35話 儚い日常

「あいてて……」

「捻挫しているのですからほら、座ってください」


 ひどく足をくじいた兵士さんの足にポーションを塗る。その途端に兵士さんは立ち上がった。


「やっぱすごいなあ……」

「はい、じゃあ訓練に戻ってください!」

「ははは、真白さんも容赦ないなぁ……」


 次の日の私はザールさんにした宣言通りにいつものように兵士さんの治療にあたっていた。午後になり、診療に訪れる兵士も少なくなったので私達は昼食をとることにした。……本当はおにぎりにするはずだったのだけど、急遽サンドイッチになったことはザールさんには秘密です。


「いつもすみません」


 そう言いながらザールさんもサンドイッチに手を伸ばす。


「ザールさん小食だから心配です」

「そんなことないですよ……お昼はちょっと食べ損ねたりしますが」


 いつもみたいな軽口。うん、大丈夫。そんな事を思いながらクラリスの用意してくれたお弁当を平らげて、食後のお茶を淹れている最中だった。


「申し上げます! 西の湿原地帯に大型の魔物の発生が確認され王国騎士団の派遣が決定されました」

「何だって?」


 ザールさんが立ち上がる。知らせにきた伝令の兵士さんは続けて報告した。


「今回はかなりの大型という報告があり、総動員での派遣が決定しました。明朝には出発します。どうかご準備を」

「……ああ」


 ザールさんが神妙な顔つきで頷いた。


「……来てしまいましたか」

「ザールさん……」


 前回、私達はここで待機だったが今回は戦場に随行するということだ。私達の間に緊張が走った。


「とにかく準備をしましょう。まずはポーションの在庫を確認して」

「はい!」


 私達が遠征用の準備をせっせと進めている時だった。救護棟の扉が叩かれる。誰だろう、こんな時に。そう思いながら扉を開くと……そこにいたのはフレデリック殿下だった。


「フレデリック殿下……?」

「真白、伝えたい事があって来た」

「……なんでしょう」


 フレデリック殿下は真剣な目をして私を見つめた。私はそれを見てなんだか怖くなった。


「これを受け取ってくれ」

「……ブローチ?」

「真白と出会った時に倒した邪竜の牙で出来ている。お守りに」

「あ、ありがとうございます」


 それは白い牙を丸く切り出して百合の花を彫刻したブローチだった。私がそれを受け取るとフレデリック殿下は少し言いにくそうに切り出した。


「それと……真白は、今回は王城で待機していてくれ」

「……なんでですか!?」


 これから騎士団が現場に向かうというのに、また待機? それも私だけ?


「真白には危険だ」

「ほかの回復術師も一緒に行くんですよね?」

「ああ……。だが、真白を連れて行く訳にはいかない。真白は……この国の人間ではないから」

「なんでそんなこと言うんですか!?」


 私は思わず叫んでいた。私だって騎士団の一員だと思って働いてきたのに、ひどい……と殿下に訴えようとした途端、彼は私の肩を抱き寄せた。


「いいか、真白。真白は帰るんだろう? そして元の世界で生きていくんだ。だから、万が一にも命を落とすような場所につれて行くことは出来ない」

「離してください……」

「ああ……。でもこれは決定事項だ」

「……」


 私は黙って殿下を見上げた。空色の瞳はいつものとおり優しい。私の事を思って言ってくれているのが分かる。だけど……。


「真白……君は王宮にいるどの女性とも違っていて、新しいドレスや宝石よりも他人の心配の話ばかりしていて、いつも土と花の匂いがして、よく笑うしお人好しで……君といると楽しかった」

「……なんですかそれ……」


 やめて、まるでお別れの言葉みたい。


「帰ってくるんですよね、殿下」

「もちろんさ。俺は帰ってくる……。だけど……」


 フレデリック殿下は俯いて私の手を取った。


「俺も軍人だ。言える時に言っておかなければ、と思った」

「で、殿下……」


 ああ、頭が沸騰しそうだ。顔が熱い、泣いてしまいそう。


「殿下は……フレデリック殿下は私の恩人です。ですけどそれだけじゃなくって……私も殿下といると楽しいです。殿下がここに来るといつも嬉しいです」

「……ありがとう」


 殿下が私の手を握る力が強くなった。


「……時間だ。出立の仕度がある。行かなければ」


 そして名残惜しげにその手が離れる。じっと私を見つめたフレデリック殿下は振り切るように踵を返して去っていった。


「フレデリック殿下……」


 私はへなへなとその場に崩れ落ちるように座り込んでしまった。その後ろにザールさんが立った。そして私の肩にそっと手をやる。


「殿下が無茶をしたらブライアンが守ります。それでも怪我をしたら私が治します」

「ザールさん……」

「信じて下さい。殿下を、そしてみんなを」


 ザールさんの優しい言葉に、私はようやく頷いた。


「はい……信じます……」


 とうとうこぼれ落ちてしまった涙を拭いながら、私はそう答えた。




「……そうよね、私がついて行く方がみんなに心配かけちゃうわよね……」


 その日、遠征の準備だけ手伝って自宅に戻った私は夕飯もあまり喉を通らずに寝室に戻った。ベッドの上に上半身を投げ出して、ベッドの天蓋を見つめながら私はぼそっと呟いた。


「ポーションがあれば私自身が行かなくてもいいんだし」


 考えれば考えるほど、フレデリック殿下の言う事はもっともだった。私は手に握っていたブローチを見つめた。


「でも殿下……あれじゃお別れの言葉だよ」


 殿下が私といて楽しいって言ってくれたのは嬉しかった。


「けどあんなタイミングで言わなくたっていいじゃない……」

『そんな時でないと言えなかった、とも言えるな』

「うわっ」


 急に上から降って来たリベリオの声に、私はびっくりして起き上がった。


『残念だな、真白』

「うん……でも迷惑かけられないし」

『そうじゃない。真白、お前が元の世界に帰るチャンスかもしれないって言ってるんだ』

「チャンス……?」

『ああ。大型の魔物が発生したと言うことは、それだけ大きな魔力だまりが出来ている可能性が高い。そこに僕を投げ入れればいい』

「あ……」

『もしかして気付いていなかったのか』


 リベリオは呆れたように私を見た。


「そ、そりゃそうよ。だって周りは大変そうなんだもん」

『まぁ、別働隊で行った方が動きやすいか。準備しとけよ、真白』

「えっ!?」

『じゃあな』


 そう、言うだけ言ってリベリオは姿を消した。


「元の世界に戻れる……チャンス……」


 思いも寄らない事態に私の頭は余計に混乱した。これって……みんなが戦っている最中に元の世界に戻る事になるのかしら。私はこの事を誰にも伝えられないで。


「伝えておけば良かったの……?」


 辞典リベリオの誕生のきっかけと帰還の方法を、殿下とザールさんに躊躇しないで伝えておけば良かったのだろうか。


「だめよ、リベリオ……今は行けない……」


 私はそう呟いてベッドに突っ伏した。

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