カップルだけを狙う幽霊

烏川 ハル

夜の校舎で驚かされて

   

「新春特別号では学校の怪談を扱おうじゃないか、瑞希みずきくん」

「は……?」

 佐原さわら先輩の提案に対して、私は間抜けな声を出してしまいました。

 そろそろクリスマスという時期に、狭い部室で男女二人きり。でも私にはロマンチックな気持ちは一切なく、おそらく佐原先輩の方でも同じでしょう。『瑞希くん』と下の名前で呼ばれても不快に感じない程度の好意はありますが、それも恋慕の情からは大きくかけ離れたものでした。

 三年生の先輩がたが引退して、うちの高校の新聞部は、二年生の佐原先輩と一年生の私だけ。新部長の方針には極力、異を唱えたくなかったのですが……。

 反対せざるを得ませんでした。

「お正月の校内新聞で、なんで怪談を? そういうのは、せめて夏なんじゃないですか?」

「だからこそ、だよ」

 佐原先輩は、得意げな顔で続けます。

「普通とは違う時期に記事にするからこそ、インパクトが大きいのではないか!」

「無理して怪談ネタにしなくても、お正月なら、それなりにニュースありそうなものなのに……」

「それでは平凡すぎて、誰も読んでくれないぞ。我々は強く大衆にアピールする必要があるのだ。校内新聞を目立たせる意味でも!」

 校内新聞を目立たせたい、というのは、私にも理解できます。誰にも読んでもらえない新聞ほど悲しいものはありませんからね。それに、新聞部の存在を広く知らしめて部員を増やしたい、という気持ちもありました。

「だからといって、よりにもよって学校の怪談とは……」

「いいネタを掴んだのだよ、瑞希くん。南棟三階廊下の幽霊の噂だ」

「南棟の幽霊……?」

「そうだ。今から三十年くらい昔の話らしいが……」


 一人の女子生徒が、幼馴染に片想いしていたそうです。

 ただし漫画やアニメに出てくるような『幼馴染』とは異なり、家が近かったわけでもなく、家族ぐるみで親しかったわけでもなく、ただ単に小学校から高校まで同じだっただけ。顔を合わせれば挨拶するけれど、個人的に仲良くしゃべる機会はない、という状態でした。

 それでも勇気を出して、思い切って告白して……。あっけなく玉砕したのです。

「それって、ごく普通の片想いなのでは……」

「幼馴染云々は、どうでもよいのだよ。肝心なのは、彼女が失恋して飛び降り自殺をした、という点だ」

「南棟三階廊下の幽霊ということは、そこの窓から身を投げた……?」

「その通りだよ、瑞希くん。だから南棟三階の廊下に出るのだ。そして通りかかった生徒たちを呪い殺すという」

 いかにも「全身に恐怖が走る」と言わんばかりに、佐原先輩は体を震わせました。

 でも、むしろ「嘘、大袈裟、わざとらしい」と感じてしまい、私は冷めた視線を佐原先輩に向けます。

「先輩……。呪い殺された生徒の話なんて、聞いたことありませんよ?」

「そんなもの、学校側が揉み消したに決まっているではないか! 悪い噂を残しておいたら、学校には不利益だからね」

「陰謀論ですか、先輩?」

 佐原先輩は私の揶揄を聞き流して、話を先へ進めました。

「幽霊の基本に従って、昼ではなく夜に出るらしい。というわけで、早速今晩、取材の意味で、僕と瑞希くんが……」

「ちょっと待ってください! それじゃ肝試しじゃないですか?」

「いや取材だよ、これは。校内新聞のための」

「どう言い繕ったところで、夜の校舎に男女二人で忍び込むなんて、肝試し以外の何物でもありません!」

 思い出しました。佐原先輩は、こういうことが大好きなのです。去年の夏合宿の肝試しで一番ノリノリだったのは佐原先輩でしたし、今年、雨で中止になって一番落胆していたのも佐原先輩でした。

「どうした、瑞希くん。今晩、何か予定があるのかね?」

「予定はないですけど……。でも夜の校舎に来たら、それこそ守衛さんか何かに怒られるのでは?」

「その点は問題ない」

 佐原先輩は、ニンマリとした笑顔を浮かべながら、生徒手帳をパラパラとめくりました。

「何時までに下校しなさい、みたいな校則は書かれていないからね」

「それは帰りが遅くなった場合でしょう? でも先輩が言ってるのは、いったん帰った後で、また来るという話ですから……」

「それも大丈夫だよ。ほら、昼休みに校外のコンビニまで、食べ物を買いに行く生徒もいるだろう? でも先生に怒られることはないだろう? 帰宅してから戻ってくるのも、学校視点で見れば、一時的な外出と同じではないか」

