雪待ちの人/復刻

秋色

前編


 1. 雪は消えない


 子どもの頃、雪が地面に落ちるとすぐに溶けて消えてなくなってしまうのを見て、わんわん泣き出した事がある。一年を通し温暖な故郷の町では、雪が積もるのは冬の間にわずか一、二度で、それもたいてい一晩で溶ける。   

 空から舞い降りる、頼りなげな白い粒は、アスファルトの道路をほんの少し濡らしただけで、簡単に消えて蒸発する。

 小さな手を伸ばしてつかもうとしたらてのひらで消えていたので私が泣き出した時、母が慰めてくれた。


「あれは無くなってるんじゃないんよ。また空に上って雲を作って雪になるんよ」

 その言葉を聞いてから冬に雪を待つのが楽しみになった。



 ――今年もあの雪に会える――



 十八才の春、初めて自分のお金で買った口紅はレアなホワイトピンク。

 ファッション雑誌のタイプ別効果的なメーク法に載ってあった、色白の人におすすめの口紅だ。インドアの少女だった私の肌は、顔色が悪く見える位の白さだった。友人達からは、「色白だからピンクが絶対似合うよね」と確かに言われていた。

 その頃急上昇で有名になり始めていたメイクアップアーティストの始めたブランド、shu kannoの口紅。商品ナンバーはPK01。

 

 いくら雑誌でおすすめの口紅でも、地方のデパートのコスメのコーナーには無かった。ところが有名なテーマパーク目的で行った友達との旅行での事。

 たまたま寄った有名百貨店のさんざめく光の宮殿のようなフロアーを歩いていると……


「あ! あれ、shu kannoのお店じゃない? PK01あるかなあ」

 高貴なまでに甘い香りが漂うフロアーで、私は思わず小さく叫んだ。


 隣には「ハルカって……詳しいね」と驚く友達がいた。


 PK01はあった。何だかずっと探していたパズルのピースを見つけた時のように嬉しい。


 その後、不思議と、この口紅は、いつまで経っても減らなかった。と言ってもこの口紅はパールホワイトの入ったピンクという、TPO的に微妙な色。そのため年に数回しか使う機会がないのだから、別に不思議でもないか。



 口紅を買った年、好きになった曲がブラム・フォン・ベイルの「風はさびしくない」。


 商店街の外れにある軽食のお店にはCDのジュークボックスがあった。そこを時々訪れ、この曲をリクエストするのが自分の秘かなブームとなった。ただし、ある年の秋と冬限定の。学生時代が終わり、友達はそれぞれの道を求め、小さな町を去っていき、一人でいる事の多い時期だった。



 2. 同僚


 初めて就職した会社で仲良くなった年上の同僚女性がいた。ヒトミさん。同じ事務職だった。

 時々、帰りが一緒になるので、車で通勤していた私は、彼女を家まで送った。帰りが遅くなった時は特に。彼女はバス通勤だけど、私の通勤ルートを少しだけ外れた所に彼女の家がある。

 住宅街にある、あまり大きくない木造建築の家だった。木の戸口をくぐるとすぐにドアがあり、ドアのすぐ横にある窓からキッチンの様子が少し見えるような。その隣の窓からは居間の明かりが見え、カーテン越しに談笑が聞こえてくるような。

 ヒトミさんは、私にとって理想の優しい姉みたいな存在だった。この小さな家の清潔感や温かさは、奥ゆかしい彼女の住まいに似合ってるなあという気がして、ヒトミさんを送った夜は、窓の明かりを見ると心の中がポカポカとした。


 時々、人の良さそうな両親が玄関に出て来て挨拶してくれ、ちょっとしたお菓子等頂く事もあった。


「いつもうちのヒトミがお世話になってます」


「いいえ、お世話になっているのはこちらの方です」


 こんな感じの会話だった。



 車の中で「風はさびしくない」をかけると「いいよね、この曲。好きよ、こんな曲」とヒトミさんはよく言った。


 ワンレングスと呼ばれていた横分けの長い髪は栗色で、痩せて優しそうな、ちょっとハスキーボイスの女性ひと煉瓦レンガ色のような赤系の口紅が似合っていた。私には、「ハルカちゃんの白い肌にははピンクの口紅がよく似合うよね」とよく言った。

「白とピンクは相性がいいんだ。そう言えばベビー服には白とピンクって多いよね」とそんな彼女のつぶやきがなぜか記憶に残っている。


 一つ年下の彼氏がいて、その彼氏の仕事が落ち着いたら結婚するつもりだと、車中でうれしそうに彼氏とのエピソードを話してくれたヒトミさん。


「私の料理が得意なのはね、彼のおかげなの」


「一緒にね、子猫を拾ってね」


 等々。普段の完ぺきに大人な彼女の別な可愛い一面を見る機会になった。




 私が親の病気を理由に会社を辞める事になった時、一番名残惜しんでくれた。そして実は私にだけこっそり打ち明けてくれた事がある。


「実はね、今、お腹の中にいるの、彼との新しい生命いのちがね」

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