第3話

 そうして、それから、どうなったか。


 武士は消えた。


 文字通り消えた。


 弓道場から俺たちがわらわらと逃げ出した後、そこは一時無人になった。顧問こもんも部員も俺も渡辺さんもとっとと逃げだし、倒れた武士がひとりきり。


 その後、呼ばれた警察の人たちが、現場へけつけてみると、武士の姿はなかった。


 しょんべんれ木下がやっちまったあとは確かに残っていたし、弓矢が散乱していたが、武士の死体があるわけでもなく、血の一滴もそこには残されていなかった。


 誰一人、怪我はしなかった。通りすがりに武士に払いのけられた教師たちも、ぶっとばされてビビッただけで、特に怪我らしい怪我はなかった。


 傷ついたのは、弓道部部長、しょんべん垂れ木下の名誉だけで、それは大多数の人間にとって、傷のうちにも入らないような、ザマァなことだった。


 かくして事件はやみからやみほうむられることとなった。


 警察には校長が平謝ひらあやまりにあやまり、これは集団ヒステリーだろうということになった。


 なにしろ学校内の監視カメラには、武士は写っていなかったのだ。俺たちは何だか分からない鎧武者の亡霊を見たということになった。


 もしそうでなければ、これはちょっと大変な話だった。正当防衛と言えるだろうが、弓道部の生徒が弓矢で人をたということでもあり、それはちょっと、学校にとっては、ややこしい話だった。


 無いなら無いほうがいい。うやむやなほうがいい。


 校長はそう思ったようだった。


 そして、渡辺さんは俺に恋をした。


 鎧武者をやっつけた時の俺が、すごく格好良かったと言って。


 優秀な先輩たちが、ビビッて立ちすくむ中、俺だけが鎧武者に矢を射かけ、渡辺さんを救った。


 それが幻覚だったのか、怪奇現象だったのかは分からないけど、とにかく俺が格好良かったことだけは、本当だものということで。


 渡辺さんは事件の後すぐに、ほほをバラ色に染めて、ありがとうと小さな声で俺に言い、その翌日、改めて正式にお礼をといって、俺を高校の中庭の片隅かたすみに呼び出してお礼を言い、そしてまたその翌日、何の用事も無いのに、俺を呼び出してしまい、もじもじしていた。


 渡辺さんは俺のためにお弁当を作ってきてくれていた。とりつくねハンバーグがすごく美味かった。渡辺さんて料理も上手なんだなと思った。


 でも俺は二人で仲良くお弁当をつつきながら、上の空だった。


 ほんとだったら舞い上がるくらいうれしいことのはずなのに、でも、うれしくなかった。


 それでも俺は毎日、学校には行った。土曜日には弓道部の自主練習にも参加した。そこでも渡辺さんは、俺と会うとうれしそうに微笑ほほえみ、となりまとだまって弓を引いた。


 俺の弓は相変わらず大して上手くはなく、時々、ひかえ目にさりげなく、渡辺さんがアドバイスをくれた。練習をすれば上手くなるかもしれなかった。


 でも、もう俺には、弓を練習する動機がない。


 渡辺さん目当てで弓道部に入ったんだ。それが本音だ。彼女を落とせれば、弓なんかどうでもいい。


 ただずっと気になるのは、あの武士がどこへ消えたのかということだ。


 あれは本当に幽霊とか、そういうものだったのか。よくある学校の怪談か。


 たまたまそれがキッカケで、ラブラブになっただけで、俺は特に悩みもせず、渡辺さんを我が物とすれば良かったのか。


 高嶺たかねの花と思ってた渡辺さんが、毎日俺にお弁当を作ってきてくれる。


 食べ終わるといつも、し目がちに微笑んで、明日もまた作ってくるねと、渡辺さんは言った。


 その震える睫毛まつげとか、お弁当の包みを仕舞しまう白い手は、手を伸ばせば触れるところにいつもあった。


 でも、それを思うといつも何かが俺の前に立ちはだかった。


 やあやあ我こそは○○○○○、とおからん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。


 あの鎧武者よろいむしゃだ。


 俺って本当にこのまま渡辺さんとラブラブでいいの。ハッピーエンドでいいの。あの武士は今頃どこにいて、どうなったの。俺はこのままでいいのか。


 このままで、いいわけないよなと、ねらっても当たらないまとの隅に、かろうじてて引っかかっている自分のた矢を見ながら、俺はある日決心した。


 いざ尋常じんじょうに勝負。


 俺は昼を待たずに、二時間目の終わる休み時間、渡辺さんをいつもの中庭に呼び出して、なにもかも暴露ばくろした。


 あれは茶番だった件。


 コンビニで遭遇した武士が、芝居を打とうと計画して、渡辺さんが俺を好きになるよう、大暴れして俺にやっつけられた。俺にもあいつが芝居してんのか、それとも本気で暴れてるのか分からず、必死顔だっただろうけど、でもそういう背景がとにかくあった件。


 それから、あの時の矢は、俺が狙ったところとは全然違うところに当たっていた件。


 たまたま大当たりだったけど、それは俺にとってはラッキーじゃなかった。


 後悔してる。本物だか亡霊だかわかんないけど、俺はあいつを殺しちゃったかな。


 渡辺さんは、あの時の俺が格好良かったって言うけど、実はそういうことなんだよ。


 別に全然格好よくないよね。


 もしも俺があの時あの場に、なんの事情もわからずに居て、そこへ武士が乱入してきてたら、俺だってしょんべんれてたかもしれないよ。


 木下先輩、あれから全然、部活に来ないけど、大丈夫かな。


 俺、渡辺さんにも怖い思いをさせて、木下先輩にもはじをかかせちゃって、顧問こもんの先生にも迷惑かけたし、皆にも迷惑かけて、あの武士にも……悪いことしたよな。


 毎日、渡辺さんにお弁当作ってきてもらう資格なんかないよ。


 俺がそう言うと、渡辺さんは、少しの間、ぽかんとして、それからじわっと泣いた。


 大きな目に、大粒の涙が光って、渡辺さんはあわてたみたいに、制服のポケットから出した、いちご模様もようのあるハンカチで、涙をぬぐった。


「話してくれて、ありがとう。熊谷くまがや君」


 ぽたぽたと、しばらく泣いてから、渡辺さんは困ったように言った。


「私が、熊谷くまがや君のこと、今も好きじゃだめかな……」

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