「それは詭弁のような気が……」

 納得いかない気持ちがありながらも、私は佐原先輩に言いくるめられて、夜の取材に同意してしまうのでした。


――――――――――――


 誰もいない校舎の中で、足音だけがコツコツと響き渡ります。

 スマホの明かりを頼りに、私と佐原先輩は、南棟を目指して歩いていました。普通ならば、月明かりや星明かりが窓から差し込むはずですが、あいにく今夜は、分厚い雲が空を覆っているのです。

「天気が悪いと、気分が滅入りますね……」

「何を言っているのだ、瑞希くん。夜なのだから一緒だよ。どうせ晴れていても青空は見えないからね」

 スマホの光は足元に向けているので、佐原先輩の表情はわかりません。どうせ自信満々の顔をしているのだろう、と思っていると、

「ところで、瑞希くん。昼間は言い忘れたのだが……」


 問題の幽霊は、廊下を通る人間を無差別に呪い殺すわけではない。特定の条件に合致する者だけが殺されるのだ、と佐原先輩は言い出しました。

「聞いた話によると、呪われるのはカップルのみ。まずは男の方を追い払って、女の方が男に捨てられるという状況を作り出し、それから残された女を殺すらしい」

「まわりくどい話ですね……」

「失恋で自殺した幽霊だからね。幸せなカップルに対する嫉妬があるのだよ。男に愛されている女が憎いわけだ。自分と同じように『男にフラれる』というのを、そういう女にも味わわせたいらしい」

「変に理屈っぽい話ですね。かえって嘘くさいですよ。誰かの創作なんじゃないですか、その噂」

「いや、信頼できる筋から入手した噂だよ。情報ソースは明かせないが……」

「ソース云々はどうでもいいですけど、今の話だと、私たちじゃダメなんじゃないですか?」

「どういう意味だい、瑞希くん?」

「ほら、私たちって、恋人でも何でもないですから。問題の幽霊、出てきてくれないのでは?」

「そこは大丈夫だろう。幽霊から見たら、男女が二人一緒というだけで、カップルに見えるのではないかな」

「根拠のない自信ですね……」

 理屈っぽい部分もありますが、基本的には思い込みの激しい佐原先輩です。

「もしも出てきてくれない場合は……。それっぽく見えるよう、恋人がするようなことを一つ二つ、やってみせればよいだけだ」

「私に何する気ですか? セクハラで訴えますよ!」

 本気で気持ち悪くて、佐原先輩との間に少し距離をあけました。

「いやいや、誤解しないでくれたまえ。いくら取材のためとはいえ、さすがにキスまでは要求しないつもりだ。せいぜい手を繋ぐ程度で……」

「それも十分セクハラです!」


――――――――――――


「さあ、いよいよだ」

 南棟の三階まで上がったところで、佐原先輩は、いったん足を止めました。

「ここから先は慎重に進むよ、瑞希くん」

「はい、先輩」

 おとなしく頷いた私は、ここまで来る間に決めた通り、佐原先輩の腕に手を回しました。

 恋人らしく見せるための演技です。「手を繋ぐのは絶対に嫌!」と私が言い張った結果、こういう形に落ち着いたのでした。

 本当は、腕を組むのだって気が進まないのですが……。最大限の譲歩です。ほんの少しの辛抱と思って、佐原先輩の提案を受け入れたのです。

「では、行こうか」

 歩き出す佐原先輩に合わせて、私も足を進めました。運動会の二人三脚ではないですが、腕を組んでいるので、なるべく同じ歩幅で歩いていきます。

 その状態で、廊下の真ん中あたりまで来たところで、

「どうしたのかな、瑞希くん。何か用事かい?」

 突然、佐原先輩がおかしなことを言い出しました。

「は……?」

「僕の肩を叩いただろう、瑞希くん。呼び止めるみたいな感じで」

「先輩、バカですか? 私の両腕、先輩の右腕に巻きついてますからね。肩を叩くのは無理ですよ?」

「言われてみれば、そうだな。ということは、瑞希くんではないのだから……」

 ちょうど、雲の切れ間が月に差し掛かったようです。窓から少しだけ、月の光が差し込んできました。

 おかげで、佐原先輩の表情がよく見えました。彼の顔に浮かんでいるのは、満面の笑み。期待通りに幽霊が現れた、と思ったのでしょう。

 彼は嬉しそうに、ゆっくりと振り返ります。

 私も、彼と同じ方向に目を向けました。

 すると視界に入ったのは……。


 ちょうど顔くらいの高さに、銀色のハサミが浮かんでいました。

 月明かりに照らされて、ハサミの刃がキラリと光ります。

「えっ……」

 佐原先輩が小さく呟きました。

 まるで、それが合図であったかのように、ハサミはスーッと近づいて……。

 彼の耳元でチョキンと音を立てて、もみあげの毛を少し、切り落としました。

 用事は済んだと言わんばかりに、ハサミはゆっくりと後退。闇の中に消えてしまいました。


「ぎゃあああっ!」

 大声で悲鳴を上げたのは、私ではありません。佐原先輩です。

 彼は私の手を振りほどいて、逃げるように走り出し、あっという間に私の視界から消え去りました。

「幽霊の取材に来て、超常現象に出くわしたんだから、むしろ喜ぶべきなのに……。情けないですね、先輩」

 聞こえないのを承知の上で、そう言ってしまいます。

 幽霊が出るという廊下に、私は一人取り残されたわけですが、案外、余裕の態度でした。

「本当に情けないですよ、先輩。もしも今のが噂の幽霊ならば、私一人を置き去りにしちゃ、ダメじゃないですか。男の方が追い払われた後、残った女の方は呪い殺されるのでしょう?」

 そう、『もしも今のが噂の幽霊ならば』です。

 種を明かせば簡単な話であり……。

 冬なのに肝試しみたいなことをする佐原先輩に対して、私は癪に触ったので、あらかじめ脅かし役を配していたのでした。

 今夜の『肝試し』は放課後の部室で決まったイベントであり、準備の時間はあまりなかったのですが、それでも協力してくれる友人がいれば、上手くいくものですね。


 細かい部分は友人に任せきりだったので、宙に浮かぶハサミが出てきた時は、私も少し驚きました。

 おそらく糸で吊るしていたのでしょう。でも、ただ動かすだけでなく、もみあげの毛を切るというのは……。凄い操演技術だったと感心するべきなのでしょうか、それとも、さすがに危険すぎると諌めるべきなのでしょうか。

 どちらにせよ、

「まいちゃーん! もう終わったから、出てきていいよー!」

 近くで隠れているはずの友人に向かって、私は叫びました。

 でも、返事はありません。廊下はシーンと静まり返っています。

 何でしょう? 今度は私を驚かせるつもりなのでしょうか?

「そんなわけないよね」

 首を横に振りながら、友人に電話をかけました。そのためのスマホです。

 どうせ近くだから、向こうのスマホの着信音も聞こえるはず。そう思ったのに、何も聞こえてきません。思ったよりも遠くに隠れているのでしょうか。あるいはマナーモード?

 そんなことを考えているうちに、電話が繋がりました。

「もしもし、まいちゃん? 今どこにいるの?」

 返事の代わりに聞こえてきたのは、ゴホッ、ゴホッという咳の音。

 少しそれが繰り返されてから、ようやく友人の声です。

『ごめん、みずきん。行けなくて……』

「え? 『行けなくて』って、どういうこと?」

『急に風邪ひいちゃってさ、今ベッドの中なんだ……。ごめん、ちょっとしゃべるのも辛いから、もう切るね』

「うん、お大事に」

 反射的にそう返しましたが、私は思いっきり混乱していました。

「じゃあ、さっきのハサミは誰が……?」

 そう呟いた瞬間、左右の足首を後ろから掴まれる感触。

 慌ててバッと振り返りましたが、誰もいません。

 私一人しかいない、南棟三階の廊下です。

 ゾッとしました。

 背筋が凍りつく、という表現がありますが、本当に冷気すら感じます。冬の寒さとは違う、独特の冷たさです。

 人の姿は全く見えないというのに、両足は放してもらえず、さらに視界の片隅では、廊下の窓の一つがスーッと開いて……。




(「カップルだけを狙う幽霊」完)

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カップルだけを狙う幽霊 烏川 ハル @haru_karasugawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