第2話

 武士が俺に提案した計画はこうだった。


 学校の弓道場にいる渡辺さんを武士がおそう。そこに颯爽さっそうと現れる俺。渡辺さんを救う。武士は俺を恐れて逃げ出す。渡辺さん、俺に惚れる。ハッピーエンド。


 そんな流れだった。


 そんな計画が上手くいくはずはない。俺は反対した。


 弓道場にいる渡辺さんを武士がおそったら、それはもう、その時点で犯罪だ。芝居だとしても、渡辺さんは怖い思いをするだろう。なにしろやり持った鎧武者がいきなり現れておそいかかってくるわけだから。


 俺は反対した。


 したことは、したが、本当のところを言うと、内心ちょっと、これで上手くいくならそれはそれで、仕方ないんじゃないか、運命なんじゃないか、俺と渡辺さんの恋のキューピッドさんが、この鎧武者ということなんじゃないか、と思った。


 そして反対しようがしまいが、俺は武士にわっしと拉致らちられ、かけけ抜ける馬のくらの辺りでたなびいていることしかできない、無力な高校生男子だった。力の差がありすぎる。


 麦茶がビールになるほどさぶられ、俺はグデングデンで高校に到着した。


 武士はやりと俺とを抱えたまま、のっしのっしと高校の廊下を行った。


 部活の後も居残っていた生徒たちは、ぎゃあっと悲鳴をあげておどろいていた。


 俺は死んだように見えたし、実際ほぼ死んだような気分だったし、武士のやりはどう見ても本物だった。ぶっ殺された高校生を抱えた鎧武者よろいむしゃが学校内に乱入してきたように見えたのだ。


