捜査なし推理なし刑事ドラマのポトフ(夕喰に昏い百合を添えて3品目)
広河長綺
第1話
「…このようにして、あなたはアリバイを偽装した。それから…」
捜査一課の刑事
七歩の周囲には、たくさんの頭部が並ぶ。
激怒した男の顔。無表情な少女の顔。穏やかな天使の顔。
どれだけ怒りの感情をこめて七歩が語っても、周囲のツルツルして真っ白な顔の表情が変わることはない。
全て石膏彫刻なので動かないのは当たり前なのに、妙なプレッシャーがあった。
年齢12歳にしてヨーロッパで個展を開催する程の世界的天才彫刻家、竹花清のアトリエ。
数十体の未完成彫刻に取り囲まれているという異質なシチュエーションで、七歩は自分の推理を清に聞かせていた。
正直、気味が悪い。
しゃべる七歩と聞く清を見つめ続ける彫刻たちの無機質な目も、刑事に問い詰められても俯いて彫刻の作業に没頭している清も。
だが心の中には「10人も殺した凶悪犯を許さない」という怒りの炎がしっかりと燃えていて、そのおかげでいつも通り七歩はしゃべり続けることができていた。
「…以上が私の推理です。こうやって清さん、あなたは、小学生でありながら10人も殺して死体をドリルで削った」
ついに、長い説明が終わった。
しかし、唯一の聴き手である清は、周囲の石膏彫刻と変わらないほどに無反応だ。
彫刻たちに囲まれた椅子にちょこんと座り、下を向いて、黙々と作業を続けている。
芸術家の仕事を邪魔しないでよとでも言いたげに。
しかし、人を殺しておいて「芸術の邪魔をするな」と要求するのはめちゃくちゃだ。
「この連続殺人の犯人は、あなたです」七歩は、遠慮なく目の前の清を指さした。
1秒間、静寂がアトリエに広がる。
そして。
「おぉー迫力ありますね」良い体験ができたという満足げな表情を浮かべて、清はようやく顔をあげた。刑事に犯人だと指摘されたこの状況を楽しんでいるように見えた。「ミステリードラマみたいなセリフだ!女性刑事さんって、生で見るとかっこいいなぁ」
キラキラした憧れの目で、立ち上がって七歩をみつめ近づいてきた。
七歩は清の姿に、つい目を
捜査資料だと12歳ということだったが、ふっくらしたほっぺたや大きい目のせいか小学校低学年にも見える幼い顔立ちで、おさげの髪がよく似合っている。フリルがたくさんついた、青いドレスのような子供服のスカートが、七歩に向かって歩いてくるたびに揺れていた。
その雰囲気はどこか、純粋さと快活さを感じさせる。
どこをどう見ても、10人も殺したようには見えない。
推理に矛盾はないとはいえ、本当にこの子が犯人なのか。
心に芽生え始めた疑問をかき消したくて、七歩は問い詰めた。
「清さん、ふざけないで下さい。私の推理に異議がありますか」
「あ、ごめんなさい」清はペコリと頭を下げた。「まずは、聞かれたことに、答えないとダメですよね。私の悪い癖なんです。感情を言葉にだしてしまうの。ママからもよく注意されてたんだけど」
「そのあなたの母親もあなたが殺したんでしょうが!」七歩は清の言葉を遮って叫んだ。「いい加減にしなさいよ」
連続殺人事件の3件目の凄惨な現場。
血と内蔵でできた水たまりの中で仰向けになっている若い女性の死体を思い出し、怒鳴ることを我慢できなかった。
さらに強い言葉を清にぶつけようと、七歩が口をあけたその時。
「おい!貴様!!先生に何をしている」
背後から、罵声が飛んできた。
振り返ると、眼鏡をかけた細身の男性が焦った様子でアトリエに駆け込んできたところだった。こいつも七歩は捜査資料で見た。確か清の弟子で、清から彫刻について指導をうけている20代の男、梶浦聡だ。
清は優しく微笑んだ。「ああ、聡君。大丈夫だよ。この人刑事さんだから」
「刑事が来たのですか?」
そう言って目を見開いた聡の顔には、どこか怯えの影が差していた。
「ということは、清さまの芸術活動がバレてしまったのですね」
芸術活動という言葉、そして清に心酔した聡の表情。
やはりそうか、という冷たい納得が七歩の胸にうかぶ。
「あなたも犯行を知っていたんですね。そして清さんの言いなりだった」
「ええ」聡は悪びれもせず頷く。「先生の芸術活動を邪魔するあなたのような存在がでてくることも知っていましたよ」
「10人殺しておいて、あれのどこが芸術だと?」
「芸術作品において、素材はなんでもよいでしょう?最終的にどんな形を作りどんなふうに見る人の心を揺さぶるのか、が全てです」
「どんな屁理屈を並べようと、聡さんも清さんも、ただの精神異常者の連続殺人犯です」
七歩の非難に動じることなく、聡は嘲るような笑みを顔に浮かべて、質問した。「本当にそう思っているのなら、なんであなたは一人でこの場に来たのですか?知っているんですよ。刑事は基本2人行動でしょう。相棒の刑事さんを置いて先生と二人きりになろうとした。先生に惹かれてしまったから。違いますか?」
七歩は一瞬答えに詰まった。相棒をだまして一人でここにきたのも事実で、自分でもなぜ清と一対一で話したいのかわからなかったから。
それでも、清たちのしたことに対する嫌悪感は本物だ、と自分に言い聞かせ「違う。私は、容疑者の言い分を聞いたうえで裁くのがこだわりなんだ。今までだってそうやってきた」と言い返した。
