音に対するコメントだ。『まじかわいい』とか『本当にJKだったんだ』とか。オンラインイベントであるが故、その声はステージにいる華音には届いてないかもしれない。だけどそれら全て受け取って包み込むかのように、華音の笑みは華やかに溢れ落ち、美しく輝いて見えた。
イベントは一時間の構成で、時間が経つのも忘れてしまいそうなほどあっという間に流れていく。出演者でゲームをしたり、今日のイベント用に書かれた台本を朗読したり、笑いあり感動ありで楽しいひとときを味わうことができた。
中でも注目を集めたのは、原作ラノベのワンシーンを切り出し、出演者が『自分だったら』と高校生になりきってそのシーンをアドリブで演じるゲームだった。もちろんとも言うべきか、それを『あり』か『なし』かで評価するのは、唯一の現役女子高生である華音の役目だ。が、そのルールを聞いた瞬間、俺は唐突に嫌な予感を覚える。案の定ともいうべきか、蓋を開けてみるとこのゲームで華音の天然ぶりが見事に炸裂してしまったのだ。『それ本当に『あり』でいいのか?』とか、『実はかのんちゃんってJKじゃなくてJCなのでは?』などと疑うコメントさえあったくらいだ。
……おい華音、明日も学校あるんだからそれくらいにしておけよ?
最後は六姉妹の声優六人で、アニメの挿入歌となるべき曲を歌っていた。
もちろんそれには俺も若干の不安があったが、どういうわけか華音はけろっと歌い上げていた。もっとも、その挿入歌の収録はつい一昨日行われたばかりなのだが、その収録に関しても至って順調だったらしい。これまでの苦労は一体なんだったのか。それさえも思わず忘れてしまいそうな、今日も見事なまでの歌声を響かせていたんだ。
そして、終演。
イベントは特にトラブルもなく、無事終了した。もっとも俺は素直に楽しめたというだけでもなかった。最後の歌もそうだけど、やはりどこか不安で……いや、華音はそんな不安にさせるような顔は一回もせず、ずっと堂々としていたわけだが。
だが、俺のすぐ真横で同じようにテレビを見つめていた有理紗も、イベントが無事に終わった時には深く息をついていたくらいだ。まるで自分の妹を見守るかのように、やはり俺と同じ気持ちで観続けていたのかもしれない。
イベントの幕が下りて、それから間もなく俺のスマホのベルが鳴った。
興奮冷めやまぬまま、まだ頭がぼうっとしていた最中でのことで、とても電話に出るという気分ではなかった。だが、スマホの画面に表示された発信者の名前を見て、俺はぎょっと我に返る。
「もしもし大河くん? わたし、ちゃんと歌えたよ!」
その声は華音の、目覚まし時計にでも使いたくなるような明るい声だった。
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