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 その場所に着いた時には、日は傾きかけていた。


「ひどい顔ですね」


 ベンチに座っている彼女、、に、私は声をかける。

 彼女は――喜多村きたむら先輩は私に気づくと、くわえていたタバコを指に挟み、長い息を吐いた。講義棟の裏に充満する煙の匂い。初めて会った時と同じ匂いだ。


「もしかして、仕返し?」

「そんなことないですよ」


 実際、先輩の表情は以前よりも暗いものに見えた。日影のせいかもしれないけど。金色の髪だけはまぶしいくらいで、思わず目を奪われる。


「よくここがわかったね」

「先輩が言ったんですよ。ここは先輩の休憩場所だって」

「それもそうだったね」


 先輩は小さく笑うと、携帯灰皿にタバコを入れながら、


「私を糾弾でもしに来たの?」

「……言い忘れてたことがありましたから」

「言い忘れてたこと?」

「はい」


 言って、私は頭を下げる。


「先輩、ありがとうございます」

「……私、お礼言われるようなことしたっけ」

「理由はどうあれ、私が元カレのことを断ち切るのに、先輩は手伝ってくれましたから」


 それは、他の誰かではし得なかったことだ。先輩だからこそ、私はきっぱりとあの恋愛に決着をつけることができた。


「もしかして、それだけを言うためにわざわざ来たの?」

「いえ」


 私は首を振る。

 それだけじゃない。

 もうひとつ、彼女に伝えたいことがあって、私はここに来た。


「私、言いましたよね? 先輩の噂、会う前から知ってたって」

「そうだね」


 辺りはしん、と静まりかえっている。夕暮れ時がそうさせているのかもしれない。


「じゃあ、どうして私が、ここで、、、泣いてたと思いますか?」

「どういう、こと?」


 目を丸くする先輩に、私は続けて言う。


「私、先輩が声をかけてくるってわかったうえで、ここにいたんです」


 言い換えれば、先輩が声をかけてくることを期待して、泣く場所にここを選んだ。


「それって」


 先輩の言葉を遮る形で、ベンチに腰かける。

 そして、


「好きです、先輩」


 自分の気持ちを、口にした。


「……いつから?」

「初めて、先輩を見た時からです」


 彼氏にフラれて失意の中、キャンパス内ですれ違った時。今でも鮮明に思い出せる。

 忘れられなくなるほど綺麗な金髪。整った顔立ち。

 たった一瞬だったけど、確信した。

 私は恋に落ちたのだ、と。


 そして先輩の『噂』を聞いて、この場所へとやって来た。

 先輩に近づくために。


「……ひとつだけ、訊いていい?」

「はい」

藤花とうかにはあるの? 喜多村綾乃わたしにしかないって思えるもの」


 あなたの『好き』の中に、そんなものはあるのか、と。


「……わかりません」


 答える。正直な気持ちだった。


「でも好きになっちゃったんで、仕方ないと思うんです」


 先輩の望むものは、これから見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

 でもないからこそ、探したいとも思う。


「それに、先輩にも見つけてほしいです。私じゃないとダメってところ」


 あなたの『好き』にも、そんなものが生まれることを願う。できれば、ひとつと言わず、いくらでも。

 まさに、恋は強欲だ。


「本当にいいの?」

「はい」

「私、手当たり次第に口説くどこうとしてた女だよ?」

「知ってます」

「それこそ、長続きしないかもだよ――っ」


 言葉の続きは、聞こえなかった。

 私が、キスをしたから。


 世界から、音が消えて。唇が、触れ合う。タバコの味が、苦い香りが喉を通り抜けた。

 でも、先輩のなら悪くない。


「そうですね」


「この恋も、いつかは終わりがくるものかもしれません」


「でも、先輩が教えてくれたんですよ」


 所詮、恋愛なんてそんなものだ、と。


 別に一生を添い遂げる結婚じゃないのだ。付き合うことは決して永遠じゃない。いずれ、別れがやってくる。どんな形であれ。

 その時がいつ訪れるかは私にも、誰にもわからない。


「だからいいじゃないですか」


 その時まで、好きなように恋をすれば。


「それに少なくとも、この夏くらいは一緒にいられると思うんですよ」


 せめてそれくらいは、愛想を尽かさないようにしたいし、尽かされないようにしたい。


「だから、私と一緒にこの夏を過ごしてください。綾乃先輩」


 私はベンチから立ち上がり、先輩の手を引く。引き寄せられるように、先輩も立ち上がる。


「よろしくお願いしますね、綾乃先輩」

「うん、こちらこそ……藤花」


 手を握れば、お互いの汗が溶け合う。

 日は暮れても、暑さはしつこく残る。


 夏が、やってくる。


 私の夏は、これから始まるのだ。

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これから始まる私の夏 今福シノ @Shinoimafuku

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