借金取り、時々サイコメトラー

零井あだむ

第1話 あなたの人生の足取り

 古びたアパートの一室、ベニヤ板の扉をノックする。


 返事が返ってこないのはあらかじめ予測済み。

 用意しておいた合鍵を使い、扉を開ける。


 部屋の奥から、つんと饐えた臭いが漂ってくる。

 いつ頃から換気をしていないのか、淀んだ空気が玄関に流れてくる。


 閉め切られたカーテンから零れる日光が、唯一の明かりだった。

 部屋の隅に追いやられた洗濯物に、シンクに溜まりに溜まった洗い物の数々。


 万年床と化した布団には黄ばみを超えた黒ずみが浮かんでおり、テーブルの上に残ったカップ麺の残り汁には、コバエの死体が浮いている。捨てる機会がとうに失われたゴミ袋で床は埋め尽くされ、もはや足を踏み入れる隙間もない。


 生活感をありありと残した部屋にも拘わらず、部屋の主は存在しない。

 家具に積もった埃から、しばらく家主が帰っていない事は容易に想像できる。


 家主の名前は麻枝敏弘。44歳。派遣社員。都内のIT企業勤めで、ここ2週間ほど会社に顔を出していないとのことで、警察に失踪届が出されていた。以前から多額の借金を抱えていたとのことで、多重債務を苦にしての夜逃げ――として見られていた。


 そして、僕はいわゆるというやつだ。

 夜逃げした債務者からお金を返してもらうために働いている。

 胸を張れるような仕事ではないけれど、僕も自分の仕事をしなければならない。


 家主がいようと、いまいと、だ。


 ――さて、と。


 僕は洗面所に向かい、水垢がびっしりとこびり付いた鏡のほうを向いた。

 白く濁ったガラス越しに、痩せた自分の顔が見える。


 ここからが僕の仕事の始まりだ。

 

 洗面所にあった歯ブラシを手にとった。

 持ち手には白い歯磨き粉がこびり付き、毛先は黄ばんで広がっている。ひどく使い古されている歯ブラシを握り、鏡を見ながら目を瞑る。


 ――数秒の後。

 

 目を開けた途端、鏡越しの背後にが写った。


 玄関へ向かう人影だった。

 もちろん、この家には僕ひとりしかいない。


 だとしたら誰がという話だが――写りこんだ影の正体を、僕は知っている。


 僕にはヒトの「残留思念」的なものが視えている。


 いわゆる霊視、サイコメトリー、メンタリズム、コールドリーディング……とか色々言うけれど、正直、自分の能力がどういったものか具体的に理解できているわけじゃない。大学の偉い先生によれば、人間の脳神経パルスが残した微弱な痕跡を捉える特異体質なのだとか言うけれど、イマイチよくわからない。


 わかっていることはひとつだけ。


 僕はどんな人であっても、その人の行方を知ることが出来る。


 それが生きている人であっても、

  

 つまりSSSクラスのストーカーだ。


 人間は暮らしていれば、何かしらの「名残」を残している。毎日身に着けている服や持ち物、通勤、通学で歩く道、特定の思い入れがある場所――人間の痕跡は、そこかしこに指紋のようにこびついている。詳しい人によればそれが残留思念と呼ばれるものらしいけど、正直なところあまり興味はない。


 幽霊のように人影が見える時もあるし、ぼんやりとした霧のように見える時もある。時には違和感のある「におい」として感じられる時もある。


 少なくとも痕跡をひたすらに辿っていけば「何か」がそこにいる。


 子供の頃からそういう特技を持っていたものだから、今の今までまともに扱われた事はなかった。そんな子供が立派な大人になれるはずもなく、20代も半ばになるまで、まっとうな職に就いた事もなかった。日雇いのバイトや派遣社員として日銭を稼ぎながら、唯一の趣味は動画サイトでバーチャルアイドルの配信を見ることくらいだったけど、推しの自宅リアルを特定したおかげで危うくストーカーとして逮捕されかけた。


