後編


 3. 転機


 私に関して言えば、二年後、親の病気が落ち着いた時、それまで勉強を続けていたフラワーアレンジメントの技術を生かし、大きな街で再就職する事になった。


 気になったのは、毎年届くヒトミさんからの年賀状にベビーについて何も書かれていない事。内容は、年賀状の定番の決まり文句だけだった。そして年賀状の差出人の名字も変わる事はなかった。スマホ以前の時代は、機種変でメールアドレスを変えると、うっかり連絡先を伝え忘れて消息が取れなくなっていた時代。年賀状だけが私達の繫がりになっていた。

 その年賀状も退職して七、八年程で自然消滅した。初雪が降る頃になると毎年書く年賀状で、彼女の事を思い出すのが年中行事となっていたのに。


 年に何回か、故郷に戻った際、かつての同僚の家の前を通ったけど、明かりがいているのを見ないのが心配だった。まるで汽笛も鳴らない暗い海のよう。

 働き始めた街は海の側なので、夜の海を見る事も多かった。水平線のはっきり見えない海は、底しれない闇の世界。今でも軽い恐怖症のように、夜の海は、私の夢の中に出てくる。



 4. 積もる雪


 フラワーアレンジメントの仕事は、講習やイベントで、遠方へ行く事も多かった。もちろん、仕事で出張する事もある。


 東北の都市を訪れた事もあった。地方の歴史ある町と言ってもかなりの都会だ。デパートに入ってさんざめく光の宮殿だと思ったのは人生で二回目。玄関フロアーの甘い香りも若い頃訪れた有名百貨店と同じだ。


 そして、shu kannoの店舗が目に入った。ナンバーPK01もちゃんとあった。


 化粧品は新製品に移り変わる事が多いというのに、何てロングセラーなんだろう。私は二本目を買い足した。前に口紅を買ってから十年位経つので無くなりかけていたし。


 話し好きの店員は色々な商品を淀みなくすすめてくる。

「そのリップスティックに似合うチークもいかがですか? 試してみるだけでも。気に入られましたらまた今度でも……」


 でも、私は出張で来ているので、このデパートに来る事も多分もう無いだろう。そう思うと何だか切ない。昔、一本目のこの口紅を買った時には、その店にもう二度と来ないだろう等、思いもしなかった。

 新しい場所に行く時には、また訪れる事があるかもしれないと思ったし。人と別れる時も、そんなに深刻には考えなかった。前の会社を辞める時にも、ヒトミさんは眼に涙を浮かべていたけど、私はさっぱりしたものだった。


 同じデパートに入っているタワレコで、洋楽のコーナーを見ていると、ブラム・フォン・ベイルのコーナーはもはやあまり大きくない。「風はさびしくない」の入ったCDは、店内の膨大な量の音楽の中で埋もれていくのだろう。この町の雪のように。


 私の故郷では雪はたいてい淡雪で、地面に落ちた途端、消えてゆく運命にあるのに比べ、ここでは雪はふかふか積もる。私が行った日は晴れていたけど、前日の雪が地面を覆っていた。

 雪景色を思う存分楽しみながら、反面、おもちゃの雪のような故郷での雪の希少価値を懐かしく感じるのだった。


 その出張先の町で訪れたこじんまりとしたイタリアンのお店に、洋楽に詳しい店員さんがいて、ブラム・フォン・ベイルや他の古い音楽の事を話した。その店は私に故郷の軽食店を思い出させた。

 故郷の店の方はまだ健在で、でも少し古びた外観は足を向けるのを躊躇ためらわせていた頃。



 5. 復刻版


 最初に口紅を買ってから十七年。自分の結婚話が決まって、今日、久しぶりに故郷に帰った。結婚のあいさつ前にまず一人で。


 色々な用事を済ませた帰り道にあの彼女の家の前をあえて通った。


 何件か先から、古い家の窓に温かな色の光がともっているのが見えた時、心の中にも何かがともった。


 名字は変わらない表札の家に、明かりがともっている。聞こえるにぎやかな家族の声。子どもの声も混じっている。一人っ子だった彼女なので、あの声はきっと帰省した彼女の家族のものに違いない。今年初めての寒さで、初雪がちらついていた。でも窓の明かりの金木犀きんもくせいみたいな色で胸がほっこり暖かくなる。


 ―― もちろん今、あの家の呼び鈴を鳴らす立場にはないけど、久し振りに年賀状書いてみようかな、結婚の報告という名目で――


 昔の軽食店を訪れてみたけど、オーナーが変わったみたいで、ほとんど新装みたいに店の名前も外装も変わっていた。でも彼女の家の明かりがうれしかったから、ここでケーキでお祝いしたい気分だった。あるいは少し遅れたクリスマス?

 店の中は意外と昔の名残がある。窓枠等そのままだ。

 ここでは有線を引いているみたいで、懐かしい洋楽の曲が掛かっている。レモンタルトを食べていると、すごい偶然で、「風はさびしくない」がかかった。まるで本当にお祝いしてくれているみたいに。


 隣のテーブルの若いカップルが話している声が聞こえてくる。


「ねえ、この曲、いいよね。今、掛かってる曲」とショートボブの女の子が言うと、向かいの席の男の子も同意した。


「うん、いいやん、この曲。昔の曲かな? タイトルを調べてツイートしよ。メロディで調べるアプリを起動させてっと……」


 何だろう、この感覚は? パズルのピースを見つけた時のように嬉しい。


 ふと思いついて、shu kannoのナンバー01をスマートフォンで検索してみた。半年前、住んでいる街の店舗で、すでに製造中止になっている事を確認済みだけど。

 今では日に焼けて、決して色白とは言えず、ホワイトピンクが似合うとは言い難い私の肌だけど。それでも今でもあの色の似合う頃と変わらない自分がいる。


 ――あ! ナンバー01のホワイトピンクは復刻版で限定発売されてる! 売り切れる前に買わなくちゃね!――


 窓の外には、まだ降り続く雪。また、きっと会える雪。いつか何処かで。


 





 ※作中のブラム・フォン・ベイル及び「風はさびしくない」は架空の歌手、曲名です。モデルとなる歌手と曲は存在しますが、年代、現在での評価等が本作と変わってきますので、架空とさせて頂いています。

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雪待ちの人/復刻 秋色 @autumn-hue

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