「好き」で食ってて何が悪い

多賀 夢(元・みきてぃ)

「好き」で食ってて何が悪い

「だから私は、沢山の大人にもっと真剣に答えて欲しいんです!受験は遊びじゃないんですから!」

 ――うるせえ。さっきから聞いてやってるだろうが。

 そういう本音を押し隠し、私は目の前のお嬢さんにゆったり微笑む。ここは有名なコーヒーチェーン店だ。秋も深まり薄ら寒い中、彼女はフラペチーノなぞ注文し、それが溶ける事も気にせずまくしたてていた。

 本当にしまった。遠縁とはいえ進路相談など乗るのではなかった。今日は一日位置ゲーで隣の隣の県まで遠征しようと思っていたのに、久々の休みがパーだよ。

「だけど深雪ちゃん、得意科目で受験するのにも迷いがあるのでしょ?」

 お嬢さんは、もうこの世の終わりというほどの派手なため息をついた。

「だって私の得意科目って国語ですよ? 文系で就職できる会社なんてないじゃないですか!」

 ――あるわボケ。お前は日本人の過半数を敵に回したいんか。

「だから理系に進みたいんですけど、数学って難しいんですよ!あんなの人生で使わないのに、なんで理系の受験に必須なんですかね? もう生物とか化学だけでいいじゃないですかぁ!」

 ――お前、それシステムエンジニアの私に言うか?そもそも数学がなきゃ、化学も物理も生物だって解けねえわ!


 作り笑いも限界である。私は長い髪で顔を隠すようにして一度顔を素に戻す。痛む表情筋をこっそりほぐし、間を繋ぐために冷めきったほうじ茶ラテを口に含んで嚥下する。相変わらず不味いわ。このチェーン店、本当になんで流行ってんのか謎すぎるわ。

「そうねえ、まだコンバージョンのシーズンではないから、ペンディングするのがマストって事でアグリーして欲しいけど……あらごめんなさい、独り言よ」

「え、あ、はい」

 あえての横文字羅列で時間を稼ぎ、消えかけた作り笑いをもう一度装着する。それから気合を入れて、私は髪をかきあげるようにして顔を上げた。

「悩むなら、自分の好きな事を勉強すればいいんじゃないかしら。なりたい職業もないようだし」

「駄目ですよ!」

 彼女はこっちを責めるような勢いで、テーブル越しに顔を近づけた。

「受験は遊びじゃないんですよ! それに聡子おばさんの時代はバブルだったから遊んででも楽々就職できたかも知れないけど、今って昔とは信じられないほど就活って大変なんです、まさか知らないんですか!?」

「――深雪ちゃん」

「もう、どうして大人にはこの焦りが分かってもらえないかなあ……」

「み・ゆ・き・ちゃ・ん」

「なんですかもう!」

「私はバブルが崩壊した後の、就職氷河期の人間よ」

「ええ?なんですかそれ、後なら対した違いないじゃないですか!」

 ぷっつん。

「あなた、全くお話にならないわね。まずは最低限、毎朝欠かさず新聞をテレビ欄以外全部読むことから始めなさい。頭の中が受験以前の問題だから」

「は?いや新聞なんて取らなくてもネットニュースで――って、おばさん、まさか怒ってるんですか?!ねえええ!!」

 ええ怒ってますよ。もう二度と口を利きたくないから、足早に店を出てそのまま駅までダッシュして逃げる程度にはね!!




 私は自宅に戻ってから、高校時代からの腐れ縁で、同じ理系クラスだった圭吾に電話で愚痴った。

『あー、そりゃ大変やったのう』

 向こうで苦笑している彼は、某芸大を卒業し、本来なら映画関係の仕事に就けたはずであった。しかし結局は大手企業地方支社の営業マンになり、30を過ぎてから突然看護師学校に通い始めた。今は地元で最も大きな病院で、看護師として勤務している。

「もうねえ、話がグルグルしてんのよ!いや私もそうだったから、そうそう責められないけどさ。だけどあの態度はないわよ、こっちを無知だと決めつけるみたいな」

 私は親の文系への偏見が酷かったため、仕方なく理系に進んだ。その後工業大学の化学科へ進学。しかし化学系企業はことごとく落ち、当時流行だったシステム管理会社に就職。ところがそこも倒産し、いろんな職を転々として、去年再びシステムエンジニアに復帰した。

『多分大人も悪いんじゃろ。俺らの時にも、いろいろ言われたじゃん。好きな事を仕事にするなとか、いい大学に行けばとりあえず就職できるとか』

「いたねー。あのクソ担任、見つけたらマジ殴りたいわ」

 夕焼けの窓の外を見ながら、缶酎ハイのプルタブを開ける。飲まずにやっとれるかこの野郎。

『聡子は目の敵にされとったな』

「ほんっと、あいつが担任だったのが運の尽きだわ」

 高校三年生の時、私は親が猛プッシュする薬学部と、担任が鬼プッシュする農学部の間で板挟みになっていた。へとへとになった私は、やけくそでどちらでもない工学部化学科を選んだのだ。担任に報告に言ったとたん、何を考えているんだとかお前のために言っているのにとかギャンギャン怒鳴られ、それでも進路を変えなかった私はちょくちょく八つ当たりを受ける羽目になった。親も似たようなものだった。あの時私は悟った。大人は敵だ、信じちゃいかん。

「そもそも、好きな事を仕事にしてどこが遊びだよ!うちらってそんなに遊んでるように見えるわけ?!私なんて、残業続きでこんなに苦労してるってぇのに!」

『んー、まー、うちらの仕事は、辛さが目立つんよな』

 圭吾は看護師の仕事が好きだ。少なくとも、営業マンだった頃よりは充実していると語っていた。辛い人々を助ける事にも、ありがとうと言われることにも、生きがいを感じると。

 それは私も同じだ。会社が倒産してからも、ずっと趣味としてプログラミングをしていた。女らしい手芸や料理なんかより、私にはよっぽど『Interesting』だ。げらげら笑う日本語の『面白い』じゃなく、理解が深まっていく静かな興奮が良いのだ。

「苦しいことも、好きだから乗り越えられるのよ」

『報われる瞬間があるから、耐えられるっていうかね』


 散々愚痴っていたら、窓の外はとっくに日暮れて月が出ていた。高校時代、月光の中を圭吾と一緒に自転車で走っていたのを思い出す。部活も同じだったから、途中で道が分かれるところまで沢山話した。学校や将来の事はもちろん、真面目な顔で都市伝説やら七不思議やら。

「将来なんて、高校時代の延長線だよね」

『そうじゃのう。俺ら、何も変わった気がせんしな』

 でもそれは、通り過ぎた後だから言える事かも知れない。私たちも当時は相当に迷っていた。圭吾は理系から芸大に寄り道したし、私だってやけくそでしか学科を選べないくらい夢がなかった。


 これからも私は何か迷うだろうか。その時、私は私の決断に自信が持てるだろうか。そう思うと、あのお嬢さんの苦悶が分かるような気がした。

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