生誕の悦び

只野夢窮

本文後回し

「それでマンドラゴラというのは一体何なのですか、学長」

「王立大学のトップであるワシを場末の酒場に呼び出して、聞くのがそれか」

「植物学の講義ではどうにも言葉を濁すばかりでしたので、何か語りづらいことでもあるのかと思いまして」

 お互いに酒を片手のやりとりである。一方はいかにも才気迸る若者、健全と若さが服を着て歩いているような人物……また一方は皺が顔に刻まれ、杖をついてはいるものの、背筋はしっかりと立ち、年月と言う暴風に対して未だ折れぬ老雄……

 酒場は貸し切りである。貸し切りである必要があった。この大学者は学問一筋、先々代の王に大学開講の許可を受けるとそれからあらゆる分野の専門家や前途洋々たる若者をかき集め、しかもそれを独占することなく、ひたすら次代の教育と自らの研究にその生涯を捧げた大人物……彼一人が文明を進歩させたと言われるほどの傑物である。そのような人物が、専門である植物学において、講義の場で曖昧な言葉を用いて何一つ語ろうとしないというのは、全く異様なことであった。よほど愚鈍なものでもない限り察するだろう…………マンドラゴラというのは、この大学者をもってしても、語りえないことがあるのだと。それをどうしても語ってもらおうというのだから、なるほど他の客に聞かれるようではまずい。しかしこの若人がどれほど優秀であろうが、未だ学生の身である。一等地の店を貸し切りにできるほどの金はない。そこで場末の酒場と交渉してみたのである。レストランではなく酒場というのは、酒があれば多少は口を滑らせ易くなるであろうという、小さな打算も働いていた……

「それがまさに、ワシが大学を作った理由じゃよ」

 ブルっと震えた学長が、ほんの少し小さく見えたのは気のせいだろうか。


「そもそもマンドラゴラについて、オヌシはどれだけ知っておる」

「植物ですが、特定部位の皮膚から土壌の栄養素を吸収することができること以外は人体に酷似した構造をしています。特筆すべきことに、光合成を行ういわゆる『葉』に該当する器官をもちません。代わりに人体で言えば腹部の中央にあたる部位から栄養素を吸収します。この時、光合成を行えない分他の植物よりも土の栄養を消費するので、マンドラゴラ専用の肥料を使わない限り、二、三年で周囲の土力を吸いつくしてしまいます。もう一つの大きな特徴は、引き抜く際に絶叫をあげることです。これは聞くと即死するので、どのような声かというのを知っている人はいません。ただし、声をあげる際に人体において肺にあたる器官が収縮し、口を大きく開けていることは知られています。ですので、未知の方法で声をあげているのではなく、普通の人が叫ぶのと同じように声を出しているというのが定説です。薬用・食用のマンドラゴラは特製の耳栓をして収穫されています」

「植物学のテストなら100点を取れる回答じゃな。そう、オヌシが今食べておるマンドラゴラのおひたしも、耳栓をして収穫されておる」

「ありがとうございます」

「さて、歴史の授業をしようか」

「わかりました」

 若者は少し不服そうな顔をしたが、ぐっとこらえた……酒を飲ませるというやり方はある程度効いているのかもしれない……最終的にはマンドラゴラの話に戻ってくるだろう。もう少しの辛抱だ。


「これはワシが十一歳のころの話だから、もう60年も前のことじゃ。『大飢饉』については知っておるね?」

「はい、基礎教養の授業で習いました。不作自体は時折起きることですが、不作に加えて寒波で家畜が死んでしまったことや、時化で海に出られないことが重なって大飢饉が起き、当時の王が備蓄しておいた食料を放出してもなお足りず十人に一人が餓死したとか」

「そうじゃ。ワシが生き延びたのは単に運が良かったからだ、としか言いようがない。そしてその年はマンドラゴラも不作じゃった」

 何を当たり前のことを言っているのだろうと思った。マンドラゴラはただでさえ大量の肥料を消費する存在だ……むろん普通の作物ですら不作の時に、豊作になるわけがない。

「それ自体は特段おかしなことでもない。問題は翌年じゃ。翌年はまあ、不作といっても備蓄する分がない程度で、飢えることはなかった。海沿いの村は漁に出ることもできたし……しかし、マンドラゴラの栽培に割く余力が未だなかったことも事実じゃ。そんな中で、マンドラゴラはこれ以上ないほどに豊作じゃった」

「え?」

「オヌシの聞き間違いではないぞ? マンドラゴラなんて誰も手をかけていなかったのに、急に大量のマンドラゴラが生えてきた……その時はみんな余裕がなかったから、理由なんて誰も調べようとは思わんかった。ただの偶然だろうとか、手をかけなかったのがかえって良かったんだろうとか、その程度の認識で、とりあえず生えたものは抜かないと損だから、抜いただけで……ワシもその時は深く考えなかった。11歳だからマンドラゴラを抜くのには参加できなかったが、干したり切ったりするのは手伝った。不思議なものもあることだなあ、というぐらいの気持ちじゃった」

「その翌年じゃよ、ワシの母が死産したのは」


 別に飢饉がどうとかの話ではない。当時の医療技術から言って、死産は珍しい話じゃなかった。むろん飢饉であればその確率は跳ね上がったがの。この死産に一つ珍しい点があるとするなら、それは赤ん坊の歯が全て抜けていたことじゃった。おそらくはお腹の中できちんと育ち切らなかったんじゃろう。家族は嘆き悲しんだが、必要以上に嘆き悲しむことはなかった。要はこの前の飢饉のように苦しんで死んだわけでもなし、思い出があるわけでもなし……街はずれの墓地に埋めた。それだけじゃ。

 それだけじゃったらよかったろうにのう。

さらにその翌年の話じゃ。ワシは十三になって、初めてマンドラゴラ収穫の手伝いをすることになった。耳栓をつけて、力を入れてマンドラゴラを引っ張る……それだけの簡単な力仕事じゃ。そのはずじゃった。えいやっっと引っ張って、マンドラゴラの顔を始めてみた時、ワシは驚いてすっころんでしまった。その衝撃で耳栓が外れてしまったんじゃな。

「じゃあ、なんで生きてるんですか?」

 なに、簡単なことじゃ。そのマンドラゴラには歯が全部なかった。だから叫び声も不完全なものじゃったんじゃろう。不完全と言っても、ワシはそれを聞いた途端に卒倒してしまったのじゃがな。ああ、うん、じゃから、ワシはマンドラゴラがどう叫ぶかを知っている。


「おぎゃあ。おぎゃあ」って泣くんじゃよ。

 若者はマンドラゴラのお浸しを机に嘔吐した。

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