 弓道部の練習場に入るまで、俺と武士とをめ立てした者はいなかった。


 いや、それも本当のことを言えば、何人かいたようだ。


 あわてた教師が何人か、武士を足止めしようと現れたが、やりを持った腕で軽く払われただけで、ごろごろドスンと廊下を転がっていって、戦闘不能の状態になったという。


 ほぼ無抵抗状態の学校内を抜け、渡辺春奈姫の待つ弓道場へと、俺たちは辿たどり着いた。


 そこにいたのは渡辺さん一人ではなかった。


 何人かの先輩男子がいたし、顧問こもんの先生もいた。居残って自主練習する連中と、それを監督かんとくする教師。


 渡辺さんもいた。練習用の道着どうぎはかまを身につけて、胸当てをして弓を引いていた。


 弓弦ゆづるを引きしぼり、今まさにようとしていた弓を、ぽろんと取り落とすほど、渡辺さんは驚いたようだった。


 悲鳴の形にサクランボ色の小さなくちびるが開き、実際に悲鳴をあげたのは、武士が抱えているグデングデンの俺を、弓道場の床に情け容赦ようしゃなく放り出した時だった。


 いてえ! と思いながら、俺は渡辺さんの悲鳴を聞き、弓道場の床板に全身をたたきつけていた。


 その場にいた皆は、俺が死んでるんだと思ったらしい。渡辺さんもそう思ったという。


 次は誰がられるのか。弓道部にうらみを持った武士の犯行か。


 あのやりは本物か。なぜ武士がここにいるのか。


 なぜ自分たちが殺されなければいけないのか。そんなような事が皆の頭をけめぐり……。


 不思議だ。それでも皆、武士に矢を射かけようとは、これっぽっちも思い付かなかったらしい。


 弓道場にいて、たった今まで矢をていた連中がだ。


 手には弓があり、弓道場には矢もあった。弓につがえたままの矢を持っている奴までいた。


 それでも弓道部員・居残り組のできたことといえば、その場でパニくることだけだったのだ。


「やあやあ我こそは○○○○○、とおからん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」


 やりを振りかざして、武士は大音声だいおんじょうをあげた。名前はやはり伏せることにする。この乱入の時点で武士は立派な犯罪者だ。名前がおおやけになるのはよくない。


 その大声を聞いて、弓道部・居残り組はますますパニックを深めた。


 チビってるのかと思えるような奴もいた。誰とは言わない、部長の木下きのした先輩だ。いつも渡辺さんへの指導がやたらと粘着なのが疑問でならない。


 その、しょんべん垂れ木下を除き、あと三人の先輩と顧問こもんがいたが、誰一人助けなかった。渡辺さんを。


 動けたのは、俺だけだった。


 当たり前だ。俺は武士が本気じゃないことを知っていた。だから動けた。それだけの事だ。


 武士はやりをぶん回しながら、渡辺さんにおそいかかっていった。そしてきぬくような渡辺さんの悲鳴。


 俺はとっさに、しょんべん垂れ木下が取り落とした弓をひろい、それに矢をつがえた。本音を言えば、武士が本当には渡辺さんをおそわないという確信はなかった。


 大体なんなんだ、この武士。なんでこんな奴が現代にいるんだ。


 俺にも迷いはあった。武士とはいえ、たぶん人間と思うけど、そんな的をたことなんかない。


 当たったら一体どうなるんだ。どこをねらってたらいいんだ。そんなこと全然、誰も教えちゃくれなかったよ。


 まとなら丸が書いてある。輪の中心だったら大当たり。


 でも武士の体にまとが描いてあるわけじゃない。どこをまとにするか、自分で決めなくちゃいけないんだ。


 俺はねらいはしなかったと思う。とにかく矢を放った。


 そしてそれは、武士の背中から、心臓の裏側をぬいた。


 ように見えた。


「おのれ背後からとは卑怯ひきょうなり」


 芝居がかった怒声どせいで武士は俺をののしった。


 やりを振りかぶったままの、赤糸縅あかいとおどし大鎧おおよろいが振り向くと、泣き顔の渡辺さんが弓道場の床にへたり込んでいるのが見えた。


 だって背後からって、どうすりゃよかったんだよ。前まで回り込んで行って射ろっていうのかよ。そんなひまなかっただろ、お前が本当にそのやりで渡辺さんをぶっ殺すのかと思ったんだよ。


 正直に言おう。俺も98%ぐらいはバニっていた。何だか訳がわからないうちに、矢を放ってたんだ。


 武士はそんな俺をおどしつけるような、ケダモノかっていう雄叫おたけびをあげて、やりを構え直し突進とっしんしてきた。


 矢が無い。矢が無い。と、俺はじたばたとあせり、なんとかもう一本、矢をとってつがえた。


 二射目にしゃめもどこもねらってなかった。


 ……いや、それも正直に言おう。俺はあせり、そして迷っていた。


 本当に当たっちゃっていいの? これ芝居だろ?


 当たっても、できるだけ当たりさわりのないところを、ねらっておこうな、って、とりあえず武士の肩のあたりをねらったつもりだった。


 なのに、それが、大当た~り~。


 矢は深々と、武士の心臓を正面から射抜いた。


 その瞬間、武士はにやりと笑って俺を見たような気がする。


「見事じゃ……敵ながら、あっぱれな腕よ」


 かすれた声で、武士はそう言い、どうっと倒れた。大鎧おおよろいが床をたたく、ものすごい音がした。


 その音と衝撃におどろいたんだろう。渡辺さんはまた泣き叫ぶような悲鳴をあげた。


 俺も少々、チビりそうだった。


 しかし、チビってる場合ではない。


「大丈夫だ。逃げよう、渡辺さん」


 俺が声をかけると、渡辺さんは涙でうるうるした目をして、こくりとうなずいた。


 そして半分、腰抜けてるのかなと思うような足取りで、よろよろと俺にけ寄ってきて、すがりついた。


 渡辺さんが俺にすがりついた。


 いや、単によろけただけだったか。はかますそでもんで。


 いやいや、そうじゃない。渡辺さんが俺にすがりついた。震えている細い肩が押しつけられる感触がした。その他、諸々もろもろの感触も。


 顧問こもんがやっと我に返って、逃げろと部員に指示した。言われなくても皆、逃げていた。


 俺は渡辺さんを抱きかかえるようにして、皆といっしょに部室から逃げた。


 扉をくぐる直前、振り返って見ると、武士は仰向あおむけにぶっ倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。


 まさか死んでないよな。


 俺の体に震えが来たのは、実は、それからのことだった。

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