 そんな時に今の上司に拾われて、借金取りの仕事を持ち掛けられた。

 

 そうして僕はここにいる。


 まさか借金取りの仕事に自分の能力が生かせるは思わなかった。どうせならFBIとかCIAとか、海外ドラマでよくある特殊捜査班みたいなカッコイイ職場で働きたかったけど、ブタ箱に入れられる寸前で拾ってくれた上司には今も頭が上がらない。


 だから、真面目に借金取りの仕事をしている。


 男の「足取り」はそこかしこに残っていた。通勤に使っていたであろう駅の改札。良く立ち寄っていたコンビニ、職場近くの喫煙所――足取りを追ううちに、はじめはくっきりと見えていた男の影が、次第に霧のように薄れていくのが見えた。こういう時の嫌な予感は大抵当たるのだと、僕の経験がそう知らしめていた。

 

 都心から電車を乗り継ぎ、バスに乗り換える。

 

 足取りを追ううちにいつの間にか、群馬県の山奥にまで来ていた。


「そうか、そこにいたんだな」


 自分がいなくなった後、誰にも迷惑をかけないように。

 そういった想いから、彼は都会の喧騒から離れた場所に来たのかもしれない。


 背の高い木に吊るされたロープに、事切れた男の死体がぶら下がっている。


 死ぬ時くらいはスーツを脱げばよいのにと、足元できちんと揃えられた革靴を見て思った。僕はスーツを着て仕事をしたことはないけれど、死に装束に相応しくない服装だというくらいはわかる。


 けれど彼の足取りを見ていたから、僕には理由がわかっている。

 きっと彼は、死ぬ直前のその日まで、仕事に行こうとしていたのだ。

 

 毎日が生き地獄のような日々の中、擦り切れるような気持ちで働き続けた結果、ある日突然、糸が切れたように死を選ぶ。自宅で首を吊るか、あるいは電車に飛び込んで死を選ぶかは、人目に付くか付かないかの違いでしかない。


 並べられた革靴の下には遺書が置いてあり、折り畳まれたルーズリーフに「母さんへ」と書いてある。誰にも迷惑をかけようとせずこの世の中から消えようとした男の、最後の言葉。それはか細く、力のない文字だった。


 上司に連絡を入れてから、僕は帰路につくことにした。


『――それで、お前はいつ借金取りの仕事をしてくれるんだ?』


 たまには生きた人間を見つけて取り立てろと散々嫌味を言われたけど、警察への通報は上司がしてくれるらしい。せめて死体をロープから降ろしてやりたいと思ったけれど、第一発見者がどうとか、事情聴取をされるのも面倒だ。ぶら下がった彼に向かってそっと手を合わせ、タクシーが拾えそうな場所までひたすらに歩いた。


 結局、今日も借金を取り立てる事はできなかった。まぁ、僕が回される仕事というのはだいたいこういう事案が多い。警察、探偵、そしてヤクザに中国系マフィア――いわゆる人探しに長けたプロたちが血眼になって探しても見つからない事案が、回りまわって僕の仕事になっている。。それが分かるだけでも、どうやら情報としては価値があるらしい。


 どちらかというと借金取りというより人探し専門業者という方が正しいんじゃないか――と、最近は思っている。上司にも、それを見込んで僕を雇ったんじゃないかと聞いてみたけど、『まともに取り立ても出来ない癖に偉そうに言うな』と、認めてはくれない。いつかきっちり借金を取り立てて、上司に吠え面をかかせたい気持ちでいっぱいなのは、僕の中でのちょっとした野望だったりする。


 まぁ、それはそれとして。


 僕はどんな人であっても、その人の行方を知ることが出来る。

 それが生きている人であっても、例え死人であったとしても。


 特別な能力を持っていても、出来ることはひたすらに借金を取り立てるだけ。

 

 ――僕の仕事は、今日もこうして終わる。


 借金取りとしては、まだ未熟だ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

借金取り、時々サイコメトラー 零井あだむ @lilith2nd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