ジュラルミンの天使
相葉ミト
第1話
空に
彼女が羽ばたくまでにどれほどの対価と犠牲が払われたのか。彼女が羽ばたくことでどれほどの命が奪われるのか。
無垢でいながら血塗られたシグナス初号機初飛行に、底知れないほどの冷え冷えとした感情を抱いたのは、私だけだろう。
そして、その予感は、半泣きになって私の首を絞めている「彼女」によって、証明された。
陸軍の要望で作られたこの機体は、戦場の上空を巡回し、味方の要望に応じて
新規機体開発では予算が降りなかったため、民間機を転用するという題目で国防省は大蔵省を説得し、シグナスを開発することとなった。
実際のところはもととなった機体のフレームを使っていればいいほどの実質新規開発機体だった。
しかも、シグナスの材料として集められた民間機は、隣国との戦争が始まったことで民間需要がなくなった中型機、ということ以外は共通点のない、様々なメーカーのものだった。
01空軍工廠に配属された航空技術者の卵として、それぞれの機体に合わせた改造計画を作ったりなんだったりのために、3D
コーヒーを飲もうと格納庫に入ったとき、彼女はいた。
頭がおかしくなったのだと思った。真夜中の軍事基地に、白いワンピースを着た女の子がいるのだ。
「君、迷子?」
真っ白な髪に、愛嬌のある顔立ちの少女だった。
幼さではなく、深い人生経験を感じさせる、高高度から見上げた空のような深い紺青の瞳が、私を見上げる。
「そうかもね。ずっと、たくさん人を乗せて飛んできたのに、ここに連れてこられてからは、変な機械ばっかり積まされてるの。どこかに届けるわけでもないのに。ぐるぐるぐるぐる、おんなじ場所」
何だか、今飛ばしてる試験機みたいだぞ。まあ、小学生くらいの女の子だし、飛行機のなりきり遊びでもしているのだろう。
そう思っていた。
「君の、名前は」
「今は、試験機2号って呼ばれてる。むかしはもっと数字っぽい名前だったのだけど」
「そうかい」
おかしな幻覚だと思った。確かに私は試験機2号の格納庫にいて、そこにおいてある自販機に向かっている。
だから、徹夜明けの頭が、理想の少女の幻覚を描き出したのだと思っていた。
レズビアンと
「試験機2号の横で幻覚を見たので休暇をください」
翌日、主任にそう訴えた私は、とても常識的だったと思う。
「試験機2号かい? あれは幸運な飛行機だったと聞いている」
「機械にラッキーとかアンラッキーってあるんですか?」
「ネフラ航空759便ハイジャック事件は知っているかい?」
「ああ、過激派がハイジャックを試みて、乗客に返り討ちにあったって話でしょう?」
なんで今その話が、とは思ったが徹夜明けの頭では話を合わせることしかできない。
「そして、犯人は『白い髪で青い瞳の女の子が自分たちを制圧した』と意味不明な供述をしている」
その特徴は、昨夜私が見た少女の特徴と一致していた。
「幻覚つながりですか?」
「759便は、試験機2号だ」
「すごい偶然がありましたね」
「いいや、意図的だよ」
「ゲン担ぎですか?」
「天使が憑依することがあるそうだ。航空機には。その天使を用いた威力の向上。これが、上の狙っていることだ」
それから主任は嬉々として飛行機に憑依する天使の話と、それがどのように兵器の威力向上に役立つのか話していたが、神秘学や兵器開発の心得がない、せいぜい学校で学んだ航空力学と現実をすり合わせるのが精いっぱいのひよっこな私には、主任の話しているデータの数値以外を理解できたかどうかは怪しい。
少なくとも、天使が憑依していると各種機器の精度が上がり、百発百中になる、といった話だった。
「このように、人間を攻撃する天使が憑依していることが分かっている航空機は貴重だ。1号機は、人間を傷つけることを拒否して、自壊した。2号機に天使がいるということが、君の証言で判明した以上、我々の目標は、天使の自壊を食い止めることだ」
というわけで、私は開発チームから外され、天使のカウンセラー役をする羽目になった。
カウンセラーと言えば聞こえはいいが、要は天使がこれから自分が何をするのか自覚させないためのごまかし役だ。
ひとり、またひとりと開発担当が体を壊していく中、ついに武器としての試験機2号——シグナス初号機としての初飛行前日がやってきた。
「私はね、みんなが笑顔になることが嬉しいの。だから、またここじゃない場所に行けるのが嬉しいわ」
「そうかい」
彼女と接するうちに、彼女は平和を愛する天使なのだ、ということが痛いほど私にはわかっていた。
ハイジャック犯を制圧したのは、平和な空を守るため。本当は誰も傷つけたくないのだ、と笑う彼女に、お前はこれから人殺しの道具として飛ぶのだ、なんて言えただろうか?
