エピローグ

She (never) give up.

 こうして、東雲しののめとばりに関する話は。

 学校の屋上に始まって、

 学校の屋上で終わった。

 ならば、後日談を語るとすれば、やっぱりこの場所だろう。



「うひゃー! きれー!」


 扉を開けた瞬間に出迎えてくれる満点の星空。これを望むのはもう三度目だ。


「思ったより涼しーね!」


 うれしそうに夕月ゆづきが屋上を走り回る。まるで雪の中を走り回る犬みたいだ。


「あんまり走り回るなよ。危ないぞ」

「そーいや、かすみちゃんは?」

七海ななみ先生ならまだ校舎内に――」

「ちょっと星宮ほしみやさーん? 夜間立ち入りの書類、あなただけ名前書いてないでしょー? 一度下りていなさーい」

「だってよ、夕月」

「あっ、忘れてた。いってくる!」


 ぱたぱたと、夕月の身体が校舎内の暗闇に消えていく。天体観測の開始には、もう少し時間がかかりそうだ。


「また二人きりね」


 そう言って隣で笑うのは、天文部部長に復帰した、東雲とばり。


「そうですね」

「あら、うれしくないの?」

「うれしくないことはないです。ただ……ちょっと気まずいだけですよ」


 俺は部長とは反対側を向いて答える。



 結局のところ、俺は東雲とばりにフラれた。

 彼女曰く、


『私の望みを粉々に砕いた人と付き合えるわけないじゃない』


 らしい。

 俺の人生最初の告白は、あえなく散ってしまったということだ。


「言っておくけど」


 念押し、とばかりに部長が口を開く。


「私はまだ、生きていくことを決めたわけじゃないわよ?」


 もうひとつ、彼女に言われたこと。


『自分の命を諦める機会があれば、私は即座にそうするわ』


「わかってますよ」


 でも。


「俺がそばにいる間は部長にそんなこと、絶対にさせませんから」


 フラれたとしても。恋人の関係でないとしても。

 好きな人が死のうとすることは、なんとしても阻止する。


「ふふ、応援してるわよ」

「また心にもないことを」


 薄い笑みはやっぱり彼女の本心を包んでいて、今の俺じゃうかがい知れない。少なくとも今は。

 と、部長がポケットからスマホを取り出して耳に当てる。どうやら電話のようだ。


「……もしもし。うん、うん……わかってるわよ」


 あまり聞いたことのない声音こわねだ。相手は誰なんだろう。


「えっ? まあ、いるけど……」


 こちらをチラチラとうかがいながら話す。かと思えば、スマホをこちらに差し出してきた。


「うちの母親が、晴人はると君と話したいって」

「俺ですか?」


 あかねさんが? どうしてだろう。よくわからないまま、電話をかわる。


『こんばんは』

「は、はい」

『ごめんね、お楽しみのところ邪魔しちゃって』

「いえ、そんなことは」

『ひとこと、お礼を言っておきたかったの』

「お礼ですか?」

『ありがとう。あの子とちゃんと話をしてくれて』

「……」

『言葉を、気持ちを、伝えてくれたのよね。それが届いたからあの子は、今そこにいて……顔を上げて、前を向いて生きている。

 だから……ありがとう』


 丸みを帯びた優しい声。やっぱり部長と似ていた。


『これからもあの子のこと、よろしくね』

「……はい」


 俺はうなずく。以前、曖昧あいまいにしか答えることのできなかったその言葉に、今度はしっかりと答えることができた。


『あ、そうそう。もし今夜いい雰囲気になって朝帰りとかになっちゃっても、心配しないで』

「はい?」

『うちのお父さんの方はうまく誤魔化しておくから。それじゃあ、あとは若いふたりで楽しんでね』

「ちょっ……! 茜さん? 茜さん!?」


 弁明を試みようとするも、俺の声は届かず。画面には『通話終了』と無情に表示されていた。


「何を話してたの?」

「いえ、大したことじゃないです。天体観測、楽しんでって言ってました」


 要約して、さらには分厚いオブラートに包むことにした。二重の意味で恥ずかしくて話の内容なんか言えるわけがない。


「ねえ晴人くん、ひとつ訊いていい?」

「なんですか?」


 スマホを返すと、部長は何やらこちらをじぃ、と見つめていて、


「どうしてさっきうちの母親のこと、名前で呼んでたのかしら」

「あ」

「知らない間にずいぶん仲がよくなってるみたいね」

「いやそれは」


 しまった、心の中で部長と呼び分けているのが思わず声に出てしまっていた。


「えっとですね、名字で呼ぶとかぶっちゃうから致し方なくというか」

「じゃあ、私のことは名前で呼ばないの?」

「え」

「この前みたいに私のことは『とばり』って呼べばいいのに」

「い、いやあの時は勢いというか」

「ふーん……?」

「えっと」

「ふう~ん?」

「そ、そうだ! 今夜は涼しいから、ココアでもどうですか?」


 新しいおもちゃを見つけたみたいないつもの悪戯顔を浮かべてくるので、急いで話題を変える。ていうか今になって蒸し返さないでほしい。冷静になるとものすごく恥ずかしい。

 俺は手早くリュックサックからボトルを取り出して、コップに注いでから、


「どうぞ」

「ありがと」


 受け取って、ひと口。ほう、という吐息と湯気が、わずかに紅潮した頬のまわりを漂う。


「ふふふ」

「どうかしたんですか?」

「いえ? やっぱり私、晴人君の入れてくれたココア、好きだなと思っただよ」

「……」


 その笑顔を見て、俺の胸は跳ねる。何の前触れもなく。不規則に脈打つ鼓動を感じて、自分の気持ちを思い知らされてしまう。


「それじゃあ、天体観測を始めましょうか。準備はよろしくね、晴人君」

「はいはい、わかりましたよ」


 会話はいつものトーンに戻り、俺たちは空を見上げながら、天体望遠鏡の方へと歩き出す。




 人はそう簡単に、言葉一つで、行動一つで、変わるものではない。俺は諦めないと誓い、彼女はいつだって諦めようとする。

 でも、まったく変わらないということはない。夜空に浮かぶ星だって、変わらないように見えて、変わっている。そしてそれを、俺は身に染みてよくわかっている。

 東雲とばりは、そういう人間なのだ、と。

 そんな彼女を、俺は好きになったのだ、と。

 どう足掻いても、受け入れるしかないのだ、と。

 静かに。誰にも悟られないよう、心の中でそっと。

 俺は諦めた。

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東雲とばりは諦める 今福シノ @Shinoimafuku

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