16話 出兵

「なんなんですか! これ!」


 そして仕事を終えて家に帰るとまたクラリスが悲鳴をあげている。大量に届いたリームの実に。全部漬けてもいいけど、本当に梅干しになるか分からないし、三分の一は梅酒に、もう三分の一は梅ジャムにしようかな。


「クラリス、いいからヘタ取り手伝って」

「……かしこまりました」

「出来たらクラリスにもお裾分けするね!」


 黙々とクラリスと串でヘタを取っていると、突然部屋のドアが叩かれた。え、何なに!?


「申し上げます! 東の山岳地帯にて大型魔獣が現れ、救援要請がありました。早朝、王国騎士団派遣の為、早急にご準備を!」

「えええっ!」


 私は思わず串を取り落とした。けど……そうよね、騎士団はその為にあるのだもの。


「分かりました。救護棟に向かいます!」


 私は辞典を抱えて救護棟に急いで向かった。


「ザールさん!」

「あ、真白さん。そちらにも伝令が行きましたか」


 ザールさんは蓋付きの木箱に詰めたポーションの数を確かめていた。


「あのっ、私辞典だけでほとんど手ぶらで来てしまったのですが……」

「あ、今回私達は行きませんよ」

「えっ」

「……邪竜の時は兵士も回復術師も総動員でしたが、今回は一部隊だけです。随行する回復術師も数人です」

「そうなんですか……」


 私は一瞬、肩から力が抜けたがすぐに思い直した。一部とは言え、騎士団のみんなが危険地帯に派遣されるのだ。


「私に何か出来ることは……?」

「そうですね、念の為止血のポーションをあと十」

「わかりました!」


 私は辞典を広げた。そして『ヤロウ』のポーションを作り出す。ヤロウは別名セイヨウノコギリソウ。止血効果の高いハーブだ。


「できました」

「ありがとうございます。真白さんのポーションは効果が高いので今回は荷物が少なくて済みます。遠征には大事な事です。重たい物資はそれだけで兵士を疲弊させますから」


 ザールさんは薄く笑うとそれらを箱の中にしまった。しばらくすると兵士がその箱を引き取っていく。


「さ、あとはやる事はありません。真白さんは戻ってください」

「あの……ザールさんは……?」

「私はここで朝を待ちます」

「じゃあ……私もここにいます」


 ザールさんだけ置いて、朝までのうのうと眠れるとは思えない。私がそういうとザールさんは困った風に笑った。


「これは私の自己満足ですよ」

「いいです、それでも……お茶を淹れましょう」


 私は辞典から『マテ』を取り出して、お茶を淹れた。このマテ茶にはカフェインが含まれている。疲労にも良い。草っぽい味と香りも慣れれば美味しい。


「どうぞ」

「ありがとう……」


 とはいえ落ち着かない。朝日が昇るまでの時間が途方も無く長く感じてくる。


「いつまでも慣れません、こういう時間は」


 ザールさんはポツリと呟いた。情けない、とでもいいたそうなその口調に私は思わず答えていた。


「慣れなくても……いいんじゃないですか。その……ザールさんはみんなが心配なんですよね。そんなの、慣れなくていいと思います」


 騎士団は国民を守る為にこれから現場に向かう。怪我したり、もしかしたら死んでしまう人もいるかもしれない。そういう仕事なんだ、って言えばそれまでだけどその前に一人一人は人間なのだ。


「短い時間ですが、みんながこういう事態の為に訓練しているのを見てきました。だから、ちゃんといってらっしゃいって言わないといけないとは思うんですけど。……それと心配な気持ちは別です」

「……そうだね、ありがとう」


 ザールさんは小さく頷くと、スッと椅子から立ち上がった。


「少しお腹が空きませんか?」

「あ、じゃあ何か作ります」

「いえ、私にやらせて下さい。……昼間のお礼です。今度は私の故郷の味を真白にご馳走します」


 そう言ってザールさんは薬草の加工用の小さなコンロの前に立った。小麦粉に重曹と水と砂糖と塩を入れて練り生地を作るとくるくる丸めてフライパンで焼きはじめた。香ばしい匂いが立ちこめる。


「はい、簡単ですけどね。このジャムをつけて食べて下さい」


 見た目は具のないおやきみたい。ふっくら、赤ちゃんのほっぺみたいなそれは素朴な味だった。


「私の母は西方からの移民でして。行った事はありませんがよく作ってくれたのでこれがふるさとの味なんです」

「美味しいです。とってもほっとする味がします」


 お腹にものを入れたら少し気持ちが落ち着いた。このまま、笑顔で騎士団のみんなを送り出そう。そう思いながら私達はじっと朝を待った。


「整列!」


 今回派遣される騎士団の部隊に号令をかけているのはブライアンさんだ。大柄な体を鎧で包んでいる。前列には騎兵、そして歩兵と続く。その皆が見上げているのは壇上のフレデリック殿下だった。彼は今回鎧は着けていない。金の刺繍の施された群青の団服に身を包み、これから派遣される兵に声をかけた。


「諸君、これより東の山岳地帯に現れた魔獣の討伐にそのほうらは向かう。今回、すべての指揮権は、騎士ブライアンに託した。彼の勇猛さは皆の知るとおりだ。すでに白の騎士団が対処に当たっているが油断はするな。心してかかれ!」

「はっ!」


 殿下の言葉に兵士達は士気高く答えた。


「では、これより魔物討伐に向かう!」


 そしてブライアンさんの声に騎士団の隊列は動き出した。私とザールさんはその後を追う。


「気を付けてー! 怪我しないでねー!」

「真白さんの薬があるから百人力です!」

「あの作ってくれた粉で快適だし、一匹でも二匹でもかっかって来い! ですよ」


 私の叫び声に、兵士達はそう答えて王城の門の向こうに消えていった。


「……いっちゃいましたね」

「そうですね……」


 私とザールさんはもう姿の見えない彼らの方向を見つめていた。


「信じる事だ」


 振り返ると、そこには殿下がいた。


「私は信じている。指揮するブライアンの能力も、兵達の強さも」

「フレデリック殿下……」


 殿下は微笑んでいる。それを見て私はちょっとだけ安心した。


「さて、残った兵達をしごきに行くかな。あいつら自分達が行けなかったからってヘソを曲げているから」


 そう言って、フレデリック殿下は教練場へと去っていった。その姿が遠くなってからザールさんがぼそっと呟いた。


「殿下が一番行きたかったでしょうにね……。そういう方だ」

「あの……今回殿下が行かなかったのはどうしてですか?」

「小規模なものがほとんどですが、また一層魔物の被害が増えているそうです。念の為に殿下は残る事にされたとか」


 ……また増えているのか。私は何かもやもやとした不安な気持ちを抱いた。


「さ、夜を明かして疲れたでしょう。我々も仮眠を取りましょう」

「はい……」


 私はザールさんに促されて、家へと戻った。




★ヤロウ★

兵士の傷薬、と呼ばれ外傷におなじみのハーブです。

※キク科アレルギーを持つ場合は禁忌


なんか面白い話があったのでご紹介。中世の恋占いでヤロウに語りかけ、「愛しい人が私を想ってくれるなら、私の鼻から真っ赤な血がほとばしるはず」と唱え、そこで鼻血が出れば恋は叶うそうです……。鼻血……。

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