「七歩さん、取調室でも犯人の言い分は聞けますよね?」
「それは…」
「あなたも清様の作った死体の美しさに見とれたことがあるんでしょ?」言いよどむ七歩をさらに問い詰める聡の肩に、ポンと手が置かれた。
清だった。
「まあ、まあ。落ち着いてよ二人とも。ケンカしないでよ。仲良くしようよ」
10人もの人を殺していて、仲良くしようと考える。
そんな倫理観が壊れた言葉を12歳らしい無邪気な笑顔で口にする。
長年刑事をしている七歩が見てきた凶悪犯罪者たちと比べても、清は本物の怪物だった。
「あ、そうだ」新しい遊びを思いついた小学生のように、清は唐突に言った。「やりたいことがあるんでした」
「なに?」
「刑事さん、ちょっとの間でいいから、その場でなにもせずに見ててよ」
「何を…」
「よいしょっと」清は机の下から、手のひらサイズの白い箱を取り出し、机の上に置いた。「今から、私さいごの作品を作るの。今までの作品と違って、この箱を使ったものになる。どう?見てみたいでしょ?」
七歩が返答に窮していると、聡が割り込んで、「はい!はい!先生。白い箱を使うという今までにない作品を最後に作るなんて。さすがです」と絶賛してきた。
「ありがとう」そう礼を言うと、清はいきなり弟子の腹にドリルを突き刺した。
「ありがとうございまぁぁす」聡は歓喜の声をあげる。
噴水のように血液が吹きあがり、周囲の白い彫刻たちが一瞬で赤く染まった。
それ以上にべったりと返り血を浴びた清の顔からは笑顔が消え、真剣な面持ちで聡の顔をドリルで削り始めていた。
その横顔は芸術家らしかった。そして一生懸命な感じが、とてもかわいらしかった。
ドリルはみるみるうちに聡の顔を削っていく。骨にあたったのだろうか、ドリルの音も少し低音になった。
そこまでくると、聡の死体は今までの10人と同じく芸術性を発揮し始める。
顔のパーツが抽象化され、意味を失い、血で飾られた複雑な形のオブジェと化す。
七歩は、程よくぐちゃぐちゃに削られた聡の顔を美しいと思ってしまい、慌てて心の中で否定した。
「あれれ?刑事さん、止めないでいいんですか。私は現在進行形で犯罪してますよ」
動揺する七歩を小馬鹿にする口調で、清が尋ねた。
七歩は怒りながら、銃をホルダーから抜いて清にむけた。
「逆にきくけど、止めてほしいの?ほら、けん銃をあなたに向けたわ。あなたが大好きな刑事ドラマっぽいシチュエーションよ」
「ふふっ、いいですねぇ。でもやめません。作品を完成させたいですから」
「もう、おわってるんじゃないの?お弟子さんの体、削り終わってるし」
「いえ」清は首を横にふった。「今回の作品のためには、刑事さんを最高の形にしなきゃいけないので」
そう言って清はドリルを七歩に向けた。
「刑事である私がおとなしく殺されるとでも?」
「はい」清は堂々と頷いた。「さっきの聡さんの言葉は図星でしょ?刑事さんは私の芸術を美しいと思ってしまった。だから、私のドリルを拒めない。違う?」
休み時間の小学生のように顔をほころばせて、七歩に迫る。
この期に及んでも心の汚れを一切感じさせない、口を大きくあけてはしゃぐような無邪気さに、七歩は圧倒されていた。
七歩は完全に舐められていた。実際、先ほど目の前で行われた殺人を、止められなかった。
世の中を平和にしたくて、刑事を志したことを思い出す。圧倒的に女性が少ない現場で、過酷な訓練を積んできた。その結果手に入れた刑事の立場と職務に誇りを感じていた。
今の情けない自分に腹の底から憎悪が沸き上がる。
「おあああああぁぁぁ」
雄たけびをあげ、引き金をひいた。冷静さの欠片もない発泡。それでも銃弾はしっかりと清の小さい体を貫いていた。
清の体は、驚くほど後ろに吹き飛んだ。結局のところ、どれだけ心が怪物でも、体は小学生でしかない。軽くてもろい肉体は、一発の銃弾で簡単に破壊されたのだった。
気が付くと、手足がぐにゃりと力なくまがって転がっている清の死体があった。
清は死んでもニコニコ笑顔を浮かべていた。
それを見ていると、七歩の心の中に大きな達成感が生まれた。
自分の正義は、化け物に勝ったのだ。
「なーんだ。大したことないじゃないの」
なんて爽快なのだろう。大声で笑いだしたい気分だった。
ただ唯一気になることがあるとするなら、「清が出した白い箱はなんだったのか」ということだった。何か清による新しい芸術作品の原料でも入っていたのだろうか?
七歩は白い箱を開けてみた。
予想に反して、空っぽな箱の底に鏡がくっついているだけだった。
――この作品のためには刑事さんを最高の形にしなければならない
清の言葉を思い出す。
自分に自信があった清にとって「最高の形」とはもしかして清のような形なのか。
そんな疑念を胸に、七歩は白い箱を覗き込む。
鏡に七歩の笑顔が映る。
鏡をみてはじめて七歩は自覚した。清を殺したことを喜ぶあまり、無意識のうちに笑っていたことを。
鏡にうつった七歩の表情は、人を殺しているときの清の笑顔にとてもよく似ていた。
捜査なし推理なし刑事ドラマのポトフ(夕喰に昏い百合を添えて3品目) 広河長綺 @hirokawanagaki
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