やるっきゃない!

捨猫次郎長

第1話 きっかけ

5月の昼下がりの太陽を浴びながら、両手の手のひらを青空に向けて背伸びをする。


「んー‥いい天気」


今年高校2年になった天竹一葵あまたけ いつきは、自転車に跨り信号待ちをしている。


俺の住んでいる街は田舎の為自転車での移動が当たり前。

今日は隣街の書店まで行く予定だ。


背伸びした状態からそのまま右腕を太陽の方に向け、手のひらで太陽を隠しながら太陽を見上げる。


冬の寒空も終わり昼間はポカポカ陽気に包まれ、身体の中から高揚感が湧き出てくる。


「今日は【白と黒】の発売日」


【白と黒】とはドラゴンや魔法が存在する世界を描いたファンタジー作品の漫画だ。

全国的に人気がある訳でも無く、ありきたりな設定だが俺はこの漫画が大好きだ。

でも、作者さんはよく休載するため続きがなかなか発売されず、待って待って待って

約2年。

今日やっと念願の最新巻が発売される。


湧き上がる高揚感とワクワクが相まって顔がにやにや‥いや笑顔が溢れてくる。


スッと顔を前に向けハンドルに手を戻す。

ちょうど信号も青に変わり目的地に向かい自転車を勢いよく漕ぎ出した。




♦︎




高田市の書店


駐輪場に自転車を停めて、書店の中に入る。

書店内は静かに本を探してる人や雑誌を立ち読みしている人が、ちらほら居た。


ジグザグに静かにそして、そそくさと目的の漫画が陳列されている棚に向かった。

まだちょっと先だが新刊コーナーに置かれた表紙が黒い本が目に入る。


あった‥最後の1冊じゃないかっ!


慌てて近寄り最後の1冊を手に取り表紙を見る。


「危なかった‥」


無意識に小声で呟いていた。

無事に好きな漫画を手に入れて安堵の溜息をついた時、不意に視界に何かが入り込んだ。

そちらに視線を向ける。


小さな男の子が隣に立っていた。

見た感じ小学5年生くらいの子供。

なぜかムスっとした顔をして俺の方を見上げている。


なんだよ‥

そんな事を思いながら男の子と少しの間、目が合い続ける。

すると相手の目線が外れ、手に持っている【白と黒】に移り、また俺を見てきた。


お前もこれが欲しいのか‥

でも、俺もずっとこれを待ってたんだよ。


静かな空間に、二人を覆う微妙な空気。

男の子のムスっとした表情が段々と悲しげな表情に変化していくと、同様に何だか悪い事をした様な感覚に襲われていく。


「あぁ。分かった分かった」


今にも泣き出しそうな顔つきをしだしたので思わず口からポロリと出てしまった言葉。

そして、出した言葉によって決意をする。


「この本君に譲ってあげるよ」


「いいの?!」


間髪入れずに返事をする男の子。

何だか騙された感があるが、ここまでくると後に引けない。


「いいよ」


持っていた本を男の子に差し出すと、満面の笑みで受け取った。


「ありがとうございます!」


男の子はお礼と一礼をしてレジの方に歩いて行く。

歩いている最中何度も嬉しそうに本を見ていた。


ちゃんとしたお礼に嬉しそうな笑みを見た事で、俺も悪い気はしなかった。


その後、他に読んでいる漫画の新刊のチェックや、もしかしたら他の場所にも置いてあるかもしれないと淡い期待を持って最後の悪足掻きの様に店内を10分程見て回った。








やっぱりないか‥

次に行く書店を頭に浮かべながら店を出て駐輪場に向かう。

とぼとぼと歩いていると駐輪場の奥で二人組が立っているのが見えた。

一人はさっき本を譲った男の子だ。

もう一人は女の人。

見た所、俺と同じ年位の女の人。


二人をチラッと見た後自分の自転車の鍵を開けて出発しようとした時


「お兄さん待って!」


さっきの男の子が話しかけてきた。

そちらを見ると男の子と一緒にいた女の人も近付いてくる。


「あの、すみません。何だか弟が無理を言って本を譲ってもらったみたいで」


「え?いや。き、気にしなくてもいいですよ‥」


反射的に言ったが、苦手だ初対面の女の人‥あがってしまう。


「この子ずっと前からこの漫画を楽しみにしてたみたいで、あなたのおかげで買えたって喜んでたんです」


可愛い‥

近くで見ると清楚系の顔立に似合う笑顔に一瞬胸がドキッとした。


「良かったですね‥」


他になんて言えば良いのか分からない。

照れ笑いをしながら、うなじを右手人差し指でポリポリ掻いた。


「お礼にジュースを1本奢らせてください!勿論僕のお小遣いから出しますよ!」


凄い笑顔の男の子。

手元にはマジックテープ式の財布が握られていた。


「え?‥」


俺は思わず、きょとんとしてしまった。

流石にまずいだろ‥小学生に奢って貰うなんて気が引ける‥


「さっき店中でお礼はしてもらったから、何もいらないよ。その笑顔だけで充分!」


俺は右手親指を立る。

そのまま流れる様に手のひらを男の子に向けて


「それじゃーね」


自転車を漕ぎ出して逃げる様にその場を急いで立ち去った。

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