「ねえ博士、私はまたみんなを笑顔にできるかしら?」
彼女は、私のことを博士、と呼ぶ。大学で博士号を取った、と何かの拍子に言ったら、キャビンアテンダントさんがお医者様と博士は特別な呼び方をしていたから、という理由で私を博士、と呼ぶようになった。
彼女は、無邪気な、旅客機の、天使だ。
だから、せめて初陣までは、すべてをごまかし続けるしかない。
「できるよ、きっと」
「本当に?」
隣国と戦争が始まって、隣国との行き来に使われていた中型旅客機は多くがスクラップになった。
試験機2号——シグナス初号機のような。
彼女は旅客機として働くことに喜びを見いだしている天使のようだった。
「手、だして」
私は彼女と小指を絡める。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます、ゆびきった」
「針千本って、ほんとに飲んだらどうなるの?」
「さあ? でも多分、死ぬ。だからこれは、死にたくないから嘘つかない、って約束」
嘘だ。彼女は武器になる。人間を運ぶ道具から、殺す道具へ。
でも、それは、侵略してきた隣国から、私たちを守ることになるから、私たちを笑顔にしているのと一緒だよ。
内心でそう言い訳して、私は彼女から小指を離した。
シグナス暴走のニュースが届いたのは、実戦投入すぐのことだった。
その知らせと同時に、格納庫の屋根に大穴が開き、その下にいた私を彼女が押し倒した。
「私、私に乗った人の顔は、忘れないの」
呪詛のように彼女が唱えるのは、人間の名前だった。
そうだ。ネフラ航空759便は、隣国とこの国をつなぐ便で、乗客の国籍は半々だった。
「みんないい人だった、まさか、鉄砲を持って人間を殺すような人だとは思っていなかったけど——ううん、私と一緒なんだよね、戦争が始まって、武器としての役割を与えられただけで、みんな、幸せになるべき、人間たちだった」
わかっていた。隣国とひとまとめにして、見ないようにしていたことだった。
彼女をごまかしていたつもりだったが、本当にごまかしていたのは、自分自身だ。
彼女を自壊させないことは、私が人間を殺すことと同じ。
その残酷さがわかっていたから、彼女の初飛行が恐ろしかったのだ。
「よくも、私にあの人たちを殺させたな」
私を絞めつける手は、細く見えて力強い。
「私を殺しても、戦争は続くよ。その間、君はきっと、また君に乗った人を殺す。戦争を終わらせたいなら、殺すべき人間は別にいる」
「そいつらの名前を聞いてからでいい?」
「それは——」
私は思いつく限りの敵首脳部の名前を言う。
女が好きな女だろうが、男が好きな女だろうが、国家の歯車になるのならそんなことは気にしない。
主任は、そう言って、私を空軍に入れてくれた。
だから、これは私の、空軍に対する恩返しだ。
「わかった」
彼女はこくりとうなずく。命拾いしたか、と私が胸をなでおろしたのも一瞬。
「じゃあ、まずは博士から死んでね」
針千本は用意できなかったから、と言って細い指が私ののどに食い込む。
「全部終わったら、私も同じところに行くから」
その声と同時に、シグナス初号機は01空軍工廠に対置ミサイルを発射。多数の犠牲者を出し、兵器開発最悪の事故の記憶と共に、天使の軍事転用は永久に凍結されることになる。
シグナス初号機は01空軍工廠を破壊後、どうやったのか隣国首都を空爆。
それから終戦までシグナス初号機は行方不明だったが、終戦条約締結と同時に、01空軍工廠の滑走路上空に現れ、そのまま墜落したという。
ジュラルミンの天使 相葉ミト @aonekoumiha
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