我想うゆえに

 視聴覚室はグラウンドが見下ろせる位置にある。窓際の席ではないから外の様子は覗えない。けれど、声が聞こえていた。運動部の部活が始まりつつある。

 常喜先輩はあれから無言。


 愛を証明のためには愛を定義づける必要がある。

 愛とは何か。

 自分の裡にあるものを私は愛だと確信している。それは感覚的なもので言語化まではできない。

 存在しないと主張されても反駁する術がない。


「先輩は愛はないと思っているんですか?」

「そんなことはない」

 しれっと先輩がそう言ったのは、少し意外。

 例えば、江波くんと付き合いたての、彼の人となりがわかり出したころ。好意にまでは行かずとも、私は彼に好感を抱いていた。異性の友人として。先輩は、それを単純接触効果と断じてしまうタイプ。だから、愛や恋をも解体してしまうとばかり。


「なら、先輩はその存在を証明できるのですか」

「その必要があるのか? 自分があると思っていたらそれで十分だろ」

 江波くんの言葉が脳裏に甦る。

 もう、ダメなんだよ。

 彼を好き、それは疑いようのない私の本心。でもそれだけじゃ足りない。伝わらなければ。届かなければ。

「愛があるって証明しなきゃ。相手に信じてもらえなきゃダメなんです」

「相手に信じて貰いたい? エゴだよ、それは」

 伝わらなくとも、報われなくても、ただ、愛し続ける。不朽不滅の愛。まるでアガペー。


「先輩は! 先輩は想いが通じない辛さを、この胸の苦しさを知らないからそんなことが言えるんです!」

 彼の気持ちはもう私に向いていない、そう悟っても、好きであることをやめられない。いっそ、そんなものなくなってくれれば楽なのに。私は彼を忘れられない。彼のことを考えてしまう。校舎を行き交う生徒のなか彼の姿を探してしまう。

「わかるよ」

 存外に強い返答が先輩からある。


「東堂は覚えているか」

 先輩曰く。以前にも「お金で買えないものはない」がお題になったことがあったらしい。先輩とではない。この部屋でアリサや他の生徒とでだ。年明けてすぐのころだという。ホテルのケーキバイキングへ行った時分だ。

 そのときも私は愛を反論としてあげたらしい。

 アリサが「のろけてんの?」と茶化しそれから雑談の様相となり、議論はうやむやになった。先輩はその一部始終を耳にしていた。


「東堂は、熱に浮かされいるんだな。あのとき、ぼくはそう結論づけた。しかしと考えたわけだ。はたして、今も同じことを口にするだろうか」

「もし、私が違う方法で反論したら」

「軽蔑していただろうね。けど、そうはならなかった。東堂は、江波と別れても、愛と即答した」


「え?」ちょっと待って。「フラれたって言いましたっけ」

「言わなくたってわかるよ」

 どういうわけか、先輩は自嘲するようにそう吐き出した。

 日は傾きはじめている。けれど、やっぱり表情は逆光でよく見えない。


「目」

 一瞬、何を言われているのか理解できなかった。

「一重になっている」

 私の目を指しているのだと遅れて察する。

 奥二重が一重になっている? 赤みは引いたから大丈夫だと思っていたけど、まだ腫れが残っていたのか。

「泣きはらしたと考えたら、あとは簡単に推測がつく。東堂が泣くとしたら、江波のことくらいだ」


「そこから破局は飛躍しすぎです。喧嘩しただけかもしれませんよ」

「だとしたら部活に顔を出すか?」


 離別に至っていないなら、衝突はあってもお互いの気持ちはまだ離れていない。どう摩擦を解消するかが重要。軽い問題なら愚痴ってすっきりして終わり。もう少し重いものなら対処策を練る必要がある。どちらにせよ、そういうときに私が頼るのは一人だ。先輩ではない。アリサだ。アリサとスイーツでも食べながら話すことになるだろう。

 けれど、そうはならなかった。私はフラれた。もう修復できないと直感してしまった。アリサに泣きついたところでどうしようもなく。私はそれを一人で抱えこむしかなかった。


「全部お見通しですか」

 さっぱりと関係をなかったことにする、そんな綺麗な別れ方ではなかった。涙を伴うもの。たぶん、私がまだ彼を引きずっているのも見透かされている。

「ずっと見てきたからな。江波と別れても、まだ愛なんて言うとは思わなかったが」


 あのときとは状況は変わってしまった。でも、気持ちはずっと同じ。

「東堂は東堂のままなんだな」

「何を当たり前のことを」

「軽蔑できればどれだけよかったか」

 先輩は私をずっと見てきたと言った。私の気持ちがまだ江波くんにあるのも、たぶん気づいている。そして、想いが通じない辛さもわかると言った。

 つまり、それって……。


 けれど、先輩はその先を口にはしない。

 先輩は想いが伝わらずともよいと告げた。愛があるとも。

 軽蔑できればよかった?

 それは、翻って、そうなるかもという疑念があったということだ。幻滅して簡単に消えてしまう可能性を考慮していた。

 疑っていたからこそ、そうならずに、最後に残ったものを信じられる。コギトエルゴスムみたいな。

 私たちの想いは交わらない。

 けれど、たしかにそこにある。

 失恋?

 いや違う。

 私たちは恋を失えずにいる。

 

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ぼくらはきっと呼吸をやめない 十一 @prprprp

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