第4話

 薄赤くなった鼻をすすって、渡辺さんはうつむいていた。いい天気の日だった。木漏れ日が彼女の上で踊った。


「ダメって事はないよ。嬉しいよ。でも、渡辺さんが好きなのって、実在してない俺じゃない?」


「そんなこと、言われても……困るよ。だって、毎日、熊谷くまがや君とここでお弁当食べてて、いろいろ話したり、すごく楽しい。一緒にいるだけで、すごく楽しいの。今の話だって、黙ってれば分からないのに、ちゃんと話してくれて……熊谷君て、いい人なんだなって。それしか思えない」


 そう言って、渡辺さんはおいおい泣いて、三時間目の始業のチャイムが鳴っても、まだ泣いていて、俺たちは次の授業をやむをえずぶっちした。そういう意識もなかった。


「私がずっと、熊谷君のこと、好きじゃだめかな」


 ぽろぽろ泣きながら、渡辺さんは俺にたずねた。


 ふられるんだと思ったのかな。そんな訳ないのにな。


 渡辺さんみたいな可愛い子を、俺が振るわけないじゃん。


 ずっと見てた。中学の頃から。可愛いなって。初めはそうでも、真剣な顔で弓引いてる渡辺さんの、まっすぐな目が、かっこいいなって。


 あんな素敵な女の子と、俺も話したいな。俺のこと、渡辺さんが見てくれたら。ひと目でも。いや、ほんとはずっと見ててくれたらいいなって、毎日思ってた。


 好きだった、ずっと。何でかわからないけど、君のことが。


 そんな俺が、君を振るわけないじゃん。そんな勇気なんかない。


 ないくせに、なんで俺、こんな話したんだろ。馬鹿だな。本当は、ずっと好きでいてもらいたいんだよ。だから君に嘘なんか、つきたくなかったんだ。


 俺はぶんぶん首を振った。


「いや、そういうことじゃなくて。俺、やっぱちゃんと言わなくちゃと思って」


 俺はそこで最高に格好悪く、もじもじ噛みながら冷や汗を1リットルくらい垂らし、しどろもどろに告白した。


「渡辺さん、中学ん時からずっと好きでした。いっしょの高校行きたくて、ここ受験しました。俺と付き合ってください」


 やっとのことで俺が言い終わるのを待って、渡辺さんはうなずいた。涙に濡れた、バラ色の頬の笑顔で。


「うん。ありがとう。私もそうしたいです」


 そして俺たちはなぜか、どちらからともなく、両手で固く握手をした。抱き合うにはまだちょっと、恥ずかしかったからだ。


 というわけで。


 よかった。よかった。


 俺と渡辺さんは付き合うことになった。


 昼休みに中庭で手作りのお弁当を食べ、部活では並んで弓を引き、一緒に下校して、時々デートもする。そんなごく普通の仲むつまじい高校生カップルだ。


 それでハッピーエンド、と言いたいところだが。


 で、結局、あの武士はどうなったのか。死んだのか消えたのか。ものすごく気になる。俺は気になった。気になって気になってしょうがなかった。


 いったい、あいつは、なんだったんだ?


 という、そんな俺の疑問は、渡辺さんがあっさりと解決してくれた。


 武士の名前だ。あえて公表はしないが、それはとても有名な武士の名前だ。


 渡辺さんも、その武士のことは知っていた。なぜならうちの高校の中庭に、その武士の銅像が建っているからだ。


 と言っても、大してデカい像ではない。昔々、ずっと昔の先輩たちが、資金を出し合って建立こんりゅうしたという、昔このへん一帯を守り治めていた武士の像らしい。


 なんでそんなものの像を卒業生が金を出し合って建てたのかというと。


 それはもちろん、「出る」からだろう。その武士が。


 渡辺さんに教えられて、俺は初めてその像の存在を知り、慌てて行ってみた。


 等身大の6分の1サイズくらいの銅像は、見覚えのある馬に乗っていて、鎧を着た胸と背中に、矢が当たったような跡が残っていた。


 渡辺さんは、恐る恐るのように、その傷跡を指先でさわさわして、静かな声で言った。


「ありがとう、武士さん。びっくりして怖かったけど、今は幸せです」


 銅像に話すというのは変なもんだが、俺は一応、念のため、春奈姫とうまくいったこと、矢をたけど殺すつもりはなかったこと、下手くそでスマンということ、感謝してること、それから、渡辺さんに何もかも話したということを、ぶつぶつと報告した。


 それで銅像の武士が動き出したということは、特に無かった。


 動くわけがない。銅像だからな。


 まあ……その時は。


 実際、動いたらしいのは、俺と渡辺さんが例のコンビニで、下校途中にガリガリ君ソーダ味を買い、仲良く一個を分け分けして食っていた時だった。


「やあやあ我こそは○○○○○、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」


 例の大音声だいおんじょうがした。


 俺と渡辺さんは激しくピクッとした。


 あいつだ! 生きていたんだ! いや、死んでいるのか!? もともと死んでいるんだよな!?


 でも無事だったんだ。よかった! 俺だよ、○○○○○、やっとまた会えた!


 と、駆け寄っていこうと振り向いた俺が見たものは。


 真っ赤な鎧を着た武士に、ガッツンガッツンおそわれている、新入生男子の姿だった。


 まさに一年前の俺を見るようだ。


 どうにもえねえ、平々凡々の一年坊主が、なんの成り行きか、うっかり恋バナを告らされている。それを武士は大真面目に聞く。そして拉致らちる。今からお前の恋を実らせてやるといって。


 余計なお世話だ。


 ……余計なお世話か?


 それはどうかな。


 俺と渡辺さんは少なくとも、それでとてもハッピーになりました。


「あれって、私たちの高校の、恋の守り神なのかな?」


 ガリガリ君を食べながら歩き、渡辺さんは俺にたずねた。


「だったらもっと恋の守り神っぽい見た目にしろっつの」


 俺がつっこむと、渡辺さんはくすくす笑った。そして俺と、そっと腕を組んだ。


 ちなみにもう、俺は渡辺さんを渡辺さんとは呼んでない。


「春奈……」


 特に用事はないけど、そう呼ぶと、渡辺さんは、なあに、と微笑んで俺を見た。


 すごくすごく幸せだった。すごくすごく幸せ。


 だからこれでハッピーエンドだ。


 寄り添って歩く幸せ絶頂の俺たちの背後で、親切な鎧武者に連れ去られる気の毒で幸運な青少年の悲鳴が、どこまでもどこまでも響き渡っていた。




【終わり】

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俺と鎧武者と渡辺さんの、恋と部活とハッピーエンド。 椎堂かおる @zero

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