減らない財布

松長良樹

減らない財布


 物理学が専門の霧島博士は意気揚々と助手にこう言った。


「ついにできたよ。これで私たちは大金持ちだ」


 長い事、博士の助手をしてきた助手の飯塚は、これまでにいろいろな珍発明を博士がして、そのことごとくが実用的でなく、あまり現実の世の中に役立つものではないと知っていたので、微妙に笑顔を浮かべてはいたがそれが心からのものか、単なる愛想笑いなのかよく解らなかった。


「いや失礼、飯塚君、大金持ちというのは当たらない。正確に言えばかねに一生不自由しないと言い直そう」


 霧島博士はそう言って革製のこげ茶色の財布を手元に取り出した。飯塚は大学時代から博士のそのたぐいまれなる才気と、天才的なひらめきに憧れて、ずっと博士の助手を務めているのだが、このところ博士の突き抜けすぎた理論や思索に少々疑問が生じ始めていた。それに最近科学誌や週刊誌にやたらと顔をだし、著名人気取りなのが安っぽく飯塚の目には映った。


 それはともかく博士はその財布を開いて手に乗せてこう言った。


「いいかい飯塚君。この財布に今、札は入っていないね。しかし私はここに来るまでの間にこの財布に十万の現金を入れておいた。そして宝石店に行って指輪を買った。そう、この指輪をね。ちょうどこの金の指輪は十万円したから、この財布は空になったというわけだ。わかるね飯塚君」


 博士はそう言うと左手を飯塚の前に出して中指にはめた指輪を見せた。


「博士、なんの為に指輪を買ったのですか? 僕にはなんだか訳もわかりません」


「まあ、聞きたまえ飯塚君。この財布は以前の状態を記憶しているんだ。十万円入っていたという以前の状況をしっかりと記憶しているんだ。物理的な記憶装置と言っていい」


 何も言わず飯塚が不思議そうな顔で博士の様子を窺っている。


「そしてこの財布は以前の状況を忠実に再現する」


「と言うと博士……?」


「そうだ。今ここに十万円の現金が再現されるんだよ」


 助手の飯塚が目を見張る中で奇跡は起こりつつあった。財布の中に薄っすらとした札の原型が現れ、見ているうちに少しずつ本物の紙幣を形づくっていくのだった。まるでマジックを見るようだったが、それはまぼろしでも幻覚でもなかった。


「凄い、博士。金の湧き出る財布ですね、一体全体どういう仕掛けです。まさかトリックじゃないでしょうね?!」


「あたりまえだ。これはマジックなどではないぞ! この財布は一種のタイムマシーンなんだ。一度使ってしまったお金が返ってくる。もとに戻るのだ」


 飯塚が瞬きするのさえ忘れそうになった。


「大した発明ですね。これは凄い。霧島博士、しかし不思議です。このお金が以前のものとすると、宝石店で払ったお金は今どうなったのですか?」


「う…、いい質問だ。飯塚君……。 つまりそのお金が財布に戻ったのだ」


「ということは……? 博士」


  

   *   *



 その頃宝石店の店主は、売れたはずの指輪がショーウインドウに突然出現したのに目を見張った。そしてこれは儲けものだと喜んだ。





               了


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減らない財布 松長良樹 @yoshiki2